Lesson-02《わたしはそれが分かりません》
「それじゃあ、隣の席のひととペアを作って」
英語の教科書の流れに沿って、二人一組で読み合わせをする。早く終わらせてしまえば、空いた時間で雑談ができるから、授業中のちょっとした息抜きになる。
だけど、わたしには大きな問題があった。
「《やぁ、わたしはジョンです》」
隣には教科書よりも教科書のジョンがいるのだ。しかも身を乗り出して、なんだかノリノリに見える。
「《こんにちは。わたしは久美子です》」
「《知ってます。クミは恋人いるの?》」
「《クミじゃなくて久美子》」
「《クミのほうが言いやすい》」
ジョンにとっては英語の時間自体が雑談の時間かもしれない。
ジョンのスマホに入っている通訳アプリ。日本語が話せない彼にも、英語が話せないわたしたちにも必需品になっている。
画面をタップしてから話すと、彼の言葉が日本語になって音声が出力される。なぜか女性の声で。
何も触れなければ、読み取った英語と翻訳された日本語が画面に表示されているだけだ。
プライベートなことは音声にせずに、画面をこちらに向けてくる。
「《片思い? このクラスに好きなひといるでしょ》」
「《いいえ》」
「《彼のことよく見てるけど》」
「《彼?》」
ちらりと坂下君のことを見た。隣の席の女子と楽しそうに何かをしゃべっている。
「《今、彼が分かったよ。教室で話しているところ見たことないけど、関係良くないの?》」
「そんなことないけど……」
わたしの日本語は、彼の着けたワイアレスイヤホンから英語で聞こえているらしい。
「《彼は魔法使いだと思う?》」
「《彼が? ううん》」
「《それなら自分の気持ちはきちんと伝えないと。魔法が使えないのなら、相手の気持ちは分からないから。わお、先生がこっちに来そうです》」
ジョンは白々しく口笛を吹き始めて、空を、というか何もない天井を仰いでいる。
自分の気持ち――会えなくて寂しい? 遊べなくて悲しい? もっとわたしを見てほしい?
だんだんと分からなくなってくる。……本当に、わたしのことが好きなのかな?
チャイムが鳴り、異常に濃い時間から解放された気分だった。
「だいじょうぶ? すごい顔してるよ」
いつものように話しかけてきたのは香苗だった。
「《わたしは元気です。ありがとう。あなたは?》」
「英語で話すと疲れるよね。みんなも通訳アプリ使えばいいのに。ジョン君とは何か
「別に」
「ジョン君、先輩のあいだでも人気みたいだよ。バレー部でもうわさになってた」
ジョンに会いに来る女子生徒はちょこちょこいる。学年も他のクラスも関係なく教室に入って来て、あるときは英語で、あるときは日本語で質問をしている。
「ジョン君、英語の動画で分からないことがあるんだけど教えてくれない?」
名札の色からして三年生だ。学年がふたつしか違わないはずなのに、女性らしさを身に着けて、すごく大人っぽく見える。
「《どんなやつ?》」
「これなんだけど」
耳の生えた可愛らしいスマホカバー。画面をジョンに見せる。再生された動画からは英語が聞こえてきて、途中でガシャンと何かが割れるような響いた。
「《なるほどね。クミとカナは知ってる?》」
「ごめん、ちゃんと聞いてなかった。どんな内容なの?」
動画は、ひとりの女性が焦った様子で男性に電話を掛けているところから始まった。
「《ボブ、大変なの。パソコンのモニターが急に切れちゃって。パソコンが壊れちゃったかも》」
下部には日本語で字幕がついている。
「《ケイト落ち着くんだ。パソコンが壊れてるか確認してみてよ》」
するとガシャンと、パソコンが地面に叩きつけられる。
「壊したわよ。それで、次はどうすればいい?」
女性が電話口の男性にたずねたところで動画が終わった。
「ね? 意味分かんないでしょ?」
「パソコンが壊れてちゃってパニックになったのかな?」
「《上手く説明するのは難しいんだけど、同じ言葉で複数の意味があるものがあるんだ。知ってる?》」
「同音異義語、だっけ?」
「ハシみたいな? ご飯を食べるときのお箸と川に架かっている橋」
「《『確認する』と『確実にする』。英語だと同じ言葉だけど異なる意味を持ってるね。だから壊れてるか確認してって伝えたのに、確実に壊してって相手には伝わっちゃったんだ》」
「そんなことってあるのかな?」
「《これはジョークだよ。だけど相手の気持ちを確認しておかないと、壊れちゃうってことかもしれないね》」
相手の気持ちを確認しておく。その言葉はわたしの中に深く沈んでいく。
坂下君の気持ち。わたしよりも自主練が好きなわたしの恋人。
もしかして……。付き合ってるって思ってるのは、わたしだけだったりして。そんなわけないか。
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