第111話 フィスの選択
「よい……しょ、やった、二十個目」
不破勝鋼矢が機神と戦っていた頃、フィス・モグサールは石を積んでいた。
下手に戦場に近付けば長射程狙撃の的になるかもしれず、そのため仕方なく石を積んで暇を潰しているのだ。
現在、彼女の目の前では二十個の石が絶妙なバランスで積み上がっていた。
ここからさらに石を積むには細心の注意が求められる。
「!」
さりとて周囲への警戒も欠かしてはいない。
〖マスターキーン〗を普段より強めに使用し、些細な物音にも即応できるよう気を張っていた。
だから気付けた。上空を翔ける男の存在に。
「っ、魔獣教の……」
人類最高峰の視覚はその姿を鮮明に捉えた。
素早く岩陰に身を隠すも、魔獣教の男は下界には目もくれず飛んで行く。
「あっちはたしか……コウヤの戦ってる方角……」
狂信者の目的は分からない。だが無視することは出来なかった。
フィスは岩山を駆け後を追う。
険しい岩道を軽々と跳び回り、数分で広場の見える場所に到着。
彼女はそこで一旦立ち止まり、広場の様子を窺った。
(あれは……〖凶獣〗っ? しかも“巨像”じゃないっ)
その時ちょうど男が骸骨の〖凶獣〗を召喚。
本が光り、空中に魔獣が現れるのをフィスは目撃した。
幾多の腕が絡み合ってできた巨腕より、飛び掛かった鋼矢が撃墜される。
その後、さらに二体の〖凶獣〗が召喚され、コウヤは一対三での戦闘を強いられた。
(予想外、魔獣教が〖凶獣〗まで従えてたなんて……。こんなの、不利過ぎる)
姿が見えないため“巨像”は既に倒したのだろう。それはいい。敵は少ない方がやりやすい。
問題は、四体だろうが三体だろうが〖凶獣〗は一人で敵う存在ではないことだ。
事実、フィスの目にコウヤは劣勢に映った。
ドラゴンに襲われ、そこから逃げても骸骨に狙われ、その最中に黒影に奇襲されている。
このままでは彼が負けてしまうと、そう思った。
「私、は……」
この時、フィスには二つの選択肢があった。
それ即ち、動くか、動かないかだ。
フィスの力では加勢は出来ないが、〖凶獣〗を操っているらしき魔獣教の男を狙うことは出来る。
だがそれは非常にリスクの大きい行動だ。
もし動かなくとも、鋼矢が盛り返して勝つかもしれない。
彼の強さはフィスも良く知っている。隠れて待っていれば、一切のリスクを冒さず安全が手に入るかもしれない。
さらに言えば、
不破勝鋼矢が敗北したとしても、隠れていれば彼女に被害は及ばない。
一人でゴロノムア山地を抜け出すのには相応の危険が伴うが、それは魔獣教の男を襲うのに比べればはるかに小さい。
故に、最も損のない選択肢は隠密の継続──、
「──それは、嫌だ」
フィスにとって鋼矢は命を救われた恩人、我儘を聞き入れ鍛えてくれた恩師であり、この数週間共に過ごした友人である。
両親を喪って以来、他人との関わりを極力持たないようにしていた彼女にとって、唯一と言ってもいい友。
そんな相手を見捨てたくないと、フィス・モグサールは思った。
「……っ」
けれど、足は動かない。
脳裏にチラつくのは両親の最期。危地に踏み込めば命を失う。死にたくなければ、踏み出してはならない。
染み付いた観念が、少女をその場に縛り付ける。
そうして立ち竦むフィスはふと、かつての会話を回顧した。
『──オレは闘うのが好きなんだ』
それは“翻地”を討伐した後、その肉を食べていた時のこと。
以前にフィスの訊ねた「どうして強くなろうとするのか」に対する返答だ。
『〖凶獣〗を倒してるのは〖レベル〗を上げたいってだけじゃなく、強い奴と戦いたいってのもあるんだよな。んで、強い奴と戦って勝つにはオレも強くなくちゃならねぇだろ? 〖豪獣〗の素材を毎度解析してるのもそういうことだな。まあつまり、オレは闘いたいから強くなろうとしてるんだ』
変なの、と彼女は返した。
自分から危険に飛び込むというのはフィスには大変奇異に思えた。
『それはそうだ、危険なことはすべきじゃねぇよな。死んじまったら自分はもちろん、知り合いも悲しむし。……ただまあ、オレは強ぇからな。自分のしたいように無茶やっててもこうして五体満足に居られるわけだ』
ぐわし、と八本の鎖みたいな脚(?)を動かした鋼矢は、それから少し引き締めた雰囲気を纏った。
『──強い力を持ってるのはフィスも同じだ。今のフィスには上級冒険者並みの実力がある。だからさ、街に帰ったらもう少し自由にっつーか、思うままにっつーか、こう……なんだ、上手く言えねぇけどさ。我慢しすぎなくても……自分の生きたいように生きて良いんじゃねぇか?』
一度瞬きをし、フィスは現実に意識を引き戻す。
「自分の生きたいように、か……」
思い出した言葉を反芻した。
あの時は突っぱねてしまったけれど、惹かれる思いもたしかにあった。
希少な魔性鉱物の話を聞き、自分も掘り当てたいと思ったことがある。
隣町に有名な劇団が来たと聞き、見に行ってみたいと思ったことがある。
しかし、その度に両親の死を思い出し、リスクを憂いて踏み止まって来た。
「でも、今の私は──」
ぎゅっと手を握る。その中には、この数週間で長年の相棒のように馴染んだ両刃の戦斧が。
人外の力で握られた拳から、体中に熱が巡る。
最初の一歩は呆気なく踏み出せた。
(最大のチャンスは、初撃……!)
攻撃目標である魔獣教の男を見据える。彼は隣の山の崖に立っていた。
男の視線は戦場に向いており、今はフィスに気付いていない。
どれだけ地面を優しく蹴っても音は鳴る。これでは暗殺は不可能。
故に、足音が聞こえるかもしれないギリギリの間合い──五十メートル手前まで近付いた瞬間、彼女は全力で駆け出した。
「っ!?」
鎧が岩を蹴る音に、男の肩がビクリと跳ねる。ここまでで残り四十メートル。
慌てて足を動かし、腰を捻り、首を回して音の発生源をへ向いたところで残り三十メートル。
猛然と迫り来る少女に気圧されて一歩退き、残り二十メートル。
飛び退くべく足に力をため、同時に防御魔法のため〖マナ〗を操り始めたところで、残り十メートル。
「はァッ!」
「っ、〖ブックウォール〗!」
斧刃が男を断ち切る間際、二メートルはあろうかという巨本が庇護するように出現した。
本は斧の一撃で破壊されたが、その一瞬の内に男は横へ跳んでおり、斧は法衣を浅く裂くに留まる。
「おやおやこれはこれは、山賊の類ですか? 近くで〖凶獣〗様達が争っていて危険です、早く立ち去ることをお勧めしますよ」
「魔獣達が争う? 嘘が下手。本から出しているのを見た。あそこにいるのは全部、あなたが操っている魔獣」
顔を覚えられていないらしいことに安堵しつつフィスは言った。
それを聞いた男は片目を眇める。
「全部……? いえ、今はそれよりも……呼び出すところを見られていましたか。私としたことが迂闊でした」
やれやれとでも言いたげに男は頭を振る。
「しかし、そこまで知られては生かして帰すことは出来ません。ここで死んでもらうとしましょう」
男の〖マナ〗が高まった。
フィスは斧で地面を抉って礫を飛ばす。だがそれは男の周囲に出現した〖豪獣〗に受け止められた。
「あなたも多少は腕に覚えがあるのでしょうが、今回は相手が悪かったですね。〖典位〗を誇るなどと浅ましいことは好みませんが、敢えてお教えしましょう。私の〖典位〗は〖第四典〗、衆愚の讃える英雄に等しい力を持っているのです」
「関係ない」
フィスは細く息を吐き、気と筋肉を引き締める。
戦うと決めた以上、考えるべきは敵をどう倒すかだけ。
そもそも、男の主張には誤謬がある。
〖典位〗と強さは必ずしも一致しない。そのことを他ならぬフィスは知っていたし、先程の一幕で確信できていた。
(ここからが正念場。鍛えてもらった恩を返す……!)
こうしてフィスと書冊司教モルテンの戦いの火蓋は切られた。
◆ ◆ ◆
「(やっぱあれ、フィスだよな……)」
〖凶獣〗達の攻撃を往なしながら、遠くで戦いを繰り広げる二つの人影を盗み見る。
顔ははっきり見えねぇが、鎧と武器からしてフィスで間違いねぇはずだ。
「(ホントは隠れてて欲しかったが……まあ魔獣教の男を仕留めれば後顧の憂いは無くなるもんな)」
そんな風に動機を予想する。
一瞬、オレの身を案じて司令塔らしき者を叩いてくれたのかもと思ったが、それはさすがに自意識過剰だろう。
あと戦闘が始まっても〖凶獣〗達の動きが鈍らねぇのを見るに、男が逐一指示してる訳じゃないらしい。
命令を出せば、魔獣側がある程度自分で判断してくれるのだろう。
「(良かった、フィスの方は見た感じ互角以上に渡り合えてるな)」
フィスの強さは充分に知っていたが、それでも不安はあった。
何せ魔獣教の男は〖凶獣〗まで操る奴だからな。
ただ、手持ちの〖凶獣〗は全部オレにぶつけてるらしくフィスとの戦いでは〖豪獣〗以下しか使ってねぇ。
これなら瞬殺はされねぇだろう。
「(こっちはこっちに集中するか、〖跳躍〗!)」
ドラゴンの尾による広範囲攻撃。
それを跳んで躱して上空へ。
落下地点に先回りするため〖凶獣〗達がオレを見上げる。
しかし、その目はすぐに見開かれることになった。
彼らの視線の先、オレの体の側面には濃密な〖マナ〗の込められた合金の巨大棍が。
「(さあ、鉱山での活動の総決算だ。大盤振る舞いで行くぜ、〖千刃爆誕〗!)」
フィス達に当たらねぇようオレの体を壁としつつ、無数のナイフが豪雨よりも激しく降り注いだのだった。
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