第3話 酩酊

 覚束ない足取り、いや、千鳥足。


 金髪金眼の男、チェイン・スプライトは酔っぱらっている。


 激しく酔っぱらっている、親友のジャッキーに殴られた後、店の酒を全部飲んでやろうと思い慣れない酒を飲みに飲んだ。


 酒を飲みすぎて死んでやろうと思って飲んでいた。


 結局、死ぬには至らず現実逃避をする馬鹿が出来上がっただけである。


「そりゃあ殴るよな、エリシアをフッておいて、この国から逃げ出す前に女々しくもエリシアの弟であるジャッキーに謝っといて貰おうだなんて」


(僕の病気は治らない、諦めるべきか)


(神様、いるんなら、なにか言ってくれ)


("治らないよバーカ"とか、"そのうち治るよ"とかさ)


(治るか治らないかちゃんと言ってほしいな、"受け入れなさい"とかそんな感じの曖昧な事を言ったらぶった切ってやるぜ)


「ちきしょうめっ、なんでもいいから、誰でもいいからっ。僕の、僕の……」


("僕の不能を治してくれ")


 これだけ酔っぱらっていても、チェインは口には出せない。誰かに聞かれたらチェインの全てが終わりを告げるからだ。


(この期に及んで保身か……。終わってる。いや、もう本当に終わってるのか? この期に及んでまだケチなプライドを捨てれないなんて、僕は本当にクズだな)


 チェインは悩みを誰にも言えず、1人で問題を抱えて生きること早22年。


 チェインは一昨日、初めてその"秘密"を他人神官に打ち明けた、その返答は"ここは神聖な場、欲を満たす為の願いは俗世へ行かれよ"だった。


(くそったれが、にっちもさっちもいかねーから神に祈ったってのに!)


「そうだ、神を殺そう」


(我ながら、物騒で下らない事を言っている)


 チェインの好きな相手であるエリシアはこの国の歴代最高と言われる大将軍の孫娘、"不能"を黙って結婚などすればチェインは下手をすれば打ち首。その上エリシアにもとんでもない迷惑がかかる。


 そしてチェインは昨日、その想い人に別れを告げた。


 チェインは散々に泣いた、泣いて啼いて哭いた。


 何もしなかった訳ではない、色んな薬草を試し、薬を試し、媚薬も試した。


 薬も媚薬もかなりの量を自作し、誰も使ったことのない草木を煎じて試したりもした。


 さらには神の加護にも手を出した、人間が得られる最大の神の加護、この世の十二神の一柱、"闘争と前進の女神ゼラネイア"に加護を貰えるように文字通り全身が血で滲むまで鍛練した。


 それでも、女神の加護でも治らなかった。


 どれだけ死に物狂いで頑張っても、治らなかった。


 本当に死に物狂いでチェイン・スプライトは頑張った。


 それも全部、エリシア・ストームと結ばれたいが為に。それだけのために。


 物心ついた頃からずっと好きだった。


(彼女は、エリシアは覚えていただろうか? あの、子供の頃の約束を)


『チェインが私のお祖父様に負けないくらいの大将軍になって、チェインのお父さんよりも強い勇者。そんな凄い英雄になったら結婚してあげる』

『分かったよエリシア、絶対になってみせる』


(どうだろうな、僕が別れを告げても、エリシアは眉一つ動かさなかった。なんで僕はあんなところでエリシアに別れを告げてしまったんだろうな)


 チェインはポケットから、いつもそこに忍ばせている指輪を取り出した。


 エリシアの金色の髪に負けないように、純金で作った指輪。


 辛い時、挫けそうな時はこの指輪を見て、いつか英雄になったらエリシアに渡すんだと励みにしてきた。


 放り投げてやろうかと、高く掲げたが、出来ずにまたポケットにしまう。


 指輪を見たせいで、エリシアを思い出した。


 思い出したのは婚約破棄を言い渡した日のエリシアだ。


 チェインはあの日、エリシアに別れを告げることは決めていた。


 自分でもあの日の訓練は酷かったとわかっていた、エリシアがそれを指摘した、チェインの部隊でチェインに意見出来るのはエリシアくらいだ。


 それだけじゃない、部隊内で咄嗟の判断でチェインの意見を聞かずにその場で小隊を動かせるのもエリシアだけ。


 間違いなく、エリシアがいなくなれば部隊は今までの半分の力も出せなくなるだろう。


 チェインはそれが痛いほど分かっていた、エリシアの祖父イオレクに負けない大将軍になると言ったのに。エリシアの助力で出世している。そう考え、チェインにとってはいつもそんな彼女に甘えてきたという感覚がある。


 プライベートでもそうだった。


 もうこれ以上、エリシアに甘える訳にはいかない。


 それなのに、また意見をくれるエリシアに甘えそうになった。だから咄嗟に言ってしまった。


 部下の前で、あんな別れ話しをしてしまった。


(最低だったなぁ……。せめて、その場で"僕は不能だから別れてくれ"って言えればよかったのに。僕の下らないプライドと自制心、そのせいでエリシアを傷つけた)


(僕は最低だ)


 立ち止まり、夜空を見上げる。


 路地裏の、建物の隙間から見上げる切り取ったような夜空。今宵は満月だ、夜空なのに、こんなに明るい。


(それなのに、僕はお先真っ暗だ)


 エリシアの夫として認められる男になりたい、そう思ってずっと努力してきた。


 勇者バルハラーに拾われた、自分はただの戦災孤児だ。


 そんな自分がエリシアと結ばれる為には死ぬ気で努力するしかなかった、誰よりも剣を振った、誰よりも兵法書を読んだ、誰よりも歴史を学んだ。


 誰よりも、誰よりも。


 チェインは頭が爆発しそうになった。


(それなのに、なんで"不能"なんだよ)


(誰に相談出来るって言うんだよ! 不能だなんてっ!!)


(それがバレたら、僕はエリシアと結ばれなくなるんだぞっ!)


("不能"だなんて……)


 本当なら、相談出来るはずの|勇者(父さん)も、人魔大戦後に和平交渉で魔界へ行った時に暗殺された。


 道は閉ざされ、最早、自分の生きる光を全て失ったかに見えた。


 ここ王都に居るべき理由もない、辛いだけだ。チェインは1人で旅立とうとしていた。


 それでも、チェインは最後にエリシアには傷つけた事を謝りたかった。


 だから、ジャッキーに全てを話した。


 不能の事、それがどうしても治らなかった事、エリシアを傷つけた、だから国を去ること、そして最後に、エリシアに謝っておいてほしいと。


 友人は怒り、チェインは殴られた。


(そりゃあ、殴るよな。こんな下らない男。いくら親友って言っても、弟から姉に言わせる奴がいるか?)


("不能"だから逃げ出すって)


(ごめんよ父さん、折角拾って育てて貰ったってのに、こんなしょうもない子供で)


 また、頬を涙が伝っていく。


 馬鹿みたいに酔っぱらっているが、チェインはさっさと国を出ようとゆらゆらと定まらない足で歩いた。


(こんなクズは、エリシアの近くにいちゃダメだ)


「・・ったねぇ・・だな」


「・・・・てくまえ・・ぜ」


 ……風にのってチンピラの喧騒が聞こえてくる。


「・・・・やめて、ください」


(女性に絡んでるのか、くそっ、あんな奴らこそ"不能"になればいいものを……)


(よし、神の前にアイツらを殺そう)


 酔った頭で特に考えもせず、チェインは声のした方へ歩く。声の方向は一本隣の路地、闇に紛れ音を消して進む。


「なんだてめぇ」


 角を曲がった途端に見つかった。


 音を消して歩いてたつもりが盛大に足音を立てていた、千鳥足では無理もない。


 暗い路地、月の光もほとんど届かない。そんな場所にチェインを除いて男が2人、女性が1人。


 男は容貌を見る限り2人とも、最近王都を悩ませる"傭兵崩れ"だ。


 戦争が終わって、職を失ったがマトモな職に付けない無法者達。


 元は戦争の"英雄"だから始末が悪い。


 彼らは軽蔑の意味を込めて"傭兵崩れ"と呼ばれている。


 元傭兵らしいゴツい体、そこに日頃からたっぷりと酒を飲んで作ったんだろうでっぷりとした豚頭獣人オークのような腹を抱えている。


「おい豚頭獣人オークども、今日の僕はすこぶる機嫌が悪い。殺されたくなかったら消えろ」


「誰が豚頭獣人オークだぁ!? 舐めやがって、ぶち殺すぞっ」


 唾を飛ばしながら喚く男にチェインは無言で近寄り、相手が構える前に顔面にワンツーパンチを叩き込み、倒れる前に汚い腹に左右へフックを4発づつ入れた。


 後ろの男は声を上げる前に喉を潰して二度と悪さが出来ないように金玉を蹴り上げた、チェインの脛になんとも言えないムニュっとした感触が残った。


(金玉キックは二度としないでおこう、感触が酷い)


 暴漢2人を始末して、チェインは女性を探した、いた。路地裏に置かれた木箱やゴミの間に隠れるようにうずくまっている。


 あちこちすりきれて血を流している。


 回復呪文を詠唱しようと考えたがこのアルコールに沸いた頭じゃ頭文字から噛んで言えそうもないと飲み込んだ。


 女性はかなり衰弱している、チェインを一瞬見上げ、すぐに力なく項垂れた。


 チェインは特に深く考えず、女の子を抱き抱えて、何度も落っことしそうになりながら家路についた。


 歩きながらまた夜空を眺める。デカイ満月が真上にきていて明るい、その明るさのせいで他の星が見えないくらいだ。


(こんなに月は明るいのに、僕の未来は真っ暗だ)


 同じことを繰り返し繰り返し考える。


 ~~・・~~・・~~


 うっすらと眼を開く、見覚えのある光景だが目覚める場所がおかしい。


 自宅の床の上、固い床、チェインは床ってこんな固かったのかと思った。全身が痛む。特に頭が信じられないくらい痛い、気持ち悪い。


(なんだこれ、ああ、昨日はたっぷりとやけ酒したんだったな。にしても、床で寝るなんて、お酒ってのはこんなに人の判断力を奪うのか)


「んうぅ」


 チェインは床の上で身体を伸ばした。


 見れば昨日の夜の格好のままだ、どこにも吐いた後がないのが救いと考えた。


 結局、自分は国を出ずにおめおめと家に帰ったのかと心で毒づいた。


 立ち上がるとさらに気分が悪くなってベッドに腰かけた。


(ここまで来ててベッドで寝なかったのか)


 なにもする気になれず、もう一度横になろうと着ているものを脱ぎ捨ててベッド脇に投げ捨て全裸になった。


 チェインは本来、寝る時は服を全て脱ぐ癖があるのだが。エリシアが自宅を訪ねる時、ノックをしても返事を待たずに玄関を開けることが多いので、チェインは服を着て寝るようになった。


 今日はエリシアが来るはずもない、チェインは夕方まで寝ようと布団を捲った。


 女性が寝ている、布団を捲られて目を覚ましチェインと目があった。


「いわぁっ!」


「きゃああっ」


 女性はチェインを見て悲鳴を上げた、チェインも似たような高い声が出た。


 あまりの驚きに尻餅をつき、冷たい床の感触にチェインは自分が全裸であることを思い出す。チェインは乙女のように股間を隠した。


「だ、え、誰、誰ですか? なん、えぇ?」


 ひっくり返った声、起きたらベッドに人がいるとか一番怖いとチェインは思った。


「……。あなたに、昨日の夜連れて来られましたけど?」


(へ? ぼく?)


(思い出せ、昨日はジャッキーに全てを打ち明け、ジャッキーからエリシアに、傷つけた事を謝ろうと……。それで、『自分で言え、こんなに情けない奴だとは思わなかった』って殴られて。もうどうしようもなくて、死ぬつもりで浴びるほどお酒を飲んだんだ)


(それで?)


(駄目だ、酒場にいた途中から記憶がない)


「すまない、まるで覚えてない」


 チェインはそーっと片手を伸ばしてズボンに掴み、いやその前にパンツだと思い直してパンツを探した。


 そこに。


 コンコンコンコン。


 聞き覚えのある丁寧だけど力強いノック。


「おーい、チェイン。生きているか?」


 チェインの名を呼ぶ、チェインの想い人の声が聞こえた。


(あぁ、不味い)


 ガチャっと、エリシアはいつも通りにチェインの返事を待たずにドアを全開に開いた。


「ジャッキーから昨日は散々飲んでいたと聞いた、それでジャッキーにお前から話しを聞いてやってほしいと言われて来たんだが……」


 エリシアとチェインの目が合う、エリシアが手に持っていた包みを落とした。


 プライベートではいつも少し笑顔を残したような表情でいるエリシア、そのいつもの笑顔がスーッと引いていくように消え、チェインを睨むというより、見据えるように見下す。


「……。邪魔したな」


「ちがっ」


 冷たく言い放つとエリシアはドアの蝶番を憎んでいるのかドア枠に叩きつけるように閉めた。


 チェインは立ち上がってドアを開こうとするが蝶番が壊れて開かない。


(どんな力だよ)


 チェインはドア横の窓を開いて歩き去っていくエリシアの後ろ姿に叫ぶ。


「エリシア、僕にもよくわからないんだ! 頼むから戻ってきてくれ!」


 エリシアは一瞬振り返り、チェインを睨んで歩き去っていった。


 エリシアの目には涙が溜まっていた。


「……。最悪だ」


 チェインは窓枠に捕まったまま、その場にヘタリこんだ。


「あの、すみません。なにか勘違いさせてしまったみたいで」


 後ろを振り向くと女性がベッドから脚を下ろして腰かけていた、よく見ると身なりがかなり酷い。


 薄い布切れに穴を開けただけの服とも言えない服を着て腰のあたりで紐で絞めているだけだ、そこから伸びる手足も痩せこけて倒れれば折れてしまいそうだ。


 年の頃は十代の半ば。


(髪も肌も真っ白、魔族の特徴だ。なんで僕のベッドに魔族の女の子が寝てるんだ?)


(手足には目新しいアザが見える、あれ、なんか心当たりが……)


「あ」


(思い出した、昨日の夜道。路地裏で拾ったんだ)


「いや、いいんだ。後で話せば分かってくれるよ」


 チェインは立ち上がって力のない笑みを浮かべた、彼女はチェインから気まずそうに目をそらした。


「うわあ、すまないっ」


 チェインは股間を隠してパンツを探した、ベッド脇の彼女の足下に落ちているのを見つけ、「向こうむいててくれ」と小声で言ってパンツを拾い上げて急いではこうとしたら足がパンツの穴に引っ掛かってよろけて彼女を押し倒した。


「ひゃっ」


「ごめ、ちがっ」


 急いで立ち上がり、足首の片足だけを通したパンツを踏んで後ろにひっくり返ってテーブルに突っ込んだ。


(なんて日だ……)

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