第99話 閑話 ポーラの旅

「結局、〖第三典〗には届かなかったかぁ……」


 手持ち無沙汰に空間を弄りながら、アタシは小さく呟いた。

 早朝にも関わらず馬車の乗り場ではたくさんの人達が忙しなく動いているけど、知り合いは居ない。


 作業の邪魔にならないよう隅でしばらくじっとしていたその時。

 〖空間把握〗の感知範囲に覚えのある姿形が現れた。


「お待たせしましたわね、ポーラッ」


 街門の方向からやって来たのはシュヴァイン家の紋章が刻まれた豪奢な馬車。

 前後には馬に乗った騎士が一組ずつ付いていて、付かず離れずの距離を維持している。


 馬車のやたらとお金の掛かっていそうな扉が開け放たれ、長い金髪を左右に流したふくよかな少女が顔を出す。

 彼女は青年執事に手を引かれて馬車を降り、スカートを摘まんで駆け寄って来た。


「いいえ、アタシは全然待ってないですよ」

「もうっ、そんな他人行儀な言い方やめてくださいませ! わたくし達はゆ、友人なのですから」

「あぁ、ごめんね、シィーツィアちゃん」


 促されるままに口調を訂正する。

 しかし「シィーツィアちゃん」と呼ぶようになってそこそこ経つけど、どうにも慣れない。私なんかが貴人をこうも気安く呼ぶなんて。

 次の瞬間にでも不敬罪で訴えられるんじゃないか、って内心で恐々としている。


「お嬢様、予定から少し遅れております。お話の続きはどうぞ馬車の中で」

「そうでしたわね、さ、行きましょ」

「うん」


 頷いて馬車に乗り込む。

 中はアタシの家族全員が乗っても余裕がありそうなほど広々としていた。


 呆気に取られていると、荷物を青年執事が受け取ってくれる。


「ポーラ様はそちらへどうぞ」

「あ、はい。ありがとうございます」


 指し示された席に座る。シィーツィアちゃんの対面だ。

 ぽふん、と綿毛みたいに柔らかな感触のクッションに目を見開く。


「すご……」

「オホホホ、シュヴァイン領では牧畜も盛んでしてよ。そのクッションも最高級の逸品ですわ」


 馬車が動き始めたのに、振動がほとんど気にならない。

 長旅だと揺れで体が痛くなる、って聞いてたけどこれなら平気そうだ。


「そうだ。言うのが遅くなっちゃったけど、今回はありがとう。シィーツィアちゃんが馬車を出してくれたおかげで費用が大分節約できたよ」

「気になさる必要はありませんわ。共に〖豪獣〗の群れを破ったわたくし達の仲ですもの」


 彼女が言っているのは初めて会った日のことだ。

 あの日、流されるまま彼女と共にドワゾフの森に入り、そこで複数の〖豪獣〗に遭遇した。


 上級冒険者パーティーでも手こずりそうな厄介な相手だったけど、アタシとシィーツィアちゃん、それから青年執事のレイズさんで力を合わせて撃退したのだ。

 思えば、彼女と仲良くなったのはあの事件が切っ掛けだった。


「お嬢様、二度とあのような真似はなさらないでくださいね」

「そう何度も言わなくても分かってますわ。またお母様に折檻されるのは御免ですもの」


 先程シィーツィアちゃんが美談のように語った森での出来事だけど、実家では大問題になったらしい。

 まあ当然だ。大事な娘が魔獣に殺されかけたのだから。


「…………」


 あの日のアタシは、どうすればコウヤ君の肉片を自然に見つけた風を装えるか、にばかり気を取られていた。


 〖スペースストレージ〗から取り出してその辺に置いておくだけで済むのでその気になれば雑獣域でも良かったけど、そうはしなかった。

 コウヤ君が〖豪獣〗だという情報をレイズさん達が掴んでいた以上、豪獣域で発見した方が自然だ。


 だから危険と分かっていても豪獣域に踏み込んだし、〖豪獣〗との戦闘もいい隠れ蓑になると思っていた。

 けれどその〖豪獣〗達は想定以上に〖レベル〗が高くて、シィーツィアちゃん達を危険に晒してしまった。


 最終的に誰一人欠けることなく生還でき、コウヤ君の肉片を使ってシィーツィアちゃんのお母さんへの誕生日プレゼントも作れたとはいえ、それで一件落着とはならない。

 魔法に対する過信が招いた危機だと、アタシ自身を戒めないと。


「──ところで、ポーラは魔法御者を見たことがありまして?」

「ううん、無いけど……。もしかして」

「そうですわ! 此度の御者には魔法御者を雇いましたの!」


 シィーツィアちゃんの声が聞こえたのか、覗き窓越しに御者さんが振り返って会釈してくれる。

 何となくアタシも会釈を返した。


「うわぁ、初めて見たよ。〖強化〗なんてただでさえ希少〖属性〗なのにその〖第二典〗なんて……」

「いいえ、違いますわ。彼は〖第三典〗で〖団結属性〗になっていますのよ!」

「えぇ!?」


 〖第三典〗とはいわば一流か否かの分水嶺。〖属性〗名が変わり劇的に強くなる分、そこに至るまでの道のりも相応に遠大だ。

 貴族であるシィーツィアちゃんですら〖第三典〗になったのは私と出会う数か月前だし、それでも早熟と言われるくらいに難しい。


 ただでさえ数の少ない〖強化属性〗で、しかも他の生物に強化を施せる“性質”を持ち、加えて充分な〖マナ〗総量が必要になる魔法御者。

 その上〖第三典〗でもあるなんて、雇うのにどれほどの対価が必要か想像もできない。


「やっぱり貴族は凄いなぁ」

「凄いのは彼ですわよ。馬車馬のみならず護衛騎士の騎馬も強化しておりますの。おかげで彼が居れば通常よりも短い時間で目的地に付けるのですわ!」

「そっか、だから期限ギリギリで出発したんだね」


 入学試験が行われるのはシュヴァイン領の三つ隣の領地。馬車では三週間かかる。

 試験日を二十日後に控えた今日が出発日なのは遅すぎるとも思っていた。もしや試験日を勘違いしているのでは、と疑ってもいた。


 空間魔法で試験地への『マーキング』は済ませてたし、間に合いそうになくても何とかなるから今日まで黙って待っていたけれど。

 この魔法御者さんのことを聞いて得心が行った。


「いやぁ、間に合いそうで良かったよ」

「……まさかポーラ、わたくしが試験日を勘違いしているなんて思ってたのでは──」

「あはは、まさかまさか。そんなことはないよー」


 朗らかに笑って誤魔化す。

 とはいえ、本当に良かった。空間魔法で無制限転移が可能なことは話していないし、いくら友達でもまだ明かしたくはなかったから。


「そうだ、学術試験の練習しない?」

「いいですわね。せっかく二人いるのですし互いに問題を出し合いましょう。初めはポーラから出題したのでよろしいですわ」

「分かった、じゃあねぇ──」


 そんな風にしてアタシ達の馬車の旅は始まったのだった。

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