第3話

それから猿山を帰らせ、星屑弥生は夜通し、資料に目を通していた。

 元々義体であるから、ここまで疲れないのだろうけれど、どこか気が重く気分転換に珈琲を入れることにした。

 しかし、人間としての正解……それは良く彼女が議題に上げていた言葉だった。彼女はいつも言っていた。

――人間は、結局のところ、感情の生き物だ。

 それはきっと、今のような状況を指すに違いない。

 人間の心には、必ず善と悪が存在する。しかし、その二つが必ずしも相反するものではない。むしろ、そのどちらともが共存する。

 きっとその“殺人鬼”とやらもそうなのだろう、何かの善があり、それが我々から見れば悪となってしまっただけなのだ。そもそも僕のこの復讐という行為自体も結局は犯罪行為としてストップがかかるに違いない。

 そもそも、これは本当に判断基準がギリギリだ。

 犯罪をしようと思ってする人間は中々いない、衝動的に走ったそれが必ずしも犯行を自覚しているとは限らない。

 けれどもそれは必ずストップが掛かるらしいのだ。

 しかし喧嘩の場合はそうはならない、犯罪に満たない暴力行為はある程度猶予があるという事らしい。


 やはり理解ができない。

 いや、そもそも理解できるようなものではないのだ。

 星屑弥生はそれを機に思考を放棄して眠りについた。本当は必要でないそれだが、彼はそうすることで、気持ちの面で楽になる性質を持っていた。


 そうして次の日を迎えた。

 事務所の前に人影が見えた――昨日、彼女の遺体を担当した検事だった。


『いやあ近頃物騒になりましたな』

『安心して外出歩けませんよ』


 世間話をしながら、彼を招き入れ件のブラックボックスの話をすると、顔色が変わる。やはり犯人がこちらの動きを把握しているかもしれないと、検事も言う。


『そうそう、彼女さん――望月現世なんだけどね、やっぱりあれは他殺だね』

『やはりでしたか……しかし近くに証拠と成り得るものはなかった』

『やはり、連日の未解決事件と何か関係性がありそうに思えますが――』

『政治家の件ですか?』

『そうです……いやあ、でもそう言うと彼女は一般人ですからなあ……』


 二人して考え込む。

 

 そこに猿山が現れた。

 猿山は相変わらず、今日も元気そうだ。

 彼は、どうにもこうにもこの事件を解明したいらしく、何としても協力してくれと言ってきた。まあ実績の面からしてもどうしても解決したいのだろう。まあwin-winと言ってしまえばそうなのかもしれないが――昨日の言葉少し後悔する。


『いやあ先生、この私がきっと犯人を引きずり出してやります!!』

『意気込みがあるのはいいことだがねえ……』

『まあいいじゃないか、これを機に看板を渡すんだろう?』


 猿山は張り切って事務所を後にする、彼の後ろ姿を見ながら、星屑弥生は見るからに頭を抱えて後悔した。


 まあいい、何かとプラスに持ってけるなら、もうそれで構わない――そう思うことで何とか彼に対する雑念を落ち着かせる。彼が後ろから付いてくるときは別に何ともならないのだが、彼が精力的に動いている時は特に注意が必要なので、心のざわめきが止まらないが――まあ任せることにしよう。

 それはそうと、星屑弥生は一応例の“殺人鬼”について調べた。


――けれども出てくる情報は一切不明。

 本名不明。

 年齢不詳。

 性別不明。

 職業不詳。

 出身不明。

 住所不詳。

 経歴不明。

しかし、そんな彼にも、たった一つだけ分かったことがある。

――彼は恐らく、この国の中枢部を出入りできる存在であるということだ。


 でなければ、そもそも政治家のカプセルを割って本体を傷つけるなんてできるわけがないのだ。いや、割って……?弥生はその言葉に疑問を持つ。そもそもその事件自体、公にすることを極度に恐れているせいで、例え探偵業を務めている僕であったとしても詳しい情報は一切伝えられていない。

 そこまで考えて、弥生はまた頭を悩ませる。

 分からないことが多すぎるからだ。どれだけ情報を集めようにも僕だけでは無理がある。猿山はいるがぶっちゃけ頼りになるかと言えば怪しい。――じゃあ、誰を頼ればいいのか……。

 そこで思い出すのは、あの青年だった。中星智郷――

 彼は、確か公安と言っていた。ならば、多少なりとも捜査を行っているはずであり、更には事件の被害者である望月現世とも知り合いだと言う。ならば多少は話が通じるだろうと早速連絡を取ると、彼は快く事務所の方に来てくれた。


『如月警部から話は聞いています――しかし妙な噂話ですよねえ“殺人鬼”』


 如月から聞いた話によると、どうにもこの国には裏組織があるとかなんとか。

 その組織は、政府公認ではなくあくまで秘密裏に活動を行っており、その存在を知るものはごく一部の人間だけだという――以前に聞いていた、地下にある闘技場の事と関係していそうだが、どうにも聞く限りでは噂話以上でも以下でもなさそうだった。

 しかしその組織には、ある特定の人間を狙う専門の殺し屋がいるという。


 けれども、それ以上を聞こうとすると言葉を濁されてしまう。


『しかし、そんなに話しちゃまずいこととなるとよっぽどと言う事なんじゃないですか?』

『ええ、だからこうやって情報を統制しているわけです、それがもしあなたの探している“殺人鬼”だとしてもこちら側から情報を出すにはあまりにも危険すぎる、ましてや看板を渡したと聞きます……いくら腕の良い探偵だとしても……』

『噂話と言うのはどうにも足だけが速いようで……』


 瞬間、絶妙な間が続く――もしかして、本当は違ったりします? ええ、まだ探偵業は続けるつもりですよ。


『分かりました……これ以上深くは聞きません』

『ご理解感謝いたします』

『ただ、僕は個人的に、その組織を追ってみたいと思います――そこで何かアドバイスはありますか?』

『そう来ますか』


 彼は瞬間ニヤリと笑う。

『では、これを差し上げましょう』

そう言って手渡されたのは、小さなバッジのようなものだった。

『これは?』

『あなたが追う組織の手がかりです、それを持っている限り、少なくともこちら側の協力者として見てもらえることでしょう』

『ありがとうございます』

『それともう一つ、星屑さん』

『はい?』

『くれぐれも気をつけてください、何かと危ない事案ですので……』


 彼と、数度言葉を交わし、「今日はこのくらいで――気をつけてください彼らはほんの少しのログを辿ってきます、くれぐれも気を抜かないよう――」彼はそう言い残して去っていった。

 シンと静まり返る、事務所。

 香らないはずなのに、どこか生臭い香りがする。その瞬間だった。


 ギィ――途端に響き渡るのは、ドアの開閉音。

 築50年だけあって、ドアを動かすと年季の入った音が響く――しかしおかしい……部屋にはもう誰もいないはずなのだ! 


 音が聞こえたのは背後。

 丁度、机の後ろ側にある資料部屋の扉だった。「どういう事だ……?」恐る恐るドアへと近づく……一歩、また一歩と近づくが、不思議とそこから不穏な気配は感じられず、またそれが不気味であった……。扉は数ミリ隙間を残して開いていた。


「おい、誰かいるのかい?」


 その声は、恐怖に負けじと胸を張るかの如く虚勢が垣間見える、勇ましくも情けないものだった。開けば、何かがあるのかもしれない。そう、持ち前の好奇心は一丁前にあるもののやはりそれを実行する為の意思の強さはそれに伴っている筈もなく、数分――これは体感であって、実際には数秒間の静寂なのだろう……とにかく異様な緊張の内に蔓延るのは、殺されるかもと言う最悪な状況の想定で――結局意を決して勢いよく扉を開けるとそこには何もいなかった。


『――』


 瞬間、それまで色々と詰まっていた感情がどっと噴き出し、重いため息を零しながら、壁に体重を預け、へなりと腰を落とす……決して腰が抜けた訳ではない。しかし、らしくないことをしてしまった。自分自身がまるで前時代的な“破壊されればもうそれまで”といったような、本来であればあり得ない、素体で存在したような超現実的な錯覚を覚えるくらいにはらしくないことをしてしまうほどに、この状況にまんまと追い込まれてしまった。しかし、違和感があった。

 何かが違う。と言ったようなそんな違和感に駆られ、その棚に体を向け、黙々とその違和感を探す……すると、それは以外にもすぐにみつかって――『ッ゛!?』思わず、手に持っていた小箱を投げてしまった。


 瞬間忘れていた震えが再度こみ上げる。


 考えてみれば、それは身に覚えのない小箱だった。

 しかし、もとより整理整頓というものに無頓着な身であるが故に、何の違和感も持たない自分をこの時ばかりは呪った。


 中に入っていたのは、“耳”だった。

 しかも人間の――生身の、素体の、義体ではない――耳だった。


 今回ばかりは完全に腰が抜けて。

 警察がまた事務所を訪問してくるまで立てそうになかった。

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