第8話 魔寄せの娘、人間の悪意に触れる
――人間の悪意は、ときに魔物よりも恐ろしい。
『呪われし魔寄せの娘』と呼ばれ、同じ人間から蔑まれ続けてきたソフィアは、経験的にそれを知っている。
……うんざりするほど、知っていたはずだった。
『早く王都から出ていけ』
それだけが殴り書きのような文字で書かれた手紙が、自分の部屋のドアに挟まっていたのを、ソフィアは椅子に座って、黙って眺めていた。
(いったい、誰がこんなものを……?)
――いや、心当たりを考えればいくらでも出てくる。
自分は『魔寄せの娘』なのだ。その場にいるだけで、人間に害をなす魔物を呼び寄せてしまう。
そうして、とうとう魔王まで呼び寄せてしまった自分だ。
王都に暮らす人間からしたら、ソフィアが存在するだけで自分たちが命の危険にさらされる。
それが原因で、生まれ育った村まで追い出されてしまったのだから。
しかし、自分が『魔寄せの娘』であることは、あの魔王討伐作戦に参加した冒険者達や王都の騎士団など、限られた人間しか知らないはずだ。誰かおしゃべりな奴が口を滑らせていれば別だろうが……。
(限られた人間、か……)
ソフィアは椅子に深く背中を預けて、視線を天井に向ける。
思い出すのは、フィロとの買い物から宿に帰ってきたとき、食堂でヒソヒソ話をしていたフィロの仲間たち。
彼ら彼女らが自分を見たときのしかめっ面は、ソフィアが生まれた村で散々見てきたものだった。
彼らに問う前に、少し勇気が必要だった。ソフィアは、長いため息をつきながら、数秒目を閉じ、その後、よし、と椅子から立ち上がる。
自分の部屋を出て食堂に降りると、フィロのパーティーに所属する仲間たちが談笑しながら料理を食べている。しかし、ソフィアの姿を視界に入れた瞬間、シン……と静まった。
ソフィアは、テーブルに手のひらでバン、と手紙を叩きつける。
「単刀直入に聞く。この手紙を送ろうと思ったのはお前らのうちの誰だ?」
言い逃れが出来ないように、他の旅人も集まる食堂で、堂々と衆目の場に晒す。
フィロの仲間たちは、最初は「い、いったい何の話だ?」としらばっくれていたが、ソフィアは追及の手を緩めない。
「この手紙は直筆だ。鑑定士に持って行って、鑑定してもらってもいいんだぞ」
「ハァ!? たかが手紙の犯人探しのためにそこまでする!?」
「あいにく、私は自分に向けられた悪意を『たかが』とは片付けられない性分でな」
そうして繰り返し尋問すれば思ったとおり犯人は彼らだった。本性をあらわにした彼らはソフィアを『傷女』と呼び、蔑んでくる始末。
犯人を『彼ら』とは書いたが、中心になったのは主に女性の冒険者だった。パーティーの中にはフィロに想いを寄せる女性もおり、フィロがソフィアに特別優しいのが気に食わないらしい。
「フィロ様が呪いを受けたのはそもそもアンタのせいでしょ、この傷女!」
「さっさと王都から出て行ってよ、私たちの前に二度と姿を見せないで!」
ツボミミックのときを忘れたかのように、女性たちはソフィアを罵倒する。
それでも、ソフィアは村を出ていったときのように、凛とした声で対応する。
「悪いけど、王都からは出ていけない。私はこの『魔寄せ』の呪いを解くためにここに来たんだ。この呪いの正体を知るまでは――」
「アンタの都合なんか聞いてないわよ! そんなに魔物に好かれてるなら、誰の迷惑にもならない山奥にでも住んでなさいよ! 田舎者にはそれで充分でしょ!」
「フィロ様の前から消えろ!」
女性の一人が、手を振り上げてソフィアをひっぱたこうとする。
――しかし、その手首を握って止めるものがいた。
「……フィ、フィロ様……」
「ソフィアに、何をしてるんだ」
部屋に戻ったはずのフィロが、いつの間にか食堂に戻ってきていた。階下での騒ぎを聞きつけたのかもしれない。
ソフィアを叩こうとしていた女性が顔を真っ青にして、パッとフィロから手を振り払う。
「ちが、違うんです、これは」
「何が違うんだ? 僕に分かるように説明してくれ」
「それは……その……」
フィロの仲間たちは、皆一様にオロオロしている。食堂にいた他の旅人たちも、シーンと静まり返った。
「ソフィアだって僕らの大事な仲間だろう? どうしてこんなことをしてるんだ」
「私たちはその女を仲間だと思ったことなんてない!」
「フィロ様がその女を連れてきたのは経験値稼ぎのためでしょう!? 私たちも使えるだけ利用してやろうとは思ったけど、魔王まで連れてくるような女にこれ以上の利用価値を見いだせないわ! いても邪魔なだけでしょ!?」
フィロがソフィアをかばった分だけ、仲間たちの非難はますます激しくなっていく。
『魔王』の名を出されて、王都に来たばかりの冒険者達は「え? 魔王?」「どういうこと?」とどよめいた。
「皆さん、聞いてください! この傷女は『魔寄せの娘』! 魔王を王都に呼び寄せる呪われた女なんです!」
「早く王都から追い出さないと、この女が災いを招くことになるわ!」
フィロの仲間の女性たちが、ここぞとばかりにソフィアの悪評を広めていく。
ザワザワとした喧騒の中で、ソフィアは虚無感を覚えていた。
(――ああ、この場にいるのももう限界だな)
このままでは村のときと同じだ。王都から追放命令を出されれば、次はどこへ行けばいいのだろう。この騒ぎが大きくなる前に、この宿屋を離れなければ。
「フィロさん」
ソフィアはフィロに向き直った。
「私はパーティーを脱退します。今までお世話になりました」
しかし、フィロは首を縦には振らなかった。
「そんなことは認めない。君はこのパーティーの一員だ。僕は君を見捨てたりしない」
「それは、経験値のためですか?」
「違う、僕は――」
そこへ、女性たちが口を挟む。
「もういいでしょ、フィロ様」
「傷女はパーティー追放~! はい決まり!」
女性たちが手を叩いて喜ぶのを、フィロは無視した。
「僕は、ソフィアが好きだ。いずれは副団長になって、隣で支えて欲しいと思ってる」
「――は?」
あっけにとられた声を出したのは、女性たちもソフィアも同時だった。
「本当はもっとちゃんとした場で告白したかったけど、このまま君を追放させて終わるわけにはいかない。みんなにもきちんとソフィアを仲間だと認めてほしい」
「ふざけないで!」
フィロの公開告白まで始まってしまい、彼に片思いしている女たちが嫉妬から激昂した。
「わ、私が何年フィロ様に想いを寄せてきたと思ってるの!? それが魔物を寄せ付けるだけで副団長ですって!? フィロ様も公私混同が過ぎるんじゃないの!?」
ソフィアはフィロの真意がわからず、困惑していた。
自分のパーティーを崩壊させてまで、この人は何がしたいのだろう。
女の嫉妬の恐ろしさを知らなすぎる。このままでは自分にもフィロにも危害が及ぶ。
「……フィロさん、一度考える時間をください」
そう告げて、部屋に戻ると、鍵をかけて荷物の整理を始めた。
熊神のときと同じく、夜のうちに宿屋をチェックアウトして脱走する計画である。
フィロには部屋のドアに手紙を残して、彼の前から姿を消そう。
――それにしても、さっきなにか違和感を覚えた気がしたのだが、騒ぎが大きくなるにつれてその違和感が薄れていったのを感じる。
まあ、忘れるくらいなら大したことではないのだろうが。
その荷物整理中に、窓をコンコンとノックする音がする。
窓を開ければ、あの魔王の遣いである赤い鴉だ。
しかし、今回鴉は手紙を脚にくくりつけられていなかった。
何しに来たんだろうと思うと、鴉はくちばしを開いた。
「随分困ったことになったようだな、ソフィアよ」
「うわっ、びっくりしたぁ!」
鴉の鳴き声の代わりに魔王ナハトの声がくちばしから飛び出してきたのである。
「ガーネットクロウを通して、お前と交信している」
「じゃあ手紙じゃなくて最初からこうすればよかったのでは……」
「最初は文通のほうが良かったかなと思ったのだが、いちいち手紙の交換は煩わしい。まあ、お前の文字が書かれた手紙を眺めるのもなかなか乙なものではあるのだがな?」
「そりゃどうも……」
ソフィアから送った手紙は結局一通きりだが、まあそれは置いておこう。
「ナハト、私はフィロさんから離れるから、彼の呪いを解いてやってはくれないだろうか?」
フィロから離れるにしても、自分が原因で魔王から受けた呪いくらいは解いてやりたかった。
しかし、ナハトは了承しない。
「あの剣士の呪いを解くわけにはいかない。あの男は危険だ」
「危険……?」
ハッキリ言って、魔王に手も足も出なかったフィロをどうしてそこまで警戒しているのか、ソフィアには理解できなかった。しかし、理由を尋ねても、魔王はハッキリとした答えはくれなかった。
結局、深夜になって、冒険者たちが寝静まっている間に、ソフィアはそっと宿屋をチェックアウトして抜け出した。
「さて、これからどうしようか……」
ひとり、呟く。
自分の『魔寄せの力』を解除しないまま、王都からは出られない。もともとこの呪いを解くために王都に来たのに、随分と回り道をしてしまっている。
(とりあえず、フィロさんの泊まってる宿屋から遠く離れた場所に宿を取ろう。王都は広いから鉢合わせせずに済む場所くらいあるだろう)
ソフィアは別の宿屋を探そうと、夜の街を歩いていた。
そこへ、赤い鴉が飛んできて、彼女の肩に止まる。
「お前は何をしているんだ?」
「宿を探してる」
「泊まる場所がないなら、俺のところに来るか?」
鴉の言葉に、ピタリと立ち止まった。
「……俺のところ、って……魔王城に?」
「ああ。お前なら歓迎するぞ」
魔王城は王都から遠く東にある魔国マーガに存在する城である。
「さすがに魔族の住んでいる魔国に行くのはちょっと……」
「だが、魔寄せの力が強くなっているのを感じる。お前も自覚はしているはずだ。このまま王都にいると住民にも危害が及ぶかもしれん。魔寄せの力をそのまま利用して、魔物を王都から魔国に引き戻せば全て解決であろう?」
『――そんなに魔物に好かれてるなら、誰の迷惑にもならない山奥にでも住んでなさいよ!』
フィロの仲間の女性が発した言葉が頭の中でリフレインする。
魔王が王都の心配をするなんて変な話だが、要は好きな女を自分の手元に置いておきたいだけなのだろう。それでも、魔物が王都に襲来するよりは、誰にも知られずとも自分の呪われた力で王都を救えるほうがずっといい。
「……わかった。王都を出る。魔国までどうやって行けばいい?」
「俺が直接迎えに行く。王都の門を出たところで待ち合わせよう」
ソフィアは荷物を持ち直して、鴉が肩に止まったまま、王都の門を目指した。
門は、彼女が押したらあっけないほど簡単に開いた。既にナハトは門の目と鼻の先に到着しており、門番はといえば、眠っているように目を閉じて動かない。
「まさか、殺してないだろうな」
「俺は『夜の支配者』と呼ばれる魔王だぞ? 夜泣きする赤子とて、俺の手にかかれば眠らせるのはたやすいこと」
「あっそ……。そりゃ子育てには便利だな」
ソフィアは肩をすくめつつ、門番に危害がなくてよかったと密かに安堵していた。
魔王は真顔でソフィアを見つめている。
「子作りの話は、結婚してからにしよう」
「違う、そういう意味じゃない」
そんなやり取りをしながら、ナハトとソフィアはいつものごとく魔王愛用のワイバーンに乗って、魔国マーガへと向かうのであった。
〈続く〉
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