第17話 恐怖は薄暮に薄まって、


「ギャアッ!」

思わず飛び退くと、後ろの一同もパニックに陥った。


「なんですか⁉︎ 急に叫ばないでください!」

「ま、まま、待って……? 中に目がある……!」

「嘘はやめてください! バレバレですよ!」

わかがロッカーに大きな尻を向けながら否定する。


柳女さんは、

「ふぇぇ……ふひぃ……」

と、過呼吸気味だ。


僕は、及び腰に薄目で、もう一度ロッカーの切れ目を確認した。

明らかに目らしきものが室内灯を反射し、しかも、揺れ動いている。


そんな確認が気に入らなかったのか、ロッカーの内部が突然ガタガタと暴れ出し、

「うぅぅ……うぅおぉぉ……」

低い唸り声まで聞こえ始めた。


あぁぁ、怒ってらっしゃる……


やっぱりこんな部活、入るべきじゃなかったんだ。

甘い餌に釣られて、とんでもない選択をしてしまった。


そんな騒ぎの中、ただひとり、国木田さんだけが怪訝そうに首を傾げ、ロッカー前に進み出た。


「ちょ、国木田さん! そんなに近づいたら危ない……!」

僕は腰が引けたまま警告する。

「今すぐ出よう! 先生ならなんとかしてくれるから!」

――そうだね。


そう言って、国木田さんはロッカーを離れる素振りをした――と思いきや、扉に手をかけ、一気に引っ張った。


「あっ!」

という太い声とともに、ロッカーがにわかに開帳される。


中には、中年の男性が、掃除道具と共に、いかにも窮屈そうに詰まっていた。


「ふぇゃえッ!」

柳女さんは漫画みたいに吹っ飛んでいく。


僕も思わず硬直しながら、ただ同時に、違和感も覚えていた。


……幽霊って、脂汗を流すのだろうか。


国木田さんは、準備のいいことに、傍らに用意していた長い傘を手にして、その先端で男の腹を突いた。


ぽよん。

腹の肉が傘を跳ね返す。


僕はゾッとした。

心霊とは別質の恐怖だ……


「これ、ただの変態だ……!」


その瞬間、中年男性は、

「はうぇあわわわぁ!」

と言葉にもならない声を発して、部屋から逃げ出してしまった。


校庭を走る変態の影が、夕闇に溶けていく……

一同は、その後を呆然と見送る。


「……え、なにこれ」

沈黙を破ったのは、三宅さん。

被害者である彼女は、狂ったように笑い始めた。


「え、ムリなんだけど! キッモ! いつからいたの⁉︎ なんか楽しくなってきた。ははは……!」


「これは、追いかけるべきなんですかね……?」

わかが困惑して外を指さすと、国木田さんが涼しい顔で返事する。


――別にいいよ。先生に報告しよ。


「そうですか……ていうか先輩、よく開けられましたね。もしかしたら、攻撃してきたかもしれないのに」


――まぁ、こっちは複数だし。それに。


国木田さんの輝く目が、一瞬、僕の目と合って、


――今日は男子もいるしね。


その意味は、すぐにはピンと来なかったけど、僕は段々ふわふわした気持ちに包まれるようになった。


そうか。


確かに、たとえひ弱な男でも、いるだけで不審者対策としては結構違う気はした。

こんな僕でも、役に立てたのかもしれない……

実際はビビってただけだけど……


「とにかく、ロッカーは心霊現象じゃなかったわけですか」

自分もビビっていたくせに、わかがその道のプロみたいに腕を組んで言った。

「ポルターガイストも、今は起きないですね」


――毎日起きるって保証もないしね。そろそろ下校時間だし帰ろう。柳女さん、立てる?


国木田さんの一言に、わかも待ってましたとばかりに手を叩いた。


僕もほっと息をつく。

ようやく終了だ。


そのとき、


「ちょっと……待って……」

自分より小さい国木田さんに支えられ、ひょろ長い若木みたいに立ち上がった柳女さんが、微かな声で制止した。

彼女の震える細い指は、ロッカーの下を指差している。


「葵先輩? どうかしました?」

「ふぇ……嫌なことを……い、言うんだけどね……」

「はい」

「あ、あの水って、本当にお化けの仕業、だったのかな……?」


――どういうこと?


国木田さんに問われ、長い髪の下で、変に声を上擦らせながら、

「変態さんの周りに溢れてる水って……ただの『水』じゃないんじゃないかなって……葵なら思うから……ふぇ、汚い話でごめんなさい……」


四人は顔を見合わせてから、示し合わせたように、僕の右手――その『汚い話』を触った右手に注目した。


「舐めてみればハッキリしますよ……」

ドン引きした顔でわかが薦めた。


「やだよッ!」

僕は、部室棟を飛び出すと、最も近い手洗い場に駆け寄ると、日差しで温くなった水を噴出させて、一生懸命に手を洗い始めた。


ちょうど、下校時刻の鐘が、敷地内に鳴り響く。

いつの間にか、運動部の掛け声はグラウンドから消え、静寂の夜に沈みつつあった。


なんて惨めなんだ、この状況……


「今回、生きてる人間が一番怖いというのがよくわかりました」

「ふぇ……もうこの部活辞めたい……」


――下校時間過ぎると部活が活動停止になるから。早く洗ってね。


僕の後ろで、心調部と三宅さんが去っていく。

待っててくれたりしないのかと切なく思いつつ、ひとり念入りに、手を洗う。



薄暮――それは、明から暗へ、動から静へ、生から死へ、主役が入れ変わる一日の幕間。

突然訪れた『それ』は、本当に何の前触れも、脈絡も、理由もなく――


僕の背筋を貫いた。


あまりの禍々しさに、一瞬、息が止まる。

死の恐怖に、ハッと振り返る。


しかし、視線の先には、生徒が撤退した後の無人の部室棟が、じっと腰を据えて夕陽を浴びているだけだった。


「な、なんだ……今の……」

突如僕を襲った強烈な異物感は、振り返る頃には、消えていた。

冷や汗が、遅れてドッと流れ出す。


校門の方からは、下校時間を守らせようとする先生たちの平和な大声が、耳に届いてきた。


今のは、気のせい……?


過ぎてしまえば、間延びした日常しかそこにはなく。

恐怖も溶けるように消えていった。


とりあえず、校門を閉められると、国木田さんに怒られそうだ。


僕は、後ろ髪を引かれながら、今や何の変哲もなくなった部室棟に背を向けて、走り出した。



― 第二章 陰キャ女子は泣き叫ぶ。 おわり —



🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸


 第二章までご覧いただき、ありがとうございます!


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 第三章は、ついに幽霊退治です! やったね!

 引き続きお楽しみいただければと思います……!


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