孤独な女性と瀕死の青年

 カルメは孤独だ。

 自分も他人も反吐が出るほど嫌いで、その眼差しは常に冷たい。

 いつも濁った瞳で周囲を見下すように歩いた。

 ムカつくことがあれば人目もはばからず舌打ちをした。

 暴言も吐いた。

 おまけに捻くれていて、他人どころか自分にすら素直になれない。

 誰も彼女を愛さないし、彼女も誰も愛さなかった。

 しかし、他人とは死んでも関わりたくない、嫌いだ、信用できないとなげく一方で、カルメは独りきりの、本当の孤独を受け入れることもできなかった。

 結局カルメは「利益」というわかりやすい関係で他者とつながることを選んだ。

 また、カルメは非常に優れた魔法使いだ。

 水の魔法に氷の魔法、加えて己の身体を強化する魔法など、様々な魔法が使えた。

 特に水を操る魔法については天才的で、川の氾濫を鎮めたり、天候を操ったり、大量の飲み水を用意することなど、実に様々なことができた。

 加えてカルメは高い戦闘力も備えており、彼女が扱う氷の弓矢で仕留められないものは無いと言われるほどだった。

 村の近くに出るどんな強大な魔物だって簡単に狩ることができた。

 世界で最も優れた魔法使い、とまでは言えないかもしれない。

 しかし、魔物がよく出現したり、定期的に洪水などの水害が起こったりするような村にとって、カルメは必要不可欠な存在だった。

 カルメはそれを利用し、村の問題事を解決する代わりに自身の家や食料、金銭などを用意させた。

 村人も、村はずれの森の中で暮らすカルメの存在を怖がり、不気味に思いつつも表面上はカルメを歓迎した。

 数日に一度、カルメは食料などを回収するために怖がられていることを承知で村にやって来る。

 わざと村人たちを威圧して「お前らが望むからいてやっているんだ」と恩着せがましくわらう。

 村人は内心に怒りと恐怖を持っていても、「ありがとうございます」とこびを売って、取り繕う。

 カルメはそんな卑屈ひくつな村人たちと、ろくでもない自分を嘲笑あざわらった。

 この寂しい関係が、カルメにとっては安心できた。


「いい天気だな。きれいな青だ」

 人嫌いのカルメは自然が好きだ。

 鬱蒼うっそうしげる森の中で深呼吸をすれば、いつでも尖っている心がほんの少し和らいだし、キラキラと輝く小川の水を飲めば、自分の中で汚く澱んで溜まり続けている穢れが浄化された気がした。

 小動物が餌を食べている姿には和んだし、リスの親子が仲良く走り去っていく姿を見れば、いつも不機嫌で濁った瞳がほんの少し輝いた。

 素直に笑えた。

 花も好きだが雑草も好きで、よく晴れた原っぱに寝ころんでは昼寝をした。

 そうすれば、汚くて、捻くれていて、世界から疎外されてしまった自分に居場所ができた気がした。

 満天の星空も、じめじめと湿った森も、虫も、石の一つだって好きだ。

 だからカルメは、普段は家の側にある湖のほとりで、気分が乗れば少しだけ遠出して、森の奥にあるお気に入りの原っぱで昼食をとった。

 この日、カルメはテンションは高く、森の奥にある巨木の上によじ登ってバゲットをかじっていた。

 艶のない暗い紫の髪を風の吹くままに遊ばせ、薄茶色のワンピースから覗く白すぎる足をぶらぶらと揺らしている。

 濃い緑の瞳は、巨木が自由に伸ばし過ぎた枝や木の葉の隙間からチラチラと覗く青色の空を見ている。

 いつも周囲を睨むせいで悪くなってしまった目つきが、今だけは本来の柔らかで丸みのある可愛らしいモノへと戻っている。

 そこには、いつもの不機嫌で嫌な目をしたカルメはいなかった。

 非常に可愛らしい女性が、年よりもほんの少し幼い表情で機嫌よく食事をしているだけだ。

 カルメが可愛らしく鼻歌を歌っていると、突如彼女の機嫌を急降下させるような悲鳴が聞こえてきた。

「うあああああああぁぁぁぁぁ」

 男性の絶叫にカルメは一つ舌打ちをすると、巨木から地面を見下ろした。

 見れば青い髪の男性が、大きなクマの魔物に巨木の根元まで追い詰められている。

 おまけに怪我をしているようで、その出血量はあまりにも多く、男性の腕は血でできているかのように赤く染まっていた。

 ボタボタと指先から垂れる血液が地面に染みをつくっている。

 もとは白かっただろう衣服も真っ赤に染まり、破けてボロボロになっていた。

 治療魔法を使おうと必死に怪我をした個所に魔力を集めているようだが、瀕死ひんしに追い込まれているせいか、それとも魔法を上手く扱えていないのか、せっかく集めた魔力はすぐに霧散してしまう。

 また、男性は一応武器をもっているようだが、鈍く銀に光るナイフはあまりにも短くて魔物を相手取るには頼りない。

 そもそも男性は瀕死に追い込まれているのだから、まともに反撃できるわけがなかった。

 カルメは一瞬で状況を理解すると舌打ちをして、手に持っていた水筒の中身を空中にぶちまけた。

 水筒の中身が放物線を描きながらパキパキと凍っていき、氷の弓と矢が作られていく。

 カルメはそれを無造作につかんで構えると、水でできた弦を引き、片目を瞑ってよく獲物を狙い、勢いよく矢を放った。

 すると、氷の矢は真直ぐに飛んで行って魔物の腕に深々と刺さり、魔物がギャウッと悲鳴を上げてよろめく。

 魔物が怯んだ隙にカルメは巨木から飛び降り、男性と魔物の間に立つと魔物を真直ぐ睨み、威嚇するように弓を引いた。

 魔物はグルル……と唸ってカルメと男性の方を見つめていたが、しばらくすると諦めたように顔を背け、森の奥の方へと去って行った。

 完全に魔物がいなくなったことを確認したカルメはふーっと息を吐き、クルリと振り返って男性の様子を確認する。

 見るまでもなく男性は瀕死の重傷で、呼吸は荒く目も虚ろになっている。

 すでに固まりかけた血の間を縫うようにして、血液がタラタラと流れ続けていた。

 このまま放っておけば、男性は出血多量で死んでしまうことだろう。

 カルメは舌打ちをすると、

「こういう時、どうすんだっけ……これでも噛ませとくか」

 と呟いて、ポケットから可愛らしい花柄のハンカチを取り出した。

 どのような魔法を使うことができるのかは生まれつきの適性で決まっている。

 例えばカルメのように氷の魔法を使ってみたくても、彼女のように氷の属性に対して適性が無ければ、決して氷の魔法は使えない。

 また、適正に加えて魔法を使うための努力や魔法を使う際に込める意志の力も、魔法の効果に大きな影響を与える。

 そして、カルメは治療の魔法が使えなかった。

 適性はあるが乏しく、他者や自分を癒したいという気持ちがない彼女は治療の魔法を使う努力をしてこなかったからだ。

 仮に使えたとしても、紙による切り傷を癒すとか、頭痛をほんの少し緩和する程度の能力しかない。

 特に他者を癒すのは大の苦手だ。

 また、カルメ自身はあまり怪我をしない上、怪我を負うことにすら無頓着な側面があったので、応急処置の方法などもよく分かっていない。

 そんな彼女に包帯などを持ち歩く習慣があるわけもなく、まともな道具すらない状況下では男性を救うことは難しかった。

 しかし、何もしなければ男性は死んでしまう。

 そこで、カルメはどこかで聞いたような不確かな知識を利用して、応急処置を試みることにした。

 ハンカチを男性の口に突っ込み、深緑のローブの内側に隠れた大きな肩掛けバッグの中にあるロープで男性の傷口を縛り、出血を減らすことで男性を延命し、村の診療所へ連れて行くことにしたのだ。

 傷口に触れ、ギュウッと縛ると男性は不明瞭なうめき声を漏らしたが、歯を食いしばって痛みに耐えていた。

 カルメは男性の呻き声に嫌そうに眉根を寄せていたが、傷口を縛り終えてハンカチを回収すると、今度こそ露骨に嫌そうな顔をして舌打ちをした。

 ハンカチが男性の唾液でベタベタに汚れ、おまけに歯形がついていたり、穴が空いたりしていたのだ。

 まじまじとハンカチを見ると、もう一度舌打ちをする。

 そして、空気中に涼しげな青の魔力を集めて小さな水球を作り出すと、そこにハンカチを突っ込んだ。

 カルメは二度ほど舌打ちをしながら自身の体にも青い魔力を纏わりつかせ、身体強化の魔法を使うと、男性を軽々と持ち上げて背負った。

「きったねえな」

 男性の血液でべっとりと汚れてしまったローブを睨みつけながら、カルメは舌打ち交じりに文句を言った。

 とても、瀕死の人間に掛ける言葉とは思えない。

 だが、このような酷い態度でも一応男性の命を助けるつもりがあるカルメは、碌に使えもしない治療魔法を男性の腕にかけ続けた。

 ほんの少しでも効果はあったのだろうか。

男性は薄目を開けてカルメの方を見た。

「あり、がと……」

 酷く掠れた声でボソボソとお礼を言ったが、それに対してカルメは嫌そうに舌打ちをすると、そのまま村の方まで歩き続けた。


 村に到着したカルメは、門番の男性、ガードが怪我をした男性について、あれこれ尋ねてくるのを無視して、真直ぐに診療所へ向かった。

 診療所に着くとドアを開けて中に入ろうとしたが、男性を背負っているせいで碌に両手を使うことができない。

 カルメは舌打ちをすると、仕方なく診療所の両開きのドアをドカッと蹴とばして開け、ズカズカと中に入って行った。

 診療所内は白く清潔で少し薄暗く、薬の匂いが漂っている。

 薬嫌いであるカルメはその匂いに舌打ちをすると、キョロキョロと辺りを見回して診察室を探した。

 すぐに「診察室」と書かれたプレートを見つけると、今度は躊躇なく、そのプレートが掛けられたドアをガンガンと蹴った。

「おいセンセイ、さっさと出てこい」

 もう二度ほど蹴りながら、低い声で唸るように言う。

 これが、カルメ流のノックと呼び出しだった。

 男性を背負ったままで少し待っていると、

「随分と行儀が悪いね。どうしたんだい?」

 と、困ったような表情を浮かべた白髪の老人、ミルクがドアの隙間から顔を覗かせた。

 ミルクはこの診療所で働く医者であり、優秀な治療魔法の使い手だ。

 生きてさえいればどんな大怪我でも直すことができるミルクは村の人々に非常に頼りにされている。

 基本的に他人の顔と名前を覚えないカルメも、怪我をしてしまった際には頼ろうとミルクのことだけは覚えていたし、診療所の場所も把握していた。

 カルメは自分で呼び出したくせにミルクの顔を見るなり舌打ちをして、背負っている男性を軽く揺さぶった。

 男性の力なく垂れ下がった腕がかすかに揺れて、固まってこびりついた血の欠片が床に転がり落ちる。

「礼を言うんだな。憐れな村人を連れてきてやったんだから。ほら、そこを退けろ。コイツが死んでもいいのか?」

 男性はまだ息があるようだが気を失っていて、死体に鞭を打つような非道に呻き声もあげない。

 ミルクは男性の姿を見ると慌ててドアを全開にし、診察室にカルメを招き入れた。

 中に入ったカルメは、室内の簡素なベッドの上にドサリと男性を下ろして寝かせる。

 怪我人を扱うにしては随分と乱暴で、まるで重い荷物でも下ろすかのようだ。

 男性の衣服に付着した血液や泥で、清潔な白いシーツが汚れていく。

 ミルクはすぐに男性のもとへと駆け寄ると脈を計るなどし、男性の容態を確認した。

「よかった、生きているようだね。出血は酷いが、まだ間に合うよ」

 ほっとしたようにそう言うと、テキパキと治療の準備を始めていく。

「申し訳ないが、カルメちゃん。このロープをとってくれないかい?」

 これ以上男性が死へと向かわないよう、男性に治療魔法を使いながらも、ミルクは固く結ばれたロープを指差した。

 すっかり衰えた皺だらけの腕では、カルメが固く結んだロープを解くことなどできなかったのだ。

 カルメは無言のまま舌打ちをすると魔力を込めて氷のナイフを作り出し、それを使ってロープを切った。

「ありがとう」

 ミルクは態度の悪いカルメに微笑みを浮かべて礼を言うと、今度は男性の傷口に直接魔力を流し込んだ。

 みるみるうちに傷口が塞がり、すぐに怪我は治ったが男性は起きる気配がない。

「起きないか。まあ、消耗した体力を回復しているのだろうね。ところでこの男性、村人じゃないな、カルメちゃんはどこでこの子を拾ったんだい?」

 男性の血液がべっとりと付着し、おまけに砂埃や泥で汚れてしまったローブを確認して顔をしかめていたカルメは、ミルクの質問に不機嫌に舌打ちをした。

「なんだ。コイツ、村人じゃないのか。森の奥だ。村人じゃないなら関わるべきじゃなかったな」

 冷たく吐き捨てると、もの言いたげなミルクを無視して真直ぐに帰宅した。

 血にまみれたローブを着用する不機嫌なカルメに、事情を知らない村人たちが怯えたことは言うまでもない。

 ところでカルメが男性を助けたのは、彼女に「困っている人は助けましょう」というような良識があるからでも、死にかけの男性に同情したからでもない。

 別段、男性に興味がわいたわけでもなかった。

 カルメが男性を助けたのは、男性が村人である可能性があったからだ。

 カルメは村の面倒ごとの一部を引き受ける対価に、村人たちに衣食住の面倒をみてもらい、その上、村長から小遣いなどを巻き上げている。

 この利益による繫がりや、村人に怖がられてはいても拒否されることはないという現在の関係性を守ることが、カルメにとっては何よりも重要な事だった。

 カルメが村に所属することで村が得られる利益は大きい。

 そのため、もしも瀕死の村人を見捨てたとしてもカルメが村を追い出されたり、世話が滞ったりするという可能性は極めて低いが、代わりに彼女は今よりもずっと忌避されることとなるだろう。

 あからさまに、疎外するような態度をとられる可能性もある。

 カルメは村人に過剰に好かれたり、構われたりすることを嫌ったが、同じように村人から過剰に怖がられ、疎外されることも恐れていた。

 だからこそ、カルメは可能な限り村人のことを守り、村に危機が訪れれば手助けをした。

 しかし、カルメはほとんどの村人の顔を覚えていない。

 そのため、村の内部と森で人間を見たら、とりあえず村人だと思って行動するように努めていた。

 こういった事情から、カルメは男性を助けたのだ。

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