第6話 僕の味方
教室に戻ってからもずっと拓実くんに手を繋がれていて、少し動きにくいけれどちょっと嬉しかった。家族以外の誰かと手を繋ぐなんて、幼稚園に入園してからはたまにあったことだけど、こんなにずっとっていうのは初めてで緊張する。
それに拓実くんは僕の主観から見てもかっこいい。イケメンに手を繋がれて緊張しない人がいるか。
手を繋いだまま読み聞かせを聞いて、お昼ご飯のときはさすがに離してくれたけど隣で食べた。特に会話をすることはなかったけど、一緒にいるのは不思議と落ち着いて心地いい。
結局お迎えの時間まで繋ぎっぱなしだった手は、スーツ姿のおじさまの姿が見えた瞬間あっさり離された。
「拓実くーん! お迎え来たよ!」
美穂先生に呼ばれて黙ったまま無表情で立ち上がった拓実くんの様子は普通ではないような気がした。気になって荷物を持っておじさまの元に行くまでの様子を窺っていると、少し緊張しているように見えた。
とはいえ幼稚園側が認識しているということはあの人が保護者であることには間違いがないだろう。よそ様の家の事情にはあまり首を突っ込まない方が良いのだろうけれど、あんな顔をしている子を放っておけるほど腐ってもない。これでも子どもが1人、孫が3人、曾孫も1人いたんだから。
気が付いたら地面を蹴って、対角線上にある出入口の向かって踏み出していた。靴を履いておじさまに手を取られた拓実くんは振り返ることなく歩き始めた。
「拓実くん!」
下駄箱の前から、ここに来て初めて出すような大きな声で叫ぶとおじさまが足を止めて振り向いた。その探るような目を睨み返して拓実くんの背中に視線を移す。
「また明日、一緒に話そう!」
拓実くんの背中をじっと見ていると、拓実くんが振り返って頷いてくれた。その表情は少し緩んでいるように見えてホッとした。今すぐ何かできなかったとしても、今は拓実くんの心の拠り所になりたい。なんて言って本当は、僕が拓実くんと仲良くなりたいだけかもしれないけれど。
微笑んで会釈をしたおじさまに連れられて帰って行く背中を見送っていると、後ろから背中をつつかれた。叫びかけた口を手で押さえながら振り返ると、副担任の
「ちょっと先生と話そうか」
「僕、悪いことはしていません」
「知ってるよ。先生がお話したいだけ」
京太郎先生は優しくて人気のある先生だ。僕のことも気に掛けてくれる先生ではあるけれど、笑顔が胡散臭くて食えない人ではある。
京太郎先生に導かれるまま人気のない階段に腰掛ける。絨毯じきの廊下は寒くも暑くもない。
「これあげる」
「ありがとうございます」
人気キャラクター、『ビックリピッグのピグちゃん』とその友達の『ベタ好きベアのベルくん』のワッペンが縫い付けられた先生のエプロン。そのポケットから出てきたよくあるバタークッキーを有難く頂戴した。
京太郎先生が持っている定番お菓子はいつも美味しい。お菓子の時間以外に食べてもいいのか、そもそも先生からもらってしまっていいのか。それについてはツッコミを入れないことにしている。もらえるものはもらっておくのが僕の流儀だ。
「空琉くん、クッキー好き?」
「好きです」
「1番好きなのは?」
「お煎餅とか、金平糖とかですかね」
「渋いな」
ケラケラと笑いながら自分の口にもクッキーを放り込んだ京太郎先生は、もぐもぐと咀嚼しながら空き袋を僕の手から回収した。小さく結んでからさっき取り出した方のポケットに仕舞った京太郎先生は、反対のポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
「これ、描いたの空琉くんだよね?」
開かれた紙に描かれているのは、確かに僕が先週描いた少女漫画に出てくる当て馬キャラ、アランのイラストだ。カバンに入れたはずだったのにいつの間にか無くしていたものだ。推しの絵を失くすとは一生の不覚、と落ち込んだけれど、下手に騒ぐ方が問題かと思って黙っていたのに。
「廊下に落ちていてね。こんな絵が描けるのは空琉くんくらいだろうと思って」
ニコリとを笑う瞳の奥に見える光にゾクリと背筋が凍る。よりにもよって京太郎先生に拾われていたなんて。
「ごめんごめん。そんなに睨まないで? 別にこれをネタに揺すったりはしないって」
「幼稚園児相手に揺するとか言わないでくださいよ」
「あはは。本当に君は、何者なんだろうね」
バレてしまっては仕方がない。そんな気の緩みがあったのかつい言い返してしまったら、京太郎先生は楽しそうに笑った。
この様子であれば恐れられている感じもないし、揺すられる感じもしない。しかし目的が読めないから、怖いと思わなくもない。
どう対応するべきか考え込んでいると、頭にポンと手が置かれた。
「大丈夫だよ。先生はただ、空琉くんが息をつける場所になりたいだけだから。話したいことは話して良いし、話したくないなら話さなくて良い。それで良いから」
味方だと言い聞かせるようにふわふわと撫でられて、頭の中がすっきりしてきた。家族には少し賢い子だと思われているくらいで、他の人たちにはバレないようになるべく気をつけている。息が抜ける場所は、今のところない。
「ありがとうございます」
「いえいえ。さて、お母さん来たよ」
「珍しい」
「確かにね」
ほらほら、と背中を押されて教室に戻ってカバンを持つ。そっと振り向くと京太郎先生は母さんと話していて、母さんの表情がいつも以上に綻んでいるのが見えた。拓実くんと仲良くなったことの報告でもしているのかね。
「母さん、お迎えありがとう」
「あははっ、空琉、お疲れ様」
ガシガシと豪快に頭を撫でられて髪がぼさぼさになる。母さんが楽しそうなら構わないけれど、恥ずかしさを感じないわけではない。母さんと手を繋ぐふりをして撫でるのを止めてもらった。
「よし、先生に挨拶して?」
「京太郎先生さようなら」
「うん、さようなら。また明日ね」
京太郎先生に一礼すると、京太郎先生はにこやかに笑って手を振ってくる。秘密の一部を共有しているからなのか、悪の組織の下っ端見たいな顔で笑っているものだから可笑しくて笑えてくる。
母さんに手を引かれて家までの道を辿る。月のほとんどは在宅勤務か定時退社が多い父さんが来てくれるから、母さんが来てくれるのはSRだ。ちなみにSSRは海ねえと風にいが来てくれるとき。
「空琉、今日はお友達と遊んでたの?」
「うん。拓実くんはね、金髪がキラキラしてて、かっこいいんだよ」
「そっかそっか。何して遊んだの?」
何をして遊んだか、それを聞かれると困ってしまう。特に何をしたわけでもないしねえ。
「僕が本を読んでるときに拓実くんが来て、少しお話をしてからは隣に座ってのんびりしてただけ」
「何その熟年夫婦みたいな過ごし方は」
確かにその通り。何も言い返せない。
「気が合ったんだろうね」
「ふふっ、どこのおじさんよ」
中身はおばあさんです。
「空琉は本当に面白いな。誰に似たのか口も達者で器用だし。やけに賢いよな」
「母さんと父さんの子だからね」
「そうだなぁ。空琉は特に父さんに似てるから、賢くて優しい子になるな」
母さんは穏やかでありながらも豪快に笑うと今度は優しく頭を撫でてくれた。髪を撫でつけるような手つきを感じたのは久しぶりで、最近は仕事で帰りが遅かった母さんとはろくに会えていなかったと思い出した。
「帰る前にスーパー寄っていい?」
「うん。いいよ」
「ありがとう。好きなお菓子買って良いからね」
「じゃあ、沙々とザクザクパンダ」
「それは海琉と風琉の好きなお菓子でしょ」
呆れたような笑いを浮かべた母さんは緑色の買い物かごを山から1つ取り上げた。
「じゃあ、母さんは白豆煎餅かな」
「それは僕の好きなお菓子でしょ」
母さんの真似をすると、母さんは歯を見せてニシシッと笑ってみせた。
「よし、母さんが好きなモットカットと、父さんの好きなパイの果実も買っちゃうか!」
「そうしよ。今日はみんなでお菓子パーティしよ」
やっぱりそうなるよね、という言葉は飲み込んでおく。
母さんとスーパーをぐるりと1周回って今日から3日分の食材と5人分のお菓子を買った。母さんが食材を、僕がお菓子だけが入ったエコバックを持ってスーパーを出ると、また手を繋いで家までの道をのんびりと歩いた。
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