第10話

 ちょうど陽が落ちた頃、ダリルはミンカルブレッドに帰ってきた。店の灯りは既に落とされているが、裏の厨房の方はまだ付いていた。幼少の頃からダリルに安堵を与えてきた灯りだ。ダリルは帰りが遅くなった焦燥感とともに、灯りが与える安心感を抱いていた。

 ダリルは台車を置き場に置いて、恐る恐る厨房の方へ声を掛けた。

「も、戻りました。」

 さすがに帰りが遅くなったからとミンカルが雷を落とすような年ではないのだが、それでも申し訳ないと思う気持ちがダリルの声をか細くさせていた。

 いつもなら何かしら反応があるのだが、今日は何も返答がなく、ダリルは厨房の中をちらりと覗き込んだ。ミンカルは厨房の机に肘をついてうたた寝をしているようだった。今までずっと一緒にいて、ミンカルがこうしてうたた寝をする様子をあまりダリルは見たことがなかった。

 確かにパン屋の朝は早い。朝というより深夜から作業を始めている。昼間は買い物に来るお客様の対応や売り場のパンの補充、材料の調達などをこなしながら、休みなく働いている。それでもミンカルはダリルが帰宅するのを昔から必ず待ってくれていた。そんなミンカルのことをダリルは見つめた。

 自分よりずっと大きな身体。昔から悪いことしたら落ちてきた大きな拳。悲しいことや褒められるようなことがあると抱きしめてくれた太い腕。昔から当たり前のようにあったものもよく見ると、少しずつ弱っているようにも見えた。まだまだ老いを感じさせるような年齢ではないと言いつつも、髭の角度は少し落ちてきているし、毛の色も少しずつ薄らいできているところもある。自分の腰をぽんぽんと叩いている様子も時折見るようになった。ダリルはそんなミンカルを眺めながら、ぎゅっと拳を握りしめた。

 その時、ミンカルがうたた寝から目覚め薄っすらと目を開けた。

「おう、帰ってたのか。なんか言えよな~。っと、ちょっと寝ちまってたみたいだな。」

「自分も今帰ってきたところで、反応がなかったから様子を見に。」

「そうか、そうか。おかえり。いっつも台車引かせて悪いな~。」

 ミンカルの「おかえり」という言葉はいつもダリルを救ってくれた。物心つく前からダリルはミンカルの元にいたが、年を取ればミンカルが自分の生みの親ではないことは嫌でも気づいた。それでもミンカルがいつも「おかえり」と迎えてくれることでダリルは自分の居場所がここなのだと安心できた。自分が徴兵から戻った時もミンカルは「おかえり」と迎えてくれた。今日もミンカルは「おかえり」と迎えてくれた、疲弊しているのにまず自分のことを気にかけてくれる。ダリルの握った拳はゆっくりと解けた。

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