第5話 初めてのともだち


 両親と姉と兄に可愛がられて育った僕は、4歳になる年に幼稚園に入園した。それまでの間は育休を交互に取得したり在宅の仕事に切り替えたりした両親の手で育てられてきたけれど、この日から僕は外の世界に飛び込んだ。


 それなりに期待もあったし、上手くやっていく自信もあった。けれど現実はそう甘くもなかった。


 思考と行動という自分の意思によって動くところは大人びている、というより元々大人なわけだから、周りの動きに合わせることが難しい。そこに苦戦している間に周りにグループができ始めた結果、あっという間に孤立した。


 それだけのことならば話しかけていくこともできたんだけど、子どもというのはどうにも敏感な生き物らしい。僕が異質なものであることは直感であっさりと見抜かれた。目つきの悪さはあまり関係なく溝ができると、完全に僕のせいだと分かるから余計に落ち込む。


 1歳のころよりも行動に制限が掛からなくなったことで話しぶりも大人と同等に流暢になったし、随分手先も器用になった。それにやり方が分かることなら大体なんでもできてしまう。手先に関しては私と比べてしまえばかなり粗雑だからまだまだミスも多いけれど、僕の同い年の子たちと比べてしまえば圧倒的に器用でミスも少ない。


 僕は先生にたくさん褒められて気分が良いけれど、周りの子たちは面白くないと思っていることも友達ができない原因の1つらしい。こういう溝ができ始めるのは小学校からだと思っていた分、ちょっとだけ心が痛い。


 結局、4か月が経つころには幼稚園で過ごす時間の大半を1人で本を読んだり絵を描いたりすることに費やしていた。部屋の隅やウサギ小屋の陰、裏庭の花壇。居心地の良い人目につかない場所は意外とあるからそれが唯一の救いだった。


 そのおかげでみんなに合わせる時間以外にはマンガを描いていても、文字を書いていてもバレない。それどころか海ねえと風にいの部屋から拝借した小説やら、父さんと母さんの部屋にあったビジネス書や洋書を読んでいても全くバレない。


 この発見のおかげで退屈になりかけた日々が一気に色づいた。


 そんな僕の様子を大人たちが心配していることには気が付いていたし、父さんたちにも声を掛けてもらっていた。だけど僕は、無駄に大人なせいでどうやったら相手の懐に入れるのか、その方法を完全に見失っていた。


 入園から1年と1か月。今日はいい天気だから裏庭の花壇に腰かけて、園庭から響く園児の声を薄っすら聴きながらゲーテを読んでいた。これは父さんの愛読書だけど、週末までに本棚に戻せばバレないから大丈夫。



「ねえ、何してるの?」


「ひゃっ」



 急に横から声を掛けられて咄嗟に飛び退くと、サラサラな金髪を風に靡かせる少年がいた。確か、今年から入園してきた子。



石川拓実いしかわたくみくん、だよね?」


「そう。で、何してるの?」



 ズボンのポケットに手を突っ込んで立っている拓実くんの表情は飄々としているというより、なんだかだるそう。幼稚園児らしからぬ、とか僕が言えたことではないけれど。


 私の記憶を漁っても彼との記憶はないから、そのころも特に仲が良いわけではなかった子なんだとは思う。けれど、こんなに綺麗な金髪を見てもその良さに気が付かない私はどうかしていたとしか言えない。



「家から持ってきた本を読んでた。拓実くんは?」


「俺はべつに。うるさいの好きじゃないから」


「そっか。それならここはおすすめだよ。滅多に人が来ないから」



 ここに来て初めて、と言っても良いくらい拓実くんは話すのが上手い。幼稚園児らしいまとまりも脈絡もない話し方も好きだけど、話していて楽なのは自分と近いこういう人。家族と話しているときみたいで少し安心する。



「驚いた」


「何が?」


「お前、話すの俺より上手いから」


「ふふっ、僕も今、拓実くんは話すのが上手くて落ち着くなって考えてたところだよ」


「そっか」



 拓実くんはそれきりそっぽを向いてしまったけれど、僕が本に視線を落とすと僕の隣に腰かけた、そして何をするわけでもなくそこにいて、花を見たり空を見たり。2人の中でそれぞれ流れる穏やかな時間が重なって、居心地が良い。



「すみれ組さーん、絵本の時間ですよー」



 小さく担任の美穂みほ先生の声が聞えて顔を上げると、拓実くんと目が合った。



「行くか」


「うん」



 本を閉じてスモックの中に隠して歩き始めると、拓実くんはそれを見て小さく笑った。僕が首を傾げると首を横に振ったけれど頬がニヤついているのは誤魔化せていない。



「先生にバレても面倒だから」


「うん、チラッと見たけど俺には全く読めなかったし、大人が読むような本だろ。お前凄いな」


「お前じゃないよ。僕は美咲空琉。美咲でも空琉でも、どっちでもいいからさ」



 ただ純粋に褒められたことが嬉しくて、だけどちょっと恥ずかしいから照れ隠ししたのに。拓実くんはフッと笑って僕の頭に手を置いた。



「よろしく、空琉」


「……拓実くん、こういうことを他の子にはしない方がいいよ」



 こんなかっこいいことをサラッとされたら、ちょっと惚れかけた。危なすぎる。


 一応心配して言っているんだけど、本人はよく分かっていない様子で首を捻って僕の前を歩いていく。光を反射して輝く金髪を見ながら先生の話を思い出した。確か拓実くんはイギリスからの帰国子女だったか。イギリスでは距離感を大切にする文化があると聞いたことがあるけれど、そこは向こうの文化を引き継いでいないらしい。



「空琉、遅い」


「あ、ごめん」



 いつの間にか開いていた距離に気が付いた拓実くんは立ち止まって待っていてくれた。慌てて駆け寄ると、拓実くんは顔色1つ変えずに僕の手を取った。突然のことに固まったまま下駄箱の前まで来ると、待ち構えていた美穂先生が僕たちを見てニコリと笑った。



「空琉くんと拓実くん、仲良くなったの? 先生嬉しいな」


「あ、うん。一緒に遊んでた」


「そっか。良かった!」



 美穂先生の質問に答えることなく僕の手を引いて進もうとする拓実くんの代わりにざっくりと答えると、美穂先生は一瞬顔を歪めたけれどすぐに明るく笑った。先生も大変だな。


 グイグイと手を引かれながら水道に向かう途中、同じクラスや隣のクラスの女の子たちが拓実くんに声を掛けてくる。その度に足を止めようとする僕とは対照的に、拓実くんは僕の手を引いて無言で立ち去ってしまうから僕は小さく謝りながら水道に行くことになった。


 そういえば、僕は拓実くんが話しているところを見たことがなかった。先生相手でもそれは同じ。あんなに話すのが上手いのに、どうして話さないんだろう。



「ねえ、拓実くんは話すの嫌いなの?」



 手を洗いながら聞くと、拓実くんは上を向いて考えるような仕草を見せながら手を洗った。タオルで手を拭きながらも何も言わないから、園内では話す気がないのかと思って諦めかけたけれど、また腕を引かれて教室に戻る途中、トイレに連れ込まれた。



「どうしたの?」


「俺、日本に来るまで家から出たことがなかったから、話し方がよく分からないんだよ」


「ん? 日本語は上手だよ?」


「そうじゃなくて」



 良い言葉が見つからないのか、拓実くんは口籠もって俯いた。日本語の上手い下手が問題じゃないとするならば。僕とは話す気になったことも考えれば答えは簡単に出た。



「子どもらしい話し方が分からないの?」


「うん、そうそれ。ここに来た最初の日に先生と話したんだけど、子どもっぽくなくて気味が悪いって言ってるのを聞いちゃって」



 強く握り締める手が少し震えていた。知らない場所で不安しかないときにそんなことを言われたらわけが分からなくもなるよな。改めて、僕は知っている場所に生まれて周りも特におかしいと思わずに賢い子だって褒めて伸ばしてくれるような家で育つことができて良かったと思う。



「それは僕も言われたけど、気にしなくて大丈夫だよ。少しずつ慣れればいいし、周りに合わせるのに疲れたら僕と話そうよ」



 拓実くんの手を握り返すと。拓実くんは目をギュッと瞑ったまま頷いた。



「教室行こ」


「うん」



 今度は僕が拓実くんの手を引いて教室に戻った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る