第7話 みずきのケース
第3条 父権
離婚に伴う父権は、原則DNA鑑定によるが、夫婦の話し合いで決定してもよい。また、子どもの姓は母親の性を名乗ることとする。ただし、母親死別の際は、この限りではない。
みずきは、二人の母親で専業主婦である。だんなは3人いる。同じマンションに住んでおり、男部屋と女部屋、そして子ども部屋があった。俗にいう3DKの間取りである。男部屋には、二段ベッドが二つ置かれている。3人が個々に自分のベッドを決めていた。あと一つは予備ということであったが、3人の荷物でいっぱいだ。女部屋にはダブルベッドが置かれている。原則1週間に一度、交代で男性はこのベッドで寝ることが許されていた。朝食の際に、特別メニューの生卵が出てきた男性が選ばれた印であった。もちろん、機会は公平である。みずきは3人とも分け隔てなく付き合っていた。
子どもは3才の男の子と1才の女の子である。DNA鑑定で、男の子は一郎の子ども、女の子は太郎の子どもとわかっている。でも、男の子が一番なついているのは、3番目の夫、剛士だった。剛士が一番早く帰ってくるということもあったが、子ども好きだというのが、一番の理由だった。後の二人は、そういう剛士の姿を見て、子育てはみずきと剛士に任せていたのである。
「みずきさん、最近生卵が出る日がないけれど、体調悪いの?」
「ちょっとね。体がだるくて・・・」
「それは良くないね。病院へ行って診てもらったら・・・」
「うん、明日行ってみる」
翌日、みずきは近くの医院から総合病院を紹介された。そして、その日のうちに入院となった。いち早く病院に駆けつけたのは剛士だった。子どもたちもいっしょだった。
「みずきさん、どういうことなの?」
「なんか検査されて、その結果待ち。大丈夫よ。明日には退院できるよ」
「それならいいけど・・・」
剛士たちが帰ろうとしたところで、一郎と太郎がやってきた。事情を話し、みずきとあいさつをかわし、マンションにもどった。その日の夜、剛士はなかなか寝つけなかった。娘が不安がって、夜泣きがひどかった。
翌日も剛士は仕事を休んで子どもたちの面倒を見ていた。一郎と太郎は、急には休めないということで、こういう時はバイト生活の剛士が休むことが多い。1才の女の子はまだ立てないが、はいはいが早い。つかまり立ちもできるようになり、目を離せない。寝ていると本当にかわいいが、起きている間は戦争である。名を可憐(かれん)という。3才の男の子は、一人で遊んでいることが多い。ブロックをあずけると、ずっとやっている。出来上がったものをほめてあげると喜んで、また作っている。どちらかというと、おとなしい感じの男の子だ。名を疾風(はやて)という。どちらの子も名前とはだいぶイメージが違う。夕方、病院に行くと、一郎も太郎も仕事を終えてやってきた。
「みずきさん、調子どうですか?」
「昨日よりはいいみたい」
「検査の結果はどうだったんですか?」
「それなんだけど、精密検査があって、その結果まち」
「まだ結果でないんですか。心配ですね」
「そこで、みんなに相談なんだけど・・・」
みずきは3人の顔を見て話を続けた。
「万が一のために、父権を決めておきたいんだけど・・」
「万が一のためって、そんな不吉なこと言わないでよ」
「あくまでも万が一よ。こういうところにいれば、だれだって考えることよ」
「一郎さんは疾風、太郎さんは可憐の父親だけれど、万が一の時、引き取る気ある?」
「・・・・そんなこと・・・・考えたことないよ」
二人とも同様なことを言った。
「でしょうね。子育てにあまり興味がなかったもんね。そこで、二人に父権を放棄してほしいの。そうすれば、二人は自由になれる。私の知り合いが児童養護施設をやっているから、そこにあずけることにするわ」
「施設にあずけるだって! そんなのだめだ!」
剛士が、場にそぐわない大声で叫んだ。近くにいた看護師さんが、剛士をにらみ、口に人指し指をあてた。
「だめって、どういうこと? それしかないじゃない」
「俺が育てる」
3人は、その言葉にびっくりし、剛士の顔をまじまじと見た。
「どうして、剛士が育てるの? 血がつながっているわけじゃないのに」
「血がつながっていなくても、俺だった父親の一人だよ。今までもそうやって暮らしてきたじゃないか」
「それはそうだけど・・・」
「おまえ、本当にそれでいいのか?」
一郎と太郎もきつねにつまれたような顔をして聞いてきた。子どもを引き取るということは、もう結婚できないということに等しかった。子連れの夫と再婚しようという女性は皆無に近かった。
半年後、みずきは天に召された。乳がんだった。葬儀は家族だけで、簡素に行われた。娘の可憐は歩き出していたが、物言わぬママにただ「ママ、ママ」と言うだけだった。息子の疾風は、じっと黙ってママの顔を見ている。強い子だと思った。一郎と太郎は当座の養育費を援助してくれることになったが、二人とも
「再婚したら援助できない」
と言っていた。あまりあてにはできない。
剛士は、二人の子どもを連れて、実家の岩手の牧場にもどった。二人の子どもを連れ帰った剛士を見て、両親と兄夫婦は、女にだまされて帰ってきたと哀れに思いつつ、なかばあきらめていた。
翌日から牧場の仕事が始まった。息子の疾風は剛士の見える範囲内で遊んでいた。時には、わら運びの手伝いをするなど健気な息子だった。兄夫婦にも二人の子どもがいたが、中学生の男子と小5の女子だった。小学生の子は、学校からもどると疾風の相手をしてくれる。娘の可憐は、作業場に囲いを作って、そこで遊ばせた。おりにいれられたみたいで、かわいそうだったが、外に出すとどこに行くかわからないので、いた仕方なかった。囲いの中にはベッドもあり、眠くなるとそこで寝るようにしつけた。泣きがひどくなると、おんぶしながら作業をすることもあった。牧場の仕事は忙しくて、ばあちゃんに面倒を見てもらうわけにはいかない。というより、血のつながっていない子どもの面倒は頼めなかった。
そんな剛士の姿をあたたかく見ている人がいた。隣の牧場の一人娘ひとみである。年は剛士のひとつ下。子どもの時はいっしょに遊んだ仲である。
「剛士くん、元気?」
と牛小屋で作業をしている剛士にひとみが声をかけた。
「ひとみおねえちゃん、おはよー」
「疾風くん、おはよー。今日もお手伝いしているの。えらいね」
「うん、ぼく牛さん好きだから」
ひとみは、にこやかな顔で疾風を見た。
「ひとみさー、おはよーはいいけど、剛士くんはないだろ。一応こっちが年上なんだから、呼び方変えてくれよ。子どもたちが変に思うだろ」
「だって、子どもの時からそう呼んでいるんだから、なかなか変えられないのよ。ところで、今夜家に来てくれる? 二人が寝てからでいいよ」
「いいけど、夜8時ぐらいになるよ」
「いいわよ。待ってる」
その夜、軽トラで剛士はひとみの家へやってきた。隣といっても、歩けば15分ほどかかる。夜道は危ないので車でくるのが常識だ。軽トラは剛士の父親の車だが、今では剛士の唯一のマイカーである。
「こんばんは-。剛士です」
「いらっしゃい。おつかれのところ、呼びたててごめんね」
ひとみの母が明るい声で迎えてくれた。小さい時からよくしてくれるおばさんだ。台所兼リビングの洋間に通され、つまみを出され、ひとみの父親がビールをつごうとした。
「すみません。酒はやらんのです。子どもができた時から、急に病院に連れていくこともあるので、やめました」
「子育て大変だな。しかたない。母さんお茶を頼む」
「はいはい、その方がいいと思います。いくら隣でも飲酒運転はだめだよね」
「その時は、私が送っていきます」
かたわらから、ひとみが出てきた。
「剛士くん、ここにもどって、何ヶ月になった?」
ひとみの父親が話を切り出した。
「はい、3ケ月になります」
「毎日楽しいか?」
「楽しいというか、充実しています。何しろ、子どもたちといっしょにいられるのがなによりです」
「奥さんは病気で亡くなったと聞いたが」
「はい、乳がんでした。わかった時には、レベル4で手遅れでした」
「お子たちとは、血がつながっていないと聞いたが・・」
「はい、私は3番目の夫だったので、上の疾風は1番目の息子で、下の可憐は2番目の娘でした。二人とも仕事が忙しくて、引き取れないということで父権を放棄しました。それで私が育てていますというか、前々から二人がかわいくてたまりませんでした」
「どうして施設にあずけなかったのかね?」
「どんでもない話です。いっしょに暮らしていた子どもと別れることはできませんでした」
「剛士くんは、やさしいのよね。子どもの時からそうだった。ひとみがいじめられていた時も守ってくれたことあったよね」
「いやだわ。お母さん、幼稚園の時のことよ」
「俺も覚えていません。ひとみさんは強かったからですから・・・」
「剛士ったら・・・!」
ほほをふくらませているひとみに皆は笑いをこらえきれなかった。
「さて、本題だ。剛士くん、ウチで働かないか?」
「手が足りないんだったら、お手伝いしますよ」
「いや、そうじゃなくて、ウチの専属にならないかということだ」
「専属というと・・・?」
「うーん、にぶい奴だな。婿にならんか、という話だ」
「婿って、・・・ひとみさんといっしょになるっていうことですか!」
ひとみは顔を赤らめている。
「ひとみさんは、お、俺でいいんですか? 子連れですよ」
「ひとみは、いいと言っている。わしも前から、おぬしが婿になってくれないかと思っておった。東京に行った時は、だめかとあきらめたが・・・ひとみは待っていたんだ」
「そ、それはうれしいことですが・・・」
「ですが・・・? 煮え切らん奴だな。Yes かNo どっちなんだ」
「そう言われても、すぐには答えられません。婿になるとなれば、両親にも相談しなければなりません。2・3日待ってもらえませんか」
「それはいいが、おまえの気持ちだけ教えろ。Yes と No どっちが強い?」
「大事なのは子どもたちです。子どもたちのためになるなら、何でもします。でも、ひとみさんは、幼なじみで結婚の相手という考えはありませんでした」
「 No ということか?」
「いえ、ひとみさんがあの子どもたちの母親になってくれるというなら、俺は Yes です」
「どうだ、ひとみ」
「わたしは、そのつもりでいました」
「わたしも、ばばになるつもりでした。だって、二人ともかわいいんですもの」
ひとみの母親も笑顔で話に入ってきた。
「そういうことだ。剛士くん、よく考えてくれ」
「わかりました。早めに結論をだします」
その夜、剛士はなかなか寝付けなかった。もったいないくらい良い話だ。でも、自分がひとみを幸せにできるだろうか。かえって、不幸にするんではないかと悩んでいた。
翌日、両親と兄夫婦に相談した。父親は、
「求められているなら、それに応えるのが男じゃないか。それに、おまえが渡辺の名字になるなら、子どもたちは前の名字にもどるじゃないか」
剛士は、そのことに気付いていなかった。たしかに、みずきとひとみの名字は同じだった。いつも「ひとみ」とばかり呼んでいたので、名字を意識していなかった。みずきが引き合わせてくれた縁なのかもしれない。と思った。兄夫婦も剛士が隣の婿になるのに反対はしなかった。元々、あてにしていなかった労働力だったし、人が増えた分、牧場の収入が増えるわけではない。むしろ食い扶持が増えて、家計に負担が生じていた。ましてや、隣となれば共同で作業をすることも増えるというメリットが考えられた。それから剛士は、一郎と太郎にも連絡をとった。再婚するかもしれないと言ったら驚いていた。そこで
「養育費はいらないから、今後、父親としての名乗りをしないでくれ」
と頼んだ。二人とも養育費なしという話は歓迎すべき話だったし、元々親子の縁がうすい二人だったので問題なかった。
その日の夜、剛士はひとみの家を再訪した。
「昨日の話の結論がでましたので、やってきました」
「ようこそ、それでは話を聞こうか」
「その前に、ひとつお願いがあります。婿にはいる条件としてひとつ認めていただきたいのですが・・・」
「条件とは?」
「はい、亡くなった妻みずきのお骨は、今東京の墓園にあずけてあります。それを引き取って、ここに小さな墓を建てさせていただきたいのです。名前は渡辺みずきといいます」
「ウチと同じ名字だったんですか。わしは異論ないが、母さんとひとみはどうだ?」
二人は目を見合わせてから、うなずいた。
「決まった。子どもたちの産みの親だ。近くで見守ってくれることだろう」
「ありがとうございます。お世話になります」
「よーし、母さんお祝いの酒だ。とっておきの酒をもってきてくれ。ひとみ、おまえは飲むなよ。剛士くんをへべれけになるまで飲ませるから、後で送っていけよ」
「わかりました」
ひとみもうれしかった。子どもの時から、お兄ちゃんのように慕っていた剛士といっしょになれる喜びが、じわじわと湧いてきていた。
その後、剛士と疾風・可憐は渡辺家に入った。牛舎の近くには、みずきの墓が建てられた。
「はやて、かれん。このお墓は二人を産んでくれたお母さんのお墓だよ。ここで寝ているんだよ。きっと天国で見守っているからね。ひとみお姉ちゃんは、いいママだよね」
「うん、いいママだよ。ばばもじじもいるし、楽しいね」
「はやては、いい子だな」
「マンマ、パパ」
「かれんもかわいいな」
優しい夕陽が親子の背にさしていた。
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