第17話 馬小屋

 夕刻、日も沈みきった頃にチェインは新しい自分の屋敷へと戻ってきた。訓練の疲れよりも、軽くなった悩みのお陰で足取りは軽快だ。


 今までは自宅に厩舎がなく、いつも軍の厩舎に預けていた愛馬に乗って帰ったので気分はさらに良い。


「さあシール、これからはここで一緒に暮らそう」


 そう愛馬に語り掛けながら屋敷の門を開き、愛馬の轡を取って敷地に入った、門の音を聞き付けたのか、ジョアンナが屋敷の玄関を開いて走ってきた。


「お帰りなさいませ、チェイン様、愛馬をお連れになったのですか。あの、まだ厩舎の準備は整っておりませんが」


 ジョアンナが申し訳なさそうに馬とチェインの顔を見る。チェインは額に手を当てた。


「すまないジョアンナ、僕も自分の屋敷で浮かれていたらしいな。厩舎の準備なんて頭からすっかり抜けていたよ」


 笑うチェインを見てジョアンナはぽかんとした後に控えめに笑った。


「なんだか、チェイン様は印象がコロコロ変わりますね。いえ、私の勝手な思い込みのせいなんですが」


「それは良い方かな? マヌケに見えてない?」


 今度はジョアンナは口を大きくあけて笑った。


「いえいえ滅相もございません、チェイン様のお陰でレオナ達も早く立ち直れると思いますよ。彼女達、今日はとても頑張って働いたんです。屋敷の中を見たらびっくりなされると思いますよ、チェイン様の為にと張り切って掃除していましたから」


「それは嬉しいな」


 なんだか話をそらされた気もしたが笑うしかなかった。


「とりあえず、僕はひとっ走りシールを軍の厩舎に預けてくるよ」


 それを聞いたシールが不平を訴えるように高く嘶いた。


「どうやらシールはチェイン様から離れたくないみたいですね、水はどうにでもなりますし、寝藁と餌は近所の屋敷へ頼んで拝借いたしましょう。お昼にご挨拶に、伺ったら、お隣はチェイン様をお慕いしている方でしたよ。きっと喜んでお貸しいただけるはずです」


「そうか、ありがたい。無理を言ってごめんねジョアンナさん、僕は軽く厩舎の掃除をしてくるから、ジョアンナさんはお隣へ行ってきてくれる?」


「いやそんな、厩舎の掃除を当主がするなんてとんでもありません。私共がやっておきますからチェイン様は汗をお流し下さい」


「シールは自分の寝床の掃除を僕以外がするのを嫌がるんだ、だから気にしないで」


 チェインはシールの首をポンポンと叩きながら答えた。


「そうですか、では、私はすぐに行ってまいります」


「よろしくお願いいたします」


 走って出ていくジョアンナを見送り、チェインは屋敷を回り込んで隣にある厩舎へ向かった。


 屋敷の周りは草が生い茂っていてチェインは藪を漕ぎながら進む、幸い厩舎の周りはそこまで草が生い茂ってはいなかった。


 チェインは厩舎のくたびれた樽の上に可愛い先客を見つけた。


「やあハポニカ、こんな所でどうしたんだい?」


 チェインに声をかけられるまで気付かなかったハポニカは身体を竦めたが、すぐに嬉しそうな表情に変わった。


 目線はシールをとらえている。


「馬が好きなのかい? 彼の名前はシールだ、僕の大事な相棒で凄く賢くて速いんだよ」


 シールは誇らしげに顔を上下に振る。そしてハポニカに頭を差し出した。ハポニカは嬉しそうにその頭を撫でた。


「珍しいな、シールがすぐに頭を撫でさせるなんて。ハポニカの事が好きみたいだ、ハポニカ、折角だからシールのお世話を頼んでも良いかな?」


 ハポニカは嬉しそうに頷いた、始めてチェインに見せてくれた笑顔に、チェインも嬉しくなる。


「よし、じゃあ、掃除を手伝ってくれるかい? 厩舎のここだけで良いから、シールの寝床を作ってあげたいんだ」


 左右を探すと、まだ使えそうな掃除道具が立て掛けてあるのが見えた。


 そこから鋤を取ってチェインはハポニカに差し出した、ハポニカは今までチェインに一定の距離以上は近付かなかったが、走りよって鋤を受け取った。


「それじゃあこの馬房を掃除しよう、ここの土やゴミを集めて隣の馬房に移したら良いだろう」


 言葉は分かっているらしく、言われると靴や服の裾が汚れるのも構わずに奥へ行って鋤を動かした。


 だが、ゴミを引っかけた鋤は重くハポニカの力ではビクともしない。


「ハポニカ、手前から少しづつ掻き出した方がいいよ」


 チェインの言葉にちょこちょこと走って馬房の入り口からゴミや汚れた土を掻き出していく。


「その調子だ」


 チェインも一緒になって汗をかく、ひとしきり掻き出すとチェインはスコップで隣の馬房にゴミを積んでいった。


 ハポニカは鋤をホウキに持ち替えて丁寧に床を掃いている。そこへジョアンナがリヤカーに山盛りの藁を載せてやってきた。


 ジョアンナの後ろには籠を背負った見知らぬ男がついている。


「ハポニカ!? チェイン様、ハポニカがなぜ?」


 チェインは初めてジョアンナの驚いた顔を見て笑った。


「たまたまハポニカがそこで座っていたんです、そしたらハポニカとシールの気があったので、頼んだら掃除を手伝ってくれたんですよ。丁寧にやってくれるので凄く助かります。そちらは?」


「ああ、すみません。こちらはお隣の屋敷の厩舎の担当をしているジャロンさんです」


「これはどうも」


 チェインが手を差し出すとジャロンも嬉しそうに手を握った。


「初めまして、若き|万騎長(マルズバーン)に出会えて嬉しいです」


 ジャロンが背中から下ろした籠には馬が好むカボチャやリンゴがどっさり入っていた。


「ありがとうございます、若輩者ですが、そう言って貰えると光栄です」


「ご謙遜を、こちらがチェイン様の愛馬ですか」


 ジャロンが一歩近付くとシールは警告するように小さく鳴いた。


「シール、折角お前の好物を持ってきてくれたのに失礼だぞ、すみませんジャロンさん、気の荒いやつなので」


 チェインがシールの背中をぽんぽんと叩いた。


「残念です、けっこう馬には好かれる方なのですが」


「ほとんど僕以外には馬房も触らせないんですよ、困ったやつで」


「へえ、そちらのお嬢さんは?」


 ハポニカがシールの脇腹に隠れるように立っている。


「珍しくシールが出会ってすぐに頭を触らせたので、試しに馬房の掃除を一緒に頼んだんです。シールも嫌がっていないし、貴重な存在です」


「羨ましい、動物に好かれるのは才能ですから。良い調教師になれそうですね。では、私はこの辺で」


「ありがとうございました。また今度、引っ越しの挨拶の時に伺わせて頂きます」


「お待ちしております、さようならハポニカ」


 ジャロンが手を振ると、ハポニカも控えめに手を振り返した。


 ジョアンナが持ってきた藁を敷き、餌箱と水桶を用意した。


「これで良い、ハポニカ、明日もシールのお世話を頼めるかい?」


 ハポニカは嬉しそうに大きく頷いた。


 ジョアンナはやはり驚いて、チェインも内心では驚きつつ、表情にはおくびにも出さずに横を歩いている。


 横を歩いているだけでも凄い進歩だ、藪の中は歩かず、厩舎から近い屋敷の勝手口から中に入った。


 入ると焦った表情のリリスがいた。


「チェイン様、ハポニカがずっと見当たらっ、あれ、ハポニカ、どこに行ってたの?」


 リリスは走ってくると「良かった」と溜め息をつきながらハポニカを抱き締めた。とても微笑ましい光景だ。


「すまないリリス、僕が厩舎で佇んでるハポニカに馬房の掃除を頼んだんだ。一言言っておくべきだったね」


「そうだったんですね」


 そこでジョアンナさんがリリスを見ながら意味ありげに咳払いをした。


「あ、すみませんチェイン様、お帰りなさいませ。お風呂の準備が出来ておりますので、どうぞ」


 リリスはぎこちなく、召し使いのお辞儀をした。


 慣れないお辞儀にあたふたした言葉使いが可笑しくてチェインが笑うと、リリスは恥ずかしそうに顔を赤くした。


「笑ってごめん、掃除で汗だくだから助かるよ」


 帰って誰かがいる新鮮な感覚に嬉しさを覚えながらチェインはお風呂へ歩き出してすぐに足を止めた。


「すまない、お風呂場はどこかな?」


 ジョアンナとリリスに笑われ、チェインは場所を聞いて改めてお風呂に向かった。

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