第139話 巫女と地神祭

「千年前に大賢者様が〖亡獣〗を封印した、という話はご存じですかな? この話の肝は〖亡獣〗を討伐したのではなく封印に留まったことです。大賢者様と六体の凶級疑似魔像機が揃って尚、〖亡獣〗の命脈を絶つには至らなかったのですのぅ」

『…………』

「そして封印も、恒久的な物とはなりませんでした。大賢者様が魂を燃焼させるアーティファクトを用い、魔法の力を爆発的に高めて施した大魔法は、日ごとに効力を失っていたのです。放置すればいずれ〖亡獣〗が解き放たれまする」


 そしてそうなれば、この国のみならず地上の民達も大勢が犠牲になることは必至。

 タナシスは平淡な声音でそう付け加えた。


「だからこそ、封印を補強する必要が御座いました。そして幸いなことに、その手段も大賢者様がご用意してくださっておりました。魂の補填。封印維持のアーティファクトに巫女を生きたまま捧げることで、その魂を抽出し封印を修繕できるのです。そうして初めて巫女が捧げられたのが、今から九百年以上前のことに御座います」

『……っ』


 そんな前から、続いてやがったのか。

 不思議には思っていた、なんでこれだけの文明があって地底人は地上を目指さなかったのか、って。宝石モグラだって千年前から生きてた訳じゃねぇしな。


 疑問の答えが今、分かった気がする。この封印があったせいだ。

 地上っていう逃げ道があれば巫女に選ばれた者が逃げ出す恐れがある。

 だからこの国のトップは混乱を起こしかねねぇ地上帰還を諦め、地底での繁栄を選んだんじゃねぇだろうか。


「以後、五年ごとに賢人様の選定した巫女を捧げ封印の再補強を行ってきました。ええ、地神祭とは即ち、生贄の儀に他なりませぬ。それを直接口にするのは憚られ、名目上は地神の召命となっておりますがのう」

『……それで巫女、か。……これまで、不満は上がらなかったのか? 名目が何であれ、二度と会えなくなることにゃ変わりねぇだろ?』

「巫女に選ばれるのはほまれ高いこととされておりますので。無論、心から祝福している者はそうは居ませぬが。しかしながらこの国では賢人様が絶対。逆らおうものなら国の全てが敵に回ります、声高らかに反対を叫べる者は皆無と言っても良いのですのう」

『国外に出るのが難しいと、そうなんのか……』


 それに五年に一度、一人だけって頻度も一因だろう。

 この都市の人口は数万人。知り合いが犠牲になる可能性はそれなりに低いし、赤の他人が捧げられるってなっても反抗を手助けしようとは思わねぇはずだ。


『それで、今年の巫女はクリッサだったんだな』

「然り。朝から彼女は賢人塔に招かれているはずでございます」

『疑問なんだけどよ、巫女いけにえには犯罪者を使ったんじゃダメなのか?』


 我ながら残酷な発想だとは思う。けど、無辜の民を生贄に捧げるくらいなら……と、身勝手にも思ってしまうのだ。


「難しいでしょうな。賢人様は明言されておりませんが、捧げる魂には一定以上の鮮度と質が必要になるのでしょう。これまでに巫女に選ばれたのは皆、十五から二十歳で固有〖属性〗を持つ者でしたからのう」

『鮮度と質、か。なるほど……』


 アーティファクトについて学ぶ上で、魂や〖マナ〗のこともある程度習った。


 思念を飛ばせるアーティファクトの存在から分かるように、〖マナ〗には感情や思考を媒介できる性質もある。

 これらの性質は〖マナ〗の源泉が魂、つまり精神体から湧出するためであり、意思によって〖マナ〗を動かせるのも同様の理由だ。

 〖マナ〗と魂と感情は、それぞれが密接に関わり合っている。


 だから魂をリソースとして活用するのなら、貴重な固有〖属性〗で、かつ多感な年頃の者を使うってのは理に適っているのだ。

 合理的だからって納得はできねぇが。


「吾輩からの話はこれで終わりですのう」

『そうか。話してくれてありがとな』

「……何をしに行かれるので?」


 礼を言うや移動を始めたオレを見て、タナシスが問いかけた。

 どこか祈るようなその言葉に込められた感情を推し量るより早く、オレは答えを発していた。


『決まってんだろ、直談判だ』




◆  ◆  ◆




「よく来ましたね、クリッサ・シデロス。壮健そうで何よりです」


 疑似魔像機に連れられて賢人塔まで来た俺は、八階にある謁見の間に案内された。

 長い絨毯の先の玉座に座って待っていたのは、腰まで伸びた金髪と象牙のような乳白色の肌、底冷えするようなアイスブルーの瞳を持つ女性。

 千年前からこの国を統治なさっている賢人様だ。


 からからに乾いた口を動かし、どうにか言葉を紡ぐ。


「……全ては賢人様の治世のおかげでございます」

「そうですか」


 世辞に興味はない、と言わんばかりに淡白な反応。

 彼女はすぐに次の話題へと移る。


「貴方は最後の一月ひとつきを市井で過ごしていましたが、心残りはありませんか?」

「…………」

「……意地の悪い質問でしたね、忘れてください」


 これから死にゆく人間に、未練がないはずがないと気付いたから謝ったのか。

 彼女が親父にコウヤ達の監視を命じたせいで、最後の一ヵ月でも碌に家に帰れなかったことを謝ったのか。

 凍り付いたかのような鉄面皮からは判断が付かなかった。


「何か要望があれば言いなさい。可能な限り叶えましょう」

「……いいえ、特にはありません」

「では、謁見は以上です。地神祭の時まで所定の部屋で待機しなさい。近衛兵を一体付けるので用があれば言えば伝わります」


 随分あっさり終わったな、なんて呑気に考えている暇はない。早く退室しなくては。

 緊張に震える体を必死に礼式通り動かし、背中を向けようとしたところで突如、賢人様の顔が窓の方を向く。


「どうやら新たな来客のようですね。しかし一人で来ましたか、不用心な」

「なっ、コウヤさんっ!?」


 彼女の視線を追いかけた先で、俺は空を翔ける立方体を目にした。

 それは謁見の間のすぐ横にあるバルコニーに着地。そして勢いよく窓を開けて中に入って来た。


「なに、しに来たんスか……?」

『賢人様って人と交渉しに来たんだよ。上の方に居るだろうって当たりを付けてたけどクリッサに会えたのはラッキーだ。賢人様のとこまで案内してくれ』

「賢人はわたくしですよ、コウヤ」


 こんな異常事態にも関わらず、賢人様は冷静に声を掛けた。

 しかしその声には、どこか呆れの色も混ざっているように感じられた。


『自己紹介は要らねぇ……要らないみたいですね』

「ええ。貴方の動向には常に気を払っていましたので、地上からの来訪者さん。それと敬語も不要です。わたくしの民でない貴方まで敬う必要はありません」

『そうか。なら単刀直入に言うが、地神祭を止めてくれ。〖亡獣〗はオレが倒す』

「当然ながらそのような要求は呑めません。貴方は〖亡獣〗の恐ろしさが分かっていない、この封印に懸かる人命は千や二千ではないのです」


 冷たくも力強さを感じさせる声音と内容に、俺は呼吸が詰まるのを感じた。

 そうだ。俺の命には、世界中の人間の命運が懸かっているのだ。


 早くにお袋を亡くした俺に優しくしてくれた街の皆だけじゃない、

 コウヤも、フィスも、ポーラも、皆いい奴だった。地上にだってきっと優しい善人がたくさん居るんだろう。


 だからこそ俺は、生贄としての役目を全うしなくちゃならない。

 でなきゃ誰よりも正しくて、誰よりも厳格で、誰よりも民衆のために尽くしている親父に顔向けできねェ。


 自身の責任の重さを再確認すると、どうしても呼吸が浅くなってしまう。

 目の前で繰り広げられる二人の話に口を挟めない。


『だからって人ひとりの命を蔑ろにしていいって訳じゃねぇだろ』

「そうですね。命はどれも価値の付けられない尊いモノです。なので、クリッサ・シデロスの命は必要なくなるかもしれません。良かったですね」

「…………え?」

『? どういう意味だ?』

「言葉通りですよ。他の生贄が居るのなら・・・・・・・・・・、それがクリッサである必要性はないのです。いえ、これまでは無駄な諍いを起こさないために頑として巫女の変更は行いませんでしたが……防人長ほどの立場と武力のある者ならば、気絶させた少女を抱えて封印の間に押し入ることも可能でしょう」

『……何、言ってんだ、アンタ』

「キサントス・シデロスは模範的な防人で、我欲よりも民の守護を優先する人物ではありますが……果たして彼の護るべき民に、地上の人間は入っているのでしょうかね?」




◆  ◆  ◆




 鋼矢が屋敷を出た少し後。

 リビングで険しい顔をしていたキサントスが、重たい腰を上げた。


 階段を一段一段踏みしめ二階へ上がると、とある部屋の前で立ち止まりノックを二度。


「キサントスだ、少しいいだろうか」


 部屋の主である少女は、無警戒に扉を開けた。

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