第7話 魔寄せの娘、買い物デートをする

「魔王とのデートのあとは僕で口直ししないか?」


 優しい笑みを浮かべながら、ソフィアを買い物に誘ったフィロ。

 彼は魔王との戦いのさなか、魔王ナハトから呪いを受け、ソフィアが介助をしないと満足に食事もできないほど、日常生活に困難をきたしていた。

 その原因が自分であると引け目を感じていたソフィアだったが、フィロはそんな彼女を元気づけようとしているのだろう。

 ソフィアは「買い物のお手伝いくらいはしなければ」と、義務感から頷いたのであった。


 ――少し時をさかのぼろう。

 魔王ナハトに連れ去られ、空のデートから無事に生還したソフィアは、フォレスの森の外でワイバーンから降ろされ、ナハトはそのまま竜に乗って飛んでいってしまった。

 そこで、ソフィアを発見したフィロとパーティーの仲間たち、それからギルドの冒険者や王都の騎士たちが彼女に駆け寄ったのである。


「ソフィア、大丈夫? 魔王になにかされていない?」


「平気ですよ、フィロさん。皆さんにはご心配をおかけいたしました」


 フィロや皆に迷惑をかけたことを謝罪したソフィアだったが、フィロは安心したせいか、緊張の糸が切れたようにその場で気を失ってしまった。ソフィアはフィロを背負って、宿屋まで戻ってきたのである。


(呪いを受けているのに、また私のせいで無茶をさせてしまったんだ……)


 ソフィアはすっかり落ち込んでしまった。

 あの魔王のせいでフィロは苦しんでいる。ナハトと花畑で呑気に寝っ転がっている間にも、フィロは必死でソフィアを探していたに違いない。

 宿屋に戻り、フィロの部屋のベッドに彼をそっと寝かせて、ソフィアは看病を始めた。

 フィロはときどき、悪夢にうなされているのか、うめき声を上げている。ソフィアはその大粒の汗が浮かんだ額を、冷水で絞ったタオルで拭うしかない。自分の無力さに嫌気が差す。


(私には『魔寄せの力』という呪われた力しかない。おまけに、その力で他人を傷つけることしか出来ない。あの村にいた頃から、私は何ひとつ変わっていない……)


 そんな考えがぐるぐると頭の中で回り続けるばかりで、自然と涙が込み上げてくる。

 ぐすっ、ぐすっ、とフィロの部屋の中にソフィアの鼻をすする音が響いては、部屋の隅に吸い込まれて消えていく。

 その嗚咽に気づいたのか、フィロはうっすらと目を開けた。


「ソフィア、泣いているの……?」


「フィロさん! 良かった……気がついたんですね」


 ソフィアはサッと涙を拭って、フィロに満面の笑みを向けた。


「僕は……また君を守れなかったのか……」


 フィロもフィロで、ソフィアに対して自責の念があるらしい。


「そんなこと気にしていませんよ。ほら、このとおり無傷で無事ですし」


 ソフィアが力こぶを作るポーズをすると、フィロはフッと笑った。

 ひとまず元気づけられたのかな? とソフィアは少し安心する。


「ソフィア、早速で悪いけど、魔王ナハトと何があったのか聞かせてくれないか?」


 フィロに促されるまま、ナハトと何をしていたのか、かいつまんで話す。


「ナハトは人間と仲良くなりたい、って言ってますけど、本当でしょうか……」


「魔王の言うことなんて信用できないよ。魔族は人間を奴隷のように扱う奴らだ。決して僕らを対等な存在として見ることはない」


 フィロは力強く、首を横に振った。


「ソフィアは魔物が村を荒らすから、そこから追い出されてきたんだろう? 実は僕も似たようなものなんだ」


 驚くソフィアに、フィロは自分の身の上を明かしてくれた。


「僕の村は魔族に襲撃されて焼かれてしまった。おまけにその理由は、魔族の戯れだったらしい。僕は子供だったけど、必死で逃げてきた。戦災孤児のようなものかな。両親は魔族の攻撃に巻き込まれて亡くなったから」


 ソフィアは絶句してしまった。なるほど、それならフィロが魔族や魔王を強く憎んでいるのも納得がいく。


「そもそもさ、魔王が本当にいいやつだったら、僕に呪いなんてかけないと思うよ」


「それはそうですね……魔王から受けた呪いについては、今はどうなんですか?」


「あまり良くはないね。呪いを受けた直後より症状が進行していて、手に力が入らなくなってきていて握力がほとんど失われている。武器を握ることは出来ないし、日常生活――スプーンやフォークも持つのが難しい」


 そんなに呪いが悪化しているとは……。

 話を聞いて不安そうな顔をするソフィアに、「そんな顔をしないで。これは君のせいじゃないからね」とフィロは微笑みかけた。


「それで、お願いがあるんだけど……握力がないからひとりで買い物も難しいんだ。普段は他のパーティーメンバーにも付き合ってもらっていたんだけど、今日は君にお願いしてもいいかな?」


「もちろん、私でお役に立てるなら」


 ソフィアはとにかくこれ以上フィロに迷惑をかけたくなかった。少しでも役に立つことをして、マイナスを帳消しにしたい。

 そんな彼女の思惑を知ってか知らずか、フィロの表情はいたずらっぽい笑みに変わる。


「魔王とのデートのあとは僕で口直しするといいよ」


 フィロのそんな言葉に、ソフィアは思わず顔がカッと熱くなった。


(デートの口直しということは、これはデートだと言っているようなものでは……!?)


 ソフィアはぎこちない動きで、フィロに手を貸してゆっくりベッドから立たせた。

 そして、ふたりで街に繰り出したのである。


 王都はにぎやかで、買い物客と市場の店主の値下げ交渉の声、大道芸人のパフォーマンスと観客の拍手の音、子どもたちが駆け回る歓声など、様々な音であふれている。それらは平和を享受しているからこそ発生しているものであることは間違いない。王都は王国の中心地だ、街の周りの防備も相当硬い。……まあ、魔王の遣いである赤い鴉が出入りしている件には目をつぶるとして。

 ソフィアはフィロの手を取り、人混みではぐれないように導いていく。とはいえ、フィロは手を握り返すことが出来ない。ソフィアがしっかり握って放さないようにしなければいけない。


「力が強くて痛いとかあったら言ってくださいね」


「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」


 なんとか人混みを抜けて、広場で一息つく。


「フィロさん、お買い物って何を買うんですか?」


「ひとまず、薬草が足りなくなってきてるから補充したいな。アレは色々と使い道があるからすぐ不足しがちだ」


 薬草は傷の修復に使えるだけでなく、魔法薬や錬金術の材料にもなる。その辺の山や草原に生えているものを摘んでも法的に問題はないのだが、毒草との区別がつかずに死亡事故が発生しているので、大抵の冒険者は図鑑を片手に薬草を探すか、こうしてきちんと薬草を見分けられる専門家のいる店で買うことが多い。お金がかかっても店で買ったほうが安心感もあるし、図鑑を持ちながら薬草を見比べていくのは手間だ。


 他にも不足しているアイテムを買ったり、フィロの収納袋を新調したりと街の中を歩きづめで買い物を続ける。フィロの代わりにソフィアが荷物をすべて持っていたが、何も文句はない。

 格闘士をしているだけあって、彼女は常人よりも腕力には自信がある。逆に言えば、それしか自分には価値がないと思っている。このくらいで役に立てるなら、お安い御用だ。


「そろそろお昼でも食べようか」


 フィロの提案で、食事処に入る。カウンター席に二人並んで座った。

 しかし、スプーンもフォークも満足に握れない彼のために、ソフィアが食べさせる手伝いをしなければならない。それを見た店主からは、「おっ、お似合いのカップルだね! 代金は特別にまけてやるよ!」とガハハと笑われる始末。

 それをソフィアが慌てて否定しようとするが、フィロは「まあいいんじゃない? 無理に否定しなくても」と満更でもない様子で、ソフィアはますます顔が真っ赤になった。


(もしかしてフィロさん、私のことを……? いや、思い違いだったら恥ずかしいな……)


 それに、ソフィアはフィロが呪いを受けた原因はそもそも自分であることを忘れていない。

 フィロに正直にそれを伝えると、彼は「別に気にしなくていいのに」と笑いながら肩をすくめる。


「そうだな……それでも君が償いたいと思うなら、全ての元凶である魔王を討つべきだと思う」


 ソフィアはそれを聞いて、内心揺らいでいる自分がいることに驚いた。

 フィロが魔王を憎む気持ちはもっともだし、ソフィアも魔物や魔族には恨みがある。魔王はいずれ討伐しなければいけない対象だ。それは人間がこの世界で生き残るためには必須条件とも言える。それを理解していながら――ナハトの「人間と魔族で共存したい」と言ったことが嘘とも思えないのだ。

 これではナハトとフィロの板挟みだ。どちらの味方をしたらいいのか、ソフィアは途方に暮れてしまった。


 買い物を済ませて、ソフィアとフィロは宿屋に戻ってきた。

 この宿屋は一階が食堂になっており、二階に冒険者達の宿泊する部屋が並んでいる。

 その一階の食堂で、フィロの仲間たちが夕食を食べながらヒソヒソと話をしているのを見つけた。

 食堂に入ったときのドアベルの音で、彼らもソフィアに気づいたらしい。彼女の顔を見て眉をひそめるその表情は、彼女が生まれた村で散々見てきたものだった。

 彼らがそそくさと席を立って二階の部屋へ引き上げていくのを見て、ソフィアは嫌な予感がしていた。しかし、まずはフィロを部屋へ送り届けなければ。


「今日はありがとう。思えば君とこんなに話したのは今日が初めてかもしれないな」


 ベッドに腰掛けたフィロは、にっこりと笑っていた。


「よかったら、また君と二人でどこかに出掛けたいな」


「そうですね、機会があれば」


 荷物持ちでもこの人の力になりたい。

 フィロはそれだけ人間的な魅力があった。


(しかも、カップルに間違われても満更でもない顔をしていたし、私に悪感情を抱いているわけではないみたいだな)


『魔寄せの娘』と呼ばれるようになってから、人に好意を抱かれたことがほとんどない彼女にとっては、それはこの上なく嬉しいことだった。


 しかし、自分の部屋に戻ったソフィアは、ドアの下の隙間に手紙が差し込まれているのに気づいた。それを何気なく拾い上げて、折りたたまれた手紙を開くと――


『早く王都から出ていけ』


 そんな一言だけが書かれていたのである……。


〈続く〉

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