第29話 終焉(SIDE:魔王軍)

 ゲイルフォンは魔王城の廊下の窓辺に立ち、外の夕日を眺めていた。


 彼は、人間族の王都テスタリアを殲滅するために出陣した日のことを思い出していた。

 ちょうどこの場所で、彼はパンドラに誓ったのだ。


『このゲイルフォン、命にかえても、必ず人間族を滅ぼして参ります』


 しかし、いまだにその約束は果たせていない。

 それどころか、彼は魔王の恐怖にあらがえず、パンドラに槍を突き立ててしまった。


(俺は一体、どこで間違えてしまったんだろう……)


 彼は今の魔王の父、つまり先代の魔王の頃から、魔王軍の兵士として戦ってきた。暗黒騎士の中でも群を抜いて活躍していた彼を、十三番隊の隊長に任命してくれたのが、先代の魔王であった。


 先代の魔王が勇者に討たれ、一時、魔王軍は崩壊の危機を迎えたが、彼は新たな魔王とともに戦いながら、魔王都の復興にも尽力した。


 だが、魔王都がかつての繁栄を取り戻していくにつれ、歯車は狂っていった。


 ゲイルフォンがそれに気づいたのは、十年ほど前だった。


 先代魔王は高い理想を持ち、素晴らしい指導者で、彼は尊敬していた。多くの事を教わり、成長することができた。だが、その息子である新たな魔王は、素晴らしい父親とまるで正反対で、欲望にまみれた男だった。


 毎日のように開かれる贅沢な宴、享楽の祭り、酒池肉林。

 そんな魔王のもとに集まる魔族もまた、かつての魔王軍のような誇り高い戦士というよりも、下品で低俗な欲望にまみれた魔族ばかり。


 魔王都は、繁栄すればするほど腐っていった。


 それでもゲイルフォンが、魔王軍で戦い続けたのは、先代魔王の言葉があったからだ。勇者との決戦前夜、先代魔王が彼に言った言葉。


『息子を頼む』


 ただ、その一言が、彼を魔王軍に縛り付け、戦わせていた。


 しかし、心のどこかでは、今の魔王は、王として相応しくない……愚王だと、ずっと思っていた。

 だから――というのは、単なる言い訳かもしれないが。


『愚王を殺して、一緒に新しい魔王軍を作りましょう』


 そんな、パンドラの言葉が、まるで福音のように感じられてしまった。


(思えば、あの時から俺は、悪夢を見ていたのかもしれない……)


 そして、運命の歯車が異常な音を立て始めたのは。


 間違いなく、一年前。

 大陸の北の辺境で、スズと出会った時だった。


 彼はその半鬼半人の盗賊の娘を見て、その強さに驚いた。そして、恐怖した。

 彼自身、なぜそんな風に感じたのか、まったく理解できなかったが、スズからは、かつて魔王軍を滅ぼした勇者と同じ匂いを感じたのだ。


 ――コイツを敵に回すのはまずい。

 本能的に、そう感じた。


 最初、魔王軍に入ることを拒否した彼女だったが、「魔王軍が世界を統一した際には妻にしてやる」という、やけくそ気味で発した彼の言葉に急に食いついてきた。一見すると凶暴で残虐な盗賊でしかない彼女の中には、純真無垢で恋に恋する少女のような一面があった。彼はそれを利用することにした。


 魔王軍の兵士となったスズの活躍は、目を見張るものがあった。彼が最初に感じた通り、彼女の強さは圧倒的で、その戦いぶりは狂気すら感じるほどだった。『一騎当千の戦狂い』という異名で呼ばれるようになったのは、そう感じたのが彼だけではなかった証拠かもしれない。


 魔王に近づくため、パンドラの妹――イブと婚約を交わした時、ゲイルフォンはスズとの約束など、すっかり忘れていた。彼にとって、スズはただの駒にしか過ぎなかったからだ。


 そして、あの日。


 彼を呼び出した魔王が、彼に言ったのだ。


『あの戦闘狂の半鬼半人の娘は、いずれ脅威となるだろう。奴隷契約を交わした上で、奴を魔王軍から追放する。もし、抵抗するようなら……その時は貴様が奴を殺せ、ゲイルフォン』


 しかし、彼女を殺すことはできなかった。

 彼女は今もまだ、生きている。


 要塞都市プルートで彼女と戦い、彼は確信した。

 スズは、伝説の勇者の娘だ、と。


(あの鈴の音が、何よりの証拠……そして、あの暴力的なまでの強さ……奴は、強すぎる……)


 彼は眉間に皺をよせ、深く息を吐いた。


 二十年前の死闘を思い出す。

 魔王と勇者、どちらが勝ったとしてもおかしくなかった。


(魔王の息子と、勇者の娘……たった二十年で、ここまでの差が生まれてしまうとは……)


 と、その時。


 彼は、すさまじい魔力の持ち主が、こちらに迫っている気配を感じ、ハッとして辺りを見回した。


 石作りの長い回廊には、彼以外に誰もいない。

 あたりは、静寂に包まれていた。


「うわあああああああっ!!」


 兵士の悲鳴が、静寂を打ち破った。


(まさか……)


 ゲイルフォンは剣を抜き、その声のした方に走った。


 彼の感じた気配は、あの日、瀕死のスズが突然、拘束魔法を打ち破った時に感じた、あの異常な、暴力的な、反則的な、得体の知れない力をほうふつとさせた。


 だから、彼はこう思ったのだ。


 ――ついにスズがここまで攻めてきた。魔王に復讐するために。


 だが。

 駆けつけた先で彼が見た光景は、彼の予想とは真逆のものだった。


 溢れ返る、不死者の大群。


 その数の暴力の前に、魔王軍の兵士たちは殺され、奴らのエサとなっていく。


「魔王様……!」


 愚王とはいえ、彼の主君である魔王。先代魔王から託された約束もある。暗黒騎士として、最期は誇りを持って死にたいと、無意識に彼は思ったのかもしれない。


 魔王の間に駆け込むと、玉座の前に、一人の先客が背を向けて立っていた。


 紫色の長髪で、血まみれのドレスを着た女。


 魔王は玉座から立ち上がり、青ざめた顔で剣を握っていた。


「ゲイルフォン、城を捨てて脱出するぞ!」


 魔王が叫ぶ。


(城を捨てるだと?)


 ゲイルフォンは耳を疑った。


(そうか……やはり、お前は愚王だ。だが、俺は先代魔王様のために、この城を守る。たとえ、命を落とすことになっても……)


 それは悲しく、虚しい、愚かな決意だった。

 彼にはもう、その決意に縋りつくしか、自分を保つすべがなかった。


 彼は死を覚悟していた。今から戦う相手を『絶対に殺すことはできない』と知っていた。


 だが、たとえ今ここから逃げたとしても、いつかはスズに殺される。

 ならばせめて、ほんの微かでも、自分自身に誇れる死に方を選びたいと思ったのだ。


 背を向けていた女が、ゆっくりと振り返った。

 そいつは真紅の瞳で彼を見て――。

 嘲るように笑った。

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