恋人作戦

 どんよりと沈むカルメの心に反して、天気は憎たらしいくらいの晴れだ。

 カルメとログが出逢った日から、約半年が過ぎた。

 季節は春から秋へと移り変わり、森を緑で彩っていた木の葉も赤や黄色に衣替えをして、見る者を楽しませている。

 ログは相変わらずカルメに告白し、振られ続ける毎日を繰り返していた。

 以前までと変わったのは、ログがカルメの好む花を持って行くようになり、カルメ当番も彼に固定されたことくらいで、二人の関係性に特別な進展はなかった。

 むしろ、悪化していると言えるかもしれない。

 カルメがログにほとほと困り果て、グッタリと疲れ始めたのだ。

 カルメはこれまで、面倒に思いながらも多少の余裕をもってログを追い返していた。

 それは、すぐにログが錯覚から覚めてカルメを嫌い、避けるようになると確信していたからだ。

 実際、これまで一か月以上もカルメに想いを寄せ続けるものなどいなかった。

そのため、今回もそうであるに違いない、と信じきっていたのだ。

 しかし、カルメの絶対的な自信をもった予想に反して、ログの気持ちはいつまで経っても一向に冷める様子が無い。

 それどころが、その熱は段々と上がっているようにすら思えた。

 カルメは段々、「吊り橋効果による錯覚の恋」という自分の考えに疑問をもち始めていた。

 かといって、まさか自分に本気で恋をしているとも思えず、全く理解の出来ないログの様子に頭を悩ませていた。

『吊り橋じゃないなら何なんだ? 他にどんな錯覚がある? 神格化か? だが、神格化による錯覚の恋ならとっくに冷めているはずだ』

 どんなに考えても答えが出ない。

 そもそもカルメは人付き合いが乏しく、小説などの物語で見るような極端な人間関係しか知らないのだから、どんなに考えたところで答えが出るわけがなかった。

 カルメは変化の無い暮らしを守って生きている。

 知り合い以上の人付き合いを嫌い、他者を嫌い、自分さえも嫌い、独りきりで生きている生活は暇で、平穏で、代り映えがしないものだ。

 そんな生活を長く続けてきたカルメにとって、恐ろしいものが変化と未知だ。

 その両方の要素をログは持っている。

 ログに対し強気にあしらう姿とは反対に、カルメは内心、ログを怖がっていた。

 何でもいいから、恋以外でログが自分を構う理由が欲しかった。

 答えの出ない問いを頭の中でかき混ぜているうちに、いつの間にか村の門までたどりついてしまった。

 この日も食料が尽きてしまったので、仕方がなく村を訪れていたのだ。

『どうせ、アイツが来るんだろ。無視しようかな』

 カルメがため息交じりにガードの方へ歩いて行くと、ガードと談笑するサニーが見えた。

 声をかける前に、ガードがカルメに気が付いて、

「ログを呼んできます!」

 と、走り出した。

 すっかり、「当番はログ」で定着してしまっている。

 カルメが一瞬でガードの足元に大きな氷の床をつくりだすと、彼は勢いよく踏み出した足を氷で滑らせ、大きな音を立てながら派手に転んだ。

 ガードの尻の下にある氷は割れているが、肝心の腰と尻は皮鎧に守られて無事のようだ。

 だが、それでも衝撃はそれなりにあったらしく、彼は痛そうに腰のあたりをさすっている。

 サニーも慌ててガードに駆け寄り、怪我などをしていないか確認した。

 カルメが取った行動は大怪我にも結び付きかねない非常に危険なものだったのだが、彼女は平然として悪びれもせず、ツカツカと二人に歩み寄ると、

「今日の当番は村長娘だ。いいな」

 と、脅しをかけた。

 ガードとサニーは、真っ青な顔でコクコクと頷いた。


「あ、あの、どうして、今日は私なんですか?」

 緊張した面持ちで問うと、カルメは舌打ちではなく溜息を吐いた。

 もはや舌打ちをする元気もなかったのだ。

「あの男が嫌だ。なんで、当番はあの男ばかりなんだ?」

「それは、ログが毎回、熱心に立候補するので」

 言い訳がましく言うサニーに、カルメは、

「クソッ、人気の仕事じゃなかったのかよ」

 と、つい文句を言ってしまう。

 なんと言葉を返せばよいのか分からず、サニーは青白い顔のまま苦笑いを浮かべ続けた。

 カルメはそんなサニーを一瞥すると舌打ちをして、倉庫の方へ向かった。

「なんで諦めないんだよ」

 倉庫に入って行くカルメがボソリと独り言を言うのを、サニーは緊張した面持ちで聞いていた。

 倉庫から出て気だるげに荷物を担ぐカルメに、サニーは緊張したまま話しかけた。

「あ、あの、一度付き合ってみる、というのはいかがでしょうか?」

「はあ?」

 誰と、などというのは言わずとも分かっている。

 想像よりもずっと低い声が、カルメから漏れ出た。

「ひぃ」

 サニーはカルメの殺気の籠った視線にたじろいだものの、一度カルメの瞳をじっと見つめると、涙目になって必死に言葉を紡いだ。

「カルメさんは、何故かカルメさんを好きだって言い続けるログに困っていて、ログに嫌われたいんですよね?」

 声は震えているが、それでも言葉はしっかりと形を保って、カルメの耳に届いた。

 カルメは不機嫌なまま、ぶっきらぼうに頷く。

「まあ、そうだ。アイツの恋とかいう錯覚が解けて、私に構わないようになればいい」

 カルメが肯定すると、サニーはグッと気合を入れて、さらに話を続けた。

「私、思うんです。カルメさんはきっと、なんでログがカルメさんを好きって言い続けるのかわからなくて、怖いんだなって、だから」

「待て、何故それが分かる?」

 面食らったカルメがサニーの言葉を遮ると、サニーは苦笑いを浮かべた。

「昔から、どうしてかそういうことが分かるんです。心を読むなんて大それたことは無理ですが、目を見て話せば、その人の本質が少しだけ分かることがあるんです」

 今は目線もあっていなかったのに、カルメはサニーから目を逸らすと舌打ちをした。

『あの時か』

 数秒前、サニーがじっとカルメの瞳を覗き込んできたことを思い出し、カルメは舌打ちをした。

 通常、カルメの心は閉じ切っているから、サニーがいくら瞳を覗き込んだところでその本心は見えない。

 また、そもそもサニーはカルメの目が見られない。

 しかし、最近のカルメは疲れ切っているせいで心に蓋をしておくことができず、油断した隙に心を覗かれてしまった。

 サニーの方も、進展どころか悪化の一途をたどるカルメとログの関係性に焦りを感じていたため、今回初めて、勇気を振り絞ってカルメの瞳を見つめたのだ。

 サニーは肩をびくつかせ、冷や汗をかき続けながらも話すのをやめない。

「と、とにかく、私は思うんです。きっとログは恋に恋をしているんだって」

「恋に恋をしている?」

 新たな概念に首を傾げるが、カルメは大人しく話の続きを聞くことにした。

 なんとなく、自分にとって有利な話が聞けると思ったのだ。

「はい。多分ログは、最初はカルメさんの言うように、錯覚でカルメさんを好きになったんです。しかし、その錯覚が強固になったまま時を過ごすことで、その恋に固執してしまったんだと思います」

「……どういうことだ?」

 サニーの言いたいことが分かるようで分からない。

 カルメは仏頂面で首を捻った。

「ログは、カルメさんに恋する自分の状態に酔っているんだと思うんです。カルメさんに冷たくされても頑張る自分に酔っていると言いますか、目の前のカルメさんが本気で好きでほしいんじゃなくて、好きな人のために頑張る自分を維持し続けたいんです。だから、カルメさんに冷たくされればむしろ燃えるし、手に入れようと躍起になる」

 もちろん嘘八百でありログが聞けば憤慨するだろうが、サニーは敢えてたった一つの真実というような顔をして、淡々と語った。

 そして、それが不思議と説得力を生んでいた。

「より上位の錯覚と言う事か。ところでこれは、アイツの本質を見た結果なのか?」

 カルメは顎に手を当てて納得したように頷いてから、ふと感じた疑問を口にした。

 サニーは痛いところを突かれたように感じて一瞬体を強張らせたが、すぐに真剣な顔をして答えた。

「いいえ。けれど、男女の恋愛ではよくあることです」

「そうか、分かった」

 カルメはサニーの雰囲気に呑まれ、納得して頷いた。

「なら、どうすれば錯覚は消える?」

 とても恋の話をしているようには聞こえないが、どちらも真剣だ。

 サニーは真面目な顔のまま言った。

「簡単です。一度付き合えばいいのです。そうすれば、ログは付き合えたことへの満足感から、むしろあっさりとカルメさんのそばを離れるのだと思います」

「それは……大体、恋人なんて嫌だ」

 恋人になりたくないからログを避けているのに、ログを避けるために恋人になるのでは本末転倒ではないか。

 カルメは、そんな思いを込めてサニー睨んだ。

 しかし、サニーも負けじと、怯えながらもカルメの瞳を見つめ返した。

『心を覗かれる』

 咄嗟にカルメが目を逸らすのを見て、サニーは畳みかける。

「確かに、本末転倒に感じることもあるでしょう。ですが、このままでは永遠に錯覚に溺れたログにちょっかい掛け続けられるだけですよ。いいんですか? よくないでしょう! それに、本物の恋人になる必要もありません。理想は、幻滅を生むような寂しい恋人関係なのですから」

 カルメに考えさせる隙を与えず、サニーは説得を続けた。

 まるで怪しい詐欺のようだが、対人免疫の無さやここ最近のログへの疲れ、サニーに対する油断などが相まって、カルメは彼女の話術に呑まれていった。

『それしか、無いのか?』

 やがて完璧にサニーの策に嵌ったカルメは、ログを避けるにはそれしか方法が無いと信じ込んでいた。

 これこそカルメが散々言っていた錯覚なのだろうが、錯覚とは陥っている本人には気が付けないものだ。

 覚めるには外的な要因が加わるか、一定の時間が経ってから自分で立ち直るしかない。

 どちらも、今のカルメには難しかった。

 そして、カルメにとって未知だったログの自分に対する想いがただの上位の錯覚だったとわかり、かつ彼に対する対策らしきものを得た彼女は、自分でも信じられない暴挙に出てしまう。

「村長娘、お前の策にのってやる。アイツを呼んで来い」

 しばし口元に手を当てて何かを考え込んでいたカルメが、唐突に口を開くと不機嫌にそう命令した。

「……!? わかりました!」

 サニーも、まさか今すぐ作戦を実行するとは思っておらず、驚いてしまったが、

『本当ですか!? チョロすぎますって。もう少し考えてからにしましょう』

 なんて本音は絶対に口にしない。

 むしろ好機とばかりに、スカートがはためくのも気にせずログを呼びに走った。

 数分後、汗だくになったログとサニーが帰ってきた。

 何も知らないログを急いで連れてきたので、彼の片手はサニーによって強引に掴まれている。

 それを、ログは「カルメさんの前なんで」と強引に振りほどいた。

 それを見てサニーは「何だ、コイツ……」という顔をしたが、すぐにログをカルメの目の前に突き出して一歩下がった。

「あの、用って何ですか? もしかして、付き合ってくれる気になったんですか?」

 すっかり着慣れた白衣のポケットから取り出したタオルで額の汗を拭いて、ログは冗談っぽくカルメに微笑みかけた。

 それを見たカルメは一つ舌打ちをすると、ログから目を逸らして、

「……そうだよ、付き合ってやる」

 とだけ言った。

 ログは固まって、タオルを地面に落とした。

「も、もう一回言ってください。あと、出来れば、俺の方を見て言ってください」

 若干震える声で言うと、カルメは舌打ちをして、ログの顔を睨みつけながら言った。

「付き合う、恋人になるって言ったんだ。嫌ならそれでいい。代わりに、二度と私に話しかけるな」

 不機嫌に言ってそっぽを向くカルメは、表情には出ていないものの、ほんのりと頬が熱くなっていた。

『嘘の告白だってわかってても、なんだかこっぱずかしいな。大体、早く返事しろよ。お前が付き合いたいって散々言ってたんだろうが。まあ断ってもいいが、それはそれで振られたみたいでムカつくな』

 心の中で文句を言い続けていると、カルメの両手がログの手に包み込まれた。

「なんだ?」

 ギッと睨み付けるように表情を確認すると、ログは顔を真っ赤に染め上げてニコニコと笑っていた。

 釣られて赤くなりそうな頬を、魔法で冷気を出すことで抑えて舌打ちをした。

『こんなことで狼狽えてるんじゃねーよ、バカ』

 内心で自分に文句を言いつつ、カルメはログから視線を外した。

「いえ、本当に夢じゃないのかなって」

「そういうのは頬を抓るんだろう」

 そっぽを向いたまま適当なことを言うと、ログはカルメの片手を持ち上げて自分の頬へ寄せた。

「じゃあ、ツネってみてください。自分じゃ強くツネれないので」

 カルメは舌打ちをするとそのまま、熱いログの頬を人差し指と親指で摘まんで、容赦なく捻じりとるようにして抓った。

「痛い痛い! とれる!」

「とれてもお前なら治せるだろ。で、どうだ?」

 抓られたからなのか、照れているからなのか、ログの頬は赤く染まっている。

「痛いから、夢じゃないと思います」

 ログは抓られた頬を抑えながらもニコニコと笑った。

「抱きしめてもいいですか?」

「嫌だ」

 唐突な要望にカルメがドン引きしながら答えると、ログはガックリと肩を落とした。

「即答ですね」

「当たり前だ」

 先程のようなほんのりした甘さは無く、カルメはゴミでも見るようにログを見下した。

 どう考えても、恋人にとるような態度ではない。

 ログはたじろぎながらも、

「こ、恋人なのに……照れているんですか?」

 と、聞いてみた。

 しかし、カルメは相変わらず嫌そうな顔をしたまま、

「嫌だからだ」

 とだけ言った。

「嫌……」

 ログは落ち込みながらも、

『俺は確かに今汗をかいているからな。恋人とは言え駄目なんだろう』

 と、考え、己を無理やり納得させた。

 何とかカルメと恋人になった実感を得たい、と感じたログは言葉を紡ぐ。

「じゃあ、手をつないだり、どこかへ遊びに行くのは……」

 ひっそりと妄想していたデートを現実のものにしたいな、と期待半分で言うのだが、カルメは彼の言葉を聞くと嫌そうに舌打ちをした。

「駄目だ、仕事でもして来い。私は帰る」

 ツンとしていて、取り付く島もない。

「ええ!? じゃあせめて送ります」

「いらない」

 ぶっきらぼうに答えると、カルメはログを無視して歩きだした。

「いやいや! 送りますって」

 彼女の前に飛び出て歩みを阻止すると、カルメは嫌そうに顔をしかめて舌打ちをした。

「送らなきゃ恋人じゃないのか?」

「た、多分」

 ログの瞳が不安げに揺れる。

『まあ、荷物持ち程度ならいてもいいか。すぐに終わるとはいえ、一応恋人だしな。少しはそれっぽく振舞わないと、作戦の効果もないんだろうし』

 カルメは、恋人になってログの錯覚を覚まさせる、という作戦のためにも妥協できる範囲で恋人らしく振舞うことを決めた。

「わかった。それならついて来い」

 そう言うと、サクサクとカルメは歩き出した。

 それをログは慌てて追いかけて行くとカルメの荷物を持って、何とか隣に並んで歩いて行った。

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