第2話 インハイゴリラは自慢げで、

思わず目を上げ、焦点が目の前に座る大人の男に合う。


浅黒でハキハキと話すゴリラみたいな彼は、大衆の期待を裏切ることなく体育教師であり、卒業式にもジャージを着てくるようなイカつい男だった。


自身のインターハイ出場経験を今でも誇って、ことあるごとにありがたいお話として訓諭してくるため、生徒たちからは『インハイゴリラ』と裏であだ名されている。


教育熱心で涙もろく、悪い人ではないのはわかるのだけど、声は大きいわ、デリカシーはないわで、陰キャにとっては一番苦手なタイプだった。


そんな担任と僕がわざわざ二人きりで向かい合っているのはなぜかというと、放課後教室に残るように、と個別に厳命されたからだ。


今それを思い出す。


「うん」

担任は再び手元のフォルダに目を落として言った。

「お前、この二ヶ月ほとんど休んだだろう。だから、あと一日でも欠席したら留年だぞって」


冷たい雨が窓を叩く。

先生の言葉が何度も頭を駆け巡って、ようやく『留年』の意味が理解できた。


つまり、もう一回二年生をやるって意味だ。当たり前だ。

それがわからないくらい混乱している。


僕は愕然とした。

学校が嫌いとはいえ、それはそれこれはこれだ。

だって、入学金とか授業料とか払ってるし……


「そ、そんな急すぎませんか……?じ、事前告知とかがあるかと……」

「そりゃ、高校は義務教育じゃないし、基本は自己管理だからな。お前、まさか生徒手帳読んでないのか?」


逆に、生徒手帳を読んでる学生がこの世にどのくらいいると思いますか?

という質問が喉から出かかったけど、ぐっと飲み込んで黙っていると、先生は、


「読まないとダメだよお前」

と言って、説明を始めた。


「あのな。進級に必要な出席日数ってのがあって、それ以上休むと留年になんの。どの学校もそう。うちの場合は全日数の五分の一を休むと留年って決まりになってる。つまり大体二ヶ月ちょい」

「そ、それは、補修とかでなんとかなったりは……」

「無理だなぁ、成績と出席は別枠だから。特殊事情があるならまた違うんだが……普通に休んだんだろ?」

「にゅ、入院してました……」

「じゃあ証明書類もらってきて」

「普通に休みました……」


痺れた頭に、絶望がひたひたと押し寄せて、水かさを増していく。


二年になってまだ三ヶ月経ってないのだ。

それなのに、もう留年危機だなんて……


悪い冗談としか思えないけれど、悲しいことに目の前のインハイゴリラは冗談や皮肉がわからない。


つまり、大マジってことだ。


「あの、留年すると、お金はどのくらいかかりますか……」


早くも諦めた僕の弱々しい問いに、先生は太い腕を組んで唸った。


「学費もあるし、ジャージとか靴とかも入学期で色違うから買い替えだから、まぁ百万ちょいだよ」

「そ、そんなに⁉︎」

「そりゃそうだ。お前が通ってるの私立だぞ」


目の前が暗くなるってのは、比喩じゃなく、本当に起こることなんだね。知らなかったよ。


百万など、公営団地でカツカツに暮らしている我が家で出せるとは到底思えなかった。

しかも、自分で頼んで行かせてもらった私立だ。

それを出席日数が足りなくて、留年ですって……どの面さげて母に言える?


しかも、たとえこのパッとしない面を下げて、大金を出してもらったところで、来年は一切知らない下級生達と同じクラスで、授業を受けるのだ。

針の筵じゃないか……また不登校になる……


でも、やめたら中卒だ……


それじゃあ頑張って通い続けますかっていうのも、それは僕にとって鬼畜難易度ゲームのノーミス完走みたいなものだった。到底できる気はしない。


にっちもさっちも断崖絶壁、みたいな絶望が顔に出ていたのだろう。


対面の先生は身を乗り出して、僕のペラペラの肩を励ますように叩き始めた。が、彼のがっしりした手は、僕を椅子の座面に叩きつけられているみたいだった。

「まぁ、気にするなよ。留年でも前を向こう。若いんだ。俺も大学受験に失敗したときは気落ちしたもんだけど、なんとかなった。インターハイ出場選手として、拾ってもらえてな」


いやまたインハイ自慢かよ。

ていうか、留年決まったわけじゃないのに決まったていで話さないでほしい……


肩に乗る腕の重さに辟易としていたそのとき、教室のドアが開いた。


振り返ると、学校指定ジャージを着た女子生徒が立っている。

健康的に日焼けしているし、見るからに運動部だ。


「いたいた。先生、準備できたんでお願いします」

「おぉ、今行く」

先生が立ち上がって返事をすると、生徒はパタパタと室内履きを鳴らして去っていく。


「とにかく、一度親御さんと話したいから、連絡しておいて」

先生はそう言って、肩をもう一度叩いて、廊下へ向かっていった。


どうやって親に伝えればいいんだと、僕が机から動けないでいると、先生がふとドア前で立ち止まって、

「あ、部活とか入ったらどうだ。体を動かすとアドレナリンが出て明るくなるぞ。若者なんだから籠ってないで、運動しろ運動」


……結局、好き勝手言って、去っていった。

そして、いつものように、ドアは開けっぱなし。


繊細さの欠片もない……


「……部活なんか、入れる訳ないでしょ」


入れるほど人馴れしてたら、こんな事態にはなっていない。

聞くもののいなくなった教室で僕はぼやいた。

頭の中では、将来の不安が渦巻いている。


留年。それ即ち、退学。

中卒。それが自分の最終学歴。


中卒でできる仕事って何?

肉体労働?

僕にできるワケがない……つまりニートしかない……

一生母のお荷物となり……老け込み……死ぬ……


七限終了のチャイムが、諸行無常の響きをもって鳴り響く。


頭が回らない僕の体は、自動で鞄を持ち、鬱屈としながら廊下へ向かった。

とりあえず帰ろう、自分の巣へ。でないと、ここを自殺現場にしそうだ。


インハイが開けっぱなしにした扉から、一歩外へ踏み出す。

すると、不意に胸の辺りに、コツンと小突かれたような衝撃が走った。




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