第98話 鉱山の豪獣域

 逢魔区画の豪獣域。

 峨峨たる岩山が立ち並ぶ荒廃した景色に、一際目を引くものがあった。


『あの突き出した馬鹿デケェ山が……』

「そう、“翻地”の居る凶獣域だって噂」


 ガーゴイルの〖凶獣〗である“翻地”は、人間の街では関心の的だそう。

 たとえ一生踏み入ることのない奥地の〖凶獣〗だとしても、噂話は絶えないらしい。


 その一つが“翻地”は群を抜いた峻険に住まうというもの。

 ゴロノムア山地には数えるのも億劫になるくらいの鉱山があるが、そのどれよりも遥かに高い山に棲んでいるとか。


「私も半信半疑だけど、指標くらいにはなると思う」

『だな』


 さすがに距離が離れすぎていて〖マナ〗の濃度までは読み取れねぇが、暫定的にあそこを目的地としよう。

 オレが女王蟻の巣に入る前は北側に見えていたし、全くの見当違いってこともないはずだ。


『まっ、今は遠くのことより周囲に注意しねぇとな。豪獣域だ、運が悪けりゃ初っ端から〖豪獣〗と当たるかもだぜ』

「それは心配。危なそうならお願い」

『ああ、そん時は助けるから安心して戦え』


 つっても、そんな事になるとは微塵も思っちゃいねぇけどな。

 それからしばらく山の斜面を走行し、やがて一体の魔獣を発見した。


「そっちの山の向こうに一体居る」

『おう』


 発見、っていうか……発聞? フィスが足音を拾ったのだ。

 彼女はここ数日の〖レベル〗アップで〖マナ〗に余裕が生まれ、〖フィジカルキーン〗を常時発動できるようになった。


 さすがに五感全てを強化すると〖マナ〗の回復が追いつかないが、聴覚だけを強化するなら半永久的に行える。

 おかげで索敵範囲は視覚外まで広がった。


 谷底に居たその魔獣をこっそり見下ろす。


『おお、〖豪獣〗が一体か……手頃な・・・相手だな』

「……じゃあ、行って来る」


 平時と変わらぬ声音でそう言い、フィスが飛び出した。

 ほぼ垂直な崖を勢いよく駆け下りて行く。並外れた身体能力故の力技だ。


 崖の削れる音で魔獣が立ち止まる。

 フィスが地面に降り立つと同時、魔獣も彼女の方へ振り向いた。


「ギュケケ」


 少女が一人なのを見て魔獣が口端を吊り上げる。

 自身の腰ほどまでしかない少女を美味しい獲物だと考えたのだろう。


 通常種のガーゴイルをより大きく、より凶悪にしたかのような見た目のそいつは、無造作に腕を振るった。

 腕の動きに合わせて空中から岩の矢が飛び出す。人体を貫通して余りあるほど長大で、矢ってよりかは杭って感じだ。


「ふぅッ!」


 けれど、当然のようにフィスはそれを回避。

 既に諸々の強化を使用済みとは言え、〖豪獣〗の攻撃に掠りもせず近付いて行く。


「ゲグルルゥ!」


 攻撃を躱されたガーゴイルの対応は単純だった。

 岩矢の本数を多くする。ただそれだけ。

 だが、単純な物量攻撃でも致命となるだけの差が両者には有るはずだった。


 フィスの〖レベル〗は四十四なのに対し、〖豪獣〗のは最低でも五十。

 そして〖典位〗も〖豪獣〗と互角とされる〖第三典〗には未だなっちゃいない。

 通常ならば相手にもならねぇだろう。


「ゲギュゥ……!?」


 しかし、結果は違っていた。

 ガーゴイルの粗雑な乱打を、矮躯の少女は最低限の身のこなしですり抜けて行く。


 あんま斧で防がねぇのは受け切れないと踏んでのことだろうな。

 〖豪獣〗にとっちゃジャブ程度の攻撃でも正面から受けたらフィスにはかなりの重みだ。


 回避できず受けるときも刃を斜めにし、受け止めるんじゃなく受け流すようにしている。

 地力の差は瞭然で、だからこそオレは感嘆する。


「(こんだけ差があっても戦えんのか……)」


 豪獣域に辿り着くまでの数日間で、オレは彼女の特異性に気付いた。

 気付くきっかけは色々あったが、端的に言うならばフィスは天才だ。


 〖マナ〗感知が敏い。不意打ち気味に放たれた〖スキル〗であっても、必ず放たれる前に身構えている。

 〖マナ〗操作が上手い。ポーラほどじゃないが、〖マナ〗を隠されるとほとんど感知できねぇ。

 魔法のセンスが卓越している。こちらはポーラ以上だ。オレが少し概要を話しただけで、簡単に魔法を完成させちまう。


 オレはフィス以外の魔法使いをポーラしか知らねぇが、こんなハイペースに魔法を覚えるのが普通じゃないことは分かる。


「(それに、魔法抜きでも凄まじいしな)」


 彼女の天稟は戦闘においても発揮される。

 細かな挙動を察知する観察眼、窮地における判断力、肉体を効率的に操る技術。

 特に教えた訳でもねぇのに、そのどれもを高水準で備えている。


 ガーゴイルは岩矢が効果的じゃないと知るや、他にも様々な手段でフィスを仕留めようとしたが、それら全てを無傷で凌がれた。

 大半の攻撃が〖長獣〗のガーゴイルで予習済みだってことを加味しても、あり得ないレベルの芸当だ。


「げ、ゲギャぁっ」


 粛々と近付いて来る少女にガーゴイルは恐怖したらしい。

 背を向けて一目散に逃げ始めた。


 距離はまだ十メートル以上もある。

 脚力はフィスと同じくらいみてぇだし、〖スキル〗での妨害も含めれば逃げ切れるかもしれねぇ。


「無駄」


 フィスは足元に転がっていたカボチャサイズの岩を蹴り飛ばす。

 それは正確にガーゴイルの片脚を打ち、ガーゴイルの足をもつれさせた。


 これもまた普通では考えられねぇことだ。

 岩をあんな正確に蹴り飛ばすなんざ、咄嗟にできることじゃねぇ。


「げ、ゲゲっ」


 尻餅をついた魔獣へ迫りつつ、斧の両刃を振り被った。

 それを制止するかのようにガーゴイルは片腕を前に出し、


「ゲギュァァ!」

「〖フィジカルエクステンド・アーム〗」


 腕の動きに合わせて放たれた岩の矢を、フィスは斜め前に飛んで回避。

 そのまま伸長した腕を振り下ろし、ガーゴイルの肩口に斧を深く食いこませた。


 刃と肉の隙間から音を立てて噴き出す青色の血。

 ガーゴイルは斧を抜こうと腕を伸ばし、そこで目前に迫った少女に気付く。


「ていッ」


 斧を握った状態で腕の伸長を解除。

 解除後の収縮に体を引っ張られるようにして高速接近していたフィスが回し蹴りを放った。

 顎を蹴り抜かれ、ガーゴイルの脳が揺れる。


「さよなら」


 そうして無防備に隙を晒すガーゴイルへ、素早く引き抜いた斧で一閃。

 野太い首を宙に刎ね上げたのだった。


「終わった」

『お疲れ、〖豪獣〗相手でも危なげねぇな』


 オレも谷底に飛び降りていつものように労い、ガーゴイルの調理に向かう。

 と、その途中で彼女はあることを口にした。


「そう言えば、さっきの戦闘で〖属性〗が〖昇華〗した」


 ……どうやら我が教え子の成長は、留まるところを知らないらしい。

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