第20話 資料館にて
日が落ち始め、辺りが赤く染まり出す頃、私は食べかけの肉串を片手に、みっともなく大口を開けて笑っていた。その原因は、ウィルから語られる昼間の出来事。そして、その話題にされている人物は、不満そうに顔をしかめている。
「おいもういいだろ。ってか、少しくらい失礼だとか思わないのか? 俺は協力してやってる立場で――」
「いやだってなぁ!
隣を歩くウィルからは「命令した訳じゃ」と呟きが聞こえてくるが、話を聞く限り、ローウェンに拒否権が無いのだから面白い。私という存在と、私が持ち出した『契約』を上手く利用しているのだ。無意識にしろ意識的にしろ、良い性格に育ちそうで何より。
夕日に照らされる3人の影は次第の長く、そして、闇に溶けるように消えてゆく。
そうこうしている内に、目的の場所にも着いた。ペスティモンテ、
「外見は至って普通。それらしい匂いもしないが、どうしてここを探そうと思った?」
「あ、それはローウェンさんが――」
「ん? ローウェンが?」
「ああ。舟底をべたべた触りながらふと思ったんだよ。初めのカードでわざわざここを指定してきたんなら、この街にしかないとこ、それらしく目につく場所なんじゃないかってね」
なんと。これはローウェンの案だったか。私のウィルを褒めようと伸ばした手の行方はどうすれば……まあいいか。これが誰の案だろうと、私が気にかける人間はウィルだけだ。
途中まで上げていた手はそのままウィルの頭へ。ついでにローウェンへは、煙そうな顔を向けてやった。
さて、資料館へ着いた私たちだが、特に待つ訳でも無くすんなりと館内へ入ることが出来た。
「……静かだな」
1階のロビー部分は、簡素な受付と、上階へと続く階段が見えるのみ。受付の裏手に扉はあるが、『従業員専用』と書かれているから私たちには関係無いだろう。
「受付、誰もいませんね。どうしたらいいんでしょうか?」
「扉叩いてみるか? 流石に誰かしらはいるだろ」
この資料館は営業する気が無いのか、はたまたそもそもの客がほぼ来ないのか。明かりこそ灯いてはいるものの、有るべき人の姿が無かった。
「すみません。どなたかいらっしゃいますか?」
入口脇でぼっ立ちする私とウィルを置き、ローウェンは従業員専用扉を叩く。すると、中から慌てたのが丸わかりな物音と、「少々お待ちを〜」という情けない女性の声が聞こえてきた。
「良かった。倒れたりはしてないみたいだ」
「……そんなこと考えていたのか? はぁ……どこまで堅物なんだ」
前々から思っていたが、この男は真面目がすぎる。ただ探し物に来ただけの私を、命令だからとベッタリ監視するし。1度報告書を盗み見たこともあるが、食事は何回だ、トイレは何回だ、就寝は何時だ。周りの人間に異常は起きてないか、ウィルの体調(体質)に変化はないかと、はっきり言って気持ちが悪い。
昔、知らない男から手紙が何通も送られてくると相談されたことがあったが、あの時は適当な返事をしてしまったっけな。悪い事をした。
とは言っても、正直どうでも良いと思えることを考えていれば、視界の先で扉が開いた。
ゆっくりと、隙間から覗き込むようにして現れた女性は、数分ではきちんと準備できなかったようで、だらしない格好をしている。
「すみません。お待たせしました……」
エヘエヘと軽く笑いながらカウンターに着く女性。その視線はローウェン、私、ウィル。そして、また私へ来て留まる。
「えっと……お姫様? ですか? な、なんでこんなところに?」
どうやら私がどこかの姫に見えるらしい。まあ室内だからと邪魔なローブは脱いでいたし、その下はいつものドレスだったから、間違えられるのも無理は無い。それに、聖騎士も連れているとなると尚更か。
「いやいや、アレは姫じゃないですよ。普段着がドレスで、そこいらの騎士では到底敵わないような化け物です」
「よ、良かったー。もしお姫様だったらこんなカッコ見せられないですよハハハ」
女性の勘違いを正したのはローウェン。ただ、少々頭にくる言い方だったが、今はカード探しの方が重要なので無視だ。
「おい、最近キツイ匂いを嗅いだことはないか? 一応香水の匂いだが、恐らく市場には出回ってないものだ」
「え、香水ですか? ……いえ。ないと思い、ますけど」
「そうか。もしどこかで嗅いだりしたら教えてくれ」
手っ取り早い手がかりは無し。だがまだ帰ったりはしない。
「ところで、御三方、観覧に来られたのですか? うちは資料館となっていて、特に面白かったりはしませんが」
「ああそうだ。入れるか?」
「はい。大丈夫ですよ。おひとり様、銅貨5枚となります」
観覧料は大人も子供も同じ。軽食分程度でいいとは、本当に儲けるつもりでやっていないようだ。
私はポケットからお金が入った袋を取り出し、パッと目に付いた銀貨を1枚、カウンターに置いた。
「お、おお。……少々お待ちくださいね。お釣りお釣り」
「いい。少し探し物もしたいからな。その迷惑料とでも思ってくれ」
というのは建前で、本音は銅貨を15枚も探すのが面倒だった。お金なら道すがら頂いた盗賊たちの分も併せてかなりある。このくらいの格好つけは余裕だ。
「わ、ありがとうございます! 早速ご案内させていただきますので、このパンフレットをどうぞ!あ、申し遅れました。私、ここの館長兼案内役のリリーと申します。気軽にお呼びください」
リリーと名乗った女性から手渡されたのは薄い冊子。表紙には『ペスティモンテの歴史』と。裏表紙には『ご返却下さいますようお願い致します』と。
パラパラと目を通すが、ただの歴史書のようで、私が探しているものでは無い。
「読みながらで構いませんので、こちらへどうぞ。あ、足元にはお気をつけくださいね」
そうリリーに促され、階段を上る。分厚い扉が軋む音と共に、インクや古書特有のカビっぽい匂いが広がる。
「はいどうぞ。テーブルの上にある本は自由に閲覧出来ますので、他にも何か気になる点があれば言ってください」
そこは小さな図書館の様だった。
壁一面に棚が設けられ、それに収まるのは膨大な数の紙束。
リリーが言うには、棚の前に置いてある本は、後ろの棚の資料を分かりやすくまとめたものらしい。
そんな様が、決して小さいとは言えない部屋でL字型にびっしりと続く。全てを見終えるには、ゆうに数日掛かるだろう。
そして残るは最後の一角。一角というか、部屋の壁の一面を覆い尽くさんとする、巨大な絵だ。この部屋に初めて足を踏み入れた3人は、すぐに目を奪われた。
「凄いな。こんな……」
「少し怖い……ですね」
その絵が想像で描かれたのか、実際に見て描かれたのかは分からない。しかし、そこにある人々の表情が、地獄を語っている。
「初めて来られる方はみんな、あの絵に注目するんです。一部、誇張だとされる見方がありますが、実際の出来事と大差無いはずですよ」
灰色、黒、茶色。使われている色は少ない。
下部に描かれた黒い人達は、病による壊死や出血斑で苦しんだもの。右側では、亡くなった人々を燃やす様。その近くには、山のように積まれた死体。そして左側には、黒死病の原因と考えられているネズミの大群や、死体を貪るカラス、虫などが。
余りの凄惨さに目を奪われたが、長く見たいとは思えない傑作だった。
「ちょっと、向こうで本を見てきますね」
「俺も。ウィリアム、読みたいのがあったら読んでやるよ」
2人は気分が悪くなる前に、絵の前から立ち去る。凄い、酷い、辛い。きっとそれだけが心に残り、それ以外は忘れ去られることだろう。しかし、私は、その絵から目が離せなかった。いや、絵そのものではなく、それが描かれたキャンパスから。
「……水?」
他の誰も触れない、若しくは気付いていない。私だけが疑問に思った。
そのキャンパスは、まるで穏やかな湖の様に、静かに波紋打っている。
「あ、ちょっと!」
リリーの静止を求める声が聞こえる。それでも、私はそれを無視して、絵に触れた。
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