第22話 エリシアとアドラーナ

 アドラーナ達が屋敷についた、ジョアンナの顔を見た使用人達は一様に驚いた顔を見せる。


「執事長にお会い出来ますか?」


 外門から館の中へジョアンナ達を案内したメイドにジョアンナが告げる。


「失礼ですがジョアンナ様、ご用件は?」


 ジョアンナの後ろにいるアドラーナ達をチラチラと見ながら、メイドは聞いた。


「それは執事長に話します、お目通りを」


 ジョアンナの毅然とした態度に、メイドはそれ以上なにも言わずに下がった。


 ジョアンナが言っていた以上に使用人のジョアンナ達への視線には刺々しさがある。


 ジョアンナは言わなかったが、エリシアを傷つけたチェインに対し、使用人達は反感持っている。


 そのチェインの元へジョアンナが行く際は、ジャッキーの要請であったにも関わらず、他の使用人達はまるで裏切り者を見るような態度だった。


 少しして、壮年の髭を蓄えた男がやって来た。


「おお、ジョアンナ。お前がいないと仕事が捗らなくて困っているよ」


 男はジョアンナの顔を見て笑顔を浮かべた。


「嬉しいお言葉をありがとうございます」


 ジョアンナが丁寧にお辞儀を返す、ジョアンナの雰囲気がどこか和らいだように感じられた。


「立ち話もなんだ、私の部屋で話そう。見るからに面倒な話しに思えるしね」


 男はアドラーナ達を眺めて言った。男の後について屋敷内を歩く、男は一階の端の部屋の扉を開いた。


「それで、話しとは?」


 中に入ると、男はすぐに本題に入った。


「現在、私が仕えているチェイン様の屋敷が傭兵崩れに襲われました。チェイン様は戦争に出ていかれたので、その間はここでお世話になるようにと」


「それはまた、今は当主も留守でなんとも言えんな。私の一存では決めかねる。それに、分かっているだろう?」


 男は言いずらそうにアドラーナ達を見る。


「それは、チェインとエリシアさんの婚約が破談になったせいでしょうか?」


 アドラーナの言葉に男の眉がグッと上がる、ジョアンナも難しい表情になった。


「こちらのお嬢さんは?」


 男は先ほどよりも暖かみの薄れた声でジョアンナに聞く。


「こちらの方は……」


 ジョアンナが言いよどむ。


「私はチェイン・スプライトの妹でアドラーナと申します、ここに今エリシアさんがいるなら話をさせていただけませんか?」


「チェイン様の妹? そんな話しは聞いたことがないが?」


「本当なんです、チェインとエリシアさんが婚約破棄になった理由も知っています。お願いします、エリシアさんと話をさせてください」


 男は上がった眉のまま、エリシアを見、ジョアンナを見て、すぐに答えを出した。


「いいでしょう、丁度エリシア様は部屋にいらっしゃいます。ジョアンナも一緒についてきてください。その他の方々はこちらでお待ち願います」


 男はすぐに部屋を出て歩き出した、足取りは早く、ジョアンナもアドラーナも小走りでついていった。


 二階へ上がる時も階段を2段飛ばしで進んでいく。


 エリシアの部屋の扉につく頃にはアドラーナの心臓はバクバクと鼓動していた。


 男が扉をノックする。


「エリシア様、ドランです。エリシア様と話をしたいという女性を連れて参りました」


「誰だ?」


「なんでも、チェイン様の妹だとか」


 足音が聞こえ、扉が少しだけ開いた。


 顔を出したエリシアがドラン、ジョアンナ、アドラーナと順に顔を見る。


「なんの冗談だ?」


 刺のある声。


「冗談ではありません、こちらの女性が自分はチェイン様の妹だと仰っています。それに、チェイン様がエリシア様との婚約破棄をした理由を知っているとも」


 意味ありげに眉を動かすドラン、その表情も入ってこないほど、もう一度アドラーナの顔を見たエリシアは衝撃を受けた。


(この女、あの日チェインとベッドにいた女だな)


 そう逡巡し、エリシアは大きく扉を開いた。


「……、入れ。いや、その少女だけだ。ドランとジョアンナはここで待っていてくれ」


 エリシアに言われ、アドラーナだけが中に入る。


 エリシアは軍のピッタリした制服の上に革製のブレストプレートを着け、腰には剣を帯びている。


「それで、話しとはなんだ?」


 エリシアは椅子を勧める事もせずに、腕を組んでアドラーナを見る。その眼は鋭く、アドラーナは覇気に押されまいと拳を握った。


「初めまして、チェインの妹で、アドラーナと申します。今まで魔王軍残当のザッカイードに捕らえられていたので、私も初めて兄と会ったのは1週間ほど前の夜になります」


「その信義のほどは? にわかには信じられない話だ」


「私たちの親は勇者バルハラーと元魔王軍軍事参謀のアシェルミーナです」


「待て、なんだその話しは」


 エリシアが手で話を遮る、アドラーナは焦った表情で話を続ける。


「申し訳ございません、あまり時間がないと思いますので要点をかいつまんでお話いたします。バルハラーとアシェルミーナの2人は愛し合っていましたが、ウェザーラ国王によって公に結婚する事は許されませんでした。2人は戦後、魔族とヒームが共に暮らせるようにするため奔走し、和平交渉に魔大陸へ行った際に襲撃にあい。その時に父バルハラーは死に、私を身籠っていた母アシェルミーナはザッカイードに捕まりました」


 エリシアは目を瞑り、話しを聴きながら整合性を合わせていく。


(王に? それでバルハラーはチェインにも実子だと言わずに戦災孤児として育てたのか?)


「私は獄中で産まれ、そのまま獄中で母と2人で15年生き続けました。私には兄がいると聞かされて、私はずっと兄を恨んで生きてきました。母と私を助けにも来ず、ヒームの国で幸せに暮らす兄を……。ザッカイードとこの国の傭兵に連れられ、この国にやって来て始めて兄に会いました。兄に会って、一緒に数日を過ごしただけですが、考えを改めました」


 アドラーナは俯かず、エリシアをまっすぐに見つめる。


 チェインを殴った拳がズキズキと疼く。


 自分だけ、幸せに暮らしていたと逆恨みのように想いを拗らせ。


 それが間違いだったと気付いてから、それを認められずにいた。


 不安定な気持ちがいっぱいになりだした時に、チェインに、兄妹だと悟られ、胸の内に未だ残っているわだかまりをどうして良いか分からずに。


 本当は"母さんを助けて"と泣きつきたかったが、それが出来ずに、アドラーナはチェインを殴ってしまった。


「家族がおらず、1人で暮らす辛さは、牢獄とはいえ母と一緒に過ごした私にはない辛さがあったことでしょう」


 堪えていた涙が、アドラーナの頬を伝って流れていく。


 いつも、いつもいつも笑顔を絶やさずに話すチェインだが、父バルハラーや母アシェルミーナの話しになるととても寂しそうな、悲しい眼をして話す。


 それを見るたびに、アドラーナは心が傷んだ。


 チェインは、エリシアとの仲が拗れて辛いはずなのに、アドラーナやレオナ達を常に気遣っていた。


 恨み続けていた自分が、間違っていたような、酷い事をしていたような気にさせられる。


「……、それで、チェインが私に婚約破棄をした理由というのは?」


 エリシアは目の前で涙を流し訴えるアドラーナを、信じるか信じないか決めあぐねている。


 アドラーナの涙から目をそらし、話を促した。


「魔族は、魔族の男は性欲を持ちません。魔族の女が誘惑チャームという魔族の女に伝わる秘技をかけて初めて結ばれます。兄は魔族の男と違い恋愛感情は持っていましたが、アソコは"不能"でした」


「な、ちょ、っと待て、なんだその話しは。聞いたことがないぞ」


 思いがけない話題にエリシアはバランスを崩し、テーブルに手をついた。


「話を続けます。兄は不能であるがゆえにエリシアさんに婚約破棄を申し出ました、兄も随分と悩み、1人で試行錯誤の末に希望を失ったんだとか。エリシアさんも、許しがたいとは思いますが、兄を少しだけ許してあげてほしいんです」


 エリシアは懸命に脳内で話を整理する。


(……。不能、不能か。貴族なら、子孫を残さなければならない。自分が不能であることを隠して結婚すれば問題にはなる。確かに、一応の筋は通るが)


「待て、だが、お前達は裸でベッドにいたじゃないか。それはどうなる?」


 エリシアはアドラーナに向かって指を突きつける。


「兄は寝る時に裸になる悪癖があるそうです、前日に慣れない酒を大量に飲み、その帰りに私を助けて帰ったので、朝には私がベッドにいる事を忘れて服を脱いだんだそうです」


 その言葉にエリシアは衝撃を受けた。


 今の今まで彼女は忘れていた、チェインのその癖を。


 エリシアはチェインのその癖を知っていて、チェインの家を訪ねる時はノックの後に返事も待たずに扉を開いていた。


 裸の時のチェインの反応が面白くてやっていたのだ、いつのまにか、チェインもエリシアがすぐにドアを開けるので服を着て寝るようになった。


 そのせいで、エリシアの返事を待たずに扉を開ける癖だけが残り、エリシアはチェインのその癖をすっかり忘れていた。


「そ、あ、そうだな。辻褄は合う」


 エリシアは顔を赤くし、アドラーナから視線を反らした。


(そうか、そういう事だったのか……)


 全ての辻褄が合い、この数日で溜まりに溜まった陰湿な何かが胸の内からスッと抜けていった。


(だが、1つ腑に落ちない)


「君は、何をしにここへやって来た? その話しは確かに大事な話だ、だが、それを話すならチェインが話すべきだろう。初めて会う、本当の妹か定かではない君から言われても私はどうしようもない」


 想いとは裏腹に、エリシアは職務を全うするような口調になる。


「お願いです、兄から聞きました。兄が万騎長マルズバーンになれたのはエリシアさんのお陰だって、エリシアさんは兄の隊の副官をしているけど、本来なら将軍にだってなれるほど戦が強いって。勝手な事だとは分かっています、ですが、お願いします」


 アドラーナの目からさらに涙が流れる、それに気づかないまま、涙が流れるままにアドラーナは訴える。


「戦場で兄を助けてほしいんです。兄が言ったんです、この戦いが終わったら一緒に暮らそうって。でも、母さんが人質に取られていたら兄さんは負けてしまうかもしれない。父さんが、母さんを人質に取られて死んだ時みたいに……」


 アドラーナはとうとうその場に崩れ、顔を覆って泣き出した。


「分かった。上に掛け合って明日は私も戦場に出よう」


 アドラーナの背に手をおいて、エリシアは力強く言った。


「本当ですか!」


「ああ、だが、その前に片付けなくてはならない事がある。王国内の傭兵崩れを掃討しなければならない、チェインなら敵将を討ち取る事は雑作もないだろうが、寡兵では敵軍を殲滅は出来ない。敵将を取り、その後は敵を後退させなければならない。それにはここから少しでも援軍を送らねばならん、君は傭兵崩れに連れてこられたと言ったな。奴らの根城を分かるだけ教えてくれ」


「はいっ。ここへは2週間前に連れてこられました、移った場所は2か所で、それだけなら」


「よし、他にも知っている事があれば教えてくれ。王城の指令室へ行こう、着いてきなさい」


 先を歩くエリシアの姿を、後ろから見るアドラーナは心強く思いながらついていった。

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