第42話 オラに陰気を分けてほしくて、

「お菊さん⁉︎」


幽霊たちの上をフワフワと飛んできたお菊さんは、柔和な笑みで僕たちを見下ろした。


「ちょっと貴方たち、暗過ぎるわよぉ? 死んでる私たちのお株を奪わないでくれるかしら」


「お菊さん、助けてください! お化けが、あっちにもこっちにも!」

わかがお菊さんに取り縋るように駆け寄って、訴えた。


すると、


「あっちはともかく」


と、走る三宅さんをお皿で指し、


「こっちは平気よぉ。今は菊の子分だから」


と、旧校舎からの行列を紹介するように示した。


「子分……?」

「えぇ」


彼女は柔和な笑みを見せる。


「この子たち、あの光る大砲でやられてから、怯えちゃってねぇ。貴方たちと仲良しの菊にも頭が上がらないの。おかげで快適に過ごさせてもらってるわぁ」

「そ、それはよかったです……」

「だから、お礼に貴方たちを少し助けてあげようと思って」


その一言に、僕たちは一斉に耳を疑った。


「た、助けるって、あの体育の神をやっつけるのを……⁉︎」

僕が勢い込むと、


「それ以外ないでしょう? せっかく居心地が良くなった住処をこれ以上壊されるのも困るし、貴方たちに止めてもらわないとね」

彼女は上品に微笑む。


「ぼ、僕たちにできるの……?」

「むしろ、貴方たちみたいな暗い子にしかできないことよ。いいかしら」


そう言うと、お菊さんは地上へ降りてきて、体育の神を指差した。


「やることはひとつだけ。あなたたちの陰気と、今この街に満ちている陰気をまとめて、あの依り代にぶつけるの。そうすれば、霊は取り憑いていられなくなって、飛び出してくる。その隙に、貴方たちのあの凄い武器で打っちゃえば、勝てるわ」


「陰気……」

僕は困惑する。

入部してから、よく聞く言葉だけど……


「陰気って、結局何? どうやってぶつけるの」

国木田さんが僕の気持ちを代弁するように、怪訝そうに問いかける。


すると、お菊は意味深な目をして、

「私の言う通りにできる……?」

と心調部ひとりひとりの顔を見て尋ねた。


僕は、さっき囚われた、白い寂しい空間を思い出す。

よくしてくれているとはいえ、彼女も幽霊。この世のものではない。

彼女が僕たちを餌にするために騙している可能性も、ゼロではないのだ。

しかし、今は身を委ねるしかない……


僕たちはそろって、頷いた。


「目を閉じて、菊の言葉を聞いて」


お菊の指示通り、目を瞑る。

視覚が消え、鈴の鳴るようなお菊の声が鼓膜をくすぐり始める。


「今、この学校は誰もが不安に苛まれてる。霊に怯え、死に怯えてる。それは街中にも広がって、木も、動物も、人間も、暗く沈み込んでいる。溜まった闇が、さらに闇を引き寄せる。その渦の中心にいるのは、あなたたち」


言われるがままに感覚を澄ませていると、不意に世界の様相が変わったのを感じた。


目を開けずとも、街中から重く黒い奔流がこの学校に流れ込み、僕たちを中心にした蟻地獄みたいに、深く沈み込んでいくのがわかる。


これが『陰気』……


お菊が手を叩いて促した。


「さぁ、目を開けて! 今はあなたたちが主人公、あなた達の時代よ! 自信を持ちつつ暗い気持ちになって!」


なんだその難しい注文……


「みんな両手を上げなさい」


心調部の面々は、腕を天に伸ばす。

その様子を見届けて、お菊が告げた。


「そしてこう唱えるの。『オラに陰気を分けてくれ!』って」


心調部の面々が、両手を上げたまま固まった。


「えぇ……」

隣でわかが引いている。

「それ、元気玉じゃないですか……」


「あら、貴方たちの先輩は『陰気玉』って呼んでたわよ」


とんでもないネーミングセンスだった。

先輩たちは何を考えていたんだろう……ていうか、前任者もこれやってたんだ……


「なんでもいいよ、敵が倒せれば」

国木田さんが両手を天に向け続けたまま、無表情に言った。


僕たちもそれに倣う。


恥くらい捨てよう。

こんな僕でも、三宅さんを、学校を、世界を、救えるならば。

元気でも陰気でも、なんでもいい……


「「「「オラに陰気を分けてくれ……!」」」」


唱えた途端、グラウンドに集まっていた無数の霊魂たちが、その姿を溶かし、僕たちの頭上に集まってきた。


それだけじゃない。


校舎のあらゆる場所から、学外の家々に至るまで、周囲のすべてから、黒い霧のようなものが、僕らの上げた手へと流れ、球体となって溜まり始めた。


怨念の具現であるそれは、見た目にもどす黒く、溜まるほどに、重くなる……

まるで、ぼくたちの上だけ、重力が増したみたいだ。


無数の言葉にならないような恨み言が、陰気玉から聞こえていた。


頭から追い出すように、僕は首を振る。


目標物とするべき三宅さんの体は、校庭のトラックを、今や一周数十秒で爆走していた。

土煙がもうもうと立ち、ハーフパンツから伸びる脚は、黄色い光を放っている。


傍目からみたら、こっちが闇の魔術師で、あっちが光の戦士だ。


「で? で? この後どうすればいいんですか? このまま投げればいいんですか? でもあんな速いのに当たるんですか?」

わかが立て続けにお菊に尋ねる。


が、お菊はつっけんどんに答えた。


「それは知らないわよ。気合いで当てなさい」

「えぇ⁉︎ じゃあ、外したらどうなるんですか⁉︎」

「それはもうおしまいよ。全部あなたたちの手に収まってるんだもの」

「そんなぁ⁉」


無茶振りである。

僕は荒れ果てるグラウンドを見つめながら、頭を悩ませた。


今やスーパーカーみたいな速度になった三宅さんに、本当に当たるのか?

そもそもこの陰気玉は、投げたらどのくらいのスピードなんだ?


「腕プルプルしてきた……」


隣で、柳女さんの細い腕が震えていた。

支えていられる時間にも限度がある。


最後の最後で……


僕は唇を噛んだ。


確実に当てるには、どうしたら……


そのときだった。

声が、ハッキリと僕の脳内に響いたのは。


有象無象の蠢く陰気玉からではない。

解像度の高いその声は、悲し気に、悔しげに、呟き続けていた。


『……嫌いだ』


『……全部嫌いだ』




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