第11話 メイド長
お風呂に入った帰り道、空は茜色を過ぎて随分と暗くなりかかっていた。
レオナ達は明らかに不安げな顔で周りを気にしながら歩いている、時折すれ違う男や、男の話し声や笑い声。
それが聞こえる度に身をすくめて怯えている。
それを見るたびチェインの心が痛む。
(僕がこの子達を雇うなら、他に雇うだろう男性には気を付けないと、声の大きな人や体格がいい人は避けた方が良さそうだ)
「さあ、もう遅いからどこかでご飯を買って帰ろう」
みんなを振り返ってチェインが話しかけても、身をすくめる事はない。少なくとも、チェインには慣れている。
自分には多少心を開いてくれているんだろうか?
チェインはむしろ、自分には心を開いてくれているんだ。
そう思う事にした。
その方が、チェインが少しでもそう思って、チェインも彼女達に心を開いている方が、彼女達も居心地が良くなるはずだ。
そう考えた。
「あのっ」
後ろを振り返ると宿屋の調理場にいた男が大きなバスケットを抱えて走っていた。
男はまっすぐレオナの元へ向かう、レオナの顔がひきつるのを見てチェインはレオナのすぐ側に回った。
「これを」
男がバスケットをレオナに渡す、レオナは困った顔でバスケットを受け取った。
「その、いつも美味しかったって言ってくれたから。スープとパンが入ってるから、みんなで食べてくれ」
それだけ言うと男は走って去っていった。
「レオナ、彼の名前は?」
チェインの問いにレオナは首を左右に振って答えた、男はこちらを振り返りもせずに走り去っていく、チェインはそんな男の背中を眺めた。
(僕たちがお風呂に入っている間もずっと走り回って探していたんだろうか?)
不器用な男だ、名前も名乗らず、きっとレオナの名前も知らないんだろう。
チェインはレオナを見る。
「レオナ、そのバスケットを返しにいった時に僕が名前を聞いておこうか?」
レオナはチラリとチェインを見て、少し照れたように俯いた。
「……。いえ、大丈夫です」
「そうか」
今はレオナに好意を受け止めるだけの心の余裕がない、なんとなく、あの厨房の彼もそれは分かってるのかもしれない。
「よし! 今日から床の上に布団を敷いて寝ることになるから、みんなで布団を買いにいこう」
チェインは努めて明るい声を出した。
流石に全員分の布団を敷くスペースはないから、3組の布団を買った。
一緒に寝て密着するのもアレだから、自分だけベッドで寝るのがいいだろうな。それはそれで気が引けるけど。
チェインは今日もリヤカーに買ったものを載せて運び、そんな事を考えていた。
家に着くと玄関口で一人の女性が立っていた。
チェインの顔を見ると口をぎゅっと真一文字に結んだ、黒い髪の毛を頭の上でしっかり絞ってある、目力の強い女性だ。
年の頃は50くらい。
チェインも知っている顔だ。
「お久しぶりです、ジョアンナさん。どうされましたか?」
ジョアンナはエリシアお付きのメイドだ、いつも周りを注意深く睨むように見て、他のメイド達に指示を出している。
その強い目力で今はチェインを睨んでいる。
「お久しぶりですチェイン様、お屋敷の手配が出来ましたのでその報告に参りました」
「早いですね、頼んだのは今日の昼なのに」
「「エリシア様を招いても恥ずかしくないお屋敷」という事でしたので、選択肢はほとんどありませんでしたから」
"エリシアを招いても"という部分がとんでもなくトゲのある言い方だった、当然だろう、ジョアンナはエリシアが幼少の頃からのメイドだ。
今のチェインは敵にしか見えていない。
「ありがとう」
チェインの感謝の言葉に被せるように一枚の羊皮紙を差し出してきた。
チェインが目を通すと、それは屋敷の権利書だった。
「場所はどこですか?」
「チェイン様の現在の配置が王都守護でしたので、今回用意したのは王都滞在時の別荘という形でのお屋敷になります。場所は王都中心部でございます」
中心部か、それなら都合は良いだろうな。
「それから、こちらが本邸となるお屋敷でございます」
ジョアンナはチェインへさらに羊皮紙を渡す。
「これの場所は?」
「もちろん、チェイン様が所領しておられるサウスサマー領の建築計画書でございます」
「建築計画書? 凄いな、そんなところまで手を回していただいたんですか」
一応、チェインは王陛下から所領は預かっている、それはチェインの父バルハラーから受け継いだ所領だ。
だが、チェインはずっと王都守護職を命じられてるから実際はサウスサマーへ行ったことがほとんどない。
親類のいないチェイン、所領の管理は父の部隊にいた古い知り合いにまかせっぱなしになっている。
羊皮紙の建築費用に金貨25,000枚、と書かれていた。
「凄い金額だね」
「ご不満でも?」
ジョアンナさんが悪い顔でチェインに言う。
「いえ、問題ありません。エリシアのメイド長なら安心して全てお任せします」
ジョアンナは平然と莫大な金額を払うと言ったチェインに驚いた様子も見せずに返された羊皮紙を受け取った。
「分かりました、それから、私がチェイン様のメイドにと候補に上がっておりますが、いかがなさいますか?」
「それはありがたいです」
「ですが、条件がございます」
さらに、ジョアンナの眼が厳しさを増した。
「条件とは?」
「一年以内に婚約が成立する事、もちろんお相手はエリシア様です。それが叶わなければ私はチェイン様の元を離れてエリシア様のメイドに戻らせて頂きます。また、エリシア様ともしも婚約なされ、ご結婚となりましたら、その場合も私はエリシア様お付きのメイドとさせていただきます」
「分かりました、ジョアンナさんがずっとそばに居てくれるように頑張ります」
チェインにはそう言うしかないだろう、なんだか追い詰められた気がした。期限は一年、それで英雄と呼ばれる仕事をして大将軍にならないといけなくなった。
「ではそのように契約を、後ろの5名が使用人として教育を施す者達ですか?」
ジョアンナが1人づつ目線を送る。
「いえ、まだ決まったわけでは。彼女達が僕の元で働きたいと言ってくれればそうなりますが、親元が近ければ帰れるように手配します。それと、アドラーナさんは使用人ではなく協力者です。他の4人とはこれから話し合いを」
「では今すぐにでも話し合いましょう、使用人として残る者はすぐにでも教育を開始いたしますので」
チェインが後ろを見ると、アドラーナの厳しい目付きにレオナ達が気後れしている。
「それはお待ちを、彼女達にも色々と事情があって。今は外に出ることも難しい精神状態なんです」
「……。どういう事でしょうか?」
「それは、彼女達のプライバシーですので、僕の一存でお答え出来ません」
元奴隷というのは烙印だ、他人においそれと話せる物ではない。
「教育係をお請けする以上、精神に異常があるならお聞きしておかないと不都合がございます」
チェインは内心で(まいったな)と頭をかいた。
「私達は奴隷だったんです、その、チェイン様に数日前に買い取って頂きました」
言葉に詰まるチェインに代わり、レオナが答えた。
「……。なぜ、奴隷をお買いなさったんでしょうか?」
ジョアンナの眼が疑うようにチェインに向いた。
「成り行きもありますが、僕の偽善です。目の前の彼女達を放っておけませんでした、出来れば彼女達が幸せに暮らしていけるよう、最善を尽くしたい。今は心の傷が深いので、焦らずに教育をお願いしたいです」
「……。そうですか、ご安心を、私も奴隷でした。教育はお任せください」
初めて、ジョアンナの顔に薄く笑顔が見えた。
「ありがとうございます、では、お任せいたします。今さらですが、立ち話もなんですので中に入りましょう」
チェインはなるほどと思った、ジャッキーがジョアンナをここへ送った理由が分かったのだ。本当に気のきく友人だ。
どうなるかと思ったが、チェインは安心してジョアンナを家に招き入れた。
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