第4話 由佳のケース
由佳の職業は、A航空の国際線のCAである。キャリア10年のベテランで、今年チーフパーサーになった。国内線では多くの女性がチーフになっているが、国際線ではまだ珍しかった。
(やっとここまできたわ。後は最新鋭機のチーフパーサーになれれば、夢達成だわ)と自分のキャリアを誇る由佳であった。しかし、まわりのCAからはお局さまと思われている。由佳に注意されて、機内のギャレー(厨房)で泣いているCAは一人や二人ではなかった。CA仲間からは、(泣かせの由佳チーフ)と陰口を言われていた。由佳にしてみれば、チーフとして当然の注意をしているだけである。泣く方が悪いと思っていたが、自分より若いCAがチャラチャラと仕事をしているのは許せなかった。ましてや、後輩が結婚式を挙げる時には、招待状がきても、わざとフライトをいれ断っていた。仕事もろくにできないくせに、幸せな顔をしているのが気にいらなかった。
ビッグママ法が成立して、自分は絶対に利用する立場にならないと決めていた。むしろビッグママ法の前文にある働きたい女性の方に入りたいと思っていた。しかし、由佳とてかつては、結婚したい気持ちはあった。国内線乗務から国際線乗務に変わって間もないころ、フライト先のブリュッセルでH機長の個人的な誘いがあった。最初は他のCAといっしょに食事に誘われただけだったが、何度かいっしょにフライトするうちに、個人的な関係になった。H機長は「妻と離婚する」と言っていたが、そのうちに食事にも誘ってこなくなった。一度問い詰めたが、無言のまま立ち去られた。奥さんに言おうとも思ったが、自分がみじめったらしくなるので、やめた。その代わり、匿名で会社の幹部に「H機長がセクハラをしている」と内部告発をした。すると、他にも同様の訴えがあったようで、系列の国内線専用LCCに左遷させられた。後で、奥さんからは離婚届けをつきつけられたと聞いた。由佳はそれ以来、男性との接触を避けている。
ある日、トイレの個室に入っている時に、他のCAが
「今月の給与、手取りで50万を超えたのよ。ビッグママ法のおかげね」
と言っているのが聞こえてきた。そのCAは自分より3つ年下で二人の子持ちである。だんなは二人いる。フライト数が多ければ、手当が増えるということもあるが、ほぼフルで飛んでいる自分より多いわけがない。なのに、自分と同程度の給与をもらっているとはどういうことか、ビッグママ法のおかげとはどういうことか、フライトが終わってから給与担当者に聞いてみた。すると、
「税金と控除と手当の違いですね」
という返答がきた。まず、所得税の割合が違う。子どもが二人いると、所得税は3分の1になる。住民税も同様である。健康保険の掛け金まで減額されている。次に、児童手当である。二人分の児童手当で毎月3万円になる。二人のだんなのうち、一人が専業主夫だと配偶者手当もつく。まさに子育て優遇のビッグママ法だ。
(これじゃ、私たちキャリア組が高い税金を払って、子持ちのママを助けているということじゃない。その子持ちのママもだんなが専業主夫ならば仕事もできるわけ?政治家は何を考えているの?)
と思ったが、TV番組でネオ女性党の議員が、
「ビッグママ法施行以来、少子化が少しずつ解消されてきている」
と言っていたのを見た。要は、少子化を解消するために女性たちが決めたビッグママ法なのだ。そのことに女性が反論しても、つまはじきされるだけだ。若い男性も結婚できる機会が増えたということで、反対する人は少なかった。
そして、悪魔の日がやってきた。C国で発生した感染症が全世界に広がり、国際線が大幅に減便となったのだ。多くのCAが自宅待機になり、基本給しか払われなくなった。基本給だけでは、部屋代だけで終わってしまう。幸いに貯金があるので由佳は生活には困らなかった。しかし、仕事は月に一度程度しか回ってこなくなった。それもチーフパーサーではなく、ただのCAとしてである。多くのCA仲間が地上勤務になったり、系列の国内線専用の会社に移っていった。中には航空関係ではない会社に出向させられた仲間もいた。国際線が元のようになれば、再雇用されるということだったが、由佳は国際線以外に乗る気はなかった。国内線の短いフライトを何回もするのは疲れるだけで、満足感がなかった。国際線の中で、お客様と対峙し、お世話をすることで感謝されることを喜びと思っていたのだ。国内線はドリンクのサービスだけで、お客に感謝されることはほとんどなかった。たまに子どもから「ありがとう」と言われる程度である。移動をするだけで、乗客はCAを同乗者としか見ていない。安全装置の説明をする時に、無視をしている客が多いのには怒りさえ感じていた。ひどいのになるとキャバクラの女性と同じようなエロい視線を見せている不埒者もいる。由佳もお尻を触られたことがある。
由佳は、もて余した時間をどうするか考えていた。外で働くのは感染症にかかるリスクが高くなるのであきらめた。通販でおりたたみ式の健康器具を買った。自転車タイプのもので、TVを見ながら運動ができる。1日30分間。ペダルをこぐと結構汗をかいた。足が太くなるのではないかと心配になったが、立ち仕事は足が命である。寝る時はやせるサポーターを巻いていた。次に、キャリアアップのために、フランス語を学ぶことにした。フライトは英語なので、フランス語を使うことはほとんどないが、ファーストクラスを利用するVIPの中にはフランス語の方も結構いた。パリ便やブリュッセル便は特にそうだった。そこで、オンラインの個人レッスンの講座に申し込んだ。あいさつ程度のフランス語は理解しているが、基本から学びたいということで、初級クラスから始めた。
初日、オンラインをつなぐと講師の男性が画面に現れた。20代後半の外国人男性である。
「 Bonjour , madmoisel . 」
(こんにちは、お嬢さん)
と切り出してきたので、
「 Non , pas madmoisel . Je suis madame . 」
(いいえ、お嬢さんではありません。わたしはマダムです)
と答えた。マドモワゼルという言葉には、お嬢さんという意味と半人前の女性という意味があった。マダムは既婚者だけでなく、一人前の女性という意味もあったのである。すると、その講師は、
「 Excuse-moi . J'avais l'air jeune , alors je l'ai mal commris . 」
と言ってきた。ゆっくりのフランス語だったが、由佳は意味がわからず、
「 Pardon ? 」
(な~に?)
と返した。すると流ちょうな日本語で
「失礼しました。最初のフランス語が見事だったので、初級クラスというのを忘れていました。お若く見えたので、マドモワゼルと言ってしまったんです」
と返ってきた。由佳は外国人男性がよく使うお世辞だと思った。こいつもくだらない男の一人かと思ったが、多額の入会金を払っているので、キャンセルするとそれが無駄になる。早く初級クラスを抜けようと心にに決めた。
講師の名は、ジャンといった。ベルギーのナミュールという町の出身ということだ。日本人学校のフランス語講師をしているうちに、日本に興味がわいて日本にやってきたとのこと。今の職場は2年目の29才と言っていた。由佳は、CAということはあかしたが、それ以外のプライベートは教えなかった。もちろん、未婚ということも32才ということも言わなかった。ブリュッセルには行ったことはあるが、ナミュールには行ったことはなかった。でも、思い出したくない国だった。
ある日のレッスンで、ジャンがクイズをだしてきた。次のフランス語の間違いを3つ言いなさい。ということであった。日本人学校でフランス語を教えていた時の会話だとのこと。
「 Prochaines vacances ? 」
(次のバカンスは?)
「 Je vais a Paris , 3 jours . 」
(パリに行きます。3日間)
ふつうの初級の会話だった。別に間違いはないと思った。そこで、
「 Je ne compris pas . 」
(わからない)
と答えた。黙って考えているより、すぐに返答をしなさいというのが、由佳の部下に対する口癖だった。それを由佳自身も実践していた。ジャンは、また同じ返事かとあきれたが、間違いを説明し始めた。日本語である。
「一つ目は、バカンスでパリに行く人はいません。仕事か遊びで行くところです。ブリュッセルからなら日帰りでも行けます。二つ目は、3日でバカンスということはあり得ません。少なくとも1週間。ふつうのベルギー人は1ケ月のバカンスをとります。日本人は働きすぎですね。三つ目は、パリの発音です。パリではなく、パフィという発音になります。これはあててほしかったですね」
たしかに、フランス語ではラリルレロの発音がハヒフヘホに聞こえることが多かった。反対にハヒフヘホはアイウエオに聞こえるのである。慣れるしかなかった。それにしても、優しさの足りない講師だと思った。イジワルな講師とさえ思った。それでも週に2度のレッスンは順調に進み、初級クラスの卒業検定が間近になった。すると現地実習という時間がせまってきた。どういうことをするのかと聞いたら、ワインバーで食事をするということだった。語学学校と提携しているバーで、パリに行ったつもりで、注文からマナー、会計までトータルでフランス語だけで過ごすということであった。ギャルソン(ボーイ)は、語学学校の講師で、ジャンもレッスンのない日はそこで働いているとのことであった。費用は、1万円まで語学学校もちというか、会費に含まれている。拒否すれば1万円損するし、卒業検定にも響きそうなので、行くことにした。
当日、由佳は久しぶりに正装してでかけた。CAの仕事は相変わらず月1程度しかなかったので、スケジュールは空いていた。ジャンもスーツ姿でエスコートしてくれた。店は感染症対策で、テーブルの間隔があき、アクリル板で飛沫がとばないようにされていた。本場のパリでは、そんなことはないだろうなと思いながら、奥のテーブルに座った。ギャルソンが腰掛けをひいてくれた。ワインバーというよりはレストランの雰囲気だった。他のテーブルでは、フランス語以外の言葉もとびかっていた。さすが語学学校と提携しているバーである。ジャンはシャブリをすすめてくれた。今日はオイスターがおいしいということで、それに合う辛口の白ワインのセレクトだった。彼のエスコートはスマートだった。事前に、
「 Non japonaise et je ne compris pas . 」
(日本語なし、それとわからないはなし)
と言われていたので、全てフランス語で通したが、由佳のレベルに合わせたフランス語をゆっくり話してくれた。返事に迷った時は、わかりやすい質問に切り換えてくれた。その対応に紳士を感じた。今まではイジワルな講師という印象だったが、実際に会ってみるとそれほどでもない。会計の段になって、ジャンと割り勘で払うことになっていたが、由佳は規定より5000円ほど越えていた。決して払えない金額ではないが、ジャンが全て支払ってくれた。由佳がほぼ失職中だということを知っていたからだ。別れ際、店先でジャンが財布を落としてしまい、由佳がそれを拾い上げてジャンに渡すと、
「 Merci bien . 」
と言った。
「 Merci beaucoup . 」
ではないので、ぽかんとした顔をしていると、
「 Merci bien はベルギーフランス語でありがとうです。これをパリで言うと、田舎者と思われるので、言わないようにしていたのですが、今日は由佳さんに会えてうれしかったので、少し酔ってしまいました」
「あら、お世辞でも嬉しいわね」
「いえ、お世辞ではありません。由佳さんはとてもすばらしい女性です。また・・」
と言いかけたところで、我にもどり
「初級の卒業検定がんばってください」
と言って去っていった。由佳はおいしい料理とワインで気持ちよくなっていたが、感染症が心配なのでタクシーを拾って、まっすぐ家にもどった。翌週の初級卒業検定は無事通過した。ジャンから教わったことのくり返しだったので、特に難しくはなかった。ジャンの指導へ感謝の気持ちをもった。
中級にあがったら、女性の講師だった。名をフランソワという30代半ばの既婚者ということだった。時々でる家族の話はわずらわしかった。ジャンの方が良かったかなと思う時もあったが、そこまでの思いだった。
そんなある日、仕事で最新鋭機に乗るチャンスが出てきた。それもファーストクラスである。チーフではないが、最新鋭機のファーストクラスは憧れの場所である。ただ、行き先は成田発成田行き。A航空のマイレージ会員対象に4時間の最新鋭機の搭乗体験をしてもらうという企画であった。ハワイ便が1週間に一度しか飛ばなくなったので、機体が空いているからできた企画である。ファーストクラスは5万円の会費、ビジネスクラスは3万円、プレミアムエコノミーは1万5千円、エコノミーは1万円。もちろん機内食こみである。
由佳は、初めての最新鋭機ということでやや興奮していた。この最新鋭機はA航空では2機しかない。総2階建ての飛行機で、1階は全てエコノミー席で380席、2階はファースト8席、ビジネス56席、プレミアムエコノミー73席の国内最大の航空機である。今回は感染症対策で定員の半数で搭乗体験をすることになった。ファーストクラスは4名のお客さまを迎えた。2名は中年の日本人夫婦、もう1組は外国人の初老の夫婦だった。その4名を由佳ともう一人のベテランCAが対応することになった。チーフはその彼女である。ブリーフィングで外国人夫婦がフランス人ということが分かっていたので、由佳は希望してそちらの担当になった。今回の企画のスポンサーであり、機体を製造したフランスAIR社の日本支社長夫妻であった。今回の搭乗者には、フランスAIR社から記念品が配られている。
搭乗のあいあさつは、英語で行った。そういう規約があるからである。だが、ウェルカムドリンクでシャンパンをだしたら、夫人から
「 Merci . 」
(ありがとう)
とフランス語で言われ、由佳は思わず、
「 Ce ne rien . 」
(どういたしまして)
とフランス語で返してしまった。フランス語講座で何度も繰り返したフレーズだったのである。すると、夫人が
「 Vous comorenez Francais ? 」
(フランス語をわかるのですか?)
と聞いてきた。由佳は
「 Je peux parler Francais petit peu , 」
(少し話せます)
と言いながら、親指と人指し指を近づけた。夫人は、
「 Ce bien . 」
(いいわね)
と、にこやかな顔を返してきた。支社長は英語を解するが、夫人は英語が苦手なようだ。由佳が片言のフランス語で話しかけるのを、好意的にとらえてくれていた。由佳にとっては、語学実習みたいで、話すことを一度頭で整理してから、ゆっくり話すようにした。流ちょうに話すと、早口のフランス語が返ってきて、わからないからである。4時間のフライトはあっという間に終わった。富士山も姿を見せてくれ、夫人も喜んでいた。降りる際もフランス語で見送った。その後、チーフパーサーから
「お疲れさま、休んでいても時間を無駄にしてなかったようね。お客さまに喜んでもらえるのは、私たちの最高の喜びよね」
と、ねぎらいの言葉をもらった。由佳は一気に力が抜け、疲れを感じた。家に帰って寝る時にジャンの笑顔が頭に浮かんだ。今日、乗り切ったのはジャンのおかげかな。と思う由佳であった。
翌日のオンランレッスン日、パソコンのモニターにはジャンが登場した。フランソワが妊娠をし、体調を崩しているので、代わりにジャンが担当することになったとのこと。由佳は、最初渋い顔をしたがレッスン後、喜びの顔に変わった。週に2度、ジャンの顔を見られるだけでも、気分転換になる。それでも、レッスンは厳しく
「 Je ne compris pas . 」
(わからない)
は禁句になった。時々、ジャンが憎たらしくなる時もあったが、由佳の頭の中はフランス語とジャンの顔でいっぱいになってしまった。
中級の卒業検定で、また実地での語学研修が待っている。コースは洋館でのパーティーとなっている。どんなパーティーになるのか楽しみにしていた。エスコートもジャンがしてくれるものと思っていた。だが、その話題になるとジャンは言葉を濁した。ある日のレッスンが終わろうとした時、ジャンはフリップを出してきた。日本語で書いてある。
「メールしていいですか? 返事はウイかノンで」
講師が個人的に会員に連絡をとるのは禁止されているはず、レッスンは全て録音されているので、声にはだせない。だからフリップでだしてきたのだろう。由佳は数秒考えた後、
「 Oui 」
と返事をした。ジャンは即フリップを隠し、
「 Merci 」
と言い、その日のレッスンは終わった。
翌日の朝、メールをチェックするとジャンからきていた。初級の時に、ジャンにフランス語の質問のメールを送っていたので、ジャンは由佳のアドレスを知っていたのだ。ジャンは日本語を話すことは達者だが、書くのはまだ勉強中だと言っていた。翻訳ソフトを見ながら苦労して書いてきたのだろう。
「由佳さん、メールを受けてくれてありがとう。今度のパーティーですが、私はエスコートできません。幹部のアランがします。パーティーは卒業検定の一部になっています。私は、その検定員の資格をもっていません。当日は、ギャルソン役です。パーティーの次の日、由佳さんと会いたいです。会ってくれますか。ジャン」
パーティーが卒業検定の一部とは知らなかった。アランは検定員ということをジャンが教えてくれたわけね。それにしても私に会いたいとはどういうことだろう?
パーティーは都内の洋館で行われた。ふだんは結婚式場で使われている。それを語学学校が貸し切り、会場には世界各国の言語がとびかっていた。参加者の胸には、会話可能の言語の国旗のバッジがある。エスコートのアランは長身の紳士であった。年令は40才ぐらいだろうか。3人の会員のエスコートをするので、つきっきりというわけではなかったが、3人平等に声をかけてきてくれる。それが全て卒業検定につながるのかと思うと、ちょっと緊張する由佳であった。でも、ジャンのレッスンで練習をしていたので、返答に困ることはなかった。ジャンを探すと、黒服のギャルソン姿で、お盆をもってドリンクを配っていた。感染症対策でマスクとフェイスシールドをしているのがふだんの顔と違うのでおかしかった。ジャンは英語とフランス語のバッジをつけていたが、会話をする余裕はないようだった。由佳もマスクをしていて、飲食時にははずすが、会話の時はマスクをしたままだ。2時間のパーティーは無事終わった。アランと丁寧なあいさつをしてタクシーで帰った。本来ならばハグをして別れるところだが、感染症対策でそれはなかった。フランスならば左右のほほにキスをされるところである。そういう習慣があるからヨーロッパで爆発的に感染症が広まったのだなと思う由佳であった。
一度、ブリュッセルで正月を迎えた時があった。その際、新年とともにグランプラス(中央広場)にいる人たちはだれかれ構わず、ハグをしてほほにキスをしだすのである。それが新年を迎える習慣とのこと。由佳はそそくさと逃げだし、近くのホテルに避難した思い出があった。
パーティー翌日、由佳はジャンと会うために町田へ向かった。講師が個人的に会員と会うのは禁止行為である。それで語学学校と空港から離れたところということで町田を選んだ。小田急に乗るのは学生時代以来だった。
ジャンはマスクをしながらも深刻そうな顔をして話を切り出した。
「ベルギーにいる両親から感染症が落ち着いたら戻ってこい。という手紙がきました。今までも何度もきていたのですが、その度に断ったり、無視していたのですが、最終通告というただし書きつきでした」
「最終通告というと?」
「親子の縁をきるということです」
「それは大変ね。だったら帰ったら?」
「それがいやなんです。私は日本が好きなんです。日本人が好きなんです。その中でも由佳さんが一番好きなんです。日本を離れたくないんです」
由佳はあっけにとられて、すぐに返事ができなかった。ジャンは、じっと由佳に目を見つめて、返事を待っている。しばらくして、
「ジョークでしょ。年上のお姉さんをからかうもんじゃないよ」
「ジョークじゃありません。真剣です。由佳さんに断られたら死にます」
「今どき、そんな人いないよ。でも、断られると思ってるわけ?」
「断らないんですか?」
「付き合うだけならいいわよ」
「ありがとうございます。Merci bien . Je suis tres conton ! 」
(とってもしあわせ!)
と声をあげた。周りから冷たい視線を向けられたが、近くで話を聞いていた人が拍手をくれた。すると、店のみんなが拍手をくれた。ジャンは、みんなにお礼のあいさつをしていた。そんなジャンを見て、由佳は恥ずかしながらも、ほほえましく思っていた。
二人の付き合いは、時に波があったが、順調に愛情を深めていった。3ケ月後には婚約をした。由佳は33才になろうとしていた。ジャンが子どもをほしがったので、結婚式前だったが、子作りをした。安定期に入った5ケ月目に式をあげた。ベルギーからジャンの両親も来日し、祝福してくれた。お腹の大きい新婦だったが、由佳は母になれる幸せを感じていた。式に招待された同僚たちは、由佳の変貌ぶりにびっくりしていた。皆、由佳の顔の表情がやさしくなったと感じていた。
子どもは女の子だった。子どもが満1才になるまで産休をとり、35才で職場に復帰した。感染症騒ぎから3年が経ち、やっと国際線も平常にもどっており、由佳はまたチーフパーサーとして働き始めた。独身時代よりはフライト回数を減らしたが、1回のフライトで4日間ほど家を留守にすることになる。その際は、ジャンが娘の世話をした。語学教師の仕事は在宅でもできるようになったからである。時々、由佳とジャンがケンカをすると。
「二人目のだんなをさがそうかな?」
と言うのが由佳の口癖になった。その度に、
「 Non ! Ca ne vas pas ! J'taime . 」
(ノー! だめです。愛しています)
と言うのがパターンになった。そう言ってほしいのが由佳の本音であった。日本人の夫ではなかなか言ってくれない。
二人目のだんなより、二人目のこどもの方が早そうな二人であった。
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