カラクリ幻想館

神山雛子

第1話 序章


 湿っぽい室内


 六角形の水槽が赤黒く染まる


 そしてそれは……ゆっくりと沈んでいった



 あぁ、餌の時間かな。







 薄暗く少し肌寒い館内は、塩素と魚の生臭いにおいが鼻につく。

 他の利用客の姿はなく、私は1人そこに導かれるようにある室内を目指した。


 その室内は円形になっていて、中央に六角形の水槽がそびえ立っている。


 何か泳いでる訳でもない、ただ水がゆらゆらと揺れているだけ。どこからか飛沫が降ってくるが気にならない、水の圧迫感に少し呼吸が息苦しくなる。


 水槽をただ静かに眺めていた私の手に冷たい何かが触れた。

 背筋がゾッとして驚いて手を引っ込め振り向けば、そこには全身ずぶ濡れの幼い男の子が立って居た。


 滴り落ちる水滴が床に水溜まりを作っていく。


 男の子は私に向かってすがるように小さな手を伸ばしてきた。

 私は何ともいたたまれない気持ちになってその手を握り締めると急いでこの湿っぽく生臭い室内を後にし、屋外を目指した。


 固い鉄の扉を開いて外に出れば、勢いよく陽光が差し込んで来る。真昼の太陽は眩しくて目を細めると腕が引っ張られる。男の子がしゃがみ込んだのだ。


 心配になって視線を合わせると違和感を覚えた。

 私を見つめながら男の子は笑っているのにとても怖いと思ったんだ。

 小さなその目が、とても人間とは思えなかったからだ。


 何か見たことあるその目は、小さい丸の中に黒目がある。


 魚、の目だった。



 そして彼はとても青白い肌をしている事に気付いた。

 手を離し、濡れた髪の毛だけでも拭こうとポケットのハンカチを取り出す。

 頭を撫でるように拭いてあげれば男の子は気持ち良さそうに微笑んでいる。


 そして、徐に口を開いた。


 その瞬間、口内から溢れ出した真っ赤な液体に私は目を見開いた。


 彼の口内には尖った歯が無数に生えていて、液体は鮮やかな赤から徐々に空気に触れると赤黒く変色していき乱雑に生えた歯の隙間から止めどなく溢れて滴り落ちてくる。

 慌ててハンカチで男の子の口元を押さえた。

 けれど、直ぐに吸収しきれなくなりハンカチからも液体が溢れ出てくる。


 そのにおいで分かる、それが血液だという事。


 すると小さな手が私の腕を伝って、魚の目をぎょろぎょろとさせて私を見上げ一言呟いた。



「……お腹が空いた」



 今にも泣き出しそうな悲しい顔をして、血液がよだれの様に流れる。私は操られた様に男の子を抱き上げ、あの六角形の水槽まで急いで戻った。


 既に水槽の周りを複数の人間が囲んで居た。照明の関係でスーツが青く見えたり黒く見えたりそれは慌ただしく動いている、ここの制服なのか皆同じ服装をしている。


 抱き上げて居た男の子を下ろすと一斉にその視線は私に注がれた。


 さっきまで慌ただしかった人間がマネキンに見える。


 私は彼等を無視して止まる事無く水槽に続く階段を男の子と一緒に上がると、男の子は私の手を離して水槽の中に飛び込んでいった。


 水の中に入ると生き返ったように泳ぎ出した。


 制服を着た複数の人間がそれを合図と捉えたのかまた慌ただしく動きこの部屋を出ていった。

 すると今度は白い防護服を着た数人が肌色の何かを抱えて部屋に入って来た。


 私は少し違和感を胸に抱きながら階段を下りると彼等と擦れ違った。気になってしまったからこの目で確認したい。気付かれないように横目でその抱えてる物を見ると1人の裸の男だった。


 なぜ、何のために。


 私はもうその人を凝視した。その男は悲鳴を上げ続けたのか既に声は枯れ、嗚咽がもれていた。目は充血し飛び出し、全身を痙攣させて、必死に唇だけが動いている。照明がより一層顔を白く見せている。


 微かに私を見て、その男は言った様だった。


「…たすけて」


 声にならない声に悪寒が走る。


 呼吸が乱れ


 心臓の音がやけに耳に響く。


 男の願いは虚しい。


 階段の上で男は最後の力を振り絞り絶叫する。


 その後直ぐ、男は容赦無く頭から水槽に落とされると大きな飛沫が上がった。


 水槽を見上げ、冷たいガラスに手をあてる。

 男が溺れるようにして水の中に落ちていき、その背後から黒い塊が近付くと飛沫が一瞬で真っ赤に変わった。


 それは赤黒く水の中を彷徨い落ちていく。

 そして噛みきれない肉片が舞う。

 頭部が落ちて水槽に鈍い音を響かせた。


 その奥からゆらゆらと、泳いできた一匹の鮫が、私を見て笑った。


 その顔は、あの男の子で間違ってはいない。


 どうして私はこんな所に来たんだろう。

 ふと、そんな事を考えていると足音が近付いてきた。


 それは私の背後で止まる。

 ゆっくりと振り返ると、そこには2mはあるであろう長身の仮面の男が立っていた。


「どうしました?」


 その声は低く、私の脳まで響いてくる。

 笑っている仮面、青いダブルのスーツに白い手袋、色素の薄い髪、どこか現実離れしている。


 私は夢でも見ているのだろうか。

 男がゆっくりと首を傾げると仮面の口角が上がる。


「ようこそ、カラクリ幻想館へ」


 その声はより深く、脳髄まで響いて目の前が揺れる。


 笑っている仮面の男が何重にもなった。

 彼はずっと微動だにしないで私を見ていた。


 それから、私の意識はここで途絶えた。






水槽の秘密

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