第15話
「はぁ…」
アイリスは深いため息をついた。ここしばらくアイリスはずっとこんな調子だ。普段は快活なだけに今の調子はより一層臣下たちの不安を煽った。
「アイリスお嬢様…最近は時折笑顔も見せてくれるが一人になるとすぐあの様子だ。」
「せっかくのお友達がここを離れちまったからなぁ。」
「でも、俺たちの前ではなるべく気丈に振舞ってくれている…。」
「あぁ…どうしたことか…。」
少々過保護の度を越えた臣下たちが窓から遠くを眺めるアイリスの様子を少しだけ空いている隙間にすし詰めになって覗いていた。なんやかんや大人が一か所に集まれば、不思議と圧迫感のようなものも生じるもので、アイリスは廊下から自分の様子を心配そうに伺っている臣下たちにも気づいていた。
臣下たちの愛情は深く、信頼は厚い、アイリスもそれを自覚しており、「これ以上心配ばっかりかけてられないわ。」と自分に言い聞かせながら、わざとらしく元気に立ち上がって扉に向かった。
真っ直ぐにこちらに向かってくるアイリスに、すし詰め状態の大人たちは慌てて廊下に整列し、お出迎えの構えを取った。廊下に出たアイリスは、妙に息を切らせた臣下たちの必死な様子に微笑みながら、声高に続けた。
「久しぶりに町に出てみたいわ。今から少しいいかしら?」
塞ぎ込んで必要以上に外に出たがらなかった最近のアイリスからそんな言葉が出てくるなんて思いもよらなかった臣下たちは、通常であれば警備の都合上一度検討されるべき外出を二つ返事で了承した。もちろん、同行はするつもりだろう。
「それじゃあ簡単に身支度をしちゃうわ。あなたたちも付いてくるのでしょう?各自準備をなさって。くれぐれも着替え「は」覗かないでよね。」
アイリスはウインクしながらそう続け、密かに臣下たちの先ほどの行動は全て把握しているぞ、ということを伝えた。臣下たちは妙に強くアクセントを置かれた助詞に勘付いたのか、蜘蛛の子を散らすように支度へと向かって行った。
久しぶりに私用で町に出た。色とりどりのランプで美しく照らされており、一見すると鬱蒼と茂る巨木の影だが、そこは逆に光がより美しく演出されるステージのようだった。アイリスは生まれた時からこのヴィザリールで育ってきたが、この光景は見飽きることがない。臣下たちがぞろぞろ身辺を警護している状態がやや異質だが、アイリスは町に居並ぶ商店を見て回った。
「おぉ…アイリス様、お久しぶりですじゃ。」
「ママー!アイリス様だよー!」
「おやまぁ、アイリスお嬢様、お元気そうで。」
道行く者たちも口々にアイリスに声を掛ける。このヴィザリールもジューンベリー同様、領民と領主との距離感が近い。アイリスもそんな呼びかけに答えるように、笑顔で応答したり、手を振ったりしている。
「おーい!ダリル!!ヴィザリール領主様のご息女、アイリス様がいらっしゃるぞー!ってあれ?ダリルー!?ダリルー!!」
アリドーシが珍しいものでも見せたがるようにダリルの名を呼んでいた。久しぶりのアイリスの登場に、町は人の出が多くなり、アリドーシとダリルは少し離れてしまっていたようだ。
「ダリルー!どこだー!?」
アリドーシはなおもダリルを呼び掛けている様子だ。そんな声がアイリスの耳にも入った。
「(ダリル…ダリル…!?どこかで聞いたことのあるような…)」
アイリスは「ダリル」という名前にどこか聞き覚えがあった。それもとても大切な者の名前だったように思う。アイリスは急ぎ振り返り、その名を呼ぶ者の元へ歩み寄った。
「ねぇ、あなた。今、「ダリル」って。」
「これはこれは、アイリス様。お初にお目にかかります。行商をしておりますアリドーシと申します。」
「初めまして、アリドーシさん。ごめんなさい、今あなたが「ダリル」と口にしていたように聞こえたものですから。」
「えぇ、ダリルというのは今日この町に一緒にやってきた男の名前です。確か、彼はジューンベリーから西方を目指しているとかなんとか。ちょっとはぐれてしまいまして。」
「(ジューンベリー!!)」
アイリスはアリドーシの言葉を聞いて、久々に心が震えるような感覚を覚えた。
「その、ダリルさんもしばらくヴィザリールにいらっしゃるのかしら?」
「そのつもりだと思いますよ。なんのことだか分からないですが、情報収集もしたいと言ってましたし。何しろ、国から出たことがないらしくってですね。さっきもランプを眺めるように上ばっかり向いてて。それで気づかずにはぐれちまったってわけですわ。」
「そうなのね。良かった。今日すぐにというのは大変だけど、明日にでも良かったら宮殿の方にいらっしゃってくださらない?あなたのお話も、ダリルさんのお話も聞いてみたいわ。」
「お嬢様…?」
臣下たちがアイリスが急な申出を始めたのに戸惑い口を挟む。それをアイリスはすっと手を優しく払うかのように止め、話を続ける。
「明日、迎えをやります。ご都合つくようでしたらぜひ。」
「おぉ、それはなんとも光栄な。ダリルにも伝えておきます。」
「ぜひ、そうしてちょうだい。それでは、明日楽しみにしています。」
そう言うと、アイリスは軽やかに振り返り、臣下たちに囲まれながら宮殿へと戻っていった。
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