第16話 懐かしい部屋
「みんなは好きな部屋を自室にして構わないよ、ジョアンナさん、みんなを案内してもらえますか。アドラーナさんはこっちへ来て」
「なによ」
「いいからいいから、アドラーナさんにピッタリの部屋があるんだ」
チェインはアドラーナの手を引いて二階へと上がる、あちこちにクモの巣が張り、床は歩けば埃が舞う。
そんな事も気にせずにチェインは急いで歩いた。
角を曲がって廊下の突き当たりまで歩き、そこでようやっと足を止めた。
アドラーナの目の前には四隅と真ん中に神の姿が彫られた、真っ白な扉がある。
四隅の神は、癒しと永遠・ベホエヴァー、豊穣と輪廻・ウカルオーブ、災禍と誕生・マガトデバイ、破壊と創造・シビシュワカ。
そして中心は魔族がこよなく愛する神、闘争と前進・ゼラネイア。
「ここがどうしたの?」
「ぜひアドラーナさんに使ってほしい、きっと気に入ると思うよ」
アドラーナは特に疑うような顔もせずにドアノブに手を掛けて回した、音もなく扉は開いた。
壁際にはびっしりと本棚が、窓から少し離してベッドがあり、衣装箪笥は本棚の隙間に申し訳なさそうに収まっている。
ベッドの隣には引出しが付いているだけの簡素な机、その机には不釣り合いな座り心地の良さそうな椅子がある。
全てが白と黒を基調とした美しく、それでいて使い勝手の良さそうな、実用性を大事にしながら美も忘れない。
持ち主の趣味が溢れた部屋だ。
「どうかな? 掃除はしなきゃいけないけど、気に入った?」
「……。悪くないわ」
「よかった、景色もいいんだ」
チェインは部屋に入り、窓に掛かったカーテンを引いた。
下は庭が全て見渡せ、遠くにチェインの住んでいた家が見える。
庭の手入れが行き届けばさぞかし良い眺めになりそうだ。
「どうだい?」
「気に入ったわ、アンタは前にこの部屋にいたヒームを知ってるの?」
「知ってるよ、でもヒームじゃなくて魔族だ。住んでたのはアシェルミーナさん、僕の母さんだよ。自分の母さんだって知ったのは最近だけどね」
アドラーナはその名を聞いて明らかに表情が変わった、チェインからすぐに視線をそらしたが、チェインは見逃さなかった。
その反応に満足するように、チェインは部屋から出た。
「後で、この部屋にアドラーナさんの荷物を運んでくるよ。それじゃ」
チェインはそっと部屋を出た。
~~・・~~・・~~
広い平原、ここは王都に駐留する軍が演習を行う通称(英雄の平原)。
「今日の演習はまずまずでしたね、チェイン隊長」
チェインの隣に立つのは魔族の特徴である白い肌の男、髪も本来白いが、この男は綺麗に剃り上げている。
「よく言うなウーラス、散々だったろ。これじゃ今までの力の半分だ」
ウーラスの意見をそう両断するのはウーラスと同じ魔族の特徴を持つ男、髪型は周りを短く刈り込んで上はツンツンに立たせている。
つり上がった眼はいつも以上につり上がっていた。
「おい、言葉に気を付けろサーム」
「いいんだウーラス、サームの言う通りだよ」
エリシアを欠いた初めての演習は散々だった。
ひたすら連携を繰り返し、隊形を素早く組む。その辺りの基本戦術は滞り無いが実戦形式となると露骨に見えた。
隊を2つに分け、様々な戦術を駆使しながら相手の将が持つ旗を取る。
実戦形式の演習ではチェインの入った部隊が全勝した。
今まではチェインとエリシアが常に分かれて演習を行い、その際の勝敗は大体が6対4だった。
著しく隊が弱くなっている。
「申し訳ございません、チェイン隊長。我々が不甲斐なさすぎます」
「チェイン隊長、少し時間を下さい。必ずエリシア副官の分まで俺達が強くなります」
歯噛みをしながら、ウーラスとサームが頭を下げる。
「ああ、もう少し戦術を組み直してみよう」
「はっ、この後我々と天幕で模擬戦に付き合って頂けますか?」
「もちろんだよ」
チェインにも都合が良かった、チェインにとって部隊内で最も気の置けない魔族はこの2人である。
2人に魔族の"不能"の話を聞こうと考えていた。
3人で天幕に入り、英雄の平原の地形を模した模型の上に兵隊を模した駒が並べられている。
3人はそのテーブルを囲って立った。
「チェイン隊長、最後にやられた横陣ですが。端に集められた数をあそこから覆すにはどうすれば良かったのでしょう?」
勤勉なウーラスが話し始める。
「ウーラスが出ていって止めるしかないだろう、そうすれば士気で上回って跳ね返せるはずだ。でも、それ以前に察知して予備隊を送って敵を止めなくちゃ」
「やっぱり俺が指揮を取ってウーラスが前線に出るのが一番良い形になりますね」
と、サーム。
「そうだね、僕もそれが良いと思う」
「では、その前の私が前線に居た時の…」
「すまない2人とも、少し僕個人の話しになるんだけど、聞いてもらっても構わないかな? 全く、軍略とは関係ない話で申し訳ないんだけど」
ウーラスとサームが黙ってチェインを見つめる。
「はい、もちろんです」
「ありがとう、その、デリケートな話なんだけど。魔族の男にはみんな性欲が無いっていうのは本当なのかい? 気分を悪くしたらすまない」
ウーラスとサームが目を合わせた。
「それは、事実です。ですが、どうしてそれを?」
「魔族でも、あまり話題には上げない話です」
サームが顔を曇らせる、あまり気分のいい話題ではないらしい。
「最近知ったんだけど、僕は、魔族とヒームのハーフなんだ」
ウーラスとサームはチェインが今まで見たこともないほどに驚いて見せた。
「……。見た目にはさっぱり分かりませんね、根拠は? なにか証拠があるのですか?」
「僕は長年"不能"に悩んでいたんだ、僕の場合、恋愛感情はあるんだけど、そういえば2人は異性を見てそういう感覚にはならないの? その、好きになるとか」
ウーラスが腕を組んで考える。
「……、あります。ですがそれはチェイン隊長の言う恋愛感情とは違うでしょう。例えて言えば、私はチェイン隊長が好きです。ですが、それはもちろん恋愛感情ではありませんよね? そう言えば分かりますか?」
「なるほど、友情という意味での"好き"という感情はあっても、恋愛の"好き"じゃないんだね」
「それが最も近い感覚だと思います」
「そうか、じゃあ、僕がエリシアに向ける感情は、僕のヒームの部分が彼女を好きなんだ」
チェインの独り言に、ウーラスとサームの表情が強張った。チェインがエリシアに婚約破棄言い放った時にウーラスとサームもその場にいたのだ。
「え?」
「チェイン隊長?」
2人がぽかんと口を開いてチェイン見る。
「あ、いや、すまない。その、そうだな。つまり、僕は"不能"だったからエリシアに婚約破棄を申し込んだんだ。ヒームの貴族や武家は子供を残すことも義務だからね、不能を隠して結婚なんかすれば、下手したら打ち首。それにエリシアにも凄い迷惑がかかる」
「……。あぁ、なるほど。ですが、どうして我々にそんな話を?」
「魔族なら、なにか知らないかと思って、不能を治す方法」
ウーラスとサームが顔を見合わせる、そしてウーラスが短く答えた。
「あります」
「まじか! 差し支えなければ教えてくれないか。難しくてもいい、方法があるなら知りたいんだ」
チェインは自分でも気付かない内にウーラスに一歩詰めよった。
「方法は簡単ですが、隊長には難しいかもしれません」
「僕には? その、方法っていうのは?」
「闘争と前進の女神ゼラネイアと縁を切るのです。元々、昔々に我ら魔族は闘争に本能を売り渡し、高い闘気と魔力を得ました。種族全体でです。その時、祈った神がゼラネイアだといわれています。ですので、ゼラネイアとの関係を絶てば魔族の男はただのヒームになります。もちろん、闘気や魔力は格段に下がります」
「ましてや隊長はゼラネイアから加護を受けていますので、その影響はかなり大きいんじゃないかと」
「それに勝手に神と縁を切っては、隊長はゼラネイアから加護を受けた事を評価されて|万騎長(マルズバーン)に任命されましたから、国からも処分があるのでは?」
チェインは眼を閉じた、長年悩まされた"不能"に、こうもあっさりと解決策が見えたことに対する喜び、それに、自分が闘争と前進の女神ゼラネイアから離れずに近付いていった滑稽さ。
(治らないわけだ)
自嘲気に笑った。
「そうだね、でも、治せると分かったのはありがたいよ。光が見えた気がする」
ウーラスとサームはまた視線を合わせた、その表情は理解しがたいと物語っている。
「我々にはさっぱりわからない感情です、それほどの強さを失うやもしれないのに……。それほど良いものですか? 恋というのは」
「そうだね、普通に恋をするヒームでも、他人の恋を理解出来ない時もある。"恋は盲目"っていう言葉があるくらいだから、説明は難しいかも」
ウーラスとサームはただ頷く。
「そうだね、照れくさいけど。エリシアを想っている時間は最高だよ」
チェインは言った後、自分でも笑ってしまった。
ウーラスとサームは意味は分からなかったが、チェインの胸の内を見せられたようで自然と笑顔になった。
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