第87話 閑話 採掘少女の非日常

 その日も私は採掘に向かっていた。

 鉱員でごった返す朝の坑道を歩き、一般区画の奥を目指す。


 拡張に次ぐ拡張で、この坑道は異常なほどに入り組んでいる。

 分岐点を過ぎる度に人波は密度を下げて行き、やがて私は独りになった。


「……〖フィジカルキーン〗」


 五感を鋭敏化させる。

 まだ何も掘ってないから同業者に襲われる心配はないけど、一人で居ると魔獣に狙われやすいから。


 そうして危険そうな気配は避けつつ、当てもなく一般区画の奥へと歩みを進める。

 一般区画の〖マナ〗濃度は冒険者の人が言うところの『雑獣域』相当。だけど、その中でも微妙な濃淡は現れる。

 雑獣域の中でも特に〖マナ〗の濃い穴場を見つけて掘るのだ。



 ──いいか、フィス。〖マナ〗が濃い場所ほどいい宝石が出やすいんだ。けど、〖マナ〗の濃度は地図には載ってない。頼りになるのは自分の〖マナ〗感知だけだ。だから一人前の宝石掘りになるには〖マナ〗感知を鍛えないといけないんだぞ。



 …………。

 昔の記憶に蓋をして、少し足早に坑道を進む。

 テキトーに、足の向いた方の分岐へと。


 私の持ってる地図には主要な坑道しか描かれていないけど、〖方向感覚〗があれば帰れなくなるなんてことは無い。

 今日は大体南東方面に進んでいたし、北西の道を選べば帰還できるはず。


「……今日はここで良いかな」


 言いながら触れたその岩壁は、僅か数歩分の幅のそこだけは、他の壁よりも一段上の〖マナ〗を宿していた。

 感知し辛いけど分かる。これは長獣域に近いレベルだ。


 直近で誰かに掘られた形跡もないし、最低でも中級の魔結晶マナクリスタルくらいは見つかると思う。

 早速ツルハシを構えた。




 採掘開始から随分経った。

 脇の小岩に腰を下ろし、休憩がてらに成果を確認していると。ふと足音が聞こえて来た。


 無言で〖フィジカルキーン〗を発動。

 それにより、足音の数が五人分であると特定する。


「…………」


 人があまり来ない奥地とは言え、たまにあることだ。採掘中に他の採掘者が通り掛かるなんて。

 けれど、だからと言って彼らが来るのをただ待つつもりはない。


 もしも彼らが悪意を持っていた場合、最悪殺して採掘物を奪おうとするかもしれないから。

 ツルハシと背負い籠を素早く身につけ、彼らとは反対──坑道の奥へと進む。


「あ」


 分岐点を一つ越え、さらに歩き、そしてそこが行き止まりであることに気付いた。

 慌てて分岐点まで引き返し、もう一つの道に入るもすぐに足を止める。


 岩壁を撫でる。滑らかな感触。

 人間の掘った坑道とは明らかに違う。まるで酸液を掛けてながら掘ったかのような──。


「──まさか、鋼蟻メタルアントの巣っ!?」


 息を呑む。鋼蟻メタルアントと言えばこの鉱山ではポピュラーな魔獣、一匹一匹はそう怖くない。

 けれど、巣となれば別だ。


 巣にはいくつもの群れが住む他、上位種が統率していることも多い。

 最悪、逢魔区画にあるような巨大な巣が、たまたま一般区画に繋がったという事態も考えられる。


 このまま進むのは危険だ──けれど、引き返してももう他の分岐はない。

 ……仕方がない、ここは手頃な岩の陰に隠れよう。


 運よく反対の道に進んでくれればその隙に逃げられる。

 そうでなくても、別に彼らが悪人であるとは限らない。


 じっと息を潜め、聞こえる音に注意を払う。

 彼らがまだ離れていることを聞き分けつつ、会話の内容にも耳を傾ける。


「──なかなか着きませんね。それに灼熱区画は暑いと聞きますが、気温も全く上がっていないようです。失礼ですが、本当に道は合っているのですか?」

「へっ、合ってる訳ねぇだろ。元々あんたを“炎海”のトコまで護衛してやるつもりなんざねぇんだからなァ! この辺りには誰も居ねぇ、やれっ、テメェら!」


 強化された聴覚がそんな会話を拾い、それから武器が岩を叩く音が聞こえた。

 何が起きたかを理解し、しかし私は足が竦んで動けない。


「ちぃ、外したか」

「オラぁッ、クソが、避けんじゃねぇっ。さっさと命と荷物を置いて行きやがれ」

「やれやれ、あなた方の攻撃など当たるはずないではありませんか」


 何度も何度も金属の音が響く。

 だけど肉が潰れたり斬られたりする音は一向に聞こえて来ない。


「〖回避〗を元にした私の特性〖紙舞〗は、〖回避〗以上の緩急でもって攻撃を躱せます。〖レベル〗が大差ないからと当てられるなどと思わないことです」

「だあ゛あ゛あ゛ぁメンドクセェ! だったら範囲攻撃すりゃいい話だろッ、〖ウィンドミキサー〗!」

「哀れなほどに短絡的ですね、〖ペーパーナイブズ〗」


 豪快に空気をかき混ぜる音と、鋭く大気を切り裂く音が聞こえた。

 遅れて大量の液体が噴き出し、人体が崩れ落ちる音も。


「ろっ、ローク……!? だっ、大丈夫か!?」

「お伝えし忘れていましたが私の〖典位〗は〖第四典〗。〖レベル〗が近しくとも魔法の出力では負けませんよ」

「「「うぅっ、うあああぁぁぁっ!?」」」


 生き残った三人が逃げ出す。

 元々前後で挟んでいたからか、一人は私の方へ、二人は坑道の入口の方へと駆けて行く。


「これは困りましたね。〖ブックジャンプアウト〗、奥に向かった人間を狩りなさい」


 唐突に足音が増えた。

 人間の物とは違う、獣特有の四足の足音。

 それが、一人で逃げている方を追いかける。


「グルルルルゥ!」

「うわあああああああっ、あっ、が……」

「……っ!」


 分岐点の辺りで追いつかれ、背を押し倒され、そのまま……──唇を噛んで息を殺す。

 初めて近くで感じた人間の死。心と体が震えるのを必死に抑える。


「嗚呼、やはり人間などに頼ったのが間違いでしたね。面倒事を増やされただけでした。地図はあるのですから、後は自身で探すとしましょう」


 獣の狩りの裏で、もう一つの狩りも行われていた。

 入口の方に逃げた二人は、十歩も行かない内に殺された。


 実力が違いすぎる。

 移動速度からして暴漢二人も中級冒険者並みの実力はあったはずなのに、瞬殺だった。


「グゥルル……ッ」

「おや? そちらに何かあるのですか? ほうほう、人間の臭い……」


 っ、気付かれたっ。

 どうして!? 私は物音一つ立てていないのに……!


「怖がる必要はありませんよ。私は殺されかけたから殺しただけです。正当防衛です。この魔獣も人を襲ったりはしませんし、安心して出て来てください」


 このままここでじっとしていても見つかるのは時間の問題。

 それに会話を聞いた限り、正当防衛だという主張も頷ける。


 なら相手の機嫌を損ねるよりも早く出て行った方が良い。

 私は恐る恐る立ち上がった。


 右手に本を持ち、坑道には不似合いな動き辛そうな祭服を纏い、柔和な微笑向ける男を目にして記憶が蘇る。

 この男は、少し前に魔神教の街頭演説を行って居た人間だ。

 脇に控える魔獣は、教団の邪法か何かで従えているのだろうか。


「おやおや、こんな小さなお嬢さんだったとは。怖がらせてしまいすみませんでした。お詫びをしたいのでどうぞこちらへ」


 一層優しい猫撫で声になり、彼は私を招くように手を差し出した。

 言われた通りにしよう。


 ──一歩目。ぎこちない足取りで踏み出した。


 怖かったけれど、ここで従わない方が怖いことになりそうだったから。

 けれど、ここであることに気付く。


 ──二歩目。ふらりと逆の足を前へ。


 魔神教なんて言う胡散臭い連中が、しかも魔獣を操り人を殺すところまで見られた人物が、果たして目撃者をただで返すだろうか。

 確実な証拠隠滅のため、息の根を止めようと考えるのでは?


 ──三歩目、を踏み出すと見せかけて踵を返した。

 来た道を全速力で引き返すッ。


「〖フィジカルブースト〗!」

「おやおや、〖ペーパーナイブズ〗」


 逃げ出して身体強化魔法を発動した私へ、即座に追撃の魔法が放たれる。

 この斬撃の魔法は音で散々学習した。ある程度性質は分かっている。


「ぅぐぅっ」


 背後で〖マナ〗が高まった瞬間、肩の動きで背負い籠を跳ね上げていた。

 それにより首を狙った斬撃を籠が代わりに受けた。籠がバラバラになり、中身の鉱物が散乱する。


 斬撃は複数放たれていたから無傷とは行かなかったけど、致命傷は避けられた。

 足を斬られて体勢を崩すも、すぐさま魔法で治して駆け出す。


「〖フィジカルリカバリー〗!」


 肉体を癒すこの魔法はそこそこ〖マナ〗を消費する。けど、それでも使わなくちゃいけなかった。

 男の操る獣はもう、私を追って走り出している。


「あそこまで離れられると私の魔法では狙えませんね。仕方ありません、捕縛は任せましたよ」


 迫り来る魔獣へ頻りに振り向きつつ、私は坑道内を死ぬ気で走る。

 追いつかれたらそこで終わりだ。あの大きさと速さは〖長獣〗、勝つ術はない。


 だから走った。魔法で強化した身体を力の限りに動かして。

 魔獣の巣の奥へと向かって。


「「ギチチィ!?」」

「うっ」


 無我夢中で駆けていた私は、進行方向に二匹のアント系魔獣が居るのに気づいた。私の腰辺りまでの大きさなので多分〖雑獣〗だ。

 そして今私を追っているのは〖長獣〗。止まることはできない。


「っ……!」


 速度を緩めることなく突撃し、彼らの上を跳び越えた。

 アント達の視線は私を追い、次いで獣の方に向く。

 逃した獲物は忘れ、目の前の魔獣を狩ろうと言うのだろう。


 私も蟻達の善戦を祈った。

 だけど〖獣位〗の差は残酷で、アント二匹は瞬殺されてしまう。


 それからも私は何度も鋼蟻メタルアントの〖雑獣〗に遭遇した。

 その度に何とかやり過ごし、追い立てられるがままに巣の深みへと進んで行く。


「はっ、はぁっ、はぁっ」


 しばらく進み、長獣域以上の〖マナ〗濃度の区域に入ると一転、アント系魔獣に遭遇しなくなった。

 不思議に思いつつも、そのまま駆け続ける。それ以外の選択肢は無い。


「ひゅっ、こひゅっ」


 既に体力は底を尽いていた。一度追いつかれた際、攻撃を受け止めてツルハシもバラバラに砕けた。

 少しでも身軽になるため、他の持ち物も全て捨ててある。

 〖マナ〗なんて身体強化魔法を維持するので精一杯だ。


 それでも必死に駆けていると、また一段と〖マナ〗が濃くなる。

 行ったことは無いけれど豪獣域や逢魔区画はこんな濃度なのかな、と関係のない思考をする。現実逃避だ。


 もはや呼吸をするだけで肺が痛い。

 視界もチカチカして定まらない。

 喉の奥から血の味がする。

 魔獣の方も大分疲れてるみたいだけど、距離はもう数歩分だ。


 もういっそ、走るのを止めれば楽になれるのに。そんな考えを振り払い走り続けた。

 十分か、一時間か、一日か。時間感覚すら失ったその時、突如として浮遊感に包まれた。


 遂に転んでしまったのか──違う、地面が崩落したのだと朦朧とした意識の隅で捉える。


「きゃああぁぁぁぁああああっ!?」


 これだけ疲弊しきっていても人はこんな声を出せるんだな、と他人事のように考えながら私は意識を手放したのだった。

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