第6話 魔寄せの娘、空へ連れ去られる
「魔寄せの娘よ、今日は俺とデートと洒落込もう」
魔王討伐の決行日、魔王ナハトに無理やり抱きかかえられて、ワイバーンで空中にさらわれてしまったソフィア。
「ぎゃあああああ!?」
「ソフィアーー!!」
悲鳴を上げるソフィアに、魔王の呪いを受けて満足に動けないフィロが叫ぶ。
空高くに飛び上がったワイバーンに攻撃が届かず、魔王討伐に乗り出した冒険者たちも口をぽかんと開けて見上げることしか出来ない。
果たして、ソフィアはどうなってしまうのか……?
――この場面に至るまでの経緯を説明しておこう。
魔王にラブレターを一方的に送りつけられていたソフィアの事情を知ったフィロは、ある提案をする。
それは、魔王を討伐するために、ソフィアから彼に手紙を送り、ナハトを呼びつけてその場で待ち伏せし、王都中の冒険者で力を合わせて打ち倒してしまおうという一大作戦だった。
もちろんソフィアはその提案に大賛成した。ナハトが毎日のように彼女に手紙を送りつけてくるものだから、彼女はすっかりノイローゼ気味になっていたのだ。しかもその手紙の内容は「文通がしたい、ダメなら交換日記からでも」だの「世界を半分こしたい」だの、およそ彼女の理解からは遠いものだった。
(いくらあんなに美しい男でも、魔族……そのうえ魔王と交際なんて、ありえない……)
ソフィアは宿屋に引きこもっていただけなのに、魔王の遣いである赤い鴉に窓を何度もノックされてげっそりとしていた。
しかし、一度こちらから手紙を送ってやれば、あとはそこに冒険者達を待ち伏せさせて、みんなで魔王を袋叩きにすればいいだけだ。ソフィアは自分にそう言い聞かせて、赤い鴉の脚に結び付けられた手紙を手に取り、初めて魔王に返事を書いた。
『いつもお手紙ありがとう。忙しいせいでなかなかお返事を書けなくてごめんなさい。一度、直接会って話がしたい。明日の朝、フォレスの森に来てほしい』
そんな手紙を書いて、赤い鴉の脚に結わえ付けた。宿屋の窓から飛び立つ鴉の後ろ姿を見届けたソフィアはすぐにフィロに報告して、冒険者ギルドと連絡を取ってもらい、王都中の腕自慢の冒険者達が集まったのだ。
「王都の騎士団も魔王誅伐に協力してくれるそうだ。選りすぐりの騎士たちを一部こちらに寄越してもらってる」
「まさか王都のすぐ近くで魔王とドンパチやろうなんて思ってもみなかったぜ。ここが大一番だぞ」
「誰が魔王の首を獲るか競争だな」
やる気満々の冒険者達に、フィロは「競争もいいけど、これはみんなで協力しないと倒せない敵だ。気を引き締めてかかろう」と真剣な表情。
「ソフィア、うまく魔王の気を引いて、仕掛けてある罠にハメてくれ。この作戦は君にかかってる」
「わかってます。私、頑張ります!」
フィロがソフィアの肩に手を置くと、彼女は力強く頷いた。
――しかし、この大作戦は思わぬ方向に転がってしまうことになる。
翌朝、フォレスの森でソフィアは魔王ナハトを待っていた。
森には冒険者や騎士たちが潜んでおり、既に仕掛けられている罠にうまくナハトを引っ掛けてソフィアを含む全員で袋叩きにしてやるのだ。
ソフィアは緊張しながらも、よし、と気合を入れた。
ソフィアが森の木々が開けた場所で待っていると、彼女をすっぽりと影が覆った。空中からワイバーンが降りてきたのだ。その竜種の騎手はもちろん――
「やっと良い返事がもらえて嬉しいぞ、魔寄せの娘よ」
ナハトがワイバーンを降り、ふわりと着地する。
彼には角も翼もなく、およそ魔族には見えないが、そのふわふわとした動きは明らかに魔力を帯びたものだ。その膨大な魔力量から来る威圧感に、思わずたじろいでしまう。
「そんなに緊張するな。獲って喰ったりはしないから、な?」
コイツが言うと冗談に聞こえない。ソフィアはぎこちない笑みを返すしかなかった。
――さて、問題はここからだ。この男をなんとか罠まで誘導しなければならない。
「よかったら、手を繋がないか? 少しあなたと散歩をしながら話をしたい」
ソフィアが手を差し出すと、ナハトは手を握るでもなく、じっと見つめている。
茂みでは、冒険者や騎士たちが「まだか、まだか」とジリジリと待ち構えていた。
(もしかして、罠ってバレてる? そりゃそうだよね、今まで嫌悪感むき出しだったし、急に好意的になったら警戒するに決まってる)
上辺だけでもいい顔をしておけばよかったと思ったが、魔王の行動はさらにこちらの予想の斜め上を行った。
「散歩がしたいのなら、こんな陰気な場所よりもっといいところがある。そこまで連れて行ってやろう」
なんとソフィアは、魔王に抱き上げられてしまったのである。
「へっ!?」
「こら、暴れるな。落ちたら人間の脆い身体では死んでしまうゆえな?」
抱きかかえられたソフィアは、そのまま魔王と一緒にワイバーンに乗せられてしまう。
竜種は、そのまま翼をバッサバッサと羽ばたかせて、空中に飛び去ろうとしている。
「ま、待って、降ろして!」
「魔寄せの娘よ、今日はデートと洒落込もうではないか」
「降ろしてぇぇぇ! ぎゃあああああ!!」
ワイバーンにはベルトも命綱もない。ソフィアの悲鳴も聞かず、ワイバーンは空高くに飛び上がってしまったのである。
「ソフィア!」
たまらず、フィロが茂みから飛び出したが、もう彼の剣がワイバーンに届く距離ではないし、彼を蝕む魔王の呪いのせいでそもそも満足に剣も握れない。
「弓兵! あのワイバーンを撃ち落とせ!」
「無理です! もう弓の届く射程内じゃない!」
騎士団が怒鳴りながら、予想外の事態にバタバタと喧騒を起こすが、あとの祭り。ワイバーンは既にフォレスの森から出てしまっていた。
「ソフィア……」
飛び去っていくワイバーンを見つめながら、フィロは呆然とするのみであった。
一方のソフィアとナハト。
ソフィアは下が見られないでいた。高所恐怖症でなくても、こんな空高く、しかも命綱もない状態で、さらに魔王に抱きかかえられているこの状況を、いったいどうすればいいのか。
魔王の機嫌を損ねれば、すぐにでも地上に投げ捨てられる。そうなれば、ソフィアは無事では済まないだろう。
(もしかして、冒険者たちの待ち伏せに気付かれていた? このまま私を投げ落とすなり、ひとけのない場所に連れて行って殺すなりされるのか?)
しかし、震えるソフィアを抱きしめたまま、ナハトは愛おしそうな微笑みで見つめているだけなのである。余計に怖かった。
「ああ、そんなに怯えるな。空中散歩は初めてか? お前はドラゴンライダーというわけでもないものな。しかし、慣れてくれば空の散歩も楽しいものだぞ? こうして、下界の馬鹿騒ぎも聞こえず、風も気持ちが良いからな」
ナハトの言葉に合わせるように、ワイバーンがギュルンギュルンと高速で回転しながら飛行するものだから、ソフィアは「うわぁぁぁぁ!!」と悲鳴を上げてしまう。
「クク、そんなに楽しんでもらえるとは。やはりワイバーンでデートに来たのは正解だったな」
「楽しんでないよ! やめて、普通に飛んで!」
「む? そうか、ではやめよう」
その途端、ワイバーンは回転をやめて、通常の飛行に戻る。ソフィアは恐怖で心臓がバクバクしているのを感じていた。コイツと一緒にいたら、命がもたない。
かといって、「降ろしてほしい」と言って魔王が素直に従うとも思えないし、下手に暴れれば地上に真っ逆さまという状況では抵抗もできない。どうしたものか、と頭を悩ませてしまう。
「ソフィア」
「ッ!?」
「ソフィア、と呼ばれていたな、お前は。それがお前の名か?」
「だ、だったら何……?」
ソフィアが猜疑心に満ちた目を向けると、やはりナハトは微笑んでいた。
怖いのに、美しいと思ってしまう。恐ろしいのに、惹かれてしまう。
「俺も、お前をソフィアと呼んでもいいか?」
「……」
「お前が俺を嫌っているのは知っているが、俺はお前と仲良くなりたい」
「……人間と魔族が仲良くなってどうするんだ? しかもお前、魔王なんだろう?」
「話の途中だが、目的地に着いた。一旦降りてから話をしよう」
そこは、人里離れた山だった。人の手が加えられていないおかげか、一面の花畑がソフィアの目を奪う。
「ここは俺のお気に入りの場所でな。お前を、ここに連れてきたかった」
ナハトは、花を一輪手折って、ソフィアの髪に挿した。「やはり綺麗だ」と優しい顔の魔王に、どんな感情になっていいのか分からない。
「ナハト、お前の目的は何なんだ?」
「最初は『魔寄せの娘』というものに興味本位で近づいただけだった。だが、うっかり助けてしまった……覚えているか?」
ワイバーンに乗った男、「振り向くな」というあの声、やはり……。
「熊神と戦っていたとき、私を縛っていた縄をほどいてくれたのは、やっぱりお前なのか?」
ソフィアの問いかけに、魔王ナハトは微笑んだまま、沈黙するのみであった。
「どうしてあのとき、私を助けたんだ?」
「お前の実力を見るためだ。あの程度の魔物も倒せなければ資格はない。だから縄をほどきはしたが、力は貸さなかった」
「資格? 何の話?」
「俺の花嫁になる資格だ」
「…………は??」
意味不明すぎて間の抜けた声しか出ない。
「俺は強い女が好みだ。俺に気に入られたことを栄誉に思うといい」
「ふざけるな!」
熊神とは命のやり取りとも言えるほどの死闘だったというのに、この男は縄をほどいてはくれたが、自分の花嫁にふさわしいかどうかなどという、ソフィアにとっては至極どうでもいいことで高みの見物をしていたわけだ。
ソフィアは激怒していたが、ナハトはにこにこしているだけ。小型の魔物が牙を剥いている程度にしか思っていないのだろう。強者の余裕だ。
(やっぱり、魔王と人間じゃあまりにも価値観が違う……! それに、コイツは人間の話が通じていない!)
ソフィアはあのとき助けられたことすらも屈辱に感じた。だからといって、あのとき大人しく熊神に食べられておけばよかったとも思えないのだが、なんかこう……もっとなにかないのか……。
「で、俺の目的の話だったな。『魔寄せの娘』であるお前を見つけたが、お前はそのときには既に格闘士として旅をしていた。ずいぶん魔物を倒して回っていたようだな?」
「それがなに? 人間に迷惑かけてる魔物を倒して何が悪いんだ? お前たち魔族もいずれは滅ぼしてやる……!」
ギリッと魔王を睨みつけるソフィアだが、ナハトは寂しそうな笑みでため息をつくだけだった。
「魔物の件は……申し訳ない。魔族も一枚岩ではなくてな。今、魔国は二分されている」
ナハトの表情に戸惑ったソフィアが彼から聞いたところによると、魔国――魔王ナハトと魔族、そして魔物の故郷だ――の中で魔族たちの意見が対立しているらしい。
すなわち、『人間の国を侵略し、魔国の拡大を進める』か、『人間と魔族が手を取り合い、新しい世界を作る』か。そして、ナハトは後者の意見を採用し、魔国は大混乱に陥っているという。
ソフィアはそんな話を聞かされて、ぽかんとしてしまった。
「ナハト……お前は、人間が好きなのか?」
「ああ。だからお前に近づいた」
ナハトはそっとソフィアの手を取る。その力は優しく、ソフィアの両手はナハトの両手の中にすっぽりと包まれてしまった。
「俺は魔王と人間――つまり、俺とお前が婚姻関係を結べば、この紛争がおさまると思っている」
「わ、私がナハトと結婚するのか!? こういうのって普通王都の姫君とかの流れでは!?」
ソフィアには高貴な血など流れていない。ただ『魔寄せの力』を持っているだけの村娘だ。
しかし、ナハトは人間の血統などに興味はないらしい。
「魔族に人間の王家など分からんし、魔族の位の高さは純粋な強さで決まるのだ。その点、熊神をひとりで倒したお前には魔族も文句は言えまい」
「い、いや、結婚するとはまだ言ってないし……」
「まだ? それでは、いつ言ってくれるか、期日を教えてほしい」
「そういう意味じゃなくて……!」
魔族とはいえ、美しい男の顔がすぐ目の前にある。ソフィアはだんだん頭がクラクラしてきた。もしや、既に魅了をかけられているのでは?
「おっと」
ナハトが力の抜けたソフィアを抱きとめた。
腕の中の娘からは、たしかに彼女を見た魔族が言ったとおり、魔の血が流れているものを惹きつける魅惑の香りが漂っていた。
「これが『魔寄せの力』とやらか。ふむ……興味深い」
「さわ……るな……」
ソフィアは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
ナハトは力の入らないソフィアの身体を、そっと花畑のすぐ近くに広がっている草原に寝かせた。そして自分はその隣にあぐらをかいて座る。
「ソフィアよ、お前、よくそんないい匂いをさせて今まで生きてこられたものだな」
「いい匂い……? 魔族からしたら、いい匂いがするのか?」
「ああ、魔物も魔族も、この匂いには食欲を刺激されてたまらんだろうよ」
「そうだよ……。私はそんな魔族たちから身を守るために、格闘士になったんだから……。格闘に武器はいらないだろう? それに、人間のひ弱な女性でも活躍できる技があるんだ」
「ほう、そうなのか」
それから、ソフィアとナハトは草原でしばらく話をしていた。
「お前の話は面白いな。いつまでも話をしていたいものだが……。そろそろ身体は動くか?」
「うん、もう大丈夫」
ソフィアはうーんと伸びをしながら、寝転がっていた草原から身体を起こした。
時刻はすでに夕方になっており、黄金色の夕日が王都に向かって沈んでいく。
「山は冷える。俺が送っていこう」
「ま、またあのワイバーンに乗るのか? せめて命綱を――ぎゃあああああ!!」
ソフィアとナハトを乗せたワイバーンは、再び王都に向かって飛び立っていくのであった……。
やがて、冒険者たちや騎士団がいた場所から少し離れた地点にワイバーンは降り立ち、ソフィアもナハトに抱きかかえられて降ろされた。
「空中デートは楽しかったか? 俺は楽しかった」
「お前は本当に自分勝手過ぎる!」
「またお前とデートしたい。次のプランを楽しみにするがいい。またな、ソフィア」
まるで話が通じない、と苛立つソフィアだったが、ナハトがチュ、とソフィアの額に口づけてきて、動きがフリーズしてしまった。
「な、な、ななな……」
「クク、意外とウブだな? 俺はニンゲンのそういうところも愛おしく思っているぞ。ではな」
魔王はワイバーンに乗って飛び去っていった。
ソフィアはへなへなと地面に座り込んでしまう。
フォレスの森の向こうからは、「いたぞ、ソフィアだ!」「魔王はどうした!?」という喧騒が聞こえてくる。
――なんて説明したらいい? 魔王は実は人間と仲良くしたがっていて、私をお嫁さんにしたいと言っていると? そうなったら私は狂人扱いされて、今度こそ王都を追われるハメになるだろう。
(なんで、よりにもよって魔王が私を気に入ってるんだよ――!)
ソフィアは思わず頭を抱えてしまったのであった。
〈続く〉
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