第18話 ノースウィンターの淡い春

 今までよりも広いお風呂に足を伸ばして浸かったチェインは心身ともにスッキリして上がり、脱衣場で部屋着に着替えているチェインをレオナが呼びにやってきた。


「チェイン様、お食事の用意が出来ています」


「ありがとう、すぐに行くよ」


 レオナに案内され食堂に着くと、長い食卓にチェインの食事が1人分だけ用意されていた。


 壁際にレオナとジョアンナが並んでいる。


「あれ? みんなはもう食べたの?」


 椅子に座りながら、チェインがレオナとジョアンナを見る。


「私達は調理場で頂きますので」


 ジョアンナの返答にチェインの表情が沈む。


「みんなで食べるのは駄目かな?」


「お気持ちは嬉しいですが、主従関係はしっかりしておかないといけません。貴族武家ではそれは礼儀作法でもありますから」


 ジョアンナの返答は分かっていたが、それでもチェインは寂しかった。


「アドラーナさんは?」


「まだいらないと申されました」


「そうか、後で僕が部屋まで運んでも良いかな? 少し話したい事もあるから」


「分かりました」


 改めてチェインは目の前に並んだ料理を見て目を輝かせた。


 ミートパイにゴロゴロの野菜が入ったスープ、干した果物の入ったシュトーレン。


「これって?」


「チェイン様の好きな料理が分からなかったので、ラジエル様のお店でお聞きしてまいりました」


 ジョアンナの言葉に感動しながら、チェインはミートパイを切って口に運んだ。


「凄い、ラジエルおじさんの作るミートパイの味だ!」


 口に頬張るとうっとりと眼を閉じた、疲れた身体に染み入るような優しい味だ。


「お褒めいただきありがとうございます」


「作ったのは誰?」


 スープを口にいれながらチェインは聞いた。


「リリスとミーシャです、2人は非常に筋が良い」


「今日聞いて今日作ったの? 凄いな」


 チェインは何度挑戦しても全く作れなかった。


「後で2人に言っておきましょう、非常に喜ぶと思います」


「そうだ、ミーシャを呼んでくれるかな。ミーシャの両親に挨拶に行く日を決めないと」


「それでしたら、ミーシャと相談して先ずは両親に手紙を送ることに致しました。チェイン様もご多忙ですし、こちらに来ていただいた方が良いでしょう。出来ればミーシャはここで働いて欲しいですから、職場を見ればご両親も安心するでしょう」


「そうか、分かった。ミーシャがそうしたのなら、ご両親がくる時が決まったら教えてくれるかな。僕も話しをしたいから」


「畏まりました」


「凄いねジョアンナさん、全部が滞りなく進んでる。ジョアンナさんのお陰だ。ジョアンナさんがここにいるからエリシアが困ってるんじゃないかい?」


「お褒めいただきありがとうございます。エリシア様の周りには私よりも優秀な者が数多くいますので、大丈夫です」


「いやジョアンナさんより優秀な人はそうはいないでしょう。ご馳走さまでした」


 チェインはあっという間に食べ終わった、そこへリリスがお盆に載せた食事を運んできた。


「リリス、全部とっても美味しかったよ。料理が得意なんだね」


「いえ、ラジエルさんから譲っていただいたレシピが良かったんです」


「僕はいくら真似してもこんなに美味しく出来なかったよ、それにラジエルさんが作るより美味しかった。あ、ラジエルさんには内緒だよ」


「うふふ、ありがとうございます」


 リリスからお盆を受け取り、チェインはアドラーナの部屋へ向かう。


 朝に来たときはそこら中が埃まみれだったのに、たった5人でどうやってこんなに掃除をしたんだろうかと思えるほど綺麗になっている。


 階段を上がり、左右に伸びる廊下、掃除は使う廊下を優先させたらしく、アドラーナの部屋へ続く廊下の反対側はまだ埃が積もっている。


 それを見ても、よくこれをあそこまで掃除したものだとチェインは感心した。


 廊下の突き当たりを曲がり、コの字方の屋敷の先端の部屋がアドラーナの部屋だ。


 チェインは大きく息を吸い、ゆっくり吐き出して心を落ち着けてから扉に手を伸ばした。


 扉をノックするとすぐに「誰?」と返事が帰ってきた。


「チェインだ。夕食を運んできたんだけど、少し話しもしたいから入っても良いかな?」


「どうぞ」


 器用に片手でお盆を支えゆっくり扉を開く、扉は油を差したらしく音もなく開いた。


 部屋の中は内装はそのままに全てが磨き上げられていた、壁の燭台は使わずにテーブルの上に載せられた蝋燭が室内をユラユラと優しく照らしていた。


 アドラーナは部屋の豪華な椅子に座り、目の前に山積みした本を一つ一つ丁寧に埃を落としていた。


「ありがとう、丁度食べに行こうと思ってたところよ。いい匂いね、こんなに身体を動かしたのは久しぶりだからぺこぺこだわ」


 部屋中を磨き上げてよほどスッキリしたのか、アドラーナはチェインへのいつもの少しトゲのある物言いが薄れている。


「見違えたね、気に入って貰えたみたいで嬉しいよ」


 チェインの言葉に返事もせず、アドラーナはテーブルに置かれたお盆からミートパイを手に取り頬張ってスープで流し込んでいる。


 チェインは本棚を眺めた、蔵書の背表紙は多岐に渡る、薬草学、戦術書、冒険譚、地図、中にチェインが探していた物を見つけた。


 "ノースウィンターの淡い春"


 昔、アシェルミーナに勧められた本。


 冒険者の青年が、雪がまだ残る森の中でエルフの少女と出会い恋をする話だ。種族の壁にうまくいかない二人がそれでも諦めずに愛を育む姿が美しいと話していた。


 結局、チェインはその頃は字が読めなかったので読むことは出来なかったが。


「アドラーナさん、この本を知ってるかい? 冒険者の青年がエルフの少女と恋をする話なんだけど」


「それが! ありがとう、探したんだけど、字を読むのが遅くてなかなか見つけられなかったのよ」


 アドラーナが嬉しそうに本を受け取った。


 アドラーナの反応に、チェインは自分の推測に確信を持った。


「アドラーナさん、僕の勝手な想像なんだけどさ」


「なに?」


「君は、魔王の娘じゃないんじゃないかい?」


 アドラーナの顔が凍りついた。


「魔王が死没したのは戦争が終結する1年前だから、ちょうど20年経ってる。君は17才、ヒームも魔族も妊娠出産に必要な時間は変わらない。つまり、計算が合わないんだ」


 アドラーナの表情が溶けるように無表情になっていく。


「私は、魔王の娘よ」


 チェインはアドラーナの返答には答えずに先を続けた。


「それだけじゃない、魔王は今でも、魔族に人気がある。その魔王の娘が、虐げられて牢屋で過ごすなんて考えにくい」


「私は魔王の娘」


 アドラーナは無表情のまま、同じ言葉を繰り返した。


「だけど、魔王軍を裏切ったアシェルミーナさんと、魔王を討ち取った勇者。その娘なら、話は筋が通る。全部、辻褄が合うんだ」


「私は魔王の娘」


「昔、アシェルミーナさんに見せて貰ったことがある。アドラーナさんの拳に魔力を込めて爆発させる技、まあ、アシェルミーナさんが使って見せた物よりアドラーナさんの方が遥かに威力は高かったけどね。なにより、君は似すぎてるんだ、アシェルミーナさんに……」


 アドラーナは黙りこんだ。


 チェインは、恐れている事を口にした。


 アドラーナが自分の妹じゃないかと考えた時、すぐに浮かんだ罪悪感。


「僕を、恨んでるんだろう。自分は牢屋の中で過ごしたのに、僕がここで、幸せに暮らしていたから」


 恐る恐る、チェインは口に出した。


「……。そうよ」


 アドラーナの、絞り出すような声、そこに恨みや嫉妬がこもっているのを感じてチェインはやるせなさに涙が滲んだ。


 家族がずっと苦しんでいたのに、自分はそれを知りもしなかった。


「君の母親はアシェルミーナ、そうなのかい? 年齢を考えれば、父親はバルハラーなのか?」


 バルハラーが死んだのは17年前、アドラーナの歳と変わらない。


 アシェルミーナが捕まった時、お腹にアドラーナがいたとしたら……。


「どうだっていいわ」


 アドラーナは感情的に怒鳴った、チェインも、アドラーナを気遣いつつも、いつもの余裕はなくなっていた。


「そんなことはないじゃないかっ!」


「うるさいっ!」


 アドラーナの拳に魔力が集中した、凄まじい魔力光が弾ける。


 涙を浮かべたアドラーナが、思い切り拳を振りかぶった。


 いつか尾行した時に見せた冒険者二人をあっという間に叩きのめした流れるような拳じゃない、避けてくれと言わんばかりの大振り。


 チェインはそれを微動だにせず受け止めた。


 罪悪感から、避けることが出来なかった。


 腹部に拳を受けて吹っ飛んだチェインは窓を突き破り、そのまま外へ飛んだ。

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