第185話 閑話 とある少女の武者修行

「〖シミュレートデュエル〗……終了、ふぅ。……まさか儂の技を、一週間足らずで体得するとはのう……天晴じゃわい」

「はぁ、はぁ……ありがとう、ございます。トルバ師匠」


 〖豪獣〗の跋扈する魔境の奥地。常に霧で覆われた渓谷の底にて、二人の人物が相対していた。

 一人は老爺。崖壁に半身を埋め、どこか満足げな表情を浮かべている。


 そんな彼の視線の先には、掌底を打った体勢のまま息を荒げる少女が居た。

 白い髪に赤い瞳を持つ彼女は、しかし二、三回の呼吸で息を整える。


「フィスよ……お主は友の助けとなるために、〖凶獣〗すら容易く屠れる程の力が欲しいと言うておったのう」

「ん」


 老爺は思い出す。初めて少女と出会った日のことを。


 かつて不破勝鋼矢を瀕死にまで追い詰めた彼──英雄級冒険者トルバは旅の途上であった。

 旅の目的はひとえに死に場所を探すこと。


 英雄級冒険者であっても、〖典位〗自体は〖第三典〗なトルバの寿命は常人並みである。

 日に日に弱り行く身体。払えど払えど錆び付く技巧。


 武技のみで英雄の階位に上り詰めた彼は、己の老いを一際強く実感していた。

 そして思った。このまま己の研鑽が損なわれるくらいならば、この命と技を、最期に何かに役立てたいと。


 だが、そのような『ちょうどいい相手』など早々現れはしない。

 行く先々で人助けをしていたものの、英雄級たる彼の手に掛かれば大抵の脅威は赤子の手を捻るように排除できてしまう。


 各地の〖凶獣〗に突撃するのも有意義とは言えない。

 多くの街が〖制圏〗の恩恵を受けているのは間違いなく、その大元を討伐することは天然資源の減少を招きかねない。


 そうして二十年にも亘る放浪を続け出会ったのがフィス・モグサールという少女。

 魔境にて〖豪獣〗の群れと争う姿を目撃した。


 野生的ながらも最適に限りなく近い体捌き。これが天性のものである、と直感的に察したトルバは同時に、彼女ならば自身と同じ高みに至れるのではと期待した。

 これまで幾人かの弟子を取ってきたが、武術でトルバの領域にまで届き得る者はついぞ現れなかった。


 己の武芸の全てを後世に遺す。それもまた意義あることだと考えたトルバは彼女を弟子に誘い、さらなる力を求めていたフィスも誘いに応じた。


「お主であれば……儂の全ての技を受け継いだお主であれば、必ずや友の手助けができるじゃろう」

「ん、全部師匠のおかげ。こんなに強くなれたの、師匠の指導と魔法があったから」


 〖シミュレートデュエル〗。互いの同意を前提に、様々な特殊条件を設定して決闘できるトルバの魔法である。

 決闘中であれば死すらも取り消せるこの魔法があってこそ、この師弟は全力の立ち合いを繰り返せた。


 初めの一日で基礎を固めたフィスは、その後のほとんどを実戦訓練に充てた。

 幾度と殺される中で技を磨き、魔法を究め、感覚を研ぎ澄ませる。

 トルバに勝つ度に彼を強化する特殊条件を付け加え、そしてつい今しがた、最大強化状態の彼を打ち倒したのであった。


「いいや、それは違うのう。いくら体力があろうとも、死を味わうような過酷な修練に何度も臨める者は少ない。この目覚ましき上達はお主の想いがあってこそじゃ」


 それから〖属性〗とのう、と付け加える。


「〖鉄人属性〗……じゃったか。身体強化に限り卓越した効力があるのじゃったな。しかし先程の立ち合い、最後に見せたあの魔法は……」

「ん、〖昇華〗した」


 幾度となく死線を潜る極限の集中状態は、少女の〖属性〗に劇的な成長をもたらした。この短期間で〖第五典〗に〖昇華〗する程に。


「新しい〖属性〗の名前は──」

「──そうか。それは、今のお主に相応しい名じゃのう」


 そう言ってから、空を見上げて呟く。


「儂から教えられることはもう何もない。さあ行け、フィスよ。その力、存分に振るうのじゃ」

「ん。……最後に、これまでお世話になりました」


 腰を九十度に曲げ深く一礼。

 それから長距離通信用のアーティファクトに〖マナ〗を込める。通信先は後方支援担当の賢人だ。


『賢人様、修行終わった。土蛟くらいなら倒せると思う。……力になれる?』

『勿論です! 少々不味い状況でして、すぐにポーラに取り次ぎます! 転移の孔を開けてもらいますので貴方は戦闘の準備をっ』


 少々の間を置き、フィスの眼前に孔が開いた。


「それじゃあ、行って来るね」


 そうして渓間──否、決闘の余波で抉り取られたかつて丘だった場所を離れ、次に現れたのは海上。


「久しぶり! 賢人様から状況は聞いてるよねッ?」

「ん。私の役目は、配下の掃討」

「そうそう! じゃあ送るけど……無理はしないでね? 何かあったらすぐに逃げて」

「平気。あの程度に、無理なんて必要ない」


 〖陽煌炉〗を回り込むようにして駆けるカオスの眷属達を見てフィスは言った。


「分かった、信じるよ。〖エリアホール〗」


 次に孔が繋がったのは眷属達の進路上。

 “魔王”がそちらへ銀嶺を一振り、先回しさせていたのだ。


「フゥゥゥゥー……」


 細く長く息を吐き出し、フィスは敵の群れを見据える。

 虎と鼠ほどのサイズ比。いずれも巨体を誇るカオスの眷属達に対し、彼女はあまりにちっぽけだ。


 また、劣っているのは体格だけではない。

 トルバとの稽古に明け暮れた彼女は、〖レベル〗自体はまだ百にも届いていない。


 対し、〖の王権:四季混生〗により生み出される魔獣の平均〖レベル〗は二百五十。

 多少のバラツキはあれど、二百を下回ることはまずない。

 両者が激突した時にどうなるかなど、火を見るより明らかだ。


「…………」


 にも拘わらず、少女に緊張はない。

 重心を低くし半身で構え、獲物が間合いに入るのを待つ。

 そして先陣を切る黒植物との距離が百メートル程となった時、彼女の足元が爆ぜた。


「〖ウルトラエンハンス〗」


 それは踏み込み。全身の力をバネのようにめ、一気に解き放つ技術。

 これを〖ウルトラエンハンス〗で強化された肉体で行えば、大地は抉れ土砂も巻き上がる。


 唐突な静から動への変調に、眷属達は反応できない。

 妨害する暇もなく懐に入られた。


 ──トルバの生んだ流派に名称はない。

 だが、性質は明快だ。

 魔獣殺しの武術。形も大きさもバラバラな巨獣達を屠るため、その技は発展してきた。


 これより繰り出されるのはその一端。

 根の足で駆ける眷属目掛けて跳び、全身の筋骨を一切の無駄なく連動させ、持てる力と重さと速度を回し蹴りに乗せ叩き込む。


「〖ウルトラアーツ──パーヴェイドフィスト〗」


 武術〖スキル〗の性能を飛躍的に高める魔法、〖ウルトラアーツ〗。

 今回その対象となったのは〖パーヴェイドフィスト〗だった。


 トルバの編み出したこの〖スキル〗は、衝撃を内部に浸透させ魔獣の臓腑を破壊できる。

 それ故に難度が高く、足での発動は輪をかけて困難であるが……この程度でもたつく段階はとっくに通り過ぎている。


「ギギぎごご……っ」


 〖パーヴェイドフィスト〗は寸分の狂いもなく眷属の芯に炸裂した。

 眷属に臓腑はないが、それでも被害は甚大。樹皮の奥、幹の中心部より衝撃が爆ぜ、幹がぽっきり折れてしまっていた。


「ギギギギィィァッ!」


 だが眷属も黙って殺されはしない。

 足として使っていた根の一本で勢いよく横薙ぎ。条件反射で振るわれた力任せながらも迅速な一撃は、


「〖パリィ〗」


 少女の手によって易々と往なされた。

 それでも僅かに威力を伝えることには成功したようで、軽い少女の体は独楽のように回転し──回転の速度を上乗せして、濃密な〖マナ〗を込めた蹴りを放つ。


「〖ウルトラアーツ──リーパーフィスト〗」


 〖ウェーブフィスト〗から発展した最大の破壊力を誇る〖リーパーフィスト〗。

 射出された〖マナ〗の刃が切り株を両断し、〖ライフ〗の貯蔵を持たない眷属はこの一撃で絶命した。


「まだまだ。どんどん倒す」


 たったの二撃で眷属を仕留めるも、フィスは油断なく後続の敵に狙いを定める。

 そこには微塵の消耗も窺えない。最適化された動作は、肉体への負担も最小に抑えていた。


 技量も身体も人の枠組みを超えて増強させるフィスの〖第五典〗。

 極まった技とフィジカルの相乗は〖レベル〗差を超え、体格差を超え、不条理なまでの暴威となって敵対者を粉砕する。


 自己にのみ絶対的な強化を施すその〖属性〗の名は──〖超人〗。


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