第8話
「もう少しで小夜野になるよ」
「もうそんな季節になるのか」
そう言うとまもなく、日が沈んで辺り一面が暗くなる。
小一時間だけ訪れる真昼の中の夜――
それは表現でも空想の例え話でもなんでもなくて、言葉通りの夜だった。まあそうは言うけれどそれについての学のない自分にとってそれがどういった原理で起こっているのかもわからなかった。
ただ、それでも、空に浮かぶ景色は本当の夜空よりも綺麗だった。
「今日は特に星が綺麗な夜だ」
「そう……?昨日と変わらないように見えるけど」
「なら……君に教えてあげよう」
「それ以外にも知りたいな――」
「いいさ、何が知りたい?」
「――じゃあ、君の知ってるもの全て――教えてくれないかい」
「君は強欲なんだね」
「今の時代、強欲でいることが健康の秘訣だよ」
「それはいい事だね……僕も参考にさせてもらおう――」
「君は謙虚でいていいさ」
「ほう――それは早死にしろという事かい?」
「アハハ――まさか、君はそっちの方が長生きしそうだ……」
「それは……それはとても誇らしいね」
「そうさ、とても誇らしいことさ――」
そうして、その暗闇の中で明かりを照らしながら、その偽りの夜空に浮かぶ、本物の星々を見上げながら彼が語る。
星の見方、季節の見方、時間の見方――そして、ここの居場所を知る方法。
「ねえ」
「何だい――」
「私は……西暦という物を知らなかった……」
「そうだね……」
「今はどれくらい経ったんだろうね」
「おおよそ今は――程……だろうね」
「そっか……そんなに長いもの間に……そんな長い間――どれだけのものが失われてきたんだろうね――」
二人はその時だけ、敢えて目を合わせずに言葉だけを交わす。
「怖い――いつか私もそうなりそうで」
「大丈夫さ……写真、撮っただろう?」
「でも……そうじゃないんだ――それには、人の持つものがないんだ――いつか……いつしか、人間の持つものが消えてなくなってしまいそうで――」
「人が営みを続ける限りそれが絶えることはないさ……君が生きている限り、無くなったりはしないさ――」
「そう思いたいね――」
彼女は背を向けて彼の懐にもたれかかって言う。
「ねえ、この夜が終わったらさ――」
――私の歳……教えてくれない?
その声に、彼は驚いた顔をしてから可笑しく微笑んで「そうしたら君は僕よりも年下になってしまうよ」と、ほんの冗談のつもりでそう言ったが――
『構わないよ……君の年上でも、年下でも……君の好きな、君の望みに応えるよ……』
そう静かにつぶやいた彼女の声には静かに、遠くを見つめていてまたその方向と彼とでは正反対を向いていた――彼には、その言葉を放った彼女の表情が見えなかったし、その言葉だけでは不思議なことに、彼女が今どんな顔をしているのか、どんな心持ちなのかがわからなかった……。
きっと……きっと、それはあまりにも複雑すぎたのだろう。
言葉を聞き取るだけでは理解することのできない。
その複雑すぎる感情に、その声だけではあまりにも余白が狭すぎた――だから――
「ああ……わかったよ」
「もうすぐで夜が明ける」
「思ったよりも早かったね」
「うん――」
彼女の「うん」と頷く声は、どこか儚くて、触れたら崩れ落ちそうで、傷のついていない綺麗な花瓶のようで、心を指先で撫でるかのような、無垢さがあった――
ふと見せた彼女のその、“年相応な”……ふと見せた魅力に、どこか……心が奪われる何かを感じて……頭の裏で、その正体を探っていた……。
日が昇る。
部屋が太陽に照らされる。
小夜野が明けると、世界はまた前の光景を取り戻していった――
『ねえ――』
『なんだい?』
『朝が来たよ――』
『ああ……そうだね、君に言わなきゃいけないんだったね』
君は――
二人はその時初めて顔と顔とを合わせ、そして彼の言葉を聞き終えると彼女は優しく微笑んで言うのだった――
『なんだ――君もかなり……強欲じゃないか』
終末の世界 蜜柑 猫 @Kudamonokago_mikan-neko
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