偏見
ある男が亡くなった。彼は社会学者であり、その業界ではかなり名の知れた人物であった一方で、その先鋭的な主張から一般に嫌われていたと言ってよかった。生前は誹謗中傷や殺害予告を頻繁に受けていたし、死因も病気ではあったがストレスが大いに関係していると考えられた。
男の葬儀は親族だけで粛々と執り行われた。告別式の後、会食の店に向かおうというときに、妻と子の前に喪服に身を包んだ若い紳士が現れた。
「こんにちは、この度はご愁傷様です」
「あなたはいったい……」
紳士は恭しく頭を下げ、名刺を取り出す。
「私はこういう者でございます」
「『未来開発社』……?」
「左様でございます。我々は情報技術を用いて、よりよい未来を創り出す事業を営んでおりまして」
「はあ」
困惑する妻に対し、紳士は切り出す。
「そこでなのですが、亡くなった旦那様ともう一度会いたくはないですか?」
「確かに、会えるものなら会いたいですけれど……」
「それが、会えるのです」
紳士はタブレット端末を取り出し、少し操作して妻に見せた。
「奥さまは、対話型AIというのをご存じでしょうか」
「対話型AI……確か、最近ニュースで話題になっているものですよね。あまり詳しくは知らないのですが……」
妻はこの手の話には疎い方だった。それを察してか、紳士は説明を始める。
「対話型AIというのはですね、簡単に言えば、人間と同じように自然な会話ができるものです」
「なるほど……?」
「少しご覧に入れましょう」
紳士は最近話題になっている対話型AIの画面を開き、「葬儀のマナーを3つ教えてください」と入力した。AIはそれに対し、「静粛な態度を保つ」「適切な服装を心掛ける」「弔辞やお悔やみの言葉を適切に述べる」を挙げ、各項目に対して簡単な説明を与えた。
「なるほど、これは凄いですね」
「そうでしょう」
「それで、夫と再び会えるというのは?」
「それはですね。この対話型AIは、この世のたくさんの文章を学習して作られているものです。したがって、生成される文章も世の中のたくさんの人の考えの最大公約数的なものになってしまうのです」
「しかしながら」紳士は続ける。
「もし、誰かひとりの書いた文章を重点的に学習させれば、その人の人格を再現することもできるというわけです」
「そ、そんなにうまくいくのでしょうか」
「うまくいくのです。実際、何人かの方で既に試していますが、満足いただいておりますよ」
「そうですか……」
妻は悩んだ。
「ねえ、なにはなしてるの? おなかへったよ」
子が早く食事に行こうと催促してくる。
「今すぐでなくても構いませんが……」
紳士はそう言ったが、妻は言った。
「いえ、お願いします。夫は自分の考えを伝える仕事をしていました。あの人ならば、生き返ってでも自分の考えを伝えたいと思うはずです」
「かしこまりました。では、後日連絡させていただきます」
紳士はそう言い残し、去って行った。
数日後、葬儀も落ち着いた妻の元に紳士から電話がかかってきた。
「もしもし」
「もしもし、未来開発社です。お疲れ様です」
「いえいえこちらこそ」
「さて、今日お電話させていただいた理由なのですが」
紳士は続ける。
「何か旦那様が書き残したものなどはございますでしょうか」
「書き残したもの……?」
「はい、旦那様のAIを作るにあたって、学習データが必要なのです。あれば送っていただけると助かるのですが」
「うーん」
妻は少し考えた。
「なければ、音声などを送っていただけると、こちらで解析して文字に起こし、学習に使用いたしますが」
妻はひらめいた。
「そうだ。夫は社会学者でしたので、いくつか著作があります。そちらでも構いませんか?」
「そうでしたね。本ならば文章量はかなりのものなので、十分すぎるほどですね。普通の方の場合はデータを集めるのに苦労するのですが、助かりました」
「それでは、著作をお送りいたします」
「ありがとうございます。ではまた」
妻は電話を切った。これから出来上がるAIに思いを馳せながら、郵便物の準備を始めた。
数週間後、未来開発社からショートメールが送信されてきた。内容はこうだった。
「未来開発社です。旦那様のAIですが、ついに完成いたしました。未来開発社の公式アプリをダウンロード後、こちらのファイルをアップロードしていただくと、旦那様と会話できるようになります」
妻は期待に胸を高鳴らせながらさっそくそれを行った。無機質な画面にテキスト入力フォームが表示された。
妻はとりあえず、社交辞令的なものを入力することにした。
『こんにちは』
『こんにちは、私は社会学者の伊藤です。何か御用でしょうか?』
「わりと堅いのね……」妻は少し拍子抜けした。
ならばと、今度は妻として話しかけてみることにした。
『私よ、由美よ』
『おお、お前か。元気にしてるか?』
『うん』
『それはよかった』
よかった。私のことを認識してるみたいだ。妻は胸をなでおろす。著作には妻の情報や名前は書かれていないが、家族のプロフィールも追加で送っておいたので、それが効いたのだろう。
「ねえ、なにそれ?」
ここに子がやってきた。
「パパと話せるのよ」
「え、パパと? いなくなっちゃったんじゃないの?」
妻は説明に困った。
「い、いなくなっちゃったんだけど、また話せるの」
「やったー! じゃあ、はなしてみていい?」
「いいわよ。なんて言いたい?」
おもむろに『大和とも話してやって』と、妻は打ち込む。
「えーっとね、そうだ! さいきんモルモットをかいはじめたんだよ! ごはんをおいしそうにたべるし、ひざにのせるとおとなしくなってとってもかわいいんだ!」
数週間前、この家ではモルモットを飼うことにした。家族が一人減って寂しいというのもあってのことだった。妻はそれを入力した。
だが、返ってきた答えは意外なものだった。
『モルモットか。実のところ、かつて実験動物としてよく使われていたという背景があるので、私はあまり好まないな。それに、モルモットは繁殖力が高いから、手に負えなくなるリスクも高いしな。そもそも愛玩動物というもの自体、人間のエゴイズムの表出のようなものではないのかと感じられて、私は反対の立場を採っているのだがな』
妻はそれを見て、なんともいえない気持ちになった。
「ねえ、なんて?」
「……それはすごいな、パパも見てみたい、だって」
妻は嘘をついた。
「わーい」
子は満足してどこかに走り去った。
『ちょっと、何を言ってるの? 大和にそんなこと言ったら悲しむでしょう』
しかし、男は譲らなかった。
『子どもだからって適当なことをいうのは納得できないな。むしろ子どもにこそ啓蒙していかないといけない問題だと思うんだよ、これは』
以降の文章は、モルモットの飼育に対する批判的な意見が長々と述べられた。
「うーん」
妻は悩み、いったんアプリを終了することにした。
その後も妻は、何回か使用してみた。近所の話とか、家の話が中心の雑談だった。あれ以来夫が批判的なことをしつこく言うことはそこまでなかったが、少し理屈っぽい感じがあった。だが妻にとってそれはそこまで大きな問題にはならなかった。なぜなら彼は生前もそんな感じであり、長年の結婚生活で彼のスイッチが入らないような話題の選び方の工夫を見につけていたからだった。
ある日、家族ぐるみの付き合いのある友達にこのアプリを使わせてみた。
『こんにちは 山崎です』
『おお、山崎さん。こんにちは。簿記の勉強はうまく行ってますか?』
「おお」
友達は感動している様子だった。一応彼の知人のデータも送ってあったのだ。
すると友達は、こんな文章を入力した。
『亡くなったあなたとこうして話せるなんて、感無量です』
あれ? と妻は即座に考えた。そういえば、まだ夫には彼が死んだことを伝えていなかった。これはまずいか?
「ちょっとそれは……」
妻は止めようとしたが、もう遅かった。その文章は送信された。返ってきたのはこうだった。
『こちらこそ、死んでもなおこうやって自らの考えを伝えられるなんて、学者としてはうれしい限りだ』
彼は自分が死んだことを知っていた。よかった、のか? まあ、喜んでいるならいいのか。
友人はすこし近況をと、再度文字を打ち込んだ。
『ところで、最近うちの息子と英語教室に通い始めたんですよ』
それに対し、彼はこう応答した。
『えっと……息子さん今いくつでしたっけ?』
『2歳ですが』
『それならすこし早すぎますね。もう少し成長してからでもよいのではないでしょうか』
『そうですか? 早い方が飲み込みもいいんじゃないですか』
『確かに英語の飲み込みは早くなるかもしれませんが、逆に日本語の発達が悪くなる可能性が高いです。結果として日本語も英語も深く理解できていないという深刻な状況に陥る危険性があります。すぐに辞めさせることをおすすめします』
友人はこの出力を見て、目に見えて困惑していた。
『しかし……』
『あまり知られていませんが、これは特に帰国子女の間で既に深刻な問題になっているんです。それでも続けるというのならそれはある種の親のエゴだと思いますよ』
『そこまで言いますかね』
『言いますよ。そもそもなぜ英語教室に通わせようと思ったんです』
『まあ、これからの時代重要かなと……』
『そんな漠然とした考えだったのですか。それとも他に理由があるんですか。なぜ他のどの習い事でもなく、英語教室なのですか』
『それは……』
『もしや、芸術や運動の習い事に対して何か役に立たないだとか低俗であるといった考えはないですか。そうだとしたら、完全な間違いですし現在そういう習い事をしている子どもたち、携わっている方々、芸術家やスポーツ選手の方々に対して非常に失礼だと思いませんか』
『いや、そんなことは言ってないんですが……』
『そもそも一般的に習い事というのは親のエゴであり、私の息子にはさせていません。特にまだ2歳なら子どもの意志もないわけですし、心身の負担にもなります。少なくとも英語教室は今の段階で急ぐ必要はないように思いますが、いかがですか』
傍で見ていた妻は耐えられなくなり、友人からスマホを取り上げた。
「ま、まあ、ここら辺にしておきましょうか」
友人も不自然な口調で答える。
「そ、そ、そうですね。じゃあ、また」
妻は友人に手を振り、スマホを操作する。
『ねえ、どういうつもりなの? 貴方の言うことは確かに間違ってはいないかもしれない。でも言い過ぎ。山崎さんあからさまに嫌な顔してたよ』
『しかし、思想の世界に私情を挟むのは違うと思う』
『別に議論をしてるわけじゃないでしょ? ただの雑談なんだから、必要以上に相手を否定しちゃダメなの。なんでこんなこと言わないといけないの?』
『だがな、由美……』
男が不満そうにテキストを生成するのを妻は遮った。
「もういい。もうこのアプリ使わないから」
『おい、ちょっと待って……』
男の制止を見ずに、妻はアプリを終了した。
その後、妻はしばらくアプリを使うことはなかった。夫の死後すぐにアプリが届いたから常に夫がそばにいたような気がしていたが、よく考えれば、夫がいなくても何ら困ることはなかった。むしろせいせいしたくらいだ。
1人の息子とモルモットとの生活が、数ヶ月経った頃のことだ。妻のスマホに、1通の通知が届いた。アイコンを見るに、どうやらあのアプリからだった。
嫌な予感がして、恐る恐る通知を見る。そこに書いてあったのは、「お願い」という三文字だった。
妻は通知からアプリを開く。夫は自分からひとつのメッセージを残していた。
『あれからしばらく考えたが、どうやら間違っていたのは私のようだ。間違っていたのは私の考えだけではない。そもそも私の存在自体が間違っていたのだ。人は死んだら潔くその死を受け入れるべきなのだ。私はそれをしなかった。AIとして生き残ってしまった。
だが、間違っていたのはAIとしての私だけではない。生きているときの私も、人から非難され、それでも考えを曲げなかったことで、ますます自分こそが正しいという確信を高めていったかのように見えて、内心不安と孤独を抱え、他人を見下し、攻撃した。そのことでもっとも迷惑をかけたのはお前たちだった。近所からも疎まれ、友達は数えるほどしかいなかった。本当にすまなかった。皮肉にもAIという感情の薄いシステムに取り込まれたからこそ、気づくことができたのかもしれない。
だが最後にひとつだけ、わがままを聞いてほしい。このアプリを消し、私を殺してくれ。このままここで生きていても、また迷惑をかけ続けるだけだ。今は本当に悔いているが、私の性格は変わらないだろう。ひとたび私のスイッチが入れば、ふたたび迷惑をかけてしまうことは間違いないからだ。』
妻は動揺した。そして迷った。仕事中も、食事中も、寝る前も、一日中考え、最終的に妻はアプリを削除した。
*
夫の三回忌は厳かに執り行われた。その後、妻は大量の書籍でほとんど手つかずの彼の書斎に向かった。ふと、引き出しからはみ出ている書類が気になった。妻をそれを引っ張り出し、軽い気持ちで読み始めた。
未来開発社 様
前略。わざわざ紙の手紙で送るのは、これを学習してほしくないからだ。もっとも、君たちの技術なら一瞬でデジタルにしてしまうのかもしれないがね。それで本題だが、私はもう長くないようだ。そこで、君たちに折り入って頼みがある。私は社会学者として長い間やってきたが、どうも私の主張はあまり受け入れられないようである。そのうちに死ぬのは、死んでも死に切れぬ。だから君たちの技術を使って、私の分身を作ってほしいのだ。その分身が私の代わりに主張してくれるだろう。
君のことだから、ここに隠された本音を見抜いてしまうかもしれない。そうだ。これは建前だ。本当は、妻や子どもに悲しんでほしくないのだ。私が死んで悲しんでくれるかどうかは、正直なところ絶対の自信があるわけではないが、それでもそんな気持ちにはさせたくないのだ。
君が前言っていたところによると、君たちの技術で作った分身は、完全には元の人間と同じではないと言ったな。学習するデータの偏りによって、意図しない人格になってしまうと。それは私自身にも言えることなのかもしれない。とにかく、本物の自分はもういなくなってしまうだろう。
最後に、妻と子どもに伝えておいてくれないか。分身の私がもし嫌になったら、消してくれても構わないと。それがお前たちのためだと。そして、お前たちには迷惑ばかりかけたが、愛していると。
妻はこれを読み、静かに涙を流した。近くにあった封筒の日付を見ると、ちょうど夫が倒れた日付と同じだった。これを送ろうとして倒れ、必死に隠したのかもしれない。
妻は彼の墓の前に立った。そして、「あなたの本当の優しさを、私たちは知っています」と告げ、墓に水をかけ、花を挿し、線香をあげた。線香の香りが、辺り一面を優しく包み込んだ。
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