第5話 ジュリエットのケース

 ジュリエットは、東南アジアのP国の出身である。年令は27才。ビッグママ法成立前に、日本に来て農家の長男の嫁になった。P国の実家は、スラム街にある。実家に毎月1万円ずつ送る約束で結婚した。P国でもスラム街での平均収入は月3000円程度である。顔も知らぬ男と結婚させられたので、ていのいい身売りと同じだった。子どもは、長男の亮平6才、小1になったばかりである。それと3才の長女、萌(もえ)がいる。ジュリエットは日本語は話すことはできるが、読み書きはできなかった。だから学校のたよりは、義母か夫に読んでもらっていた。義母との関係は悪くなかった。ジュリエットが大事な働き手なので、いじめるようなことはなかった。ジュリエットが働き者だったことも大きな要因だった。

 義母はジュリエットのことを「ジュリさん」と呼んでいた。問題は40才になる夫だった。毎日のように、飲み歩いては、夜遅く帰ってきていた。ジュリエットの布団にもぐり込んでくる時もあったが、絶対に灯りはつけなかった。ジュリエットの顔を見たくないと言ったこともあった。ジュリエットは純粋な東南アジア系の顔をしており、鼻が横に大きい。

 息子の入学式を終えたある日、だんなが帰ってこなくなった。同居している義理の弟の話では、飲み屋の女のところにいるとのこと。義母が迎えに行ったが、説得はできなかった。そこで、義母がジュリエットに話をもちかけた。

「ジュリさん、日本国籍をとる気ない?」

「わたし、P国人です。それでいいと言われました」

「今まではね。でも息子が帰ってこないと困るでしょ」

「困る? どうしてですか。P国へお金を送れないのですか?」

「それは大丈夫だけど・・・だんながいないと困らない?」

「別に・・・ふだんから話もしないし、飲んでばっかりいるだんなは、いてもいなくても同じね。仕事もだんなは大したことしてなかったし・・・」

「そうね。機械は浩二郎がやってきたからね」

事実、農家の仕事はジュリエットと義弟の浩二郎がやっていて、だんなは農協の集まりとか、消防団の訓練とかと言って、出てばかりだった。

「それでね。ジュリさん、浩二郎と結婚してくれない?」

「エッ?」

ジュリエットは、びっくりした。義弟の浩二郎は35才の独身である。無口なのは、だんなと同じだが、働き者であることは間違いない。

「だめ、だめ、P国では二人と結婚できないね。だんなと別れたら、P国へ帰る約束のはず」

「そうなのよね。でも、日本国籍をとれば、二人どころか三人までだんなをもつことができるのよ」

「日本って変な国ですね。それって、P国では罪です。私は罪人になりたくないです」

「日本は子どもが少ないから、子どもがいる母親のために、そういう法律ができたの。ビッグママ法というのよ」

「わたし、ビッグではないです。スモールです」

「体の大きさじゃなくて、子どもが多い母親をビッグママというのよ」

「そうですか。おもしろい名の法ですね」

「本当は、一妻多夫法というんだけど、難しい名前だから、みんなビッグママ法って呼んでいるの」

「そうなんですか。英語の名の法なんておかしいと思ってました。ところで、私、日本国籍とれるんですか?」

「年数は問題ないと思うんだけど、ひとつ問題があるわね」

「問題って?」

「だんなの了解がいるってこと」

「良一さんの了解? 了解って?」

良一とはだんなの名前である。

「難しい言葉だったね。了解っていうのは、OKをもらうってことなの」

「OKをもらうだけなら、私いきます。でも、浩二郎さんはいいんですか?」

「浩二郎は、あなたならいいと言っているわ」

「私みたいなブスな女でも・・・?」

そこに、バタンとドアをあけて隣の部屋から浩二郎が転がりこんできた。

「ハァ、ハァ、そんなことありません。ジュリさんはかわいいです。それに働き者だし、心がきれいなのが一番です」

息を切らしながら浩二郎はジュリエットをほめたたえた。

「浩二郎ったら盗み聞きしていたのね」

義母がにらみながら言った。

「すみません。でも、俺の大事なことなんで、気になってしょうがなかったんです」

「しょうがないね。じゃ、男らしく自分で言いなさい」

「あっ、はい。では俺から・・・浩二郎です」

ジュリエットは思わず吹き出してしまった。今さら名乗られても変だ。よほど緊張しているんだなと思った。浩二郎は頭をかきながら

「前からジュリさんが好きでした。でも兄貴の嫁さんだからあきらめていたんです。でも、ビッグママ法ができて、俺にもチャンスがあると思ったら、ジュリさんのことが頭から離れなくなったんです。・・・・け、け、結婚してほしいです」

「私みたいな女でいいの? 子どもが二人もいる外国人だよ」

「ジュリさんは、今まで会った女性の中で、一番素晴らしい人です」

ジュリエットはこそばゆかった。そこに、義母が話に入ってきた。

「実はね、浩二郎は若い時に、都会の女につかまって、しばらくいっしょに暮らしていたんだよ」

「おっ母、その話はなしだよ」

「いいんだよ。結婚するなら秘密は少ない方がいいんだよ」

「じゃ、俺から話す。25才の時に、東京でいっしょに暮らしていた女がいた。でも。俺の稼ぎが少ないと言って、他の男とどこかへ行ってしまい、それ以来女の人と話をするのが苦手になった。それで東京にいられなくなって、ここに戻って兄貴の手伝いをするようになったんだけど、そうしたら兄貴は飲んだくれるようになった。その後で、ジュリさんがくることになって、兄貴がああなったのは俺のせいかもしれない」

「浩二郎さんのせいじゃないわ。私がだめなのよ」

「そんなことないですよ。ジュリさんは、ずっとがまんしている。そんなにがまんしなくて、いいんです」

「私は、P国にいる家族が心配。だからがまんしてた」

「そのやさしさが好きなんです」

そこに、義母がジュリエットに諭すように言い出した。

「みんなが幸せになるには、ジュリさんが日本国籍をとるのが一番いいと思うの。日本国籍をとれば、良一との仲が悪くても、ジュリさんはここにいられる。私も孫たちといっしょに暮らせる。このままP国人でいて、良一と仲が悪くなったら、ジュリさんは、子どもをつれてP国へ帰るかもしれない。それは不幸なことよ」

「日本国籍をとれば、ずっといられる?」

「浩二郎と結婚すればね」

「わかりました。私、良一さんのOKとるね」

「俺もいっしょに行きます」

ということで、二人は翌日、良一に会いに行った。

 良一は、S市の繁華街の場末の飲み屋にいた。小さな居酒屋で、下働きみたいな仕事をしていた。浩二郎が

「話をしたい」

と言うと、

「店が閉まるまで待て」

と言われ、近くのカフェで時間をつぶした。23時ごろ、店に行ったら、客はもうおらず、閉めるところだった。二人は店の中に招き入れられた。

「オラを呼び戻すに来たのが? オラは帰らんぞ」

良一のしゃべりは結構なまっている。

「ちがう。兄貴はやりたいことを見つけたんだろうから、その道をいけばいいとおっ母も言っている。今日は、この書類に兄貴の署名がほしくて来たんだ」

と言いながら、ジュリエットの日本国籍申請書をだした。

「なんだ、これ? ジュリは日本人になりでぇのが?」

「はい、私、日本人になりたいです」

「前は、P国人でいいと言っていたのに、なんで、今さら?」

「俺と結婚するからです」

「け、結婚。浩二郎がか・・・ジュリとが? ジュリはオラと別れて、浩二郎といっしょになるのが? 浩二郎はオラのお古をもらうってこどが、これは傑作だ」

「お古じゃない。共有です。ジュリさんはわが家の大事な嫁さんです」

「共有? どういうことだ?・・・そうが、ビッグママ法か?」

「そうです。私、二人の奥さんになります」

「まいったな・・・・」

「署名してくれるんですか、しないんだったら、ジュリさんはP国にもどるかもしれませんよ」

「そしたら、おっ母が困るわな。おっ母が悲しむのは見だぐね。すがだねぇ、署名すっぺし」

と言い、良一は書類に署名をした。二人はその書類を受け取り、そそくさと家にもどった。日付は変わっていた。

 日本国籍がとれたのは半年後の稲刈りの時期だった。審査官が調査に来ていたようだが、完全に日本人と同様の生活をしているジュリエットを見て、すんなりと審査がとおったようだ。そのころ、良一が家にもどってきた。

「店がつぶれ、女は逃げた。オラも借金取りから逃げてきた。店の名義は女のものだから、オラは関係ねぇ。もう疲れだ。おっ母のところがやっぱりいいわ」

「少しは真面目に農家やったら・・明日も稲刈りあっちゃ」

義母が良一を諭した。二人の会話はだいぶなまっている。

「女はこりごりだ。酒もやめるわ」

「んだな。酒やめれば、まともになるわな。10年前まではちゃんとやでいだんだがら」

「二人の親父だしな」

 稲刈りが終わり、ユキムシが舞うころ、浩二郎とジュリエットの簡素な結婚式が行われた。自宅で、10人ほどの近所の人間が呼ばれていた。元々いる二人が結婚するということで、新鮮味はないのだが、二人が田んぼや畑でいる時に、誤解されないためには近所の面々に知らせておく必要があった。それでなくても、今までも

「ジュリが弟と浮気している」

というえげつない噂がたっていたのだ。この町でビッグママ法を利用するのは初のケースで、好奇の目で見られていたのである。

 良一は、披露宴でも酒を飲まず、ウーロン茶で過ごしていた。断酒の決意は固いようであるが、表情も固かった。半年ほど家を出て飲み屋の女といっしょにいたというのは、皆衆知のこと。でも、良一にも救いがあった。近くのスキー場から、働かないかと誘いがあったのだ。消防団仲間が気落ちしている良一に声をかけてくれていた。これで、田んぼや畑で二人を見る必要はなくなった。夜は離れにある自分の部屋で過ごせば、二人のイチャイチャを見なくていい。それに良一は結構子ども好きだった。二人の子どもとしらふの状態で過ごすと、子どもたちは喜んでいた。

 ジュリエットは夕食の後片付け後、2階の浩二郎の部屋で過ごすことが多くなった。良一は、それを見ても何も言わなかった。女性に対して、壁を作ってしまったようである。

 ジュリエットが日本国籍をとって、ビッグママになったということは、P国でも話題になった。宗教上で反発している人たちはいたが、ジュリエットに続く人が増えたことは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る