第10話 不安×不安

 エリシアの部屋の前に立ったチェイン、足が震える。


 心臓が今まで聞いたことないくらいに激しくのたうっている。


 手を上げて、扉をノックしようとするがなかなか出来ない。


 ジャッキーもイオレクも、あんなに落ち込んでいる、塞ぎ込んでいるエリシアは見たことがないと言っていた。


 何て言おうか……。


 チェインはノックをしようと手をあげたまま、その姿勢で固まっている。


 裸でアドラーナといたことか、いや、まずは"不能"の事を? いやいや、それより、人前で恥をかかせた事か。


 だめだ、どれも違う気がする。


 あれやこれやと考えている内に、どんどんノックしようとした手が下がっていく。


 全部話さなきゃいけないけど、順番を間違えたら取り返しがつかない気がして動けない。


 チェインは意を決し、扉を叩いた、最初は弱すぎて、改めてもう一度ノックする。


 変なノックになり、それだけでチェインはなんだかもう失敗した気さえする。


「エリシア、僕だ、チェインだ」


 返事はない。


 だけど、確かに扉の向こうにエリシアの気配をチェインは感じる。


「婚約破棄を撤回したい、傷つけてしまったし、誤解もあるんだ。でも何より謝りたい。本当にごめん、全部話したい。僕の下らない羞恥心とプライドがエリシアを傷つけてしまった」


 少しでもエリシアの温もりを感じたくて、チェインは扉に手をおいた、冷たい感触が、エリシアの冷えた心を連想してしまう。


 室内に気配は感じるが、変化はない。


「僕は、エリシアを傷つけてしまったけど、エリシアを裏切ったことはない。裏切った事はしていない。信じてほしい」


 扉越しに、全てを打ち明けようか。


 そう考え、すぐに首を左右に振った。


(それじゃ駄目だ。口ではなんとでも言える、行動で示すんだ)


「必ず、大将軍になるよ。大将軍になって、父さんを越える勇者になる。そしたら、プロポーズしに来るよ」


(これで良いんだろうか? 分からない、どうすれば良いのか、なんて言えば良いのか)


 それなら、原点回帰だ。


 チェインは、1人でエリシアを思う時、いつも同じ記憶が頭に流れる。


 チェインが12才、エリシアが13才。


 子供の頃、もうエリシアは覚えてもないかも知れない、そう思いながらも、子供の頃に言った言葉とは少し違う言い回しで同じ事を言った。


 今の、チェインの精一杯の想いだ。


 言うことは、言えることはもうない。


 でもどうしても、チェインは扉の前から離れられない。


「エリシア、それじゃ」


 そう言ってから動かした足は棒のように動かしにくくなっていた、チェインはそれで随分長く自分が立っていたらしい事に気付いた。



 ~~・・~~・・~~



 その後、チェインはジャッキーに女性で指導上手な秘書とメイド、それから屋敷を買いたいから探してほしいと頼んだ。


「なんで俺が」とジャッキーは言ったが、チェインが「エリシアを迎えるのに恥じない屋敷を探してほしい」と言うと、「それならエリシアの従者に言っといてやる」と悪い顔をした。


 それから、イオレクに


「魔族の男とヒームの女が結ばれたという話は全く無いわけではない。もしかすれば、魔族に聞けば分かるかも知れん。お前の部下にも魔族がいたはずだ、つまらんプライドを捨てて聞いてみろ」


 と言われた、チェインはアドラーナ意外にも光明が見えたと思い。今度、演習の時にサームとウーラスに聞いてみようと考えた。


 チェインは少し疲れ。家に着くと、アドラーナがベッドに座って待っていた。


「どうしたんですか?」


 驚いて、アドラーナの顔をチェインはまっすぐに見つめた。


「みんな不安になってるわ、顔を見せてあげて。ミーシャは道を歩いてて拐われたらしいの、だから怖くて外に出れなくて、って言うかあの後誰も外に出れてないの、それに物音一つで泣き出しちゃうし。ハポニカは全然喋らないし、リリスも男が怖くて部屋から出たがらない。どうにもならないわよ、ずっとあの部屋に籠りっきりで息が詰まりそう。今のままじゃ奴隷小屋と変わらないわよ」


 アドラーナも明らかに疲れた顔をしている。


「すまない、食事は取れている?」


「宿の中ならレオナが動けるから、厨房で注文して部屋に運んでもらってるの。それも宿の人は良い顔をしてないわ」


(思いの外、悪い状況だ。どうしようか、僕も一緒に宿に寝るか? でも、軍の報告やジャッキーに頼んだ物事は全部家に使いが来るからあまり長くは離れられない)


 チェインは考えたが、良い案が浮かばない。


「とにかく行こう」


 家を出て、アドラーナと二人で足早に街の中を歩く。


「アドラーナさんは平気なのかい? その、男や外は」


 遠慮がちに問われたアドラーナは、少し考える素振りを見せた。


「……。私はずっと檻の中で生活してたから、むしろずっと外にいたいくらいだわ」


「檻の中?」


 チェインの頭に、昔、一度だけ父親と共に行ったことのある軍の警備隊の牢屋が頭をよぎる。


「そうよ、戦犯の娘ってことでずっと檻の中。魔族の男に性欲はないから彼女達ほど酷い目にはあってないかも」


(産まれてずっと檻の中なら相当酷いと思うが、アドラーナさん凄いな、何て言うか、見た目以上にずっとタフだ)


 チェインはあっけらかんと語るアドラーナの横顔をついまじまじと眺めてしまった。


「なによ」


 見つめていたチェインをアドラーナは嫌そうな顔で見る。


「アドラーナさんは凄いな、僕じゃ檻の中にいたら身が持たないよ。アドラーナさんは心が強い、それになにより優しい。アドラーナさんがいて助かった、あの宿の部屋にアドラーナさんがいなかったらって思うとゾッとする」


「なによ、誉めたって、殺すわよ」


 酷い言い種だ、チェインは苦笑いを浮かべた。


「でも、本当に助かったよ。ありがとう。お金を渡したから大丈夫と思っていた自分が恥ずかしいよ」


 宿に着くとチェインとアドラーナを見た受付のおばさんが複雑な顔をした。


「お客さん、あの子達はどういう子なんだい? やたらオドオドしてるし、食事を運ぶのは女性にしてほしいって、そもそも部屋に食事を運ぶなんてサービスはウチはしてないんだけどね」


 見るからに事情がありそうな娘達に、邪険にも出来ず、かと言って親身に世話をしてやるほどお人好しでもない。


 おばさんのそんな困った表情チェインは頭を下げた。


「すみません」


 チェインはおばさんの手に金貨を一枚握らせた、おばさんはそれを見て目を見開く。


「いや、なにもこんな金額を渡されても」


「ご迷惑をおかけしました、それは受け取ってください。僕は少し彼女達と話しをしてきます」


 先に行ったアドラーナの後について階段を上る、部屋は二階の奥。


 アドラーナが優しく扉を叩いた。


「チェインを連れてきたわ、開けるわよ」


 音を立てないように扉を開く、その慎重な仕草を見てチェインは思っていたよりも状況は悪そうだと思った。


 チェインが部屋を覗くと、ミーシャは部屋のすみのベッドの隅で膝を抱えている。レオナとリリスとハポニカは同じベッドで身を寄せて座っていた。


 僕の顔を見てレオナはホッとした印象、リリスとミーシャも警戒はしていない。


 ハポニカはチェインを見てリリスの服を引っ張って隠れた。


「みんな、配慮が足りなくてすまない。どうしようか話しに来たんだ、まずは食事は十分に取れているかい?」


「私を含めて胃が弱ってるから多くは食べれてないけど、アソコにいた時よりはずっとマシよ」


 アドラーナが答える。


「そうか、そうだね。みんなは僕がいた方が安心かな?」


 レオナとリリス、ミーシャも頷いた。


「それじゃあ、少し狭いけど、いや、かなり狭いけど僕の家に来るかい? 今はどうしても仕事中以外であまり長くは僕も家を留守に出来ないんだ、僕たちが住む家を探して貰ってる人が来たりするし、他にも軍から連絡がくる。だから一緒にこの宿には泊まれなくて。でも、ある意味君たちが家に居てその連絡を受け取ってくれるだけでも助かるけど、本当に狭い。どうする? ちなみに、僕はこれでもウェザーラ王国の|万騎長(マルズバーン)だから小屋みたいな家だけど安全だよ。大金を家にほったらかしていても泥棒が入らない程度には」


 まあ、見た目が明らかに貧乏たらしくて泥棒が入らないという可能性もなくはないけど。


 そんな事をチェインは考えた。


「行きたいです」


 レオナがすぐに答える。


「アドラーナさんは?」


「私もあそこが良いわ」


 意外にも即答だった。


(僕の寝首は大丈夫だろうか?)


 チェインは自然と首をさすった。


「心配しなくても寝てる間に殺したりしないわよ」


 チェインは心の声が聞こえたのかと少し驚いた。


「私も行きたいです」


 リリスも答える。


「ミーシャと、ハポニカは着いてきて貰うしかないか……。ミーシャはどうする?」


「私も行きます」


「じゃ、決まりだね」


(あの狭い家に6人か、大丈夫かな)


 部屋を出ると、始めて宿に来た時に一階の食事スペースで会った男が立っていた。明らかにチェインに用がありそうだ。


「なんでしょう?」


「その子達を連れていくのか?」


 チェインの後ろをチラリと見る。


「はい、ここじゃ落ち着かないようなので、狭いですが僕の家に連れていこうかと」


「…………。家はどこだ?」


「すみません、彼女達は男性が苦手なようなので、教える事は出来ません。良くして頂きありがとうございました。彼女達の心が健やかになった時にまた会えれば良いですね」


「分かった」


 男はなんとも言えない肩の落とし方をして去っていった。チェインはそれを見送り、肩をすくめる。


「行こうか」


 改めて外に出る、受付のおばさんは最初の怪訝そうな顔はどこへやら。


 去っていくのを名残惜しそうに見送った。


「お風呂には入っていくかい? 僕の家にもあるにはあるけど、凄く狭いしあまり良くもないよ」


 空はまだ夕焼けに差し掛かったところだ、お風呂に入れば帰りは夜風が気持ちいいだろう。


「行きたいわ」


 アドラーナが即答した、チェインはアドラーナの性格が案外分かりやすいなと思い、少し嬉しくなった。


「よし、多数決で決定だ」


「ちょっと、まだ誰もなにも言ってないわよ?」


「アドラーナさんは4人分くらいのパワーがあるよ」


「どういう意味よっ!」


「はははっ、良いじゃないか。ありがとう、アドラーナさん」


 チェインにもアドラーナの気持ちが分かったのだ。


 アドラーナはみんながお風呂に行きたいけど、言いにくいのが分かっていて自分が真っ先に言っている。


(本当に檻の中に閉じ込められていたんだろうか? そんな人が、こんなに周りに気を配れるのか? 不思議な人だ)


 アドラーナの思惑や裏がどうあれ、チェインはアドラーナが好きになってきていた。

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