第2話 罪に濡れた羽


 どうしました?

 ここには、何を願いに来たのですか。



 大丈夫ですよ。

 ここではあなたの願いが必ず叶います。



 本当です。

 ここは、そういう場所ですから。



 ようこそ、カラクリ幻想館へ。




★「罪」



 今、私の目の前には死体がある。

 私が、殺したんだと思う。

 刺し殺した、この手に持っている包丁で。

 どうしてだろう。何で殺してしまったのかな。

 あんなに愛して、あんなに愛されていたのに。

 夢のような時間はあっという間に終わるんだ。


 信じられなかった私がいけなかったのか、突然現れた男がいけなかったのか……

 男はよく、私に大丈夫だよと言っていたけど何が大丈夫なのか分からなかった。


 私は気持ちが見えなくて酷く苦しかったのに。

 辛くて辛くて、仕方なかったのに。



「派手にやったね」

 部屋の片隅で踞っていたら、聞こえてきた子供の声。

「……だれ?」

 重い頭をあげるとそこには男の子が立っていた。

 なんだろう……赤黒くなった絨毯の上、微笑みを湛えて静かに立つ子供の肌は光沢があってとても美しく見えた。

「おいで?」

 金髪碧眼の子は男の子、私に向けて手を差し伸べた。


「あなたは……?」


 その風貌に惹かれその手を取ると酷く冷たかった。

 その冷たさに男を殺した記憶が甦ってくる。

 目を見開いて、傷付いた顔をしたと思う。

 まさか刺されるなんて思わなかったよね。

 でも私は、あなたを許すことは出来なかった。

 目障りで、仕方なかったの。


「あはは……!」


 気が触れたように笑い出しても男の子は微笑んでいる。私の中で何かが吹っ切れて立ち上がった。


 私は、悪くなんてない……!


 全部全部、この男が悪いんだ。私から何もかも奪おうとしてのうのうと生きてるこの男が。

 私は横たわる死体を横目に、死んでもまだ憎いこの男をどうしてやろうかとまで考える。


「行こっか」


 どこに行くんだろう……?

 どこでも良い。

 地獄でも良いんだ。

 この男のいない世界に行きたい。


 これは夢なのかな?

 私も死んだのかな?

 ドアに向かって歩き出すと絨毯に広がった黒い液体がまだ乾ききってなくてじんわりと私の足を汚していった。



 外に出ると月がとても綺麗だった。雲ひとつない、このまま手を伸ばしたら月に届きそうだ。

 男の子は私の手を握ったまま走り出すと私達は宙に浮いた。


 やはり私は死んでいて、これは魂なのだろうか……


 夜空を颯爽と駆け抜けていくこの子は一体何者なんだろう。

 私は空から見える世界をただずっと見下ろしていた。

 この世界には沢山の見知らぬ他人が、それぞれ思いを抱えて生きている。私の思いなんて本当に小さくて誰にも気付かれない。


 私はこんなに苦しいのに……

 そしてほんの一瞬、目を閉じた。


 その時、潮のにおいが鼻腔を擽った。




「ここ、は……」


 目を開けると海に居た。洞窟のような入り口の建物の中を何かに引き寄せられる様に入っていく。鍾乳洞の様になっているのかと思ったら中は普通にコンクリートでひんやりと冷たく暗い。


 薄明かりの中、長い一本道を進んで行くと生臭いにおいが漂ってくる。普段だったら怖いと思うのに全く思わない。

 チケット売場らしきものは真っ暗で営業時間外なのか誰もない。目を凝らしてみると水族館と書かれている……


「お姉さん、こっち来て!」


 先ほどの男の子がいつの間にか館内にいて、明るい所からひょっこり顔を出した。

「大丈夫、ここは24時間営業してるよ!」

 呼ばれるままに足を踏み入れるとそこには大きな水槽がそびえ立っていた。

 水族館と言っているのに、何にもいない。

「これ……は?」

 水槽の中をよく見てもそこには水しか入っていない。




「……まなみ!?」


 いきなり名前を呼ばれ振り返ると私の愛しい恋人がこっちを見て立っていた。

「どうして、どうしてまなみがここにいるの!?」

 狼狽えながら近付いてくる、亜衣。

 酷いな、私の知らない匂いがする。

「亜衣こそ、どうしたの?」

 恋人に再会できた嬉しさより、恋人から知らない匂いがする悲しさの方が勝ってしまった。


 あんなに愛していたのに。

 愛してると、言ってくれたのに。



 どうしてこの子は、私の手を最後まで握っててくれないのだろう。



「まなみを、いになった訳じゃないの……それは信じてほしい」


 俯きながら、私の方が被害者だと言わんばかりに泣こうとしてる。


 向こうに見える人影は隠せてないよ。


「待っててほしい」


 一筋の涙を流しながら、女優の様に私に語りかける亜衣。この涙に、何度騙された事だろう。


「もう、待たないよ」


「え?」


 さっき私が殺してきたのが亜衣の新しい彼氏かと思ったけど。もう亜衣には新しい男が居たなんて。


 自分が惨めで情けない。

 あの人を殺せば亜衣が戻って来てくれると思ってた。


 あぁ、なんて、馬鹿なんだろう……


 この女は、私を愛してなかったわ



「ま、まなみ?」



 瞳が揺れる。動揺してる。可愛いよね。

 亜衣は、本当に可愛かったよ。


「……ま、待って!」


 一歩一歩近付く度に、亜衣が逃げるから私たちの距離はずっと縮まらない。


 そうか、ずっとずっとそうだったんだね。


「ゃっ……」


 私達の距離は、永遠に縮まらないんだ。

 私にはずっと、亜衣の気持ちが見えなかった。

 女が恋愛対象だから安心して、私は男と付き合うことはないから大丈夫って、亜衣が言ったのに。


 私は亜衣の周りにいる男がみんな許せなかった。

 亜衣は男に色目を使い、私は何時だって不安で不安で押し潰されそうだった。




「お、重いんだよ! まなみはっ!」



「私に触らないでっ!」



 泣き叫ぶ、愛おしい人。

 その顔が、怒りに歪んでいく。



「まなみと居ると苦しいだけなのっ!」



 私だって、苦しいのに



「ずっとずっと辛かっただけ!」



 お前だけが辛いなんて



「ずっと悩んでた、この関係は間違いなんだって…」



 お前だけが悩んでたなんて



「私、女とは付き合えないっ!」



 振り絞られた声に、私の思考が停止する



「あ、亜衣……?」



 頭の中が憎しみに染まって、それが悔しくて涙が溢れた。


 だから


 気が付いたら、振り上げていたの。



 あれ?


 包丁なんて私、持ってた?



「亜衣ぃっ!!」



 目障りな男が影から出て来て血だらけの亜衣を抱き抱える。


 私はただ、愛していただけなのに。


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。


「なんて事を!」


 私は最後に、亜衣を抱える見知らぬ男の背中を刺した。


 もうどうでもよくなってしまったから。


 どうしたって取り戻せないのだから。





「あぁ、また派手にやったね!」


 楽しそうに姿を現した男の子。

 青い瞳がキラキラと輝いている。

 楽しそうに血だらけの2人の身体を宙に浮かした。

 餌の時間だよと言って、水槽にその亡骸を運んで行く。


 何にも入っていないのに……



 これは、私の夢なんだ。


 目を閉じたら、また1からやり直せるんだ。

 亜衣とあの男が始まる前に戻ろう。

 そして、永遠の愛を誓おう。

 間違いなんて言わせないほどに亜衣を愛そう。

 部屋に閉じ込めて悪さをしないように鎖に繋いで。

 目隠しをして、他に興味がいかないように。

 私が居なければ生きていけなくしてあげよう。

 そう、それがいい……



「……はやく夢、覚めないかなぁ」




























































































































「……醒めませんね、永遠に」



「ぇ?」






 頭上から降り注いだ低音の声。



 振り返ると水槽の中の鮫が亜衣の身体を噛み千切った。





「ぃ、ぃゃぁあああああ!!」







 私はその光景に絶叫して、そのまま意識を手放した。























 ゆらゆら揺れる。



 視界が、ゆらゆら揺れている。









































「わあ、綺麗だよっ、ママ見て!」

 小さい女の子が小さな水槽にへばり着いた。

「あらあら、水の中を蝶が泳いでるの?」

 笑顔でやってきた母親が腰を屈めた。青と紫色の羽を持つ蝶が水の中を飛んでいる、と思って。

 こんなものは初めて見たと感嘆の声を上げたその時……


「ひっ」


 小さな悲鳴を上げて、母親は子供をその場に残しそこから逃げるように駆け出していった。

「……ママ?」

 子供は不思議そうに母親の背を見ていたが再度水槽に視線をやると、後ろから長身の男がやって来たのがガラス越しに分かった。

「分かりますか?」

 仮面越しにニッコリと微笑むスーツの男。

「うん!」

 女の子が水槽に夢中になっていると、その横を若い女性達が通り過ぎて行く。

「ね、聞いた? この近くで殺人事件がおきたんだって!」

 水槽の中の生き物よりも会話に夢中だった。

「聞いた! 容疑者行方不明なんでしょ? 他にも何人か分からないらしいよ」

 こわーい、と心からは思ってない声が上がる。会話は直ぐに違うものに変わり甲高い笑い声が響いた。


「永遠に捕まらないけど、永遠に苦しいね」


 女の子は小さく笑うと目を凝らした。


「溺れてる、苦しいみたい……ははっ」


 女の子は水槽に夢中になりながら満足そうに笑っている。


 羽は蝶でもよく見ると身体は人間のまま

 小さな人間がもがき苦しみ空気を求めて溺れている


 それが皮肉にも飛んでいるように見える。


「気に入りました?」


「うん!ありがとう!」


 男の声に、女の子は大きく頷いた。













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