いちゃつき接近禁止令は発令していない

 二人が振り返ると、バツが悪そうな子供がモジモジと二人の後ろに立っていた。

「やっぱり、来てるんじゃねーか」

 カルメは、熱くなる頬を冷気で冷やした。

「あはは、すみません。えっと、クラム君? どうしたの?」

 ログが少し屈み、目線を合わせて問うと、クラムは両方の手のひらを見せた。

 軽い火傷を負っている。

「魔法の練習してたら怪我しちゃって、ごめんなさい。お父さんとお母さんに、カルメさんとログさんが仲良くしてたら邪魔しちゃ駄目だって、言われてたんだけど」

「何だ、その決まり」

 カルメが頭を押さえてため息をついている内に、ログは素早く魔法を使って火傷を治した。

 クラムは顔を明るくして、

「ありがとう!」

 と笑うと、すぐにその場を離れようと駆け出す。

 そんなクラムの襟付近を、カルメが軽く引っ張って止めた。

「おい、お前、この間ボヤ騒ぎを起こした子供だろう。その怪我は、親が見てるときに負ったのか?」

 子供相手なので優しく問いかけたつもりだったのだが、クラムの表情はサァッと怯えに染まる。

「え? ご、ごめんなさい。俺、お母さんたち忙しくて」

 クラムは今にも泣き出しそうな掠れた声を出し、しょぼんと俯いた。

「別に怒ってないから、ビクビクするな。一人で怪我したんだな」

 カルメが眉根にしわを寄せながら問うと、クラムは涙の滲む瞳でコクリと頷いた。

 完全にカルメに怯えている。

 今目の前にいるカルメが威圧的というよりは、クラムの両親から見た恐ろしいカルメ像がそのまま彼に引き継がれているせいで、必要以上にカルメを恐れているという感じだ。

「カルメさん、お母さんたちを怒らないで……」

 怯えた声は小さく、ズドンと地面に落ちていく。

「おい、別に怒ってないって」

 クラムの態度に、カルメは若干焦っていた。

 カルメは子供の相手をしたことが少ないため、このような事態に耐性がないのだ。

「クラム君。カルメさんは態度が悪いように見えるだろうけど、実際は、理由なしに人を怒ったり、傷つけたりする人じゃないよ」

恐ろしいカルメとは対照的に、穏やかでニコニコと言葉を紡ぐログの存在は、まさしく救世主だ。

 クラムは涙をためたまま、

「本当?」

 と、問いかけた。

「本当だよ。それに可愛い人だから」

「ログ、余計なことは言うなよ」

 少し照れたカルメが、表情と雰囲気を和らげる。

 それを見て、クラムは首を傾げた。

「カルメさんは、ログさんと一緒にいる時だけ、怖くない人?」

「別に、いつも怖くないが。それよりもお前、クラムだっけ? ちょっと魔法を使ってみろ」

 カルメが照れ隠しに頭を掻くと、乱れた髪をログがそっと直した。

 あまりにも自然にカルメに触れたので、誰もそれに気が付かないようだ。

 クラムは相変わらずカルメに怯えている。

「え? でも俺」

「大丈夫だよ、カルメさんは凄い魔法使いだから。ほら、見て」

 ログがカルメに目配せすると、彼女は仕方がないな、と笑って魔法を使った。

 大きな水球でも、クリスタルのような氷でもなく、ゴウゴウと燃える大きな炎を出したのは、クラムの魔法が火の魔法だからだろう。

 クラムは先程まで怯えていたのも忘れて、食い入るように巨大な炎を見つめた。

 あまりに大きく、自由に踊る美しい炎に憧れ、見惚れている。

「もう消すぞ」

 そう声をかけると、掌手のひらから数センチ浮いて燃え上がっていた炎の玉を、煙のように掻き消した。

 消す時にカルメは一切、炎に触れていない。

「今の、どうやったんですか?」

 クラムはいつも、練習で出した炎は汲んでおいたバケツの水で消していた。

 全く触れずに炎を消滅させた姿に憧れ、好奇心が湧いたようだ。

「魔法はそもそも、呪文をいう必要も、それっぽい動作もすることなく使えるし、操れるんだ。でも、大抵は上手くイメージするためにそれっぽいことを言うんだよ。今、私は分かりやすいように掌の上で丸く燃える炎をイメージしたが、上手くイメージすれば」

 言いながら、カルメは空に炎の猫を作り出した。

そして、

「こうやって全然関係ないところに炎を出したり、消したりすることが可能だ」

 と、あっさり炎の猫を掻き消した。

「上手くイメージできれば、炎を消すのに水はいらない。ただ、これをやるには一定の適性と膨大な努力が必要になる。それに、日常生活でここまでやる必要はない。消すのは水に任せりゃいい。今のは、ただ私が横着しただけだ」

 こともなげに言うカルメを、クラムは尊敬のまなざしで見つめている。

「そうなんですか。でも、すごいなあ」

「私は別に炎に関しちゃ天才じゃないが、日常で使える程度には魔法が使える。コツだけ教えてやるよ。そうすれば、親と練習できる時間が少なくても、十分な内容の練習ができるから」

 偉そうなカルメに、クラムは、

「ありがとうございます」

と、礼儀正しく頭を下げた。

「お前のためじゃないよ。ログの仕事を増やさないためだ」

 内心照れているカルメの言葉はぶっきらぼうだ。

「確かに、怪我をしたら痛いもんね。良かったね、クラム君」

 そう言いながら、無意味にカルメの頭を撫でるログを見て、クラムは目線を下げた。

「うん。あ、でも。母さんたちがカルメさんたちの邪魔したらいけないって」

 二人の邪魔をしてはいけない、とはいうものの、朝から夕方までの間では二人が一緒にいない時間の方が圧倒的に短いし、二人は一緒にいればなんだかんだとイチャつき続ける。

 そんな二人に気を遣っていたら、ログはまともに村人を治療できなくなるだろう。

「今更だろ。大体、私がログを独占してたら誰も治療してもらえないからな。それでいいのかって母親に聞いとけ。あと、教えるのは、今日だけだからな」

 カルメが呆れ交じりに言うと、クラムは神妙に頷いた。

「よし、そしたら開けた場所に行くぞ。原っぱとかあったか? この辺」

「えっと、俺たちがよく遊んでるとこは、野原だよ」

 よく散歩をするカルメは、村周辺の自然に詳しい。

クラムの言っている場所が村の外にある野原なのだということに、すぐに気が付いた。

「じゃあ、そこでいい。行くぞ」

 三人は野原へ向かった。


 村から少しだけ離れたところにある野原で、カルメはクラムに魔法を教えていた。

 カルメは意外と教えるのが上手で、丁寧に魔法の扱い方を伝えている。

「そうだ、魔力を練るのはゆっくりでいい。それよりも、どういう炎を出したいのか、よく考えろ。初めはマッチくらいでいいんだ」

 カルメの言葉に熱心に耳を傾けていたクラムは、一つ頷いて、

「ろうそくの炎よ、灯れ!」

 と言いながら、手のひらに魔力を溜めた。

 すると、クラムの手のひらよりも数センチ浮いたところで、蠟燭に灯るような小さな炎が浮いた。

「よし。よくやったな」

 カルメは思わず顔を綻ばせ、ポムポムとクラムの頭を撫でた。

 クラムも、褒められて嬉しそうに笑っている。

「ありがとう! でも、こんなに小さな炎でいいの?」

 カルメの炎に比べ、クラムの炎はあまりにも小さい。

クラムは不安そうな表情で、今にも消えてしまいそうな頼りない炎を見つめるが、カルメは満足げに頷いている。

「ああ、それでいい。碌に炎の形も決まっていないのに魔力だけ集めると、暴発するからな。ここから少しずつ大きくしていくんだ」

 カルメは立てた人差し指の先から、ポンと親指ほどの大きさの炎を出した。

「とりあえず、目標はここだ。ただ、間違っても一人で練習するなよ。炎は水と違って、暴走した時に取り返しがつかない。そのことは、ボヤ騒ぎで分かってるんだろ?」

「うん……」

 カルメの言葉に、クラムは少し落ち込んだようなそぶりをみせる。

「別に責めてるんじゃないよ。練習するなとも言わない。ただ、練習したいなら気を付けろと言っているだけだ。魔法を使えるようになりたい気持ちは、まあ分からなくもないからな」

 カルメがニッと笑うと、クラムも大きく首を振って頷いた。

「うん。分かったよ。もし大きな炎がつくれたら、見せてあげるね」

 クラムが両手を広げて笑うのを、カルメは微笑ましく眺めた。

「つくれたらな。ほら、今日はもう終わりだ。帰れよ」

「うん。本当にありがとう! バイバイ!」

 大きく手を振って、何度もカルメたちの方を振り返りながら帰って行く。

 クラムが完全に見えなくなり、ログと二人きりになると、カルメはばつが悪そうな表情になった。

「ごめんな。せっかくついて来てくれたのに、放っておいて」

「いえ、楽しかったですよ」

 ログはふんわりと微笑んで首を振った。

「そうか? 暇だっただろ」

 カルメがクラムに魔法を教えている間、ログはすっかり放置されていて、二人を見守るばかりだった。

 さぞ暇だっただろうと、カルメはクラムに魔法を教えながらも、内心ハラハラしていた。

「本当に楽しかったですよ。意外とカルメさんが子供に優しいってことも分かりましたし」

「優しい? 優しかったか? クラム、私に怯えてただろ」

 カルメの脳内では、涙を浮かべたクラムが思い出される。

 カルメは別に、子供を泣かせるつもりはなかったのだが。

「最初はそうでしたが、最後には敬語も外れて楽しそうにしていたでしょう。カルメさんが優しい人だって伝わったから、クラム君も心を開いたんだと思います」

「そうか? クラムがただ図々しい奴だってだけだと思うが」

 照れ隠しと半信半疑な気持ちの両方があって、カルメはぶっきらぼうに呟いた。

そんなカルメの心が手に取るように分かり、ログは、

「そんなことないですよ」

 と、笑って彼女の言葉を否定した。

 子供に優しく接する姿を喜ぶログを見て、カルメはひっそりと自分を振り返る。

『私が、あの子供に優しくする気になったのは、ログが私に優しいからだ』

 以前までのカルメだったら、決してクラムに魔法を教えようなどとは思わなかった。

 舌打ちを打って、「練習するなら誰かとやれ」とだけ言って無視をしただろう。

 今日はログが一緒にいたから、カルメは彼に良いところを見せてやりたくなったのだ。

 子供相手だからというのもあるが、ログが近くにいたから、格好つけてクラムに少し優しい態度を見せ、魔法も教えた。

 それに、一人で魔法を使って怪我をするクラムを見て、カルメは少しだけ昔の自分とクラムを重ねていた。

 カルメはログの優しさに救われたから、自分と同じように見えたクラムを、一瞬だけ救ってやりたくなったのだ。

『まあ、クラムの親は多分、私の母親みたいなやつじゃないんだろうけど』

 母を怒らないで、と必死に頼むクラムを思い出してカルメは苦笑した。

 こんな心の内を明かすのは恥ずかしくて、カルメは何でもないような顔をする。

「まあ、どっちだっていいけど。それにしても結構、時間経ってたんだな」

 茜色に染まるよりも少し前の不思議な空気を感じて、カルメは何だか感傷的になった。

「仕方がないですよ。それだけ熱心に教えたってことですし」

 ログが苦笑いすると、カルメは少しむくれて俯いた。

 クラムの練習に付き合っていたから、ログと一緒にいちゃついていられる時間が少なくなってしまい、それによって拗ねているのか、と言えば必ずしもそうではない。

 もちろん、そう言った側面もあるかもしれないが、最近のカルメは以前に比べて随分と自分に素直に、甘えん坊になっていた。

 だからカルメは、二、三日に一回、どうしてもログと離れがたくなってしまって、ギリギリまで帰る時間を引き延ばそうとするようになっていた。

 病気の時とはまた違うのだが、この時のカルメもいつもより更に甘えん坊になる。

「もっと一緒がいい。帰りたくない」

 カルメは決まってそう言うと、不貞腐れた。

「俺だって、一緒にいたいですよ」

 ログは笑うと、カルメに背を向けた。

「ほら、おんぶしてあげますから。帰りましょう」

「……わかった」

 カルメは、元気がないながらもログの背中に抱き着いた。

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