第4話 初めての……。

 チェインはとりあえず服を着て、テーブルを起こして椅子に座った。たっぷりと水を飲んで二日酔いは少しだけ治まった。


 テーブルに両肘をつき、二日酔いで痛む頭を抱える。


 痛むのは二日酔いのせいだけではない。


「……、あの」


 消え入りそうな声で女の子がチェインに呼び掛けた、顔を上げて彼女を見る。


 改めて見ると美人だ、整った顔をしてる。


 汚れを落とし、身なりを整えたらとびきりの美人になりそうだ。


(どこかで見たような気がするな、でも、魔族に知り合いは軍の中でしかいない。女性の魔族は周りにはいないしな……)


 チェインは内心で首を捻る。


「あー、汚いモノを見せて悪かったね」


「いえ、そんな」


 空気が和むかと思って慣れない下ネタを挟んだが、逆効果だった、なんとも言えない嫌な空気が漂う。


 すぐに彼女の境遇を想い至り、自分のバカさ加減を呪った。


(考えてみれば、彼女の身なりからして奴隷なんだ、多分、いや、間違いなく逃げた奴隷だ。散々ひどい目にあったはずだ、身体的にも精神的にも。そんな彼女に下ネタはないよな)


「へんな事を言って申し訳ない、僕はチェイン、差し支えなかったらあなたの名前を聞いてもいいかな?」


「……。アドラーナです」


 アドラーナが一瞬だが驚いた顔をした、チェインの名前を知っていたような顔だ。


「アドラーナさん、不躾ですが、ご身分は?」


 アドラーナは目を伏せて心底苦しそうな顔になった、言うんじゃなかった、だが、奴隷と分かっていれば手を打たなければならない。


 奴隷には二種類、農奴か、貴族御用達の奴隷。


 貴族御用達の奴隷なら首の後ろに奴隷の紋がある。


 街中で、手足の汚れ具合からしても農奴じゃない、おそらく、売られる前に逃げた貴族御用達の奴隷だろう。


 逃げてもいつかは捕まる、時間の問題だ。


「……。奴隷、です」


「そうか、逃げたのかな?」


「はい」


(参ったなぁ、どうしようもないけど、このまま奴隷商人に返すのも目覚めが悪い。仕方ないと言えば仕方ないんだが……。)


「とにかく、今は治療しましょう。少し失礼しますね」


 痛々しい打撲の痕にチェインは優しく手をのせる、アドラーナはビクッと拒絶の反応を示したが構わずに続けた。


「闘争と前進の女神ゼラネイアよ、傷ついた者を癒し、今一度戦う力を与えたまえ」


 淡い青色の女神の加護の光が打撲の痕を包み、痣が瞬く間に消えていく、アドラーナの顔に驚きの表情が浮かぶ。


「……。ありがとう、ございます」


「いえ」


 アドラーナはチェインの顔を凝視したまま固まった、最高位12神の1柱から寵愛を受けている存在は珍しい。


 顔を凝視されたまま沈黙、チェインは気まずいと感じながらなにか話題を探した。


「そうだ、食事にしましょう。話しはその後にでも」


「……。いえ、これ以上ご迷惑は」


 やっとアドラーナは固まった状態から声を出した。


「いいんだ、食べたら後で誤解を解くのを手伝ってくれないかな」


 チェインは立ち上がり、キッチンに向かう。


(あれだけ衰弱してたら肉は無理か、野菜、スープだな)


 有り合わせの根菜類と麦を入れて麦湯を作った、後は数日前に買った小麦のパン、カビの有無を確認してから皿に出した。


「さあ、召し上がれ」


 男の独り暮し、お盆なんて気の効いた物はない。テーブルに載せ、テーブルごとベッドの側まで運んだ。


 アドラーナは見るだけで口どころか手をつけようともしない。


 チェインはアドラーナの表情に変化を見た、上手く表現は出来ない。


 表情が微妙に変わっている、さっきまでは驚き、今は何かを必死に考え込んでいるような顔。


「大丈夫、毒なんて入ってないよ」


 チェインはフォークでスープのニンジンを突き刺して口に入れた、咀嚼しながら"ねっ?"っという表情で改めてフォークを渡す。


 アドラーナは躊躇いがちにフォークを受け取り、チェインと同じようにニンジンを突き刺して口に入れた。


 噛むごとに、表情が崩れ眼からは堪えきれずに小さな涙が頬を伝う。


 チェインはなにも言えない。水瓶から水をコップにそそぎ入れ、スープの入った皿の横に置いた。


(魔族の奴隷か、人魔大戦が終わって19年。戦後初期は随分と多かったらしいけど、今じゃ珍しいな)


 奴隷商の元締めだったザンデ傭兵団がほぼ壊滅、その上に国が奴隷制を禁止した。だが、今はまだ完全には消しきれない。


 奴隷を完全に撤廃すると奴隷身分の人間が職を失う、それらを全て国が引き取る程の資金もないし、農奴は過酷だ、扱いも酷いからどんどん死んでしまう。だが、それ以外に与える職もない。


 そのせいで一部分的に残るのを完全に消すのは難しい。


 傭兵団が資金集めにやっていた"奴隷狩り"は完全に無くなったのでそれだけで良しとしているのが現状だ。


 でもそれは、一部に辛いことを押し付けている。


 人攫いは無くならない。


(彼女を、僕はどうすればいい? 金を払って買うことは出来る、でも、他にいる奴隷は? 全員を救うなんて僕には出来ない。この子だけを救うのは僕の罪悪感をその場しのぎに埋めるだけの汚い"偽善"だ)


「……。逃げて、なにかあてはあったのかな?」


 チェインは聴きながら、自分は何を聞いているんだと声に出さずため息をついた。


「……。はい、人を探していたんです」


 意外な答えが返ってきた、奴隷は大抵が遠い土地に連れていかれる。逃げにくくするためだ、身一つで逃げても頼る人間がいなければ明日食べる物もない。


 身よりのない人間にとって、知らない土地は鉄格子を必要としない牢獄だ。


「そうか、良ければ探すのを手伝いましょう。どこから逃げたんですか? まずは自分を買い戻した方がいい、僕が立て替えますよ。お代はあなたの探してる人から貰ってもいいし、いずれゆっくりでも返していただいたら結構ですよ」


 アドラーナに頼る人がいると聞いて、安心してペラペラと話しながら、ホッとしている自分にチェインは心底嫌気がさした。


「大丈夫です、多分、見つかりました」


「へ?」


 アドラーナは力強い瞳でチェインを見て、チェインもアドラーナを見返した。


 アドラーナは顔に、冷ややかな笑みを浮かべていた。


 チェインに掌を向ける、紫色の魔力光が浮かび、チェインは咄嗟に身構えたが一瞬で魔力光がチェインの体を包んだ。


 油断、魔族は魔力が強い。こんな少女でも無詠唱で魔法を使うとはチェインは思いもしなかった。


(考えれば昨日の傭兵崩れの暴漢に襲われていたのもフェイクか、初めから僕が目的だったのか。なら、なんで昨日は手を出してこなかった? 僕がチェインだと分からなかったのか? っくそ、全身が魔力光に包まれていく)


 全身、いや、チェインの一部に、下半身の一部だ。


 次の瞬間、人生で初めて、チェインのアレがアレをした。


 あの状態だ。


 普通の人間ならよく知りもしない女性と2人きりの時になったら隠そうとするあの状態。


 だが、チェインは、チェインにとっては初めてのあの状態で。


 普通にテンパった。


「なんでっ、なにしたのっ! ギンギンなんですけどっ!」


 ズボンの上からナニを触る。


(すごい、なんだこれ、カッチカチやないか!)


 チェインはギリギリの所でズボンを脱がないという理性は保った。


「その反応、やっぱりそう・・なるのは初めてみたいね」


 クスっと、アドラーナが笑った。


 チェインはその笑った口元を凝視する、そして顎から首筋、そして胸の先が見えそうな危うい奴隷服。


 今のチェインには全てが妖艶に輝いて見える。


「貴方に掛けた魔法は|魅了(チャーム)、魔族の女は全員が使える秘術。掛けられた者は、掛けた相手に文字通り"夢中"になるわ」


(チャーム?)


「なんで、僕に?」


 チェインは僕の"不能"を治してくれてありがとうって言うべきか? と、状況に合わない事を考えていた。


 全く、今のチェインは集中出来ない。


「ふふ、「なんで、自分が不能だと知っているんだ」っていう顔ね」


(っ!! そういえばそうだ!? なんで僕が不能だって知ってい……っくそ、集中出来ないっ!!)


「そうね、順を追って説明しましょうか。貴方はね、半分は人間だけど、半分は"魔族"よ。それも、勇者バルハラーと魔王軍の女の子供」


 チェインに向かって、アドラーナは細い腕を上げて指を突き付ける。


「驚かないのね、知っていたの? 知っていてこの王都で暮らすなんて、どういう神経してるんだか……。 流石は勇者が魔族を犯して生まれた忌子ね」


 怒りにアドラーナの顔が歪む、テーブルの皿を乱暴に払い落とし、掛けられた布団を払いのけて立ち上がった。


「なんでアンタが"不能"か知っているのはね、魔族は、魔族の男は全員が性欲を持たないからよ。魔族は戦闘民族、その欲望は闘争にのみ向けられる。だから魔族では、魔族の女が見初めた魔族の男にだけチャームを掛けて結ばれるのよ」


(頭がオカシクなりそうだ、この女は何を言ってるんだ?)


「……。すまない、一旦魔法を解いてくれ」


「なによ、さっきから貴方ちゃんと私の話しを聞いてるの?」


 どこか上の空のチェインにアドラーナが叫ぶ。


「なんも聞いてないよっ! 股間がアッチアチでなんも頭に入ってこないんだよっ!」


 チェインは産まれて初めて声を荒げた。


 なにがなんだかわからないまま、沸いた頭でチェインは叫んでいた。

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