第三章

第76話 遡上するは奇怪生物

 ウェノースト地方の流通を支える長大な運河、センデンス河。

 オウルス湖から流れ出るこの河川の底を、人知れず這いずる一体の奇妙な魔獣がいた。


 河の水より澄んだ青い肉体は透き通っていてまるでゼリーのよう。

 その体の中心部には謎の袋が埋まっている。


 河の流れに逆らうように進むそいつは、水の抵抗を受けやすそうな立方体であるというのに、水流を全く寄せ付けない。

 無風の野を行くが如く悠然と進んでいた。


 見慣れぬモノに好奇心が湧いたのか、一匹の魚の魔獣が奇怪な生物に近付いて行く。

 やがて立方体まであと一メートルという距離まで来たとき、何の前触れもなく飛び出した棘が魚の脳天を貫いた。


 棘には銛によく似た返しが付いており、棘が引っ込められると魚魔獣も一緒に引っ張られる。

 そうして引き寄せられた魚をバクン! と取り込んで奇怪生物は先に進む。


「(うーん、味気ねぇな。〖雑獣〗じゃこんなもんか)」


 奇怪生物ことオレは今食べた魚の感想を漏らす。

 〖マナ〗も薄くあんまり美味しいとは感じなかった。


 運河に使われてるだけあってここの魔獣は弱いのばかり。

 河に入って数日経つが、〖長獣〗を見たのなんて一度きりである。


 では何故そんなしょっぱい地域を通っているかと言うと、人間の目を掻い潜るためだ。

 魔獣の生息地だけを通るのにも限度があり、そこで河底を通って人目を誤魔化そうという事になった。


 幸い、この河はドワゾフの森のすぐ北西を通っており、誰かに見られることなく潜り込めた。

 運河だけあって水深も深ぇし、人に発見されることはねぇだろう。

 後はもう少し〖マナ〗が濃ければ文句なしなんだが……。


「(ま、その分のんびりできるから良いんだけどな~)」


 不満を抱えつつも、オレはずっと散歩気分でゆったりと進んでいた。

 全力を出せばもっと速く進めるが、無駄に急いで疲れる必要もないのだ。


 それに、あまり速く動いて水流を乱しちまってもいけねぇ。

 まず大丈夫だとは思うが、水流の乱れが浅瀬にまで伝わって人間に捕捉されちゃ目も当てられねぇしな。


 てな訳で、オレは時に泳ぎ、時に這いずり自由気ままに川上りを楽しんでいた。

 あ、そうそう。この水中ぶらり旅でいくつか〖スキル〗を覚えたのだった。一度おさらいしておこう。



~スキル詳細~~~~~~~~~~~~~~

潜水 水泳時、推進力に補正。常時、肺活量に補正。


透視 暗闇を見通せる。一定の厚みまで障害物を透視できる。


逆行 逆行時、空気や水の抵抗を軽減。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 〖潜水〗は〖水泳〗が上位化した〖スキル〗で……ちょっと反応に困る代物だ。

 そもそもスライムに肺ってあんのか……?

 ここ数日、全く息継ぎせずに過ごせているので、この〖スキル〗の恩恵はあんまり受けねぇかもだ。


 次の〖透視〗だが、これは〖夜目〗の上位〖スキル〗である。

 水底は薄暗いので、ずっと発動していたらいつの間に上位化していた。


 試してみたがまだ性能は低く、どうにか板一枚分の厚さを透かすのが精一杯。これは要特訓だな。

 目くらましを無効化できるのは強ぇ。


 そして最後の〖逆行〗。これは完全な新規〖スキル〗だ。

 これを覚えてから水の抵抗を感じにくくなった。

 戦闘では、まあ、水や風を操る敵が居ればある程度活かせるかもな。


「(こんなもんか)」


 自身の成長を振り返りつつ、上流へとマイペースに進む。

 そうしてしばらく経った後、オレはピタリと歩みを止めた。


「(多分ここ……だよな)」


 夜の闇が溶け込んだ真っ暗な水中。その中で〖夜目〗改め〖透視〗が見せる景色は、三叉路みたく分岐する河。

 左に分岐する流れはこれまで通り広く、右に分岐する流れはこれまでの半分未満の幅しかねぇ。


 この本流と支流の合流地点が水中散歩の目的地だった。

 時間帯が夜なのも好都合。オレはザパリと河から上がる。


「(ふぃー、久しぶりだな、空気を吸うのも)」


 あぁいや。空気を吸う、って表現はおかしいか。

 多分、オレがこんなに長く水中に居られたのはスライムが呼吸をしてない──酸素を必要としないからだろうし。


 などと益体も無いことを考えつつ、体に付いた水滴を吸収する。

 それから周囲を見渡し、方角に間違いがねぇことを確認した。


「(地図通りだな)」


 この辺りの河は地図で見ると『Y』の字型をしている。

 本流を辿れば北西へ、支流を辿れば北東へ行く形だ。


 エルゴに最初勧められたのは北東行きだが、オレが進むのは支流でも本流でもねぇ。ここから真っ直ぐ北である。

 今見えるのは鬱蒼と茂る森だけだが、この森を抜けた先に目的地の一つがあるのだ。


 森亀と戦う前にウェノースト地方の地理をエルゴに教えてもらった際、最も興味を惹かれた場所がそこだ。


「(〖レプリカントフォーム〗、八本脚)」


 ここからまた長く歩くことになるので、足代わりの武器を八つ模倣する。

 これを使うのも随分久しぶりだ。河の中はぬかるんでて脚じゃ歩きにくかったからな。


 今回模ったのはいつも愛用していた鎖鎌、ではない。

 鎖ではあるのだが鎌は付いておらず、代わりに杭が付いている。素材も金属じゃなく樹幹だ。


 どっしりと重厚感のある焦げ茶色をしたそれは、〖凶獣〗が扱うに相応しい巨大な逸品だった。

 輪っか一つ一つが人間の腕よりも遥かに大きく、太く、逞しく、それらが無数に連なることで一本の長大な鎖となっている。

 その鎖を八本、模倣した。


 先端に付いた杭はつのを加工した物だ。

 人ひとりよりも大きな角で、これが当たればその質量だけでも十二分な脅威になる。


 ──そう、これは森亀の素材から作った鎖、森鎖だ。

 森亀の甲羅の木、その中でも一際品質の良い物を選りすぐり、圧縮し、一本の鎖に練り上げた。


 特殊効果は全体的に強度向上と軽量化に重点を置いている。脚として使う場合、軽い方が素早く動かせるからだ。

 それに戦闘での利点も大きい。


 鎖鎌は強度に難があったため〖凶獣〗が相手となると出し惜しむことも多かったが、森鎖の硬さと速さなら同格相手でもそうそう壊されはしねぇ。


 とまあ、汎用性を見据えて生み出した森鎖の他、森亀からは四つの武器を作成した。

 ラインナップは鎚、矢、盾、ハルバードだ──杖は自分で使うには小さすぎるので除外──が、それらの詳細についてはまた今度説明しよう。


「(〖猛進〗!)」


 森鎖の脚で地面を蹴飛ばしロケットスタートを切る。

 オレは目的地に向け、広大な森に突っ込んで行くのだった。

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