第23話 作戦
ゴブリンのいたあの黒い部屋から帰って来て十数時間、日も変わって、私とウィルはいつも通りの生活に戻っていた。ただ違うのは、監視役のローウェンが居ないこと。それと――
ドンドンドン
扉を叩く音。時間は昼過ぎ。ここは病院だから、普通の患者が来た可能性だってある。だが、ゴブリンが見せたあの映像……用心するに越したことはない。
「わしが見てこよう」
私たちが宿替わりにしているこの病院。サプライズで面倒事を持ち込んだら「いい加減出ていけ」と言われそうなこともあって、医者には全て話してある。ペスティモンテがテディー・スペンサーに狙われていること。街に派遣された聖騎士、少なくともアイザックという男は信用出来ないこと。
勿論、吸血鬼とかそういうの以外の話だ。
「どうされました? 聖騎士様。急患でしたら引き受けますが、随分大勢で来られたのですね」
階下から聞こえてくる医者の声。彼ははっきりと『聖騎士様』と言った。ローウェンではなく。さらに、『大勢で来られた』とも。
「ここに金髪の女と、連れの子供が来ているだろう。女の方は身長170センチ程。子供の方は……何処か怪我をしているはずだ」
「……ええ。その2人だったら数日前に。今ちょうど居ますので、呼んできましょうか?」
「いやいい。私の部下を行かせる」
医者には、彼らの要求に大人しく従うように言ってある。宿を壊されるのも忍びないし、わざわざここで戦う意思は無いからな。
「行けるか? ウィル。なんなら隠れていても良いんだぞ? 後で迎えに来てやる」
「いえ。僕も行きます。あの十字架のペンダントを壊すくらいなら出来ます」
この街にきて間もないウィルでさえ、領主テディー・スペンサーのやり方に憤慨している。だからと言って、戦わせてやる気なぞ毛ほども無いが、覚悟が出来ているのなら止めはしない。
私は暗い廊下を進み、階段を降りる。そして、覚えのある鎧が見えてくれば、程よく皮肉の効いた言葉を投げかけてやるのだ。
「昼間からデートのお誘い、とても光栄だ。でも残念、お友達と一緒じゃないと声すら掛けられない軟弱男には、一切興味が無いのよね」
扉の前に立つ男、アイザックは私を確認するなり、首元に手をやる。この街へ来た時こそ油断しきっていたが、2度も同じ手に引っかかるものか。
階段の縁を蹴り、一瞬でアイザックの目の前へ。彼の驚いた顔が近くにくるが、それも一瞬のこと。
「うわー……」
すぐ近くで見ていた医者からは、同情というより、呑み過ぎてゲロっている人を見つけてしまった時のような、そんな声が漏れ出る。
「この……貴様ッ!」
一方、身長170程度のスタイルのよい女に無様にも突き飛ばされた男はというと、あろうことか、腕が曲がってはいけない方向へと曲がっていた。
「あらら、随分と脆い体なようで。 そんなんじゃ、腰にささってる棒切れを振るのもキツイんじゃないか?」
こんなに馬鹿にしようと、アイザックは聖騎士で、私は吸血鬼。教会の十字架という切り札がある以上、彼はすぐに冷静さを取り戻す。
「……あれ?」
大切なお守りも、無くては意味が無い。
「探し物はこれかー?」
バキッと石畳の上でわざとらしく音を鳴らし、足を退かす。
「貴様ァー!!」
足元で崩れ去った
「まっ、てください隊長!」
それを止めたのは、アイザックの部下らしき女。
「ここで戦っちゃ駄目です! 被害を考えてください!」
彼女は小柄ながら、怒りに我を忘れた男をしっかりと抑えている。腰にしがみつき、まさに全身全霊といった感じではあるが大したものだ。
往来で相撲を取り始めた2人。見苦しい争いに巻き込まれたくないので、私とウィルはそそくさとその場から離れる。
「待ちなさい!」
そんな私たちを引き止めたのは、先程からアイザックを押さえ込んでいる女騎士。彼女は器用に腰のベルトから筒を抜き取り、後ろ手にこちらへ投げ渡した。
「カミラ・ツェペシュ、あなたには殺人の容疑が掛かっています! この街に滞在することは許されません! 即刻立ち去りなさい!」
女騎士の投げたそれを空け、中の書状を読めば、しっかりの私の名前と、私が引き起こしたとされる1件の殺人。そして、この書状を保証する教会の印章。残念ながら正式に発行されたもののようだ。
しかし生憎ながら、ここ暫くは殺人なんてした覚えはな……
「もしかしなくても、ここに書かれている男の死体というのは、この街に来る際に襲われたあの盗賊のことか?」
「盗賊? 何を言っているんですか! あなたが殺したのは商人でしょう! 馬車と積荷を奪ったとも報告を受けています!」
なるほどなるほど。作戦のために記録をねじ曲げた訳だ。
「そうか。まあ、クズが1人死のうが、それが私の罪にされようが、はっきり言ってどうでもいいな」
「カミラさん! こんなの嘘じゃないですか! 襲われたのはこっちなんだし、罰を受けるのはあのおじさんたちなわけで――」
「いや、いいんだ。どうせこの書状だって、教会が勝手に作ったものだろうし、それに」
私は書状の文面を、女騎士に向けて告げる。
「殺人の罰則が、火刑でも鞭打ちでも無く、ただの国外追放か。別にここに家がある訳でもないのにな」
そう。この罰則自体、旅をする私には一切ダメージがない。それに、聖騎士共が極刑にかけようとすらしない臆病者ということも分かった。聖騎士個人の見解など知りもしないが、どうやら教会側は、私たち吸血鬼の力についてよく知っているようだ。
「そんなの、私に言われたって知りませんよ。随分軽い罰だなとは思いましたけど、上の決定なんです。仕方ありません」
「ははッ。仕方ないか。いいさいいさ、出て行ってやるとも。しかし大変だな、女。腐った食べ物は周りの物まで腐らせると言うじゃないか。お前もいつの間にか腐っていた……なんてことにならないといいな」
「大きなお世話ですよッ。この化け物め」
私から見れば、人間の方が余程化け物なのだが、という与太話は置いておき、2人は門、国外へ向かって歩く。誰が襲ってくるわけでも、まして、警戒される訳でもない。
「カミラ様! お出かけでしょうか?」
この街に来た時に通った門から出ようとした際には、何故か様付けで呼ばれる始末。私の起こした殺人事件というのは、教会の一部と、それに付随する聖騎士たちの独断なのだろう。
「ああ。少し野暮用があってな。いつ頃戻るかも分からないから、帰りは気にしなくていいぞ」
「はっ! お気をつけて!」
「あ、そうだ。もしローウェンさんが来たら、僕たちはこの門から出たということを伝えておいてください。多分、大丈夫だと思いますけど」
これは一応の保険。カミラさんは、「目先の金しか見えない爺どもの説得なんて出来るわけが無い」と言っていたけれど、争わずに済むならそれに越したことはない。ローウェンさんのこの街での信頼は
その日の夜。僕は久しぶりに草木の匂いに包まれて眠った。パチパチと音を立てる焚き火と、森の生き物たちの合唱を聴きながら。
吸血鬼に拾われた話 @kasumi_roro
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