第74話 閑話 ポーラの日常と非日常

 三体の獣が少女を取り囲んでいた。

 絶体絶命の苦境にありながら、しかし水色髪の少女は杖を片手に穏やかな表情を浮かべている。平然そのものだ。


 この状況で怯えもしない彼女へ、獣達は警戒するように低く唸る。

 やがて痺れを切らしたのか、リーダー格と思しき狼が一吠え。すると三体の獣が一斉に飛び掛かった。


 それと同時に少女も動き出すが、今からでは回避など到底間に合わない。

 精々が一歩動けるかどうか。少女の小さな歩幅では狼の射程から逃れられるはずがない。


「〖スペースシュリンク〗」


 事実、少女が踏み出したのはたった一歩であり、けれどそれだけで大人の五歩に相当する距離を移動した。

 飛ぶようで、滑るようで、弾かれたような、不自然な加速によって少女は瞬く間に距離を取る。


「「「ガウッ!?」」」

「〖スペーススラッシュ〗」


 突如、消失したターゲットに獣達が目を剥いた。

 勢い余って仲間に衝突しないよう身を捻ろうとし、その直後見えざる斬撃に見舞われる。


 上下に分割された狼達が血や臓物をぶちまけた。

 彼らの絶命を確認し、少女は先の戦闘を振り返る。


「空間の短縮にも慣れて来たね。そろそろ拡張も実戦で使ってみようかな」


 己の力を確かめるように手を握ったり開いたりしつつ呟いた。


 先程、彼女が行ったのは空間拡張の反対、空間縮小。

 魔法により数メートルの距離を一歩分に縮めた、というのがあの高速回避のタネだ。


「次はあっちだね」


 斃れた魔獣達を収納した少女は、新たな獲物を仕留めに向かうのだった。




「〖スペースホール〗」


 雑獣域に極小の孔が開く。

 〖空間把握〗で孔の周囲に他者が居ないことを確認し、少女は孔を人間大に広げた。


「よいしょ、と。〖スペースストレージ〗」


 そこを通って雑獣域に戻った少女は、手に持った杖を異空間に仕舞う。

 一目で〖凶獣〗武器だと見抜ける者は限られるが、無駄な面倒事を起こさないためだ。


 そうして彼女は町を目指す。行き来しやすいよう町の近くの木に『マーキング』しているため、十数分と掛からず着いた。


「はあ、直接町の中に跳べたら楽なんだけどなぁ」


 大通りを歩きながら独りちる少女。

 いつものこととは言え、否、毎日のことであるからこそ長々と歩くのが億劫になっていた。


 以前は移動時間など気にならなかった。

 だが空間魔法の扱いに慣れ、移動の手間を省けるようになった今では、ついつい町中まちなかへ直接転移したくなる。


「ううん、駄目だよね、魔法で悪いことしちゃ」


 そんな誘惑を頭を振って追い払う。

 門以外から町に入ってはいけない。子供でも知っているこの世界の常識だ。

 破れば最悪投獄される。


 空間魔法ならまずバレないとは言え、規範意識の強い少女はそんな事はしない。

 それに、門を出ていないのに魔獣を倒していることを不自然に思われ、そこから露見するリスクもゼロではないのだから。


 それから冒険者ギルドで素材を換金し家に帰ろうとしたその時、背後から大声を浴びせられた。


「見つけたぞイカサマ女っ。ここで会ったが百年目だ!」


 うげ、と胸中で呟きつつ振り返る。

 そこには如何にも魔法使い風の恰好をした、赤髪の青年が立っていた。

 いかにもプライドの高そうな彼は、憎悪の籠った目を少女に向けている。


 少女と青年は以前、見合いをした仲だった。

 しかし中級冒険者だった青年は、少女のことを魔法が使えない落ちこぼれだという古い噂を信じていた。


 そしてさらに不幸なことに、青年はこの町では珍しいほどに魔法至上主義者に傾倒していた。

 そのため非常識にも見合いの席で侮辱の言葉をいくつも吐いた。


 初めの内は作り笑いで聞き流していた少女も、傍若無人な青年の態度に段々と我慢が利かなくなり、つい言い返したところから罵り合いがスタート。

 それがヒートアップして模擬戦にまで発展し、そうして青年は見事、完膚なきまでに叩きのめされたのであった。


 が、いずれは上級冒険者になること確実な期待のルーキー、を自負する彼のプライドは負けたまま終わることを許さなかった。

 己の魔法を磨き上げ、再戦のためにここしばらくは少女を探していたのである。


「さあ訓練場に行け! 模擬戦だ! 本当に優れているのがどちらか証明してやる!」

「え、嫌ですよ。帰って来たばかりで疲れてるのに……」


 それに町中まちなかだと空間魔法の燃費が悪くなるし、とは口に出さない。

 わざわざ弱みを教える義理はない。


「逃げるのか? 所詮はハズレ〖属性〗っ、僕に負けるのが怖いんだな!」

「…………はぁ」


 模擬戦を強制することはできない。青年のことは無視して帰ろうとするも、そんな挑発の言葉に足を止める。

 深い溜息を吐いた少女は、青年をジッと見つめた。


「分かりましたよ、一回だけですよ? けど代わりに、これで負けたら二度と関わって来ないと約束してください」

「良いだろう、いくらでも条件を付けるがいい。どうせ勝つのは僕だがな」


 青年が肩で風を切るようにして訓練場に向かい、少女が後に続き、その後ろを他の冒険者達が付いて行く。

 ギルド内で叫んでいた青年は悪目立ちしており、血の気の多い者達は面白い催しが見られそうだと野次馬に来たのだ。


 それを見た少女は、できるだけ少ない手札で勝とう、と決意したのだが青年はそんなことなど露知らず。

 訓練場で適度な距離を取って相対した二人は、審判の合図で模擬戦を始める。


「先手必勝ッ、〖ファイアボール〗!」


 赤髪の青年は杖を振り上げ、バスケットボール程もある炎の球を放った。

 勢いよく飛ぶそれは、着弾と同時に爆発するオーソドックスな火魔法である。


 前回の模擬戦でもこの魔法は使っており、その時は孔を通して撥ね返された。

 少女は今回も同じく弾道上に孔を開け、炎球を撥ね返す構えだ。


(ハッ、馬鹿め! この僕が前と同じ手を使うとでも思ったか!)


 青年は内心で勝ち誇った笑みを浮かべる。

 そして炎球は孔に入る寸前、軌道を下方向へ変更した。


 この軌道修正により炎球は孔の下をすり抜け少女の足下へと──、


「〖スペースホール〗」


 ──着弾する直前で現れた孔に呑まれた。


「なっ、速っ!?」


 意表を突けたと半ば勝利を確信していた青年は、想定外の出来事に唖然とする。

 〖ファイアボール〗が落ちるまでの僅かな時間に魔法を捻じ込まれるなど、彼は予想だにしていなかった。


(どれほど簡易な魔法だろうと、軌道変更後の一瞬で発動できるはずが──)


 彼の思考は正しい。仮に何の準備もしていなくては、少女の〖レベル〗であっても魔法を間に合わせることは不可能。

 間違っていたのはこの程度で意表を突けるという甘すぎる見通しだ。


 何かしら策があることは予想の範疇であり、そもそも炎球に細工があることは〖マナ〗感知で見抜けていた。

 それが一体どのような細工かまでは分からなかったが、だからこそあらゆる事態を想定し、いくつかの魔法を準備していた。


 そういう訳で炎球は容易く撥ね返されてしまい、そのことに驚いた青年は防御が一瞬遅れる。

 慌てて火の矢で迎撃するも、かなりの近距離で爆発した炎球に吹き飛ばされてしまった。


 魔法が撥ね返される、という普通ではあり得ない事態に観客達がどよめく。


「ぐあ゛あ゛あ゛ぁぁぁっ、ぐっ、クソォ!」


 地に転がった青年は、観客のどよめきに負けないくらいの声量で叫んだ。


 青年は同格の魔法使いに比べ、魔法の出力や速度に優れている。が、今回はそれが仇となった。

 爆風のダメージで膝立ちするのがやっとの状態である。


「……まだ続けるんですか?」

「ぐぅっ、舐めるな! 僕はまだ負けて──」

「お止めなさいな、見苦しい」


 未だ戦意を滾らせる青年の言葉を女性の声が遮った。

 その場の全員の視線が声の方に向く。声は審判……ではなく、観客の中から響いていた。


 果たして、そこに居たのは眩い金髪をツインテールにした恰幅の良い少女。年頃はちょうど、〖空間属性〗の少女と同じくらいだ。

 冒険者ギルドには不似合いな非常に仕立ての良い服を身に纏っている。


「全く。騒いでいるからと見に来てみれば、これほどお粗末な戦いをしているだなんて。そこの〖火属性〗の貴方、あれは何ですの? 〖マナ〗の操作も魔法の運用も戦術の組み立てもてんでなっていませんわ。そもそも魔法を一つ撃っただけで満足し、次手の用意もしないだなんて……。よくその程度の腕前で決闘など挑めましたわね」

「な、んだとっ!?」


 ギリリ、と青年が奥歯を噛み締める。


「さっきから聞いてれば好き放題言ってくれる……っ。それだけ言うなら貴様はよほど魔法が得意なのだろうな!?」

「オホホホッ、当然ですわよ。わたくしを誰だとお思いで? わたくしの名はシィーツィア・ノーブ・シュヴァイン。日々魔道を研鑽する、誇り高き貴族でしてよ」


 言って、金髪の少女は右手の甲を青年に向けた。彼の顔がみるみる蒼くなっていく。

 肉付きの良いその手には、貴族の証たる『貴血紋章』が刻まれていたのだ。


「ひっ、あっ、こっ、この度はごごごっ、ご無礼を、大変なごぶっ」

「良いですわ。庶民の粗相に目を瞑るのも貴族の度量ですもの。ですが、身の程を弁えたというのならばく失せなさい。わたくしは彼女に用があります」

「たっ、たたたっ、直ちにっ」


 赤髪の青年は這う這うの体で訓練場を後にする。

 審判やギャラリー達も貴族に関わりたくないようで、青年に続いて訓練場を去って行った。


 そんなことは気にも留めず、金髪少女はもう一人の少女に歩み寄る。


「ふぅ、貴方もあんな低俗な者に絡まれて大変ね。その流麗な〖マナ〗制御を見れば敵うはずないと分かりますのに……。まあいいわ。貴方、ずいぶんと不思議な魔法を使っていたわね。貴方のお名前をお聞かせいただけるかしら?」

「え、あ、アタシはポーラ・スティアって言います……」

「そう、ポーラね。ちょうどいいですわ。わたくしの狩りの供をすることを許しましょう」


 光栄に思いなさい、と自信満々に告げる金髪少女。

 これがポーラ・スティアとシィーツィア・ノーブ・シュヴァインの初めての邂逅であった。

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