こっちは本物のデートだ!

 家に着いて日課の水やりを終えると、カルメは自宅の椅子にどっかりと座り込んだ。

 いつもの家の匂いに心底落ち着く。

 誰もいない独りきりの家は確かに安心できたが、何故か少しだけ物足りなさを覚えた。

『アイツ、今、何してんだろ。仕事してんのかな』

 疲れで重くなる瞼を堪えて、そんなことに思いを馳せた。

『まあ、なんでもいいだろ。どうせ、錯覚が覚めるまでそんなに時間はかからないだろうし。錯覚が覚めたら、私は自由なんだ』

 それでも、眠る瞬間に思い浮かんだのは、ログの笑顔だった。

 だいぶ早めの昼寝から目覚めたカルメがまず初めに取った行動は、昼食を食べることで、その次にしたことが、村とカルメの自宅までの道を整備することだった。

 獣道のような道をならし、伸び放題に伸びた木の枝を伐採して、道と森を隔てる柵を作る。

 そして、ついでに獣避けと魔物避けも設置した。

 どれも粗削りで無いよりはましといった出来だが、カルメ自身も一日で道を完成させようなどとは考えていなかったので、今日のところは拙い造りのもので十分だった。

『こうすれば、私が使うのにも便利だしな』

 カルメは完成した道を眺めて、そんなことを思う。

『アイツが錯覚から覚めたら、この道を使うのは私だけか』

 そう思うと、何故かほんの少し寂しくなった。

『やっぱり、まだ疲れてるのかな』

 寂しさは全て疲れのせいにして、カルメが家の中へ帰ろうとしたとき、

「カルメさん」

 と、背後からログに声をかけられた。

 振り返ると、左手を軽く振り、右手には赤い花束を握っている彼の姿が見える。

 その表情は晴れやかで、嬉しそうに微笑んでいた。

「今日はもう会っただろ。また来たのか」

 呆れると、ログは照れて笑った。

「カルメさんが帰る頃、俺は意識が半分くらいしかなかったので。カルメさんが無事に家に帰れたのか気になって」

 寝起きの姿をみられた恥ずかしさも相まって、ログは余計に赤くなった。

「見ての通りだ。今日は遅くなる前に帰れよ。また、私が家に泊まる羽目になる」

 ハンッと小馬鹿にしたように嗤った。

「はい。またいつ来てくれても、いいですけどね」

「いや、センセイが困るだろ」

 診療所は怪我を治す場所であって、宿屋ではない。

 カルメは呆れたような苦笑いを浮かべた。

「でも、師匠もいつでも来たらいいって言ってましたよ。むしろ楽しみにしてる、ここに住んだらいいのに、って」

 明るく笑うログを、カルメはわざとらしく嘲笑った。

「住まないよ。花の世話もあるし。大体、錯覚が覚めるまでしかいられないのに、引っ越ししたら大変だろ」

 錯覚、という言葉に、ログは嫌そうに眉間にしわを寄せた。

 だが、カルメはあえて無視をした。

「そういやお前、どこか一日空いている日はあるか?」

「え? 唐突ですね。多分開けようと思えばいつでも空きますが、師匠に確認してみないと」

あまりに突然な問いに、彼は頭のなかでスケジュールを確認しだした。

少し考え込む彼に、カルメが追加で言葉を出す。

「もし空いている日があったら、私と、森の散歩に行かないか?」

 ログと散歩など一ミリも予定にない事だったのに、言葉だけはスルリと口から滑り出てしまい、内心驚きつつも、カルメは平常心を装った。

「え? デートですか?」

 予想外の誘いにログが目を丸くすると、カルメが目つきを悪くして舌打ちをした。

「ただの散歩だ。嫌ならいい」

 そっぽを向くと、カルメの両手をログが包み込んだ。

 カルメの横顔を眺める瞳はキラキラと揺れて、心底嬉しそうな表情を浮かべている。

「いえ! 行きます。明日とか絶対空いてると思うんで。どうせ診療所はいつも通り暇で、暇のあまり、師匠は健康な村人たちとお茶会を、俺はひたすら勉強とかをする羽目になると思うんで」

 ログは興奮し、ガンガンと言葉を並べた。

「暇って、いい事なのか?」

 ログの勢いに押されつつも、カルメは両手を引いて呆れ交じりに言った。

「いいことですよ。誰もケガしてないってことですし。まあ、仕事をしようと思えばなくはないですが、どれも急ぎじゃないので」

 ログはパッとカルメの両手を離すと、相変わらず楽しそうに言葉を重ねる。

 そんなログの顔を、カルメは興味なさげに一瞥した。

「まあ、それなら明日の昼な。都合が悪くなったら伝えろ」

「はい」

 ログはニコニコと笑って頷いた。

 二人はその後、少しだけ会話をしてから別れた。

 そして、家に帰ったカルメはログから受け取った花束を、ベッド近くの窓際に置かれた花瓶にさした。


 翌朝、カルメは一冊の本を前に頭を悩ませていた。

 それは表紙がボロボロになるまで読んだ『世界に勇気を』というタイトルの小説で、正義感に溢れた主人公がそのカリスマと優しさで世界を救う、というありふれた冒険の物語だった。

 カルメはこの本を心底嫌い、時に登場人物に腹を立てて暴言を吐いたり、本をぶん投げたりしながらも、何度も繰り返し読んでいた。

 今開いているのは、主人公の恋人となる女性がデートのためにお洒落をしているシーンだ。

 その場面には挿絵があり、女性が長い髪を三つ編みに結っている姿が描かれている。

 髪の両側面には編みこみがあり、三つ編みの結び目にはふんわりと愛らしいリボンが巻かれていた。

 カルメはこの絵を睨みつけるようにして見つめていたが、やがて、肩よりも少し長い程度の髪の先を摘まんでため息を吐いた。

『髪を結ぶったって、可愛い結び方なんて知らねえよ。長さも足りないし。大体、ちょっと散歩するのに髪を変える必要なんてあるか? それに、お洒落なんかしたら浮かれてるみたいだろ。こっちは恋人らしく振舞って、アイツの錯覚を解くために散歩に行くってだけなのに』

 心の中で悪態をつきながらも、カルメはいつもよりもしっかりと髪を梳かして、花壇から持ってきていた花を見つめた。

『コレでもさしとくか』

 黄色い大きな花弁を五枚持った、美しい花を髪飾りにすることで、カルメのおしゃれには一応の決着がついた。

 その後、カルメは姿見の前でくるりと回ると眉間にしわを寄せて、ワンピースの裾をつまんだ。

 カルメが今着ているのは全体が淡い桃色をしている花柄のワンピースで、裾や襟元、袖口は繊細な模様の入った白いレースで飾られている。

 スカートの丈は膝よりも少し長いくらいで、控えめな愛らしさがあった。

 カルメが愛用している、短めの茶色いブーツにもよく似合っている。

 カルメは意外と、こういったパステルカラーや繊細なレースから構成された、ふわふわと可愛らしい服や小物を好んだ。

 特に、今着ているワンピースは一番のお気に入りだ。

 しかし鏡の中の自分を見つめるカルメの視線は冷たく、そこには軽蔑の感情すら存在した。

『やっぱコレ、変えようかな』

 全体的にふんわりとした衣服は繊細で、確かに森を歩くのに向いた服には見えないが、それを着ているのは森を熟知したカルメだ。

 カルメならば決して服を汚すことなく森を歩けるから、その点が問題なのではない。

 問題は、この服が自分に似合っているのかどうか、ということだった。

「似合わねえよ、ブス」

 吐き捨てるように言うと、自分自身を嘲笑った。

 カルメの目には、可愛らしいワンピースに身を包む不愛想で醜い自分が映っており、それを非常に滑稽に感じていた。

 実際は、ワンピースが似合っていないわけではなかった。

 カルメの地顔は非常に可愛らしい。

 微笑んで目つきを優しくすればそのワンピースはよく似合っただろうが、仮に鏡の自分を苦々しく睨んでいたとしても、決してカルメの思うような不格好で滑稽な姿にはなっていなかったのだ。

 それでも鏡の自分が不快に映るのは、カルメが自分自身を滑稽で、不愛想で、醜い存在だと思い込んでいるからだ。

 自分を卑下する心こそが、自分自身を卑しく見せていたのだ。

 カルメが服を変えようか迷っていると、トントンと控えめにドアがノックされた。

 服に意識を集中させていたカルメは不意を突かれて心臓が跳ねたが、すぐに服を変えている時間が無いことを悟ると舌打ちをして、

「開いてるぞ」

 と、声をかけた。

 すると、ゆっくりとドアが開いて外からログが入ってきた。

 ログはいつもと違って白衣は着ずに、うっすらと青いシャツと黒いズボンを着用していた。

 飾り気のないシャツのボタンは首元まで全て閉めてあって、カッチリとした、やや硬い印象を受ける。

 どうやら少し、緊張しているようだ。

 シンプルな服装は一見すると地味な印象を受けるが、その飾り気のなさがかえってログの魅力を引き立てるようだった。

 ログの手には、濃い紫の小ぶりな花の花束が握られている。

「早かったな、まだ昼前だろ……ん? どうした? 私の声、聞こえてるか?」

 カルメは怪訝な顔をして、ボーッと自分を見つめるログの肩を揺さぶった。

 するとログは目元を赤く染めて、トロンとした瞳にカルメを映した。

 そっとカルメの髪飾りに触れる。

「すみません。カルメさんに見惚れていて……髪飾りも、服も、とても似合っています。すごく可愛らしくて、綺麗です。俺のために、お洒落をしてくれたんですか?」

 カルメは自分を熱心に見つめる視線とストレートな甘い言葉が恥ずかしくて、舌打ちをするとログの手を払い、そっぽを向いた。

「お前のためじゃない。デ……恋人と行く散歩、とやらのマナーを守るために着ただけだ。大体、似合ってるってお世辞だろ。言ってみろよ、可愛い服着て滑稽ですねって」

「そんなことありません。すごくかわいいですよ」

 ログは屈んで、俯くカルメの瞳を覗き込むと、真剣にそう言って微笑んだ。

 瞳に、声に、愛が滲んで溢れている。

 カルメの顔が目元を中心にブワッと赤く染まった。

「そうかよ。錯覚って凄いんだな」

 舌打ちをして、ログの視線から逃れようとそっぽを向いた。

 ログは困ったように笑うと、

「すぐに錯覚って言わないでくださいよ。ところで、俺はどうですか? 変じゃないですか?」

 そう、不安げにカルメに問いかけてきた。

 カルメは真っ赤な顔のままチラリとログを見ると、すぐに視線を横に逸らした。

「変ではない……似合ってると、思う」

 そっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに言った。

「よかった」

 カルメの不愛想な言葉に、ログはホッと息を吐くとニコニコと笑った。

 その表情は安心に満ちていて、カルメはそんなログをほんの少しだけ見ていた。

「かわいい……」

 ぽつりと言葉が零れ出たことに気が付くと、カルメは慌てて自らの口を塞いだ。

『今なんて言った!? かわいい? バカが! 私まで雰囲気に呑まれて変なことを口走ってどうする。アイツは気づいているか? いや、気付いてないな』

 ドコドコとうるさい鼓動を押さえつけてログを盗み見るが、彼に変わった様子は見られない。

 カルメは少し安心すると、魔法で冷気を出して顔周りを冷やした。

 そして、平静を取り戻すために家の棚を漁って、虫よけの薬を取り出す。

 虫よけの薬は液体だ。

 そこで、カルメは薬を操って霧状にし、自分の体に纏わりつかせた。

 魔法を使うことで、カルメは少しだけ落ち着くことができた。

「無臭で、服に色が着いたりもしない、人体にも無害な虫よけの薬だ。お前もつけておけ」

「わ、ありがとうございます」

 同じ要領で、ログにも薬を使う。

「そろそろ行くか」

「そうですね。ところで」

 ログはカルメの手をチラリと見た。

「なんだ?」

「手を、繋ぎませんか?」

 照れくさそうに差し出す手を冷ややかな目で見ると、カルメは舌打ちをした。

「嫌だ」

「即答ですね。嫌ですか……」

 ある程度予想していたのか驚きはしないものの、ログはガックリと項垂れた。

「嫌というか、死ぬ」

「そ、そんなにですか!?」

 ログはショックを受けた表情で固まってしまい、カルメの、

「手をつないだら心臓が破裂してしまいそうだから嫌だ」

という、可愛らしい本心には気が付けなかった。

『手を繋ぐなんて、どうでもいい事だろ。動揺して、バカだな』

 心臓がうるさい自分に胸中で悪態をついたが、鼓動は鳴りやまない。

 先程の冷ややかな視線とは裏腹に、カルメの頬は確かな熱をもっている。

「いつまでも固まってないで、さっさと行くぞ」

 ショックで固まるログにわざと冷淡な言葉をかけて、カルメはさっさと家を出た。

『どうしてこんなに胸が鳴るんだ。落ち着かない。どうでもいい奴と散歩に行くだけだろ。いい加減にしてくれよ』

 冷気で多少は赤味の引いた頬を抑えてそんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか早歩きになってしまっていた。

 そのことに気が付いたのは、息を切らせたログがカルメに追いついた時だった。

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