🐉🕑創作

第陸話

催眠術は、魔法じゃない。

かつて、参は肆にそう言った。自分の"輝き"を隠していた参が、ある時肆にそれを明かした時のことだ。

「催眠術を相手にかけるには、相手に僕の目をみて、僕の言葉に集中して、僕に従ってもらう必要がある。戦闘中だとまずそんな隙は生まれない。」

だからね、僕はいざという戦闘時に皆の役に立てないんだ。

参は、そう寂しそうに言った。肆は戦えはしなくても、薬で傷ついた仲間を治したり、一時的に仲間を強化したりできる。特待生同士、戦闘能力以外の"輝き"を持つ2人。肆は参のことを対等に思っていたけれど、参はどうやら違うらしかった。

「まぁでも、過去に一回でもかけたことあれば、フラッシュバック的に即座にまた催眠にかけられるんだけどね」

参は悪戯っぽく笑った。肆はその時、なんとなく釣られて笑った記憶がある。

眼前には、目を閉じて気を失ったように眠る5人の仲間。そして、睫毛を風に揺らして微笑む、参。

「教えてよ。君の云う、心当たりってやつ。」

怒っているのか、悲しんでいるのか、疑われているのか、恐れられているのか、全てのようでどれでもなかった。参の顔は、感情の出力機能を失っていた。

「思い出したことがあるんだ。」

肆は目を伏せ淡々と語り出した。

あの時、博物館での壱と弐の課題のとき、参は救世主様に催眠術をかけて本来とは違う課題にしただろう？あのあと、救世主様を助けた時に聞いたんだ。kiceという少年が接触してきたと。僕はその時は思い出せなかったんだけど、さっき思い出したんだ。

ーこの学校が廃校になる前の、「試験」のこと。

参は少しだけ、「試験」に反応を示した。肆は手応えを感じて、話を続ける。

ここにもっと生徒がいて、乙姫先生もまだいた頃。僕たちは「試験」を受けた。この先、生き残れるかをはかる「試験」。要は模擬戦だった。校舎全体を使っての、殺し合い。ここは既に現世では無いから、本当に死ぬことは無いにしても、この「試験」から脱落することは、ある種の死を意味した。

参と肆以外の生徒はみな、各々戦闘能力の"輝き"を持っていた。参と肆はひとまず、タッグを組んでそれぞれ助け合うことにした。

「試験」が始まり、すぐに生徒は散り散りになった。そして間も無く銃声、爆音、悲鳴が聞こえた。

「始まっちゃったね」

参の声は、落ち込んでいるような苦々しい声だった。自分たちは攻撃手段を持たない。勝ち残るには、ひとまず生き残ってやり過ごす以外方法はなかった。幸い、「試験」は最後の7人まで残れば突破とみなされる。そのため必ずしも戦闘をしないといけない訳ではない。

だが、参には勝算がなかった。

「…誰かに狙われたらどうしよう」

参は力無く呟いた。肆は参の表情を見て、何か義務感が生じた。肆は最終手段を用意する必要があると、強く感じた。

「いざとなったら、僕がどうにかしてみせるよ」

肆がそう言うと、参はきょとんとしながらも嬉しそうにはにかんだ。

「ところで、君は実際に誰かに催眠をかけたことはあるの？」

「このクラスに来てからはないよ。そもそも君以外に僕は"輝き"を明かしてないし」

「…そっか」

誰にも催眠をかけていない。そんなの当たり前でしょ？そう言いたげだった。肆は参のその様子に安心感と同時に意外さを感じていた。参はてっきり、もっと用心深い人物だと思っていたから。

突然、2人がいる教室の扉がガタンと揺れた。会話を切り上げ、息を殺す。咄嗟に机に隠れて、様子を伺う。入ってきたのはクラスメイト。彼の"輝き"は確か、爪状の武器を使用した肉体戦術。

「誰か居るの？」

目をギラつかせ、獲物を狩ろうとする目。参と肆はただ息を潜める他なかった。その時の心臓の拍動を良く覚えている。本当に心臓に物理的な打撃を受けているような、苦しい痛み。覚悟なんて決める余裕がないほど、体が危機を訴えていた。

彼が教室に一歩踏み出そうとしたとき。

「お、君いいじゃん。やろうよ」

ある生徒、…kiceの声がした。廊下から彼に声をかけ、彼の注意を逸らしてくれた。そう、彼もここの生徒だった。kiceはこちらを見てそっと瞬きをした。助けてくれたのだろうか、たまたまだろうか？肆には図りかねた。

しかし一難去ってまた一難とはよく言ったもので。次は窓から2人の生徒がガラスをぶち破って転がり込んできた。鉄扇を持った生徒と、レイピアのような細い剣を持った生徒。2人は戦闘の真っ最中だった。勢い、鉄扇を持った生徒が参が隠れていた机を突き飛ばした。

無防備の参を見つけ、戦っていた2人の生徒はニヤついて顔を見合わせた。参の顔は青ざめ、急いで後ずさるも壁。万事休す。

「危ない！」

肆は思わず飛び出していた。レイピアを構えた生徒に不意をついてタックルし、姿勢を崩すことに成功した。レイピアはカランと音を立てて彼の手からこぼれた。参は咄嗟にレイピアを廊下へ蹴り出して、彼の両手を地面に押さえつけた。鉄扇を持った生徒に続けて肆は飛びかかる。背後を取り、肘を受けながらも彼の口元に手を伸ばす。図らずも参に見せつけるように彼の口を開かせ、そのまま隠し持っていた錠剤を放り込んだ。咽せる彼の口を無理やり封じ、しばらくすると、彼は大人しくなり、口からは血が溢れた。肆の右手はドロっとした血で汚れ、彼は倒れ込んだ。その後、少し痙攣して、そのまま動かなくなった。参とレイピアの生徒はその様子を瞬きをせず見ていた。ふと肆と視線があった参はふいと逸らした。その隙をついてレイピアの生徒は参の拘束から抜け出し、レイピアが転がった廊下へと逃げていった。肆は身体の力が抜けるのを感じて座り込んだ。

「…たす、けてくれて、ありがとう」

参の震えた声が聞こえた。肆は、言葉を素直に受け取り、へにゃりと気の抜けたように微笑んだ。

「咄嗟にやってみたけど、上手くいって良かった」

「ねぇ、彼は死んだの？」

「え、ああ…、致死量の四倍だから、多分。」

「そう…」

参は、フーッと長く細い息を吐いた。吐き終わると、いつもの明るい表情を取り戻していた。

「おめでとう！君は武器に近いものを得たんだ！」

「…そうか、確かに。ありがとう。」

大袈裟に拍手をして参は肆を祝った。

人を殺す力が無いのは、これで自分だけ。

参の曇りは、あの時の肆に伝わることはなかった。

結局この試験で2人は運良く生き残ることができた。肆は　"輝き"の覚醒が先生に認められ、以後委員長の座は参から肆へと移った。

「僕は、参を裏切ったつもりはなかった。けど、それを参が裏切りに感じたのかなって、」

「みくびるな！」

参は壁を拳で殴った、鈍く血の滲んだ音に、肆は身体を震わせた。

「確かに、あの時肆は僕の先を行った。そして未だに僕は戦う力を持たない。だから僕は君を含めた皆の裏切りを恐れている、だって勝てないから！それは事実だ、でも！」

参はそのまま壁にもたれて、床に膝をついた。一転、参の表情は悲しみに満ちて、静かに涙を流した。

「僕の欲しかった力も、地位も、役目も、君が全部独り占めするのを、僕は祝ったじゃないか…！」

今まで堰き止めていたものが溢れ出したのを感じた。肆は跪いて崩れそうな参を支えた。

「でも君が、何かを隠すから、秘密も苦難も独り占めするから、僕は君を信じられなくなって」

「うん」

「みんなのこと、信じられなくなって」

「うん」

「でも、みんなのことは好きだから、一緒に救われたくて」

「うん」

「課題に、拘って」

「うん」

「皆を、催眠にまで、かけて」

「…うん」

「僕、は…、おかしくなっちゃったのかな…」

参の声が消えそうなほど窄んでいった。肆は参と目線を合わせて、声を確実に届けるように慎重に言った。

「…ごめん。君を信じていなかったのは僕の方だ。

だからこそ、言うね。よく聞いて、参」

参の涙に濡れた目と、肆のまっすぐな目がかちあう。その瞬間、参は大きくゆっくりと瞬きをした。まるで何かの術が解けたようだった。

「僕らには戦わなきゃいけない相手がいる。とても強くて、僕たち全員で立ち向かなきゃ勝てない相手なんだ」

「そして多分、その相手は参と似た能力を持ってる」

「参、一緒に戦って欲しい」

肆の言葉は参の内面に染み込むように入った。荒だった感情はいつの間にか凪いで、肆の言葉をただ本を読むように受け入れていた。参の顔に柔らかさが戻り、涙を袖口で拭いた。

「…うん。うん、分かった」

参は立ち上がって、微笑んだ。参から手を差し出し、肆のそれに捕まるように立ち上がった。

「状況は分かった。肆たちはその相手と一度戦ったの？」

「うん、弍と伍と漆と4人で」

「なるほど」

顎に指を添えて、参は思考を巡らせた。と、思いきや、ハッとしたようにしゃがみこんだ。

「…と。その前に皆起こさなきゃ」

参ははにかんで、指を鳴らした。

「僕の"輝き"は催眠術なんだ。今まで黙ってて、…そして皆に勝手にかけてごめん」

目を覚ました面々を教室に集め、参は教壇から皆に告白した。

肆は参を支えるように横に立ち、参と皆の顔を伺った。

「えっ！？そーだったの？」

弐が驚いた声をあげる。

「てっきり、頭いーからそれがそうなのかと思った」

「…ていうか、既に催眠にかけられてるなんて全然気づかなかった」

漆は手を握ったり開いたりして、自分の身体の自由を確かめていた。

「じゃあ今も、参が指を鳴らしたら僕たち参の思い通りになっちゃうの？」

伍が少し顔に焦りを宿す。参は少し困ったように首を傾げた。

「それはもうちゃんと解除したから大丈夫。確認する？」

「や、いいです。大丈夫です」

伍が大袈裟に両手を前に出す。クスクスと参と肆は笑った。

「参は、ぁぶちに感情のコントロールを出来なくされて、それが結果的に僕たちの断裂を招いたんだよ」

「…それも、催眠術？」

「似たようなものだろうね」

「ぁぶちは僕には『戦えないから怖くない』って言ってた。けど、同じ戦闘能力を持たないはずの参にはわざわざ妨害をしたんだ。きっと、警戒されてるんだと思う」

「なるほど、そこが穴やってことやな」

陸が発言をすると、皆少し気まずそうに陸の方を向いた。陸はきょとんとして皆を見渡す。見かねた参は陸の側に寄った。陸はニヤリと口角を上げて心配そうな参にデコピンをお見舞いした。

「お前を庇ってたせいで、めっちゃ気まずいんやけど」

「…ごめん。あてっ！」

参がしゅんとして謝ると、2度目のデコピンが飛んできた。

「皆、悪かった。参が正気に戻った、裏切り者はいなかった、これからみんなで協力して戦う、これら全てに俺は納得しとる。俺のこと、許してくれるか？」

陸が眉を下げて、皆に問いかける。それに反対を示す者はいなかった。多数を敵に回しても参を1人にしなかった陸に、敬意と理解があるためだ。

教壇の上から肆が優しい視線で各々を見渡した。

「…僕たちなら絶対に倒せる」

肆は確信を言葉に乗せた。面々は肆に注目し、頷き返した。

「話を戻そうか。ぁぶちの攻略法について」

参が皆が座る机の間を縫って歩く。

「皆に、隙を作ってほしいんだ。僕がぁぶちに催眠術をかける隙を、ね。」

「隙、ねぇ…」

漆が顔を曇らせる。漆だけでなく、弐も伍も、ぁぶちとの戦闘を思い出して苦い顔をした。

「それどころか、攻撃が掠るかすら怪しいよね」

「全部、お見通しだったもんね」

「…2人がそんなこと言うなんて」

壱が目を丸くする。龍宮城きっての武闘派の2人がここまで消極的なのは、2人の性格からしても珍しいことだった。

「確かに。狙いも僕らのやり方も完全に見切られてたようだった」

「先生の記憶を引き継いでいるのかも。先生は僕らのことよく知っているから」

「厄介やな、手口がバレてるんか」

卓越した戦闘能力、参に似た相手の精神に干渉する能力、それに加えて予知能力。チート級のラスボスだ、と肆は思った。

「どうにかして裏をかかないとね…」

参が腕を組んで顎を撫でる。皆が沈黙に落ちそうだったところを、肆が打開する。

「…やっぱりさ、もっかい皆にかけない？催眠術」

ぽかんとする面々。参までも頭にハテナを浮かべて肆を見つめた。

「え、なんで？だって今、解いたばっかりなのに。」

「そりゃ無断でかけちゃうのは良くなかったけどさ。戦略としてアリだと思うんだよね」

漆が少し怪訝な顔で尋ねる。

「参の催眠術にかかって、参の操るままに戦えってこと？」

「全部じゃないけど。なんていうかさ、こう…、ぱっと参の思いついた作戦がコミュニケーションなしに実行できたら強くないかなって」

「う〜〜ん？参、そんなこともできるの？」

「でき、るけど…」

できるんだ…。

伍は魔法めいた参の"輝き"を、漫画みたいだとこっそり思った。

「…皆はいいの？」

参が心配そうに周りを見渡すと、弐が不敵に微笑んだ。

「それってさ、参の頭脳を一時的に僕らに搭載するってことでしょ？面白そうじゃん」

「…頭脳を、搭載」

「なるほど。うん。なんか…、それなら良いかも」

「でしょ？僕たちを振り回してくれたんだ、せいぜい役に立ってもらおーじゃん！」

弐のいたずらっ子のような笑顔に、参はつられて微笑んだ。

「じゃあ、肆、君の"輝き"も利用したい」

「え、勿論良いけど。どうやって？」

「君の"薬と毒"は、もっと有効活用できるって、思っていた所なんだ」

参と肆がアイコンタクトをして、その様子を見て陸は安心に目を細めていた。

「さぁ、皆今から準備をしよう。

僕たち全員の"輝き"を利用して、勝ちに行くよ！」

全員の目に炎が宿り、自然と立ち上がって円陣を組んでいた。

円陣なんて組むのは初めてだったか、予定調和のようにスムーズに各々手を前に出し、自然に言葉を紡いだ。

「僕最強！」

誰だったか、最初に高らかに宣言する声に呼応して、各々同じ言葉を続けた。