金魚の池 1/2

 あれは、確か僕が小学三年生の頃。よくある七不思議と同じで、学校では奇妙な噂が流行っていました。


「放課後、一人で金魚の池に行くと変な声が聞こえるんだって」


 金魚の池というのは、学校の傍にある防火水槽の事です。高いフェンスで囲われているものの、水を覆う蓋はなく、水面が見える古いタイプのものでした。そこに誰かが金魚を放したので、いつの間にかそう呼ばれるようになっていました。


 まあ、子供にとっては防火水槽の用途なんてどうでもいいんでしょう。僕自身がそうでしたから。大事なのは、水の中に生き物がいるかどうか。あとは、怖い噂の真偽です。


「お姉ちゃんの友達が、『水の中に引き込むぞ』って、怖い声を聞いたんだって」


「それだけじゃないよ。金魚に餌をやろうとしたら、水の中から手が伸びてきて、腕を掴まれそうになったって。青白い、長い手だったって」


 そんな噂が流れてから、誰も金魚の池には近寄らなくなりました。

 本当はいいことなんですけどね、だって、防火水槽の近くで遊ぶなんて、危ないでしょ?


 だけど、子供というのはそう簡単には諦めてくれないんです。たとえば、僕のような悪ガキは……。


 噂が流れてから数日後の放課後、僕と当時つるんでいた悪ガキ仲間の二人は、準備を整えて金魚の池に集合しました。


「みんな、用意はいい?」

 僕が声をかけると、二人が頷いてので、各自用意してきた道具を見せ合いました。


 埃っぽい藁縄:お化けを捕まえる用。トマトの支柱をまとめるのに、納屋でお爺ちゃんが使ってたのを借りてきた。


 物干しロープ:引き込まれた人を皆で引っ張って助ける用。予備でお母さんが買っておいたのを無断で持ってきた。


 懐中電灯:水の中を照らしてお化けを見つける用。家に置いてあったのを持ってきた。電池は切れてたのでおこずかいで買った。


 ……ええ、やる気十分でしたよ。お化けの正体を暴いてやろうって、ヒーローになる事だけを考えてましたから。


「早くやろうぜ。先生に見つかったら怒られるじゃん」

 一人がそう言ったので、僕らはおそるおそる金魚の池のフェンスへと近づきました。


 フェンスには南京錠がかかっていましたが、下は土でした。それも金魚の池は道路より下にありましたから、雨が降る度、水は川になって防火水槽へと流れ込んでいました。おかげで土は削れて、フェンスの下には子供が一人潜れるくらいの穴が開いていたんです。


 フェンスを潜ると、そこはもう深い水です。万が一落ちたら、フェンスに阻まれて直ぐには上がってこられないでしょう。ですが恐ろしい事に、子供達はこの穴から片手を出して金魚に餌をやっていたんです。足元には雨水が運んだ砂利があって、いつバランスを崩して落ちてもおかしくないのに……。


 しかもその日は、フェンスを潜るのが片手だけじゃありませんでした——両手と頭も潜らせたんです。


 まず最初に、物干しロープを持ってきた子がフェンスを潜りました。自分の腹にロープを結び付けた安心感からか、勢いよく水を叩きます。水を叩いて、お化けを誘い出す作戦だったんです。


 だけど、水面を泳ぐ金魚が逃げるばかりで、何も出てはきませんでした。


「ダメだ。音を立てれば出てくると思ったんだけど」


 たぶんお化けの事を、水に落ちた獲物を捕らえる魚か何かだと思ってたんでしょうね。


「じゃあ、次俺」

 藁縄を持ってきた子がフェンスを潜りました。当然、物干しロープをお腹に巻いています。


「出てこーい!」

 水の中に片手を突っ込んで、ぐるぐる水をかき混ぜました。濃い緑色の水に、小さな渦ができて、水面の木の葉がくるくる回りました。だけど、それだけでした。


 やっぱりお化けは出てこない。そう僕が思った時——。


「うわぁっ!」

 その子は片手を引っ込め、フェンスをガシャガシャ音させながら、大急ぎで戻ってきました。


「どうしたの?」

「いま、今っ。何かが手に触った」

 その子の顔は真っ青でした。唇を震わせて、しきりに自分がさっきまで混ぜていた水面を指差していました。


 とっさに僕は懐中電灯でその場所を照らしました。すると、光を呑みこむような暗い水の中で、白っぽい何かが動いたのが見えたんです。


「っ……」

 息を呑んだその時、そいつは水面に現れました。


「あ……金魚だ」

 そう、白っぽい色の大きな金魚だったんです。がっかりしました? 僕たちはしましたよ。最初にフェンスを潜ったやつと一緒に、戻ってきたそいつをバシバシ叩いてやりました。


「お化けの正体ってあのデカイ金魚なんじゃないの? もう帰ろうぜ」

 恐がった事が恥ずかしかったのか、そいつは自分がお化けの正体を暴いた事にしたかったようでした。


 もちろん、僕はそれで納得するような素直な子供じゃありませんでした。


「まだ懐中電灯を試してないだろ」


 そう言って、僕は物干しロープをお腹に巻いてフェンスを潜りました。

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