🐉🕑創作

第肆話

ドタドタと廊下を走る音が聞こえる。鼻歌混じりでプラムを切っていた伍の元に、弍が飛び込んできた。

「危な！！今ナイフ持ってんだけど！」

「ねぇそれどころじゃないって！！壱見てない！？」

弍はただ事でない雰囲気で伍の身体を揺する。

伍は斜め上を見ながら記憶を辿るが、そう言えば今日は壱と顔を合わせていない気がした。

「見てないかも？」

「どこ行ったのも〜！今日は僕と遊ぶって約束したのに！」

「…」

ムッとしたまま弍が家庭科室を出て行った。深刻なのかそうで無いのか、伍は計りかねていた。まぁいいかと目の前のプラムを皿に盛る。たくさんあるし、壱を探しがてら少し皆に配って回ろう。きっとみんなで食べた方が美味しい。伍は三階の端から、人が居そうな教室を周ることにした。

まずは、理科室。肆か漆のどちらかでも居るかと思ったが、不在だった。

図書室、いない。美術室、いない。音楽室、…いない。階を降りる。２階には大したスポットはないから、1階に降りる。流石にいつもの教室にはいるだろうと思い、引き戸を開けても、そこすらもぬけの殻だった。

流石におかしい気がする。7人でかくれんぼをしたとしてもこうはならない。伍は人の気配には敏感な方だと自覚しているし（自信が無くなってきたが）、そもそもあの教室以外の場所で全員が全員固まってることは考えにくい。

不安と不思議な気持ちで職員室を通りがかったら、中から何か異常な音が聞こえた。

伍はゾッと背筋を凍らせた。

バリボリという聞くに耐えない破壊的な咀嚼音。何かを砕いて飲み込む音。普通に考えてあり得ないが、これが何かの食事の音だと伍は理解してしまった。

ー化け物でもこの中にいるのか？何を食べている？

両手から左手に皿を持ち替え、右手をナイフのあるポケットに忍ばせる。職員室の扉に耳を当てようとした時だった。

「あれ、伍だ。どうしたの？」

背後から声をかけられて、伍は驚いて手に持っていた皿とフォークを落とした。落ちた皿は割れはしなかったが、プラムが数粒落ちてしまった。

「わ、ごめん。脅かすつもりはなかったんだ」

「いや、うん、なんかこっちこそごめん。」

声をかけたのは肆だった。伍よりも早く駆け寄って散らばったプラムを拾った。肆はプラムについた埃を払おうと、息を吹きかけていた。

「勿体無いことしちゃったね。洗ったら大丈夫かな？」

「…」

伍は肆の言葉が聞こえていなかった。皿とフォークが床に当たる音に反応し、中にいる気配が消えたのだ。

「…伍？」

「あ、いや、…大丈夫。そういえば肆は今日他の誰かに会った？」

「会ったよ。漆とこの辺散歩してた。」

…散歩か。なるほど。それで見つからなかったわけだ。他のみんなもそれなりに固まって何処かに居るのだろう。何せ課題が無いと、この廃校からは出られないんだから。伍は深く考えるのをやめた。

「落ちた分は仕方ないけど、それでもまだまだあるから、皆で食べようよ」

「…皆、」

不思議なところで引っかかる肆に違和感を覚えた。肆はハッとして笑顔を取り戻した。

「いいね、僕もなんか甘いものが食べたかったんだ」

食事は基本、各自が勝手にとっていた。というか、彼らは食事を必須としていなかった。課題のついでにお菓子や各々好きなものを買ってきて、好きに食べる。食べない時もある。つまり、こだわっていない。

だからこうやって7人全員がテーブルを囲むなんて、かなり珍しいことだった。

「あれから追加で切り分けたから、足りないことは無いと思うけど…」

「…」

そしてまた珍しいことに、皆の間に重い空気が流れていた。伍は異様な空気に周りをキョロキョロと見回すことしかできなかった。そしてなんとなくさっき肆が「皆」という言葉に引っかかったのも分かった。"なんか"あったんだ。

沈黙を破ったのは弐だった。

「ねぇ、壱。何してたのさ。今日は僕と約束してたよね？」

ほぼ対角線の位置に座る壱は俯きながらプラムを摘んでいた。弐はイライラした様子で机を指でつついていた。

「落ち着いて、弐。壱は具合が悪そうだったから僕と保健室にいたんだよ。許してあげて」

「…何それ。」

参が壱を庇ったのが更に弐の機嫌を損ねたらしい。弐はプラムを鷲掴みにして口の中に乱暴に詰め込んだ。

「壱、体調は大丈夫？」

「…うん」

漆が尋ねると、壱は小さく頷いた。確かにいつもより儚く、力無く見えた。肆は参の様子を警戒して観察していた。参がそれに気付き、目を合わせようとすると肆はパッと目線を外した。参は目を細めた。

「そうだ。せっかく皆集まっているし、一つ聞きたいことがあるんだ」

徐に参は円卓に手をつき立ち上がる。皆の視線を集めたところで、口元の笑みを消した。

「"石"がロッカーから無くなっているんだけど、誰か知らない？」

"石"。救世主様がもたらし、課題をこなすと色づく不思議な石。それは参が厳重に職員室のロッカーに閉まっていたはずだ。それが一つ残らず無くなっていると参は言った。「誰か」とは言ったが、参は細めた目で1人だけを見ていた。

「"石"って、…あの"石"？」

伍が尋ねると、参が首肯した。

「今更なんだけど、あれ結局なんなの？無くなったら困るの？」

弐がプラムを飲み込みながら尋ねる。肆が弐の背中をさすりながら応える。

「僕たちが救われる為に、集めなきゃいけないもの。…のはず。」

「なるほどな。俺らがここから出る為に必要なんや。」

「じゃあ、それを独り占めしようとしてる人がいるってこと？」

漆の一言で、空気が変わる予兆が見える。それを壱が決定づけるように呟く。

「…僕たちの中に、裏切り者がいる」

息を呑んだ。

確かに各々はこの廃校から救われる為に課題をこなしてきた。全ては、皆が全員で救われる為に。それを抜け駆けしようなんてものは、裏切りだ。

「でもあのロッカーって、参しか開けられないんじゃなかった？」

「うん。僕も誰にも教えてない。…けど」

「けど？」

「肆の目の前で開けたことはある」

皆の目が一斉に肆に向く。肆は思わず立ち上がった。椅子が後ろに倒れ、体は勝手に後退りを始める。どうして、参はそんなことを言うのか。

「僕しか開けられないといっても、ただのダイヤル錠だからね。番号さえ見られてたら開けられてしまう」

自分は潔白だ、これは濡れ衣だ。そう分かっているのに、皆の目線が恐ろしくて何も言えない。肆が口をはくはくと惑わせていると、漆が立ち上がった。

「…まだ肆だと決まった訳じゃないだろ」

低く小さな声で漆が反論する。その小さな声で、肆の脚の震えは止まった。

「そうだ、僕じゃない。僕はその"石"に触れていない」

肆に勇ましさが戻り、はっきりと参の主張に反論した。漆が嬉しそうに肆を見て、肆も強く頷き返した。

「…僕も、肆じゃないと思う」

伍もゆっくりと立ち上がった。参も肆も意外そうな顔をして、伍に向き直った。

「聞いたんだ。さっき、職員室の前で物音がしたのを。」

「物音？」

「今、皆の言ってること聞いて、もっかい考えたらわかった。多分アレは、なんか化け物が"石"を食べてたんだ。」

「化け物？なんやそれ」

「…食べてた？"石"を？」

壱と陸が訝しげに伍を見る。非難めいた視線に少したじろぐ。フッと小馬鹿にするように息を吐いて、参が反応した。

「…なるほどね。第三者が実はこの学校にいて、それが"石"を盗んだと。…食べてるかどうかはともかくとしても。」

「少なくとも、砕かれてはいたはずだ。見てないけど、"石"が砕ける音は聞いたから。しかもその後、肆は廊下の違う方からきたんだ。肆じゃないと思う」

「でも、第三者なら尚更ロッカーの鍵開けられないよね？」

壱が疑問を口にしたとき、肆には心当たりが一つあった。

しかしそれを言ってもいいのだろうか。ずっと引っかかっている事。自分しか知らないこと。証拠はない。でも、多分そうだろうこと。

肆が発言を躊躇していると、漆がゆっくりと顔をあげた。

「普通に、さ。参が怪しいってセンはないの？」

漆がつぶやく。勿論みんなには届くように。漆は戦うつもりで参に目線を向けた。

しかし参は、拍子抜けするほど怯えた表情で漆を見ていた。

「…え、僕…？」

「え、いや、だって、参はフツーにロッカー開けられる訳でしょ？」

てっきり参の高圧的な反論が来ると思っていたのに、参はか弱い被捕食動物のように震えていた。庇い立てするように陸がテーブルを拳で叩く。

「絶対にあり得ん」

「な、なんで言い切れるのさ」

「裏切りを一番恐れているのは参や。参だけはあり得んし、疑うのは俺が許さない」

異常なまでの怒りと敵意。漆は口を噤んでしまった。相変わらず参は震えていて、カクンと膝を曲げ着席した。

「…僕も参の味方をする」

壱も参を横目に見ながら静かに宣言した。弐はまたそれに腹を立てたようだった。

「じゃあそっちが肆を疑ってるなら僕は肆につく！」

「…僕も肆についていく」

伍はただ困惑していた。ただ皆でたのしくおやつを食べたかっただけなのに、どうしてこう、派閥めいたもので皆が真っ二つになってしまった。助けを求めようにも、参は泣きそうな目で俯いてしまっているし、肆は深刻な顔で考え込んでいる。参側の壱と陸、肆側の弐と漆、4人にお前はどうするんだと視線で問われる。伍は冷や汗を流した。

「…肆じゃないと思うとは言ったけど、だからと言って参を疑う気持ちにはなれないよ」

正直に震える声で打ち明けると、空気が少し和らいだ気がした。

「…伍は『第三者説』を推してるんやもんな」

陸が静かに着席する。他の皆も興が削がれたように着席した。肆は後ろに倒した椅子を起こして、教室を出ていく。

「ごめん、僕は"面談"があるから。」

肆の離席をきっかけに、沈黙が続き、居た堪れない空気が流れた。

そして、その空気から逃げるように、1人また1人と教室を出て行った。

そうして残ったのは参を含む参側の3人だった。

「…参。大丈夫か？」

「ありがとう、少し落ち着いた。」

陸は柔らかい声で参を気遣った。参の震えは止まっていたが、まだ自分の身体を抱えていた。

「壱をこっち側につけたら弐も着いてくると思ったんやけどな、少し間が悪かったな」

人形のように黙って座る壱を横目に、陸は参の隣に移動する。参はぽつりぽつりと雨を降らすように呟く。

「肆が、何かを隠してるのは確かなんだ。」

「うん」

「怪しいのも、肆なんだ」

「うん」

「…僕の中では、肆は裏切り者なんだ」

「うん」

「怖いんだ、…怖い」

椅子の上で、体操座りして、参は身体を小さくする。陸は参を慈しむように髪を指に絡めて撫でた。

（壱は、お前を怖いって言うてたのに）

どこか不思議な気持ちで陸は壱を眺める。依然としてピクリともせず、ぼんやりと空を見つめる壱。

「俺も、怖い？」

「…今は。でも僕を裏切るなら、…怖い」

正直、陸もこんなに不安定な参は見たことがなかった。いつも堂々として、皆を纏めて司令塔をしている参からは想像もつかない。こんなにも何かに恐れ、怯えている参なんて実際に目の当たりにしなければ信じられなかっただろう。

「俺は、参を味方や。…けど、信用できなかったらいつでも壱みたいにしてくれてええからな」

「…」

参はそれに答えることはなかった。陸は少し切なくて眉尻を下げた。

肆はいつもの"面談"の教室で、深呼吸をした。今、このタイミングで肆の引っ掛かりを解消する必要があると感じていた。拳を握って、目を閉じる。いつもの歌を歌って、"面談"を始めた。

「…僕らの乙姫先生。今日はあなたにお聞きしなければならないことがあります」

肆はみんなの顔を思い出すことで、勇気を搾り出す。

「参が、ロッカーの"石"が無くなったと言っていました。」

「あなたなら、…先生で、職員室を使っていたあなたなら、ロッカーを開けられるはずです」

「…あなたですか？」

教壇の気配の輪郭を捉えようと目を見張る。

しかし、いつも心に流れてくる先生の返答は聞こえなかった。しかし、その代わりに。

「そうでぇ〜す♫」

背後から、ハッキリ声がした。声質は先生の物だけど、トーンが、言葉が、キャラクターが、何もかも違うものだった。

ハッとして振り向くと、そこには人の姿があった。顔も、声も、夢にまで見た乙姫先生だった。けれど、ツインテールに青のトップスに青のプリーツのミニスカート、青い蛇柄のピンヒール。

肆は目を見開いた。先生だけど、先生じゃない。

その人は大袈裟に手を伸ばして拍手をした。

「よく分かりましたね♫えらぁい♫」

「…誰だ」

人物は、ヒールを鳴らして、よく見ろと言わんばかりに肆に近づいてきた。

「地獄のアイドル、ぁゔちです♡」

両手の拳を顎の下に添えて、きゅるんっという効果音付きで首を傾げる。肆は目眩がしてきた。

「龍宮城の皆さん、今まで私のおやつ、い〜っぱい集めてくれてありがとうございましたぁ♡」

「おやつ…？」

「人間の欲望が、ぐちゃっとなったあの"石"！あれをも〜りもり食べてぇ、とうとうセンセーの体を使って実体化できちゃいましたぁ！」

ふっか〜つ！と片足と片手を上げて、元気良くポーズを取る。

「『先生の体を使って』？じゃあ、先生は」

「もう何処にもいませんよ」

当然のようにピシャリと言い放った。そして肆が顔を歪めたのを見て、くすくすと笑い出した。

「というか、ここがこんなんになってから、ずっとぁぶちが乗っ取ってましたよ♫」

「…じゃあ、僕が今まで面談してたのは」

「はい！ぁぶちでした！ぁぶちによるセンセーのモノマネでしたぁ♫似てたぁ？」

肆は、今までの違和感が全て解消されたことに絶望した。そして、今までに感じたことのない激情。荒い息を、衝動を抑えるので必死だった。目の前で笑う、親愛なる先生の体を乗っ取っている悪魔を逃すまいと睨みつけた。

「似て、るわけないだろ…！」

「あ、怒っちゃった感じですかぁ？でもぁぶち知ってますよ？」

ぁぶちは、肆の睨みに怯むどころか、どこか憐れむように目を細める。

「あなた、戦えないタイプの人でしょ？だから、そんなに睨んでもぜ〜んぜん怖くありません♫」

…！

肆はたじろいだ。ぁぶちの指摘通り、肆の"輝き"の本質は薬だ。毒は副産物でしかなく、肆は戦闘能力を持たない。

「特待生とかいって、センセーは重宝してたみたいけどぉ。あの子もそう、こっそり感情を解放してあげたら、ふふふ！あんなんになっちゃって」

それは、参のことを言っているのか？

肆は、ハッと今までのおかしかった参を思い出す。

先生だけでなく、参もおかしくしたのか。それで肆や皆を私欲の為に偽りの救済を餌に騙して。肆は情報の洪水と、あふれる感情に溺れそうになっていた。

「あ〜あ。復活出来たのが嬉しくて、喋りすぎちゃった♫じゃあ皆さんは一生、ぁぶちに忠誠を誓って、ぁぶちのおやつ集めを引き続き頑張ってくださぁ〜い♡」

完全に言いたいことだけを言って、ぁぶちの身体はターンと共に風の中に消えた。

1人取り残された肆は、体のコントロールを失い、ガタッと尻もちをついた。泳ぐ目、纏まらない思考、止まらない動悸。息が荒いまま、肆は暫く動くことができなかった。