第8話 失った平和と旅立ち
突然の、本当に、余りにも突然の出来事だった。
村の畑荒らしの原因を調査すべく森に踏み込んだ僕は、特に何を見つけるでもなく、ただ彷徨い歩いていた。異変が起きたのは、夕刻、空が赤く染まった頃だった。
「赤い……」
そう。空が
「なんで!?」
赤いのは空だけでは無かった。
何が原因でそうなったのかは分からない。ただ分かっているのは、今まさに村が焦土と化そうとしていることだけ。
「母さん!父さん!どこ!?」
帰り道、僕は大声で父母を呼んだ。道には見るに堪えない、人だったものが落ちていた。見慣れた僕たちの村は、地獄へと変わってしまったのだ。
「母さ――」
「ウィル!!ああ良かった。どこも怪我してない?噛み、つかれたりしなかった?」
半べそをかきながらだが、何とか家まで戻ってられた僕を迎えたのは、血と煤に汚れた母だった。母は僕を見るなり、手に持っていた鍬を投げ捨て、痛いくらいの抱擁を交わした。
「人が……たくさん死んでた!ねえ何が起きてるの?父さんは?」
「ウィル、いい?よく聞いて。帰ってきたばかりで悪いんだけど、すぐにここから逃げて。前に街まで行ったことがあるでしょ?誰かに助けを求めてもいいから、そこまで行きなさい」
母は僕を引き剥がして、元来た道へと追い返そうとする。
何の説明にもなってない。父さんのことも聞いてないし、母さんはどうして俯いたまま動こうとしないの?
「母さん、父さんも、みんなで一緒に逃げようよ!」
「……ごめん。ごめんね。父さんはね、村の皆を守ろうとしたの。母さんもね、頑張って戦ったんだけど……失敗しちゃった」
こんなに弱々しい母の声は、聞いたことがなかった。僕が声を捻りだそうとしていると、母は突然立ち上がり、背を向けた。
「逃げなさい」
母の声音はどんなだっただろうか。それよりも余りにも衝撃的な光景を前に、僕の頭はショートしていたんだ。
「母さ……背中が」
「私のことはいいから逃げてッ――隠れなさい!助けが来るまで絶対に出ちゃダメだからね!」
「それからはお姉さんが見た通りです。母さんがタンスの中に隠してくれて。でも結局うちまで火が届いちゃって……」
「そうか……」
かける言葉が見つからないとは、こういうのを言うんだろうな。
母親の死に瀕した姿を見てしまっても、気丈に振舞おうとして。もう涙こそ流さないものの、ウィルの表情は暗い。まだ幼いだろうに、孤独の身とはな。
「それで、お姉さんは――」
「カミラだ」
「あ、えっと、カミラさんは、これからペスティモンテに向かうんですか?」
「そのつもりだよ。知り合いでもいるならそこまで送ろうか?」
「いえ。知り合いとかは、多分いないと思います。両親からもそんな話は聞かなかったし」
ここでウィルは一息。俯いていた顔を上げ、決意表明宜しく声を上げた。
「カミラさんについて行かせてください!」
「街までだったら構わないが?」
「そうじゃなくて。僕にはもう、何も無いから。このまま放り出されたら野垂れ死にます!孤児院に入ったって、大した学もないし、女でもないからきっと農奴されます。だったらせめて、助けてもらったこの命、カミラさんのために使わせて欲しいんです!」
少年の眼差しに、嘘は無い、と思う。かと言って、これからますます危険な旅になる可能性は大きい。人間の、ましてやこんな子供に着いて来られるはずが無い。
「悪いが、君じゃ無理だ。それに、私は君のお母さんを殺しているんだぞ?何故憎もうとしない?」
「母さんのことは……あの傷じゃどのみち助からないって分かってたんです。だから、恨みも憎しみもこれっぽっちもありません。母さんを、化け物の苦しみから救ってくれてありがとうございます」
ウィルは頭を下げたまま、言葉を続ける。
「僕は男です。カミラさんがこれからもカードを探す旅を続けるのなら、男避けにもなります。こう見えて、体力だってあります。本当に邪魔になったら、捨て……て欲しくはないですけど、頑張って役に立ちますので、少しだけでも考えてみてほしいです」
ウィルは小さな体に似合わず、かなり図太いらしい。
まあ少しだけでいいと言うのなら、私達種族の違いですぐに離れて行くだろう。どうせ生活のリズムやら食事やらでバレるだろうし、わざわざここで正体を明かして怖がらせるものでもないな。
「分かった。ペスティモンテを出るまでは好きにしたらいい。ただ、この先後悔したく無かったら、私みたいなのと一緒に居るというのはどういう事か、よくよく考えるんだな」
「はいっ!好きにさせてもらいます!ありがとうございます!」
ウィルはまだ何も知らないのだ。この世には、区分があるという事を。人は人。吸血鬼は吸血鬼で、関わりすぎないように暮らしている。
しかし、それは脆い扉。
2人が出会ったことで、その入口は開かれようとしていた。
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