第9話 外へ ―4

 娘と公園に初めての散歩。やたらと外が眩しい。他の家族もいるから少し怯んだが、華と真理恵がフォローしてくれる。

「和愛ちゃんはお父さんの膝でブランコしたいかも」

「じゃ、俺は華音を」

「だめ! いっつも華音ばっかり。今日は華月!」

「……はい」


 華月はじっとしていない。前を向いているかと思うと、振り向いて華の首っ玉にかじりついたり、立ち上がろうとしたり。

「だから華月は大変なんだ!」

「お前とブランコって少ないんだろ? 華音ばかり構っているって真理恵も言ってたし」

「……そうだけど」

「嬉しいんだよ、父ちゃんとブランコが」

「『お父さん』! ウチでは『お父さん、お母さん』って呼ばせ」

「そう言う話じゃなくって。双子なんだ、同等に扱ってやるべきだろ?」

「……だって女の子は特別だし」

「華、自分の子どもに我がままはだめだ。有難いじゃないか、男も女も」

 それ以上を言うのを止めた哲平はブランコを下りた。

「哲平さん! ごめん、俺、」

「悪い。お前の家のことに口を挟んだ。和愛と滑り台してくるよ」

 その後ろ姿が寂しそうで華は唇を噛んだ。

(俺って……)

 哲平なら、キャッチボールが出来る男の子が欲しかっただろう。『男同士』そんな言葉を使いたかっただろう。

(贅沢なことなのに。哲平さん、ごめん)

 そして、膝で暴れる華月を抱きしめた。

(華月、ごめん。だめなお父さんだ)


 隣に華音を抱っこした真理恵が来た。華音を膝に乗せて漕ぎだしたからつい慌てて立ち上がった。

「華くん? どうしたの?」

「俺、さ」

 咄嗟に、家族の仲いいところを見せつけるような気がした。

「間違っちゃダメだって思う。堂々としてなきゃ。華くんは二人のお父さんなんだよ。そして私がいる。それは悪いことじゃないし、無いことにしないで、お願い」

 華は座った。

「哲平さんがウチに来るたびにそんな顔するの? 私、今の華くん嫌いだよ。それじゃ哲平さんはウチに来るのだってやめちゃうよ。どうして誰かに合わせようとするの?」

 哲平と真理恵の言葉が刺さる。

(俺、気がつかない内に哲平さんを憐れんでた?)

 そうなのだろう。不可能なことを、もうどうしようもないことを第三者が悔やんでいる。それを見た哲平はさらにどんな思いを抱くのか。

 華は華月を下して、哲平がよくやるように両手でピシャン! と頬を叩いた。

「華くん?」

「哲平さんは自分の子どもを。俺は自分の子どもを。それでいいんだよな、マリエ」

 真理恵がにっこり笑う。

「いいと思うよ、それで」

「よし!」


 華は華音も真理恵から取り上げて下に下ろした。二人の手を繋いですべり台に向かう。

「哲平さん! 俺が上から滑らせるから下で受け止めて!」

 哲平の腕がしゅぅっと滑ってくる華月を受け止めて、そのまま高い高いをする。華月が大喜びできゃっきゃと騒ぐ。

(男の子ってこういうもんか)

 次に滑ってきたのは和愛だ。下した華月はすでに階段へと向かっていた。

 和愛を受け留めて、華月と同じように高い高いをすると喜んではしゃいだ。

(華月と変わんないな)

 次は華音だ。どうやら高い高いはお気に召さなかったらしく、空に放り上げたとたんに怯えて泣き出した。下すと母親の元へと、小さな子どもなりの速さで手を伸ばして走っていく。

 それを見て、即下りて来た華。

「怖かったのかな、華音には向かないのかもしれない、荒っぽいこと」

「甘やかし過ぎなんだよ、華。女の子だからって今からそんな風に育てると良くないぞ」

 言ってから哲平は余計なことを言ったような気がした。自分だってまともに子育てをしていない……


「哲平さんの言う通りだよ、華くん! よし、今日は華音の特訓ね。ほら、お母さんが高い高いしてあげる!」

 低い、高い高いだ。母親がやるせいか、高さが低いせいか、そんなに怯えた表情は見せない。次は華だ。その間に、華月が哲平に手を伸ばしてきた。

「どれ、哲平おじちゃんが投げてやるか」

 華月の反応がいい。続いて和愛が手を伸ばす。和愛を放る。


 充分、親も子も疲れて、ベンチに移動した。その膝に華月がよじ登る。

「好かれたみたいね、哲平さん」

 両膝に和愛と華月を乗せて哲平に笑顔が広がった。

「いっぺんに二人の子持ちになったみたいだ」

「手伝ってよ」

「何を?」

「子育て。俺一人でじゃだめだって思う。今のままじゃ華月にも華音にも良くない父親になりそう。三人で三人を育てようよ。遠慮はなしでさ」

「……スパルタになるかもしれないぞ」

「ああ、じゃ、お願い。俺にはそれ、ダメ」

 哲平の笑顔が大きくなった。



 時は容赦なく過ぎて、病院に戻る時間になった。時計を見たくない哲平に、華月と和愛がまとわりつく。

「華……俺、今日は大丈夫な気が」

「哲平さん、焦らずに行こうよ。これっきりじゃないから。何度だって繰り返してちゃんと帰れるようになろう。金曜の夜、必ず迎えに行くから」

 哲平が唇を噛む。何度も頷いて、それでも涙が落ちそうになるのを耐えているのが分かる。

 真理恵が元気な声を出した。

「次も天気いいといいね! 公園にお散歩、また行こうね!」

「おう……行こう……」

 元気のない声。けれど、次に向かうという声だ。


 時恵が来た。華月と華音の世話を頼んだ。

「さて! 哲平さんは和愛と後ろに乗って」

 助手席に真理恵、後部座席に哲平とその膝に和愛。もう外は暗い。

 どんなにゆっくり走っても近くなる病院。哲平はぎゅっと和愛を抱きしめた。

「父ちゃんな、また和愛と寝るために帰ってくるよ。今度の金曜まで待っててくれ、また一緒にいられるから」

 なにも無ければ一緒に暮らせるはずの父娘。それが辛い。華は隣で真理恵が涙を拭いているのを見た。今この車の中にいるみんなに共通する言葉。それは『次の金曜日の夜』だ。


 華が連絡を入れたから、担当看護師の平田さんが入り口で待っていてくれた。

「どうでした? 楽しく過ごせましたか?」

 今までの経験で分かっているのだろう。哲平が受け入れやすいようにゆっくり喋り、優しい笑みを浮かべていた。

「ええ……足んなかったです、時間」

「そうですか、良かった! 中には最初の一時間くらいで戻ってきてしまう方もいるんですよ」

(俺もそうなりそうだった……良かった、ちゃんといられて)

平田さんのお陰で、哲平は違う側面から見ることが出来た。


「華、真理恵。頼む、和愛を。頼む」

 雰囲気を感じたのか、和愛が哲平にしがみつく。哲平も和愛を自分から引き離せない。真理恵が和愛を哲平から受け取った。

「とうちゃん、とうちゃん、」

「和愛、次の金曜だ。必ずたくさん抱っこするから」

 去りがたい、そんな華の気持ちを見越して平田が言う。

「宇野さんとここで見送りますね。和愛ちゃん、またね」

 泣き始めている和愛を泣きそうな華が見つめる。そして哲平を。

「早い時間に来るから! 哲平さんが元気ないと外泊できなくなるから。ね、元気にいてよ」

「分かった。俺は……元気だ。行ってくれ、華、真理恵」

 小さな手が自分に真っ直ぐ伸びている、父ちゃん! と。その手を握って「またな」という哲平の姿が辛くて。

「行こ! 哲平さん、和愛ちゃんと迎えに来るからね!」

 真理恵は「とうちゃん!」と叫ぶ和愛を胸に、哲平に背中を向けた。まるで、自分が鬼になったような気がした……



 宇野家にそのまま向かった。電話を入れておいたからチャイムを鳴らすとすぐにドアが開いた。

「遅くなりました」

「いいえ、ありがとうございました。どうでしたか?」

 途中で2回、真理恵は宇野家に電話して様子を知らせておいた。車の中で泣き疲れた和愛は、勝子の腕の中でもう眠り始めている。

 お茶を飲むとホッとした気がした。

「これ、どうぞ見てください」

 真理恵が携帯を出す。哲平の笑顔が映っている。和愛とぶらんこをし、すべり台をする姿が動画で再生された。

 彦介も勝子も食い入るようにそれを見ていた。

「これ、送ってもらってもいいですか?」

 一知華の教えてくれたアドレスにすぐに転送する。

「いいねぇ、こんな顔をして……楽しかったんだねぇ」

 涙の勝子の顔に笑顔が浮かぶ。彦介にも。

「今度は金曜の夕方に迎えに行きます。だから」

「分かりました。ちゃんと用意しておきます」

 勝子が気丈にはっきりと言う。一知華が華と真理恵の顔を見て手をついた。

「二人をお願いします。私たち……焦らずに待ちます」

 二知華も手をついた。

「よろしくお願いします」

「はい。俺たちも焦らずにやっていきます。哲平さん、楽しんでました。でも別れる時には…… だから、きっと頑張ってくれると思います! 大丈夫です、きっと哲平さんは退院できるようになります!」


 大役を果たして、帰りは真理恵が運転した。気がつかなかったが、精いっぱい気を張っていたのだと思う。ぐったりしていて、とろとろした真理恵の運転が心地いい。

 携帯が鳴る。

「はい」

『河野だ。今大丈夫か?』

「はい、和愛を宇野さんのお宅に送ってきたところです」

『どう、だった?』

「とても……部長、アドレスに画像送ります! すべり台とか、高い高いとか、哲平さん、すごく嬉しそうでした!」

『そうか……そうか、嬉しそうだったか』

「次、金曜の夕方に迎えに行きます。だから2泊3日の外泊になるんです」

『……華、吉村製紙に届ける書類があるんだ。悪いが金曜、それを持って行ってくれるか? そのまま直帰していい』

「部長……」

 知っている、あれは向こうが取りに来る資料だ。だからわざわざ届ける必要などない。

「ありがとうございます……」

『業務だ。頼むな』

「はい」

 みんなが優しくて、真理恵は静かに脇に車を寄せて止めた。涙を拭くために。

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