第34話 呪い(SIDE:魔王軍)
「はぁ……はぁ……」
鬱蒼とした森の中を、魔王は額から汗を滴らせながら、ヨタヨタと歩いていた。
そして、背後を振り返り、誰も追いかけてきていないのを確認して、やっと彼は地面に膝をつき、近くの木にもたれかかった。
「クソッ……いったい、どうしてこんなことに……私は、世界を統一する魔王だぞ!」
魔王は剣を地面に置き、土の上を拳で殴った。
その拳の上に、ポタポタと汗が落ちる。
思い出す。
彼の中では、とてつもなく長く感じられたが、それはついほんの先ほどの出来事だった。
魔王の間に、ソイツはいきなり現れた。
音もなく、気配もなく、姿すらも、今の今までなかったはず。それなのに、気づいた時にはそこにいた。まるで、ずっと前からそこにいたかのように。
全身が血まみれで、元の色もわからなくなったボロボロのワンピースを着て、紫色の長い髪に、真っ赤な瞳を光らせた、青白い肌の女。見た目だけなら二十歳前後に見えるが、ソイツが二十歳の小娘などではないことは、魔王はとっくに知っていた。
リオナ・ブラッド・アルカルド。
不死の王女。暗夜の支配者。真祖とも呼ばれ、およそ300年、地下ダンジョンの奥に封印されていたはずの、邪悪な存在。
実際に見るのは初めてだったが、魔王はその圧倒的な魔力と殺気に恐怖してしまった。
(コイツには、絶対に勝てない……)
本能的に、そう確信した。
「魔王様!」
魔王の間の扉を開け、ゲイルフォンが飛び込んで来た。
「ゲイルフォン、城を捨てて脱出するぞ!」
そう叫んだのだが、ゲイルフォンは剣を抜き、戦う構えを見せた。
その表情は悲壮で、まるで死に場所を求めているかのようだった。
ウオオオオ、と獣のような雄叫びを上げ、ゲイルフォンが不死の女王リオナに飛び掛かる。
「俺を殺せるものなら殺してみろ! 魔界剣奥義、黒龍剣!!」
黒い龍のオーラをまとった彼の剣が、リオナの体に触れた。
刹那。
彼女の体が赤い線でグルグル巻きになった。
その線に触れた剣は、一瞬で粉々になり、さらに線が束になって一本の針のような形の剣になって、彼女の右手に重なる。
ゲイルフォンの背後に回り込んだ彼女は、一瞬で彼の体を鎧ごとバラバラに切り刻まれ――。
突撃していた勢いのまま、ゲイルフォンの残骸は真紅のカーペットのように床に飛び散った。
「相変わらず、魔族にはザコしかおらんのか? つまらんのう」
剣についたゲイルフォンの血を舐めながら、リオナは不機嫌そうに、本当に退屈そうに言った。
「うわあああああああああああっ!!」
魔王は、窓から外に飛び出した。
だが、そのまま疾風魔法で飛行して脱出しようとした彼は、外の空を飛び交うドラゴンゾンビの群れを見て青ざめた。
ドラゴンゾンビは腐臭と灼熱のブレスをまき散らし、魔王都は炎に包まれ、地獄絵図と化していた。
一体のドラゴンゾンビが、飛行する彼の脚に噛みついた。
「ぐおっ、は、離せ!!」
バランスを失って、そのまま竜とともに建物に激突して、地面に落下すると、周囲にいた大量の不死者たちが群がってきて、彼の手足を掴んだ。
「「「グオオオオオオオオ!」」」
不死者たちは魔王のあらゆる場所に噛みつき、食いちぎろうとしてくる。
「ぎゃあああああっ!」
魔王は必死に剣を振るい、不死者を片っ端から斬り捨てて、魔王都の出口に走った。
街には不死者の群れで溢れ、あらゆる建物が炎を上げ、そこで住んでいた住人たちは不死者のエサとなり、死体になった者は不死者の群れの中に加わっていく。
濃紺に染まりつつある空は、炎で赤く染まり、そこには無数のドラゴンゾンビがうじゃうじゃと飛び回っている。飛行すれば、そいつらが一斉に飛び掛かってくるだろう。
「地獄……地獄だ……助けてくれ……助けてくれぇーっ!!」
魔王は泣き叫びながら街を駆け回り、ようやく城門にたどりついた。城壁には無数に不死者が山のように積み重なり、今にも外まであふれ出しそうになっていた。
「どけえっ!!」
城門を塞ぐ大量の不死者を、剣の炎で焼き払い、魔王は城門の外に飛び出した。
その彼を追って、無数の不死者が追いかけて来る。
(クソっ、どこまで行けば助かるんだ!!)
魔王は必死に走り続け、気づけば絶対に足を踏み入れてはならないはずの場所に迷い込んでいた。
「ここは……魔女の森か……」
不気味に歪んだ樹木にもたれかかった魔王は、ようやくそこが魔女の森だということに気づいた。
忌み嫌われたその森は、不気味なほどに成長した木々が鬱蒼と絡み合い、ほとんど日が落ちたこの時間帯、視界のほとんどが真っ黒な上、あたりにはいつしか濃い霧が立ち込めていた。
「クソっ……よりにもよって、こんな場所に来てしまうとは……」
彼が剣を杖にして腰を上げ、ヨロヨロと歩き出そうとした時。
霧の向こうから足音がして、一人の少女のような影がこちらに近づいて来た。
その瞬間、不思議なことに、頭上に生い茂る木々の葉のあいだから月明かりがさして、その相手の顔がはっきりと見えた。
そして、それは相手のほうも同じらしかった。
「あれぇ? 久しぶりだね~。こんな所で会うなんて、奇遇じゃないか」
その白髪の少女は、目を見開き、金色の瞳をギラギラと輝かせながら、いやらしい笑顔を浮かべていた。
「スズ……貴様ッ、なぜここに!!」
その瞬間、魔王の心に恐ろしい考えが、暗雲のようにもくもくと立ち込めていった。
(コイツさえいなければ……私は、世界を支配し、神となっていたはずだ……)
あの日。
あと一歩で、世界を支配できるという日に。
この娘を追放したことをきっかけにして、すべてがおかしくなったのだ。
鬼族の裏切り。
王都テスタリアへの侵攻は失敗。
要塞都市プルートは奪還された。
多くの兵士が命を落とした。
不死者が溢れ、魔王軍は壊滅。
さらに不死の女王が復活して、魔王都は地獄と化した。
イブの死。
パンドラの裏切り。
ゲイルフォンの暴走。
そういったあらゆることが、今、目の前にいるこの半鬼半人の娘によって引き起こされた――そんな、考え。
(コイツさえいなければ……コイツさえ……ッ!)
魔王の目は怒りで青く光り、剣を握る手がブルブルと震え出した。
「なぜここに~は、むしろこっちのセリフなんだけど? てっきり魔王城にいるもんだと思ってたら、こんなところで一人でウロウロしちゃってさぁ。あ、もしかして愚王すぎて、あんたも魔王軍を追放されちゃったのかな?」
そういって、スズは自分で言ったその言葉にツボったらしく、キャッキャッキャと大笑いし始めた。
その不吉な笑い声は、魔女の森の中に不気味に反響して、今にも得体のしれない魔物を呼び寄せてしまいそうに思われた。
(こいつ……完全に狂っているッ!? おぞましい戦闘狂の化け物が……)
だが、彼はスズに対してはまだ、薄気味悪さ以上の恐怖は感じてはいなかった。
(フン、コイツは所詮、私の奴隷……あの契約は、パンドラが死のうと、契約書が燃え尽きようと、失われることはない。絶対に解除不能の奴隷契約。だから、コイツは一生、絶対に私を攻撃することはできない。ククク……この私をコケにしたこと、その体で償わせてやるわ!)
魔王はニタニタと凶悪な笑いを浮かべると、スズに向かって手のひらを向けた。
「スズよ、貴様の悪運もここまでだったようだな! この場で、私が直々に貴様をなぶり殺しにしてくれるわ!」
叫びながら、魔王はスズに拘束魔法を放った。だが、スズは魔法を受けても、相変わらず腹を抱えて笑い続けている。
(うん? なんだ……久しぶりだから間違えたか。もう一度……)
魔王は再び拘束魔法を放った。だが、やはり結果は同じだった。
(おかしい、なぜ魔法が効かない!?)
スズはようやく笑うのをやめて、腰にさげていた剣を構えた。奇妙な形の黒い剣。
「さあ、死ぬ準備はいいかな? 魔王サマ?」
すさまじいほどの殺気。さきほどまでの間抜けな笑顔は消え、その瞳は怒りと殺意の炎でメラメラと燃えていた。
(ふん、いくら殺気立ったところで、貴様は私に攻撃はできんのだ。愚か者め!)
魔王も剣を構え、その剣が金色に光った。
「死ぬのは貴様だ、スズッ!」
魔王の振った剣を、スズはあっさりとはじき返した。
「なに、その腑抜けた攻撃。まだゲイルフォンのほうがマシだったわ」
「なんだとっ!?」
スズが刃を返した時、彼女の左の手に六芒星の呪いの印が浮かび上がった。
魔王は心の中でほくそ笑んだ。
(ふん、やはり奴隷契約の呪いは続いている! 貴様は私に攻撃できないのだ! 確かに貴様は強い……だが、どんなに貴様が強くても、攻撃できなければ殺すことはできんのだ!)
だが、次の瞬間、スズの手に浮かんだ六芒星の印が、ガラスのように割れてバラバラになって消滅した。
その予想外の現象に、魔王は目を見開いた。
(バカな……ありえない! 絶対に解除できない呪いの契約なんだぞ!?)
だが、スズが振った剣は彼に届き、剣を持った右腕を叩き落とした。
魔王が真っ青になった地面に膝をついた。
「ぐああっ……ま、待て! スズ、やはり貴様は魔王軍に必要な人材だった……私が間違っていた! もう一度、魔王軍に入ってくれ! きっとお前なら、あの化け物も」
「黙れっ! あんなことしておいて……今さら、もう遅いのよ! 死ねええええええええっ!!」
「ギャアアアアアアアアーッ!!」
スズの放った斬撃が魔王の首をとらえ、月光に照らされた森が血に染まる。
魔王の断末魔が響き渡り――。
この夜、スズの復讐は果たされた。
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