第19話 鹿と鹿
オレがスライムとして生まれたこの世界は、〖マナ〗と呼ばれるエネルギーで満ちている。地球には無かったものだ。
いや、人間時代のオレには〖マナ〗を認識できなかっただけかもしれないが、ともかく。地球の常識では存在しないエネルギーである。
その〖マナ〗だが、場所によって濃度は異なる。そして〖マナ〗の濃いところほど強い魔獣が多い。
なのでそういう場所には決して近付いてはならない、というのがスライムの群れでの教えだった。
「(けど、今のオレなら問題ねぇ)」
〖進化〗によってオレは劇的に強くなった。
昨日から少しずつ〖マナ〗の濃い方へ、濃い方へと向かっていたが、今日は大胆に踏み込んでみようと思う。
「(〖スラッシュ〗)」
ある程度進んだところ鞭を伸ばし、先端の刃を振るった。
落ちて来た果実をもう一つの鞭でキャッチし、体内に取り込み溶かしていく。
「(おぉっ、
白い洋ナシみてぇなその果物は、スライムに生まれてから食べた中で断トツで美味しかった。
まず、甘い。
スライム村周辺で採れる果実は酸味や渋味九十九パーセントみてぇなのばっかだったが、今食べたコレは現代の果実のように甘く、酸味も程よく利いていた。
これも多分〖マナ〗が濃い影響だろうな。
強い〖マナ〗に
そしてそういう植物を食べて育った草食の魔獣もまた、〖マナ〗が豊富で味も良い。
以前スラ太達に押し切られ、〖マナ〗の濃い奥地に行ったことがあるから分かるのだ。
その時は運よく一匹狩れたものの、その後すぐに〖長獣〗に襲われ、二度と奥地には入らないと決意したが。
強い魔獣が高〖マナ〗帯に集まるのは、美味しい獲物が多いからかもしれねぇ。
「(ん? ここは泉、か)」
森が開けたところで水場を見つけた。
池のように広い泉だ。
「(そういや、スライムになってから喉が渇いたことねーな)」
当たり前になっていて今まで気づけなかったが、オレや他のスライムが水を求めたことは一度もない。
スライムには水分が不要なのか、もしくは植物や血に含まれる水分だけで充分なのか。
「(どっちにしろ関係ねーが、待ち伏せスポットとしちゃ上々だな)」
オレには不要でも他の魔獣はそうじゃない。
きっと水飲みに来る者はそこそこいるはずだ。
そしてノコノコ現れ水を飲み始めたところをバックアタック。重い初撃が入ればその後の戦闘も有利に進める。
完璧な作戦だぜ。
「(よし、この木なら大丈夫そうだな)」
泉の傍に生えていた他のより太い木に登る。
〖進化〗で体重も増えたが、こいつなら耐えられるだろう。
〖登攀〗を使い、ついでに体を出来るだけ広げることで重さを分散させる。
〖パワー〗が上がったので登るの自体は以前よりも楽だった。
はてさて、そんな風にして敵の訪れを待つこと何分か。
二体の魔獣がやって来た。
そいつらは鹿に似ていて、片方は赤黒く禍々しい枝角を持ち、もう片方は角が無い代わりに体に複雑な紋様が描かれている。
睦まじい様子を見るに番いのようだ。
彼らは仲良く並んで泉の水に口を付けだした。
チャンスだ。オレは〖隠密〗を使い、そろ~りと木から降りる。
鹿達に慎重に近寄って行き、鞭の先に刃を作り出したその時。
──どっぱんッ!
大きな水柱が上がった。
そちらに気を取られた一瞬の内に、
「(!?)」
それを為した魔獣はすぐさま次の獲物を見定める。
血の滴る牙を剥き、無駄のない敏捷な動作でもって、逃げ出しかけた
断末魔の声はか細かった。
ぐったりと地に横たわった牝鹿は、一度大きく体を痙攣させた後、大量の血を吐いて絶命する。
「(強ぇ……っ)」
〖長獣〗相当っぽかった鹿達を瞬殺しちまった。
あの魔獣もまだ〖長獣〗だろうに、自身の得意分野を活かして一方的に勝利するとは。
「シュルルルゥ……」
魔獣がオレを睨んで威嚇する。
そいつは縦長のボディをしていた。
上下に二本ずつ生えた長い牙が生えており、それらは鉄すら貫けそうだ。
ヌメリとした質感の黒い皮膚は光を照り返す。
蒸気のような唸り声を漏らすそいつは、例えるならハモが一番近そうだ。
眉間に第三の目が付いているのが地球産との違いだが。
「スラーッ!」
少しの間睨み合っていたが、痺れを切らしてオレは駆け出す。
それを待っていたかのように、ハモは小さな渦巻きを繰り出した。
「(ちょうどいい、〖回避〗!)」
直進する渦巻きに対しオレも真っ直ぐ向かって行き、当たる寸前で斜め前に進路を変えた。
〖回避〗による素早さが向上を利用し、一気に距離を詰める。
「シュルァッ」
が、躱したはずの渦巻きも向きを変え、オレを追いかけて来ていた。
渦巻きは放った後も操れるのか!
けど、これはこれで好都合。
追われているという状況を活かし、〖逃走〗を使ってさらに加速してやる。
「シュッ、シュルルゥアツ」
オレの二度にわたる加速にハモは面食らったようだったが、すぐに牙を剥いて襲い掛かって来た。
水辺から上半身を伸ばし、あっという間にオレを射程に捉える。
「(〖ブロック〗!)」
その瞬間に合わせ、攻撃を防ぐ〖ウェポンスキル〗を発動。
オレの体はより一層固くなり、それによって牙の一撃を無傷で弾き返せた。
「〖スラッシュ〗、〖コンパクトスラッシュ〗、からの〖スラッシュ〗!」
牙を受け止め、その後即座に空中に逃げ出したオレは、そこから〖ウェポンスキル〗を連発する。
ハモの顔を斬り付け、斬り付け、そしてもう一度斬りつけようとしたが空振りに終わった。
ハモが身を引いたのだ。
ざぶんと泉に潜るハモ。
出て来るのを待つオレに、背後から渦巻きが直撃した。
「(ガボボボボボ……いや、全然平気だな)」
とはいえ、ダメージはない。息苦しくもない。
高速回転する水流の中で洗濯物の気分を味わっていると、十秒ほどで消えて行った。
だが、ハモは水中で何のアクションも見せない。
ただこちらの様子を窺っているだけである。
オレは待つ。釣り人のように、待つ。
今は耐える時間だ。ここで焦っては相手に付け入る隙を与二える。
そうして体感時間で二十分ほどが流れて、これはおかしいのではと気付く。
「(……あれ? おーいっ、出てこーい!)」
何度か呼び掛けるもハモは泉から出てこない。
もしやこいつ……オレが居なくなるのを待つ気か!?
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