第75話 閑話 採掘少女の日常
「…………」
──カァーンッ。カァーンッ。カァーンッ!
迷路の如く複雑に入り組んだ坑道。
その末端で甲高い音が反響する。
聞き飽きた高音を意識から外しつつ、私はツルハシを岩壁に振るった。
これもまた飽きる程に繰り返した行為だ。
コツは力を込めすぎないこと。ツルハシの重さと速さに任せ、軽く振るうだけでもこの辺りの壁は崩せる。
繰り返すこと数度。尖端を打ち付けられた岩壁が己の一部を差し出した。
私の掌よりも大きい岩石を片手で掴む。
──アタリだ。
近付いたことで、鉱物が内包する〖マナ〗を感じ取れるようになった。
裏側を見てみれば他の岩石とは毛色の違う、強い〖マナ〗を帯びた魔性鉱物が埋まっている。
「……今日はこのくらいにしとこう」
それを背負い籠に入れ、私は採掘を切り上げることにした。
まだまだ体力は余っているけど、無駄に疲れることはしたくない。今日を生きるのに充分な稼ぎを得られたのだからそれでいい。
明かり一つない坑道を〖夜目〗を頼りに引き返して行く。
ここゴロノムア山地にある坑道は、大きく四つの区画に分類される。
私が居る一般区画は最も危険性のない場所だけど、だからって安全な訳じゃない。
魔性鉱物が生まれる程度には〖マナ〗が濃いので魔獣が引き寄せられて来る。
だから用心が必要──というのは間違いだ。
この辺りに現れる魔獣なんてほとんどが〖雑獣〗。
幼少期から十年もこの鉱山で働いている私にとって、その程度は脅威でも何でもない。
本当に恐ろしいのは魔獣なんかじゃなく、人間だ。
証拠の残りにくい坑道の中では何をされてもおかしくない。単独で採掘をする私なんかは特に気を付けないと。
「〖フィジカルキーン〗」
故に魔法を使う。
〖属性〗の後押しを受けた〖マナ〗が全身に行き渡った。
途端に冴え渡る五感。取得できる情報の精度が格段に増す。
このように、感覚器官を強化するのがこの魔法の効果だ。
「……こっちは止めとこう」
分岐点に立ち、片方の道を切り捨てる。どちらも出口に通じているはずだけど、私が選んだのは出口までが遠い方だった。
その道の方が
他の探索者の全員が盗賊紛いな訳じゃないけど、警戒するに越したことはない。
そのように人の居ない──あるいは逆に人で溢れている──ルートを選択して行き、私は遂に坑道を脱出した。
そんな私の眼前に広がるのは、採掘者の拠点である鉱業都市ミネファ。
五つの巨柱で周囲を囲われたその街は、岩石の五指に下から掴まれているようにも見えた。
坑道と街を行き来する人の流れに乗って、私も街へと歩いて行く。
街の入口には鉱物の買取所があった。
そこで中身が一杯に詰まった背負い籠を渡し、査定してもらう。
最後に当てたアタリのおかげでいつもより多い報酬を受け取り、私は街の中に入った。
「うん、これなら明日は楽ができ──」
「──
誰に向けるでもない呟きを、よく通る声が遮った。
見れば、壮年の男が分厚い本を片手に、道端で演説を行っている。
目が細く優し気な、けれどどこか胡散臭さを感じさせる風貌だった。
朗々とした語り口と声調には不思議と人を引きつける力があり、何人かの通行人が遠巻きながらに話を聞いていた。
私もつい足を止めてしまう。
「いつまでも魔獣との対立を続け、愚にも付かない魔法至上主義などに傾倒し、堕落を極めた人類にはいずれ裁きが下ります。これは覆しようのないことです。ですが、魔神様は寛大な御方。自身を信仰する者達を決してお見捨てにはなられません。我らが魔獣教団に入信し、魔獣との共存の道を歩む者は死後、天上の楽園に招かれるのです!」
いや結局殺されてるじゃん、と心の中で突っ込む。
なんとも恩着せがましい神様だ。
改めて男を見てみる。
柔和そうな表情に反して、まともじゃない雰囲気を纏っている。
糸目の奥の瞳は、金脈の噂を聞きつけた採掘者のように爛々と輝いていそうだ。
と、そんな時、近くを通りがかった二人組の会話が聞こえて来た。
「なんだアレ」
「お前知らねーのか? 魔獣教だよ、魔獣を崇めてるヤベー奴ら。最近はこの領にも出没するって噂だったが、ついにこの街にも来やがったんだな」
「魔獣を……? うっそだろ、頭イカレてんじゃねぇか、あいつら」
「ガハハハッ、違ェねぇな!」
どうやらこの魔獣教とやらはそこそこの知名度があるらしい。
鉱山の外の話には興味がないので知らなかった。
「おい! 貴様は報告にあった魔獣教団の者だな!?」
二人組が通り過ぎてから少しして、鎧姿の男が駆けて来て鋭い声で問う。
治安維持を担う衛兵だ。
「ふむ、邪魔者が現れましたか。それでは本日の説法はここまでです。皆様に魔神様のご加護があらんことを。入信するなら今ですよ」
パタン、と男が本を閉じると同時。謎の嵐が彼を包み込んだ。
「……花びら?」
嵐を構成する白く薄い欠片。目の前に舞い降りて来たそれを手で掴み、首を傾げる。
初めは白い花びらのように見えたけど、どうにも手触りが違う気がする。それに、花びらはこんな真四角な形ではないはずだ。
まあいいや。鉱山で働く私には関係ない。と、結論を出したところで嵐は収まった。
けれど、嵐の中心に居たはずの男の姿はどこにも見えない。
「クっ、どこへ逃げたッ!」
衛兵が辺りを見回し、足を止めていた人々も歩みを再開する。
掴んだ花びら(?)をその場で手放し、私も一緒にその場を離れた。変な宗教の話はスッパリ忘れ、その足で公衆浴場を訪れる。
今日の稼ぎの一部を支払い、女湯に入る。
まだ早い時間だからか、湯気の立ち込める石造りの風呂場に人は疎らだ。
貸し出された布を濡らして体の汚れを落とす。
それが終われば髪を巻き、浸からないようにしてから湯船に入る。
「ぅぅぅ……」
灼熱区画から引かれた熱湯が身体の芯に沁み渡る。
採掘で疲弊した肉体が解されて行くようで心地がいい。
浴槽の縁にもたれ掛かりしばらくボーっとした後。
ふと髪を一房摘まんでみる。
随分と伸びた白い髪を見て、そろそろ切らないとな、なんて思ったりした。
「はふぅ……」
髪を元に戻し、壁により深くもたれて天井を仰ぐ。
外の光に照らされ光っているそれを何とは無しに見つめた。
「(私はこれで充分幸せ……これ以上なんて要らない)」
全身を包む温かみの中、そんな言葉が頭に浮かんだ。
意識の底にあったのは、さっき出会った魔獣教団なる組織。
裁きがどうとか楽園がどうだとか言っていたけど、そんなの知らないし興味もない。
朝起きて、採掘をして、お風呂に入ってご飯を食べて眠りに就く。
そんな安穏とした日々を、昨日と同じ今日を死ぬまで続けられればそれでいい。
ただでさえ私は強力な〖属性〗を持ち、他人より楽をしているんだから。
これ以上を望むのは強欲というものだし、この変化のない生活で充分に幸せだった。
湯に身を浸した私は、何をするでもなく漠然とそんなことを考えていた。
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